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安らぎの迷宮

九州は小藩が群雄割拠していた上に、沖縄・長崎ルートで様々な食文化が流入してきました。砂糖の供給地に隣接していた九州では、甘い味付けが大好きになってしまったようです。九州の醤油は、甘いのです!従って、関西・関東・東北・中国ともまったく異なる九州の味付けが存在していますから、余所から来られた方は御注意ください。

九州の人間は飲食を愉しむのが大好きです。特に甘い物は大好きです!戦前の統制品であった砂糖も、炭坑が集中していた九州では、無茶苦茶自由に流通していたそうです。その結果、ひよことか、千鳥饅頭とか、成金饅頭とか、鶴の子とか、黒ダイヤとか、ザボン漬けとか、凄まじい量の銘菓が誕生しました。

同時に日本最大のお茶の供給地である「八女」を擁し、和菓子とお茶(お抹茶じゃないです。普通のお茶です。静岡の人が言う「きつねっぱ」の方です)を楽しむ文化的基盤が成立したのです。

日本最高の湧出量を誇る別府温泉を筆頭にあちらこちらに点在する温泉を愉しむのも大好きです。安い料金で楽しめる温泉でくつろぐのだって大好きです。お地蔵さんが番台している共同浴場とか、いろんなトコに、いろんな温泉が、列挙する暇も無いほど存在しているのです。それだけでなく、怪しい店も、怪しい、、嗚呼、怪し過ぎる!何故だぁっ!


 1.吉井のトンダヤ! 絶滅危惧菓子店舗筆頭!今食わ無かったら、後悔するぞ!
 2.喫茶あ〜でん! 絶滅危惧業種!喫茶店はどこへ行く?その可能性がここに在る!
 3.共同浴場! 絶滅危惧種温泉場の共同浴場!その存続を私は訴えたい!
 4.村岡総本舗! 小城羊羹の重鎮!凄いよ!凄すぎるよ!
00.お気に入りの食べ歩き! ほとんど日記状態です!

 1.吉井のトンダヤ!

 今や絶滅危惧菓子店舗筆頭!今食え!今食わ無かったら、後悔するぞ!

二十年前、田主丸が脚光を浴びていた。鯉取りまぁしゃんの頃である。そして今、隣の吉井が御雛様祭り脚光を浴びている。諸行無常の響きありと言った趣のある隣町の壮絶な関係。深く立ち入らぬ様にしておきたい。どちらにも知っているモンが居るけんねぇ。

その吉井町で唯一評価する店というか、絶対外せないのが、福銀そばのトンダヤである。

ザボン漬けという、ザボンの砂糖まぶし煮(表現間違っているか?しかし、食した結果、そんな感じがした)は九州最初らしい正しく伝統の店舗であるが、悲しい事に、昨年は店舗兼住宅が修理の為に長い事休店していた(営業しながら、修理させろよ!)。そして、おばあちゃんが倒れられたとの事、加えてある筋から「あんま早よう開けるなやぁ!」と言われた結果、午前7時開店になってしまった(らしい)。

午前7時開店が遅い?そーなのだ、6時には必ず開店して居たこのトンダヤ!久留米から東進する際には必ず「どら焼き」&「月の丘」を大量購入している。

どちらも五十五円という良心的な価格&気合の入った味、潰れるなよ!閉店するなよ!絶対後継者を確保してくれ!お願いします、閉店したら泣くぞ!状態の正しく国宝級の店舗なのである。

じいちゃん&ばあちゃんは、完璧白髪、その息子さん夫婦も完璧白髪、あのぉ、おいくつですかぁ?と聞きたくなる職人親子列伝状態!のトンダヤさん。

今や伝統の菓子を販売しつづける「トンダヤ」は、重要無形文化財なのだ!

吉井の「御雛様祭り」にお出かけの際は、国道210号線沿い、福銀の信号の角に或る「トンダヤ」を訪れて、月の岡(五十五円)&栗入り月の岡(百円)&どら焼き(五十五円)を購入し、御家に帰宅後、玉露の白折れあたりを淹れながらしみじみと食して欲しいのだ。

京菓子じゃないぞ!お茶受けのお菓子だ。誰がなんと言おうが、俺は「トンダヤ」こそ二十一世紀にも残すべき店舗&商号なのだと断言する!あの、後継者は居られるんですか?朝もはよから御邪魔してはドラ焼き大量購入しては(開店と同時に全部のドラ焼き買い占めたのは私です。後悔して今は在庫の半分しか買いません)、脱兎の如くとんずらしていた私である。是非とも残して頂きたい!

