南郷村の正倉院百済王族を祭る南郷村が作り上げた正倉院のレプリカ!絶句!百済という国家が、朝鮮半島に存在した。新羅と戦い滅亡した国家である。その百済の滅亡と共に多くの人々が日本に亡命した。その時に王族も亡命した筈であったが、亡命王族は正史に記されてはこなかった。
だが、南郷村の人々は亡命王族を今も祭り供養しつづけている。南郷村の遺跡で出土した遺物は、ほとんど正倉院クラスに匹敵する事から、正史から抹殺された王族の供養という仮定が現実味を帯びてくる。
近年、御神体を里帰りさせるに至った。その時宮司殿は、御神体に何ぞあれば、腹を切ってお詫びすると、脇差を懐に忍ばせて行かれたらしい。だが、韓国では全てフリーパス、身体検査など無かったので大騒ぎにならなかったんだろうな?
その南郷村に一人の村長が出現し、この村長さんが切れてしまった。その切れてしまった村長さんは、南郷村に「正倉院」を建ててしまったのである!
門外不出の正倉院の図面を、宮内庁から強奪!(言語道断だぁっ!)
法隆寺修復用クラスという貴重極まりない木材を日本中から確保!(壮絶至極だぁっ!)
歴史学者を大量に確保して実際に建ててしまった!(無茶苦茶だぁっ!)
ほとんど貴重な実験機会として、多くの学者はこの好機を逃さなかったのであろう!
しかし、これを見ると笑える?それよりも、絶句なのだ!宮崎の秘境を通り過ぎたら正倉院が突然出現した一瞬、私は絶句した!
南郷村は今もハングルの村としてがんばっているが、椎葉村の隣で、すなわち秘境の隣だ!従って、久留米から行くにも、結構大変になってしまうのだ!
人吉から山越えし九州大学農学部演習林を突っ切って、椎葉村を中央突破!
熊本県の蘇陽町から延岡市、日向市から遡上するか?
果たして蘇陽町から南下し、九州山地を走破し、椎葉村を縦断旋回するか?
ここに関しては、気合を入れて行け!行けばとにかく、何とかなるさ!それだけの価値はあるぞ!
そして何より、西の正倉院を建設した村長さんと、南郷村、そして村民達。ひっくるめて一言、凄い!凄過ぎるっ!
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