早朝、ここで和菓子を買い込んで、御茶会に乱入する秘密計画をただいま立案中だ。ここの御茶会のおうすは私好みで、五杯はいただける!くらい美味しいのだ。これに「トンダヤ」の御菓子を合わせたら、マイブーム的には史上最強かもしれない。
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 2.喫茶あ〜でん!

 今や絶滅危惧業種!喫茶店はどこへ行くのか?その可能性がここに在る!

純喫茶、名曲喫茶、歌声喫茶、各種の喫茶店の形態が今まで存在してきた。私は歌声喫茶を知らない。純喫茶と呼ばれる喫茶店は訪れた事がある。名曲喫茶は現役で知っている。だが、コスト高になりやすい喫茶店は、最近低コストに流れるコーヒーショップに取って代わられつつある。

我々の世代にとって、喫茶店には気合の入ったオーディオセットが鎮座ましまし、LPとちょい硬派な雑誌「レコード芸術」(私はれげぇと呼称している)等が、並んでいなければならぬ(一度気合の入ったフルベンのマーラーをここで聞いてみたい!と切望したくなったら、完璧である)。加えて喫茶店の美意識が我々に何かを訴えかけねば成らぬ。精神の琴線を微妙に掻き鳴らす程度である事が望ましい事は言うまでも無い。

その様々な条件を満たしている喫茶店が、大分県湯布院に存在している。

由布院のインターを出たら迷わず右折しなさい。そして高速道路をくぐる寸前に左折!突き当たりのT字路を右折。そしてしばらく走れば、ホテル四季に向かう角に、喫茶あ〜でんがある。

民家改造というか、住宅兼店舗と言うか、説明するとどーしよーもない。まずは、訪れて欲しい。落ち着いた、正統喫茶店の王道を迷わず歩み続ける店だ。

絶対に儲かっていないハズである!設備投資に多大な資金を投入し過ぎている!利益の数年分が設備投資に投入されている計算になる。だが、オーナーさんから伺ったトコでは、設備は貰い物(叔父様の遺品)らしい。でも、壮絶!

冷静になって考えてみれば、利益・採算度外視こそ、喫茶店の覇道である。だが覇道を進んだ者達は今や滅び去り、その最後の生き残り、精神的後継店舗がここ由布院に在る。何時までも残したいものだ。のんびり開けておられるそうだから、由布院に行ったら、必ず訪れて欲しい。金曜・土曜は10:00まで開いているそうだが、火曜日・第三水曜日定休。

ちなみに私は「シフォンケーキ&ダージリンのセット」を二階のお気に入りシートで頂くのを常としている。

さあ、行くが良い!行けば、私の言葉が理解できるであろう!
 運が良ければ、楽しい御出迎えもあるかもしれない。

但し、怪しい男が客として二階窓際の席を占拠していても、恐れてはならぬ。それが、私だ。ごく普通の怪しさではないから、一発でおわかりに成るから心配はしていないが。

追伸
トイレは二階、かなり、来ている。
こちらにホームページあるんで、詳細は
こちらで!
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 3.共同浴場!

今や絶滅危惧業種銭湯に並ぶ温泉場の共同浴場!その存続を私は訴えたい!

共同浴場、かつては都市部にも共同で銭湯を維持する共同体が存在していた。だが、内湯の拡充と充実は銭湯を駆逐し、共同浴場を絶滅に追い込みつつある。都市部では沸かし湯形式の共同浴場は駆逐された。そして温泉地の共同浴場も絶滅寸前である。

実を言えば、私自身熊本県阿蘇郡阿蘇町内牧で共同浴場にお世話になった。しかし、内牧の共同浴場もあの大水害の再開発で消滅してしまった。

都市再開発は共同浴場の存在など許さない。悲しい事に、共同浴場を含めて、地元住民の結束を叩き潰すには浴場を破壊するに限る。バブル期の地上げ屋は、取るものもとりあえず、銭湯を叩き潰し、地域の共同体の要を潰す事で町全体を完膚無きまでに消去したのである。地上げ屋並に悪辣な地方自治体の担当者達は地上げの基本に忠実な戦術に則って行動・思考するから、銭湯や共同浴場の存続など認めない。もはや、共同浴場の運命は風前の灯に過ぎないのである。その結果、観光に寄与しない温泉地の共同浴場は、抹殺されつづけている。

日本一の湧出量を誇る別府の共同浴場は80円&激熱(設定温度46℃はザラ!素人さんにゃあ、入れねぇぜ!)で、湯布院は湯平温泉の共同浴場は安らぎ&癒し系で今も頑張っているのだが。

別府の共同浴場は、芝石温泉、竹瓦温泉、不老泉、駅前高等温泉(町内会運営)等いろいろ存在している。だが温泉ガスの影響か、コンクリートも腐食して立替が必要になってくると、その立替資金をめぐって様々な問題が出てくる。

昭和20年代から30年代に建設されたコンクリート建築が寿命を迎えつつある今からが、別府を含めた温泉地共同浴場存続の正念場になるのである。

現在まで共同浴場は地元の観光にあまり寄与しないとして、資金を投入する事を地方自治体が躊躇してきた。故に、共同浴場に観光客を呼び込めねば、温泉地の共同浴場は滅ぶしかないのである!しかし別府の共同浴場は設定温度が異常に高い!通好みの設定温度故に地元でも設定温度を巡って大論争を巻き起こしているようだ。

由布院の湯平温泉の共同浴場は、金の湯、中の湯、中央湯、銀の湯、橋本湯と五つもある。お地蔵さんが番頭さんだから、地元も大事にしてくれている様だ。湯平温泉の旅館も、少しずつではあるが、閉館・休館が目立ち始めている。車で乗り付けられないのが、辛いのか?悲しいなぁ。

ちなみに私は共同浴場の熱心な愛好者である。

由布院は湯平温泉の共同浴場「銀の湯」は結構である。先日みんなを連れていったら橋本湯はお休みで銀の湯になったが、実はここが一番のお気に入り、洗髪こみで150円お地蔵さんに上げて入りましょう。加えて、真ん前には酒屋さんもあったりする!立地条件としては最高&最強!

山鹿のプラザ5一階「桜湯」も宜しい。一時期経営危機が伝えられ、その存続は危ぶまれていた。自動販売機で切符購入、料金150円。少し離れた秘密の無料駐車場に車を止めて。

阿蘇町の内牧には凄まじい共同浴場というか、隣組浴場が在ったりする。テレビ放映時に所有者達の姿を見た私の母に言わせると「ありゃあ○○しゃん」「ありゃあ○○しゃん」と知り合い&親戚だったりするらしい。田んぼの真中にある小屋がそれだ。

かつて日本中の何処にでも在った共同浴場と銭湯を、我々が残していかなければ、今こそ共同浴場と銭湯を存続させうる最後の機会では無いか?そんな危機感を抱いて、さぁ、共同浴場&銭湯に行くぞ!

現在大分県別府の共同浴場の建替えを巡り、裁判が提訴された。無料入浴権の確認を巡って、市側と住民が争っているのだ。既得権と公平性の確認、道路拡張に伴う建替えだけに、従来の既得権を守る必要があるな。

さて、別府市としては、共同浴場を観光資源にしたいが、住民が無料で入浴しているとなると、問題に成ると考えているのか、60円から80円に上がって、つい最近100円になっていた。100円玉ひとつで、お金が返ってくるという、お徳さ加減がなんとも言えなかったんだが。
でも、みんなが言うのは、「安い!安過ぎるっ!」あんまり、目くじら立てるのはどうかな?
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 4.村岡総本舗!

小城羊羹の重鎮!凄い!凄すぎる!2004.1.18

佐賀県小城は、佐賀鍋島の支藩、小城鍋島の城下町である。ここは、清水の観音さんに鯉料理、羊羹の本場として名高い。江戸時代の長崎街道は砂糖街道であり、小城は長崎から日本全国へ運ばれる砂糖運送路に位置していた。その小城には村岡総本舗がある。

ここで、ちょいと小城の解説&説明をしておこうか?最近、千葉県民の某歌で有名になっている佐賀県、江戸時代は肥前鍋島と唐津寺沢に分かれていて、肥前鍋島には対馬の宗家の飛び地もあったり、佐賀鍋島家、いろいろあって、摩訶不思議な構成をしている事で有名なのだ。

直茂というおっさんが、主君龍造寺の死後未亡人の全面的バックアップを受けて佐賀の藩主になっている。一時期九州は、島津・大友・龍造寺で三分していたのだが、関ヶ原の的中突破の島津、キリシタン大名大友に対して龍造寺一族は知られていない。

龍造寺の大将はあちこちに喧嘩をふっかけて領地拡大に走ったが、深刻な恨みを買って戦死!後継者に恵まれなかったんで家臣で一番の有望株に後を託したという戦国の世には普通の事だったが、廃摘された方は堪らない。
ほぼ一族全員から見放された男とその息子達の遺恨が元ネタだろう、鍋島の山猫退治事件を元に脚色に脚色を重ねて、鍋島化け猫騒動という伝説が流布される事になった。
佐賀鍋島の文化ネタと言えば、陸軍暴走阿呆集団のバイブルであった葉隠!伊万里(有田)焼きの柿右衛門さん(この人は八女の城主の人質の家系で) それだけで終われば良かったのだが、関ヶ原の勝茂西軍参加事件が尾を引いて、とんでもない事になる。

初代隠居の直茂は東軍家康べったりであったのだが、運悪く関ヶ原開戦時、馬鹿息子の勝茂は大阪に居たのである。親父殿が徳川に兵糧米を送っておくなど、準備万端怠りなかった上に、平謝りに平謝って助かったが、馬鹿息子がどじを踏んで、西軍に参加するという非常事態!その結果馬鹿息子は徳川家康の養女と結構させられる羽目になったのである。
鍋島の後継者は徳川家康の養女の子供に決定し、勝茂の子供達はそれはもう凄く苦労する事となった。

長男元茂は本家相続不可となり、新たに小城鍋島家が興された。長男元茂は、阿呆親父勝茂に対してよっぽど思うところが在ったらしく日夜研鑽に研鑽を重ね柳生新陰流の印可を受けた凄腕の剣士であった。そりゃあ、そうだろうなぁと思う。子供の頃にいびり抜かれた母親は自害、阿呆親父の不始末の末に人質暮らし、腹違いの弟に跡取りの座を奪われ、気合いの入れ方は半端ではなかったと伝えられている。
ちなみに、阿呆親父、勝茂も殿様芸とは言えない領域の遣い手だったらしく、切り柄仕立ての日本刀を小姓にも強要していたというけれど(自分だけにしろよ、小姓だって刀誂え直したり金が要るだろ?)その腕前を伝える逸話が、浅野の殿様と大差ない処から見ると、本当だったのか?少々疑問符が残る。それ故に、元茂の腕前は凄まじい物があったのでは無いか?と思える。

勝茂の弟で、隠居直茂の次男忠茂は人質暮らしをした後、秀忠の小姓に始まり、一生奉仕の幕臣としての一生を送った。その働きざまは秀忠をして別に碌を与えざるを得なかった程、鹿島鍋島の藩主でありながら旗本扱いというそりゃあもう、凄く苦労させられたお方だ。忠茂の息子は幕臣として生きたが、鹿島鍋島を取り上げられ、従兄弟の勝茂九男直朝に持って行かれる事となる。

んでもって、勝茂は本家相続させると決めた四男忠直を孫が生まれてすぐに失ってしまう。で、その未亡人と五男直澄と再婚させた。もはや泥縄の連続である。直澄はつなぎとしての地位につけたが嫡子とはしなかった。で、この直澄は蓮池鍋島の祖となるのであった。

結局、鍋島の藩主一族は、関ヶ原参戦の失敗でみぃーんな不幸になってしまった。勝茂という人物、親父殿を越えられなかったんだなぁと思う。本家に、鹿島、小城、蓮池という四つの鍋島家が藩体制をとりつつ統治された肥前という国、その小城は今、世にも珍しい羊羹屋さんの密集地帯と化している。その多さは、日本一の羊羹の町と言えるだろう。羊羹屋さんがここまで密集している町を私は知らない。全部ひっくるめて小城羊羹、商標登録済みだから、他じゃ使えない。

その小城羊羹で、最も、怪しい商品ラインナップを揃えるのは、村岡総本舗である。九州のお菓子屋さんのビックな印、本店と総本店を有し(飯塚本店・福岡本店・東京本店を揃える怪しい店もある)、一本五千円、一本二万円という脳味噌ば〜んっ!な羊羹も在ってね、もう、知れば知るほど怪しい羊羹屋さんなのだ。

寒天羊羹以外にも、でんぷん系羊羹もあるしね、どら焼きセットも捨てがたい。美しい淡い色目の櫻シリーズがある。抹茶は美しくない。小倉は色が重すぎる。櫻の色合いは美しい。一番好きなのは、小城櫻だね。美味しかった某高級品も良かったが、高くても安くても、羊羹がしっとり目で美味しい!何より羊羹史料館で出される御抹茶のおいしさと言ったら、で、水飴入っていない羊羹、さっぱりして、好きなのだ!

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00.お気に入りの食べ歩き!

ほとんど日記状態です!

平成二十年八月四日昼
天草市になった大矢野町で、大空食堂に行きました。当然ちゃんぽんですが、大将に呆れ果てられました。そんなに狂ったように喰っているか?塩辛いので、後で甘いものが必須です。

平成二十年七月二十八日昼
佐賀の国道沿いの孟渓苑麺房である。麻婆豆腐は辛い奴、そして炒飯、麻婆豆腐は山椒ですね。

平成二十年七月二十一日昼
福岡の魚市場の博多魚がしが回転寿司をやっている魚辰は、出漁停止の今も何とか材料を手配しています。何とか行けました。

平成二十年七月七日昼
久留米市の瀬下町の方の鯉龍軒です、昼なら定食が一番良いかな?前言撤回しとこ!

平成二十年六月二十八日昼
久留米の荘珍味で飲茶やりましたが、う〜ん、微妙な価格設定と出て来るタイミングでした。ランチのが良いと思います。

平成二十年六月一四日昼
久留米のしげなががやっている北茂安の回転寿司に行きました。もう、此処には行きません。

平成二十年六月一日昼
福岡の魚市場の博多魚がしが回転寿司をやっていて魚辰です。大丈夫です、回転寿司ですが満足できます、今日から日曜営業開始です。

平成二十年五月十七日昼
筑紫丘の向こう、若北にある台北ですが、終わっていました。客は正直です。客が居ないので止めればよかった。

平成二十年五月三日昼
瀬高の大力でうどんです。ここの安さは常軌を逸していると思います。大勢の客に支持されねば維持出来ない価格設定です。

平成二十年四月二十八日昼
伊万里の道の駅で、ステーキランチです。伊万里牛です。

平成二十年四月十九日昼
豊後竹田方面に行ったら、原尻の滝の道の駅で、白滝に入って、とり天定食なんです。後は竹田市内の丸福しか無いですからね。

平成二十年四月十六日昼
長崎県の大島町の大島は、昔炭鉱の島でしたが、今造船の島です。ここには三井松島があって、そこのストアであるパインの中には民宿がやっているはま夕というトコがありまして、ここの定食は絶対に満足できます!

平成二十年四月十二日昼
長躯宮崎県に出撃したので、西都のこのはな館で、ランチしました。チキン南蛮ですが、物価と価格設定の高い宮崎では満足できます!

平成二十年四月四日昼
福岡県芦屋町ゆうたら、志満屋でしょう。ちょっと贅沢しても満足感に不足は在りません!

平成二十年三月二十九日昼
世界最強の玉露産地である星野村の鄙の厨房ひまわりでランチです。量が少ないのですが、味は良いし、安いです。私なら、二人前お願いします。

平成二十年三月十五日昼
福岡の魚市場には、お店がいろいろあって、その内の一軒が、魚がしをやっています。駐車場が時間限定で無料なので、土曜日だったら、会館一階の博多魚がしで、ランチしました。私は単品でドカッと喰える他の店が好きなんですが、女性の場合いろいろ入っている此方が好きだそうです。

平成二十年三月九日昼
佐賀のうなぎは、本庄のうなぎでしょ?ここで久しぶりにうなぎを食しました。ちょいとさっぱりなんで、お年を召した方を連れて行っても大丈夫でしょう。

平成二十年三月一日昼
筑紫丘の向こうにある台北です。場所が移って久しぶりに食べました。何でもオッケー!サイコーです!台北万歳!

平成二十年二月十七日昼
筑紫野にも八仙閣があります。安心できますが、他でも食べ歩くと、少々満足できなくなっている私が居ます。

平成二十年二月十三日昼
長崎は国見町なら、鍋島家老さんちに行って、綱政でランチでしょう。島原に行くついでに綱政(こうせい)でランチしました。島原半島なら、此処か、小浜でちゃんぽんか、愛野でトルコもあったか、、いや口之津の丘の上で海鮮も在るか、でも綱政でランチは確実です!

平成二十年一月十四日昼
天領日田なら、中島でしょう。ココでグリル系なら大丈夫ですし、ハンバーグは欠かせません。私は大きいハンバーグです。

平成二十年一月十二日昼
久留米市の瀬下町の方の鯉龍軒で晩飯を食いました。焼飯定食800円と日替わり定食550円です。ここでは唐揚&酢豚&餃子&焼飯が良いでしょう。

平成二十年一月三日昼
佐賀の武雄北方で無限うどんの牧のを襲撃しました。私はここでは、レモンおろしです。佐賀のユメタウンの忌まわしい記憶を払拭できました。

平成十九年十月三十日昼
佐賀の大財(おたから)の孟渓苑である。マヨエビを食しましたが、やはり海老マヨはヘル飯店ですなぁ。

平成十九年十二月二十三日昼
長崎は島原市になった国見町には、フェリー乗り場も、鍋島家老さんちも、綱政も存在します。ランチは食えないけれど、確信犯で日曜に綱政(こうせい)に喰いに行きました。ソースが好きです。1ポンドを凌駕する焼き上がり300グラム確信出来る量が好きです。気合の入った奥さんが大好きです!ここの日曜祝日は喰えないランチも大好きですが、ここでサーロインを喰うのが大好きなんです!3000なんぼ?それがどうした!俺はここのサーロインが大好きだ!でも女性は、フィレのセットが確実ですよ、、昔はここでジャンボ喰えたんですが、、、今では無理です。

平成十九年十二月八日昼
飯塚は麻生さんちの裏に或る一八飯店で、単品セットを頼んで満喫しました。麻婆豆腐と唐揚のマヨネーズソース、そして小メシで完璧です。ここのセットはこれで、完結できると思います。願わくば、ココが二十年後も今と同じように食べられますように、、、頑張って下さい。

平成十九年十二月一日昼
またも佐賀の有田の上海飯店である。皿うどん、ちゃんぽん、焼飯に鳥の唐揚げと言う4人で喰うにもメニュー選択間違えたなという奴でした。流石に初心者連れて行ったもんで、上海飯店のセオリーを他所モンに理解させるのは無理でしょう。サラダとスープを出そうとしたお姉さんが、絶対に喰えないなと判断してしまった程でした。でも、ワシが居たから喰えたんですけれど、普通の人は理解できませんからね。

平成十九年十一月二十四日昼
佐賀の有田の上海飯店である。やはりデブには中華料理かもしれない。ココは訳の分からないサービス一品が普通の上に、鳥の唐揚げが欠かせないけれど、後にニンニクが残ってしまうというお店ですちょっと高いけれど、これに焼き飯小を各自にセットしたら大丈夫かな?

平成十九年十月二十七日昼
福岡県芦屋町の芦屋競艇を東から向かって行き過ぎた志満屋でランチだ。メニューを見ずに、サンプルを見てオーダーすると、更にお得なメニューを食べられる仕出屋さんである。1000円以下で無茶苦茶美味しいのです。

平成十九年十月二十日昼
飯塚は麻生さんちの裏に或る一八飯店で、日替わり、辛マヨ定食、酢豚定食をみんなで食べました。狭いのですが、美味しいのです。美味しくて安いのが中華料理のセオリーだったのですが、次第に原価率が下がり、価格が吊り上っています。悲しいですから、ヘル飯店さんには頑張って欲しいものです。

平成十九年十月十四日昼
佐賀の大財(おたから)の孟渓苑である。680円の酢豚セットと、マヨエビセットと、唐揚セットをみんなで食べました。ここは、美味しくて安いのですが、ほぼ100%中華人民共和国国民さんらしくて、ちょいと微妙な物を感じる時があります。

平成十九年十月六日昼
板付のサトウの食鮮館2階のレストランサトウで、サービスランチを食しました。ここのマリネは美味しいのです。買う価値の或るメニューを作っているのですが、残念ながら、ちょいと他が弱いのです。ここのマリネは買う程大好きです。

平成十九年九月十五日昼
鹿児島市天文館のむじゃきで、しろくまを食しました。男は黙ってプリン白熊でしょう!初心者or旅行者向けに二人で一個のオーダー可能ですし、なにより饂飩と一緒で、しろくまは掻き経てを食するに限ります。ですから、私はここに行くのです。

平成十九年九月六日昼
佐賀の三日月町のドライブイン一平でメキシカンカレーを食しました。大盛り50円増しというスタイル、量とフライとカレーは絶品ですが、ハンバーグはもう一歩ですね。私とは解釈の違いがあります。

平成十九年九月一日昼
宇和島のほづみ亭で、久しぶりに鯛めしを食しました。生卵を入れた醤油メインのタレ、変りませんが、店はかなり拡張していました。

平成十九年八月二十七日昼
JR久留米駅の側の伊勢弥というトコで、定食を食しました。600円で十分満足できます。1000円になると凄いモンがありまして、久しぶりに喰った価値はありました。値段以上のボリューム、それがここの持ち味だったんです。

平成十九年八月二十六日昼
飯塚の柏の森にある一八飯店で定食を食しました。凄い価格バランスです。

平成十九年八月二十日昼
武雄の餃子会館で、もしもしラーメンと、ホワイト餃子を食しました。私の記憶にあるホワイト餃子は気が狂った様に持ち帰りの餃子を売り捌く午前中と、店でゆったり餃子を食える午後の本店です。そして久しぶりに武雄でホワイト餃子を食しました。あのホワイト餃子は、油で揚げて仕上げる独特の歯応えとモチモチ感は昔のままでした。みんな気に入ったみたいです。

平成十九年八月十六日昼
吉野ヶ里の、34号線沿いにある佐賀軒でちゃんぽんを食しました。井出ちゃんぽんの流れですが、鹸水の少ない麺は悪くは無いし、井出ちゃんぽんより塩の少ないマイルドさ、加えてラードというか油の少なさ、評価は微妙ですが、井出ちゃんぽんのバラツキが恐ろしい我々はこちらに移行した方が良いのか?ちゃんぽんロードの飛び地として評価すべきでしょうか?

平成十九年八月五日夜
久留米の花火大会です。今夜の久留米市西町のみ国のお肉は、史上最強の美味しさでした!

平成十九年七月二十八日夜
夏です。夏バテ防止に久留米市西町のみ国でステーキ用のお肉買ってきまして、食しました。九州のうなぎもこの時期、コテコテし過ぎで辛いんです。とっても美味しかったです!

平成十九年七月十五日昼
台風がなんぼのもんじゃ!と、志賀島まで食事をしに行きました。志賀島センターは満席&満杯だったんで、中西食堂で、曙丼を食しました。3人で、曙丼、さざえ丼、ちゃんぽんを頼んでいます。この3つを食べれば、中西のほとんどは制覇した事になります。でもアルコールを頼まないと、本質が理解できない店なんですね。

平成十九年七月二日昼
佐賀のJAのやっている焼肉屋さんのすぐ側にある孟渓苑でランチしました。中華料理の原価の低さは驚異的ですから、儲かるんですよ。私向けの量ですね。全員中国人で固めて急速に店舗展開中ですが、、何か問題がおきそうな気がします。

平成十九年六月十九日昼
原尻の滝の道の駅では、やっぱりとり天定食です!ここいらじゃ、あの怪しいカレーかラーメンしか在りませんから、ここが一番なんです。あのラーメン、カレー、まだ家族を連れては行けません。

平成十九年六月九日昼
八代の帰り道、国道沿いに移動したみやべ食堂で、中華バリバリを久しぶりに、本当に久しぶりに食しました。行列しても食いに行く価値のある店です。

平成十九年五月二十七日昼
桂川と穂波の境にある国道200号線沿いのすからで、少し遅めの焼肉ランチを食しました。四人で3050円!サイコーですね!飲酒運転は禁止ですよ!そして旧嘉穂町の石田でまたプリンを買いました。

平成十九年五月二十六日昼
久留米の一心でランチ、1360円を食しました。フライが一番おいしくて、すしもフライも出来たてに限りますね。女性&老人向けの量なんですが、悪くありません!

平成十九年五月十三日昼
飯塚の穂波で、とん玉焼き100円を久しぶりに食しました。やはり折尾のたこ焼きと同じ郷愁無しには食べられない味ですね。そして旧嘉穂町の石田でプリンを買いました。やっぱり美味しかったです!

平成十九年五月五日昼
福岡市板付団地近くのロイヤルのアウトレットでパンを買い込み、食しました。ここの価格だったらバランス取れているなって、感じます!評価低すぎですか?

平成十九年五月三日昼
福津市の大力という喫茶店みたいな魚どころで、またも大力定食を食しました。大力ゆ〜たらアラカブの唐揚げですが、大力定食か、刺身定食がバランス取れています!

平成十九年四月二十九日昼
中津の壱番亭という中華屋さんで、さらうどんを食しました。国道沿いの店にはちゃんぽんうどんがありませんが、ちょいと甘めの味です。ちゃんぽんうどんより良いな?と、こっちでも良いわ!と、高評価でした!私の隠し球!耶馬溪のオランダ橋の袂の小谷瀬パンで3時のおやつを買い込んで車内で食べました。やっぱりふわふわで、美味しかったです!

平成十九年四月十四日昼
福津市の大力という喫茶店みたいな魚どころで、大力定食を食しました。大力ゆ〜たらアラカブの唐揚げでしょう!コレ無くして大力は語れません!まだまだ残しております!私の隠し球!帰りには旧嘉穂町の石田でプリンを買いました。美味しかったです!

平成十九年四月七日昼
北方の井出ちゃんぽんで、普通の奴を食しました。みんな今日は美味しくない!と断言しました!井出ちゃんぽんは、もう博打になっちまったんです。

平成十九年三月十日昼
日田の三本松の東華ファミリーでジャンボを食した。レモンの入ったトリカツ丼はジャンボだったが、食いきれずに衝撃を受けてしまった。妻もビックリしていた。

平成十九年三月三日昼
松江に行ったんで、久しぶりに博多で飯を喰った。たいまま、うにまま、かにままのままトリオは1000円で史上最強のランチだと思う!みんなビックリしていましたからね。

平成十九年一月二十七日昼
むちゃくちゃ久しぶりに三井港クラブに行った。やっぱり、ライスよりパンですね。味が変ってしまっていますが、基本的には好きなソースでした。また行こうか?今度は誰を連れて行こうか?楽しめるレストランです。残って良かったと思います。椅子なんか昔のままでしたモン!

平成十九年一月十四日昼
六つ門の喫茶店で久しぶりにハンバーグセットを食しました。ちゃんと手作りのハンバーグ、醤油ソース、或る意味定番の黄金の味です。もうすぐ無くなるのかもしれません。ジョイフルに客を奪われていますからね。

平成十九年一月三日昼
北方の井出ちゃんぽんで、普通の奴を食しました。しかしこの塩味は何なんだ!のどの渇きは何なんだ!そして、何でこんなに味がバラツクんだ!

平成十八年十二月十六日昼
北九州のシロヤを二軒とも制覇しました。森鴎外の旧居の傍にあるトコと黒崎の路地のトコ、バームクーヘン!オムレット!喰ってみよ!喰えば、判るんです!凄いんです!財布に優しいんです!

平成十八年十一月三日夜
日田の立花でカツ定食のデカイ方を食しました。美味い!美味過ぎます!

平成十八年十月二十八日昼
熊本市のフードパルの桂花でラーメンを食しました。やっぱ東京のトンコツラーメンですね。

平成十八年十月二十二日昼
芦屋の魚見公園の国民宿舎でランチしました。時間が掛かりすぎです!

平成十八年十月二十一日夜
辻留という天麩羅屋さんで色々揚げて貰いました。初めての店で、食べながらも冷静に判断し続けている自分が居ました。天麩羅は、個人技能の局地ですから、ただし、カロリーオーバーは必至でしたから、かなり時間を空けないと駄目みたいです。20何年ぶりだったりします、この店。天麩羅はカウンターで塩!そして日本酒を浴びるほど飲む!それが私のセオリーです!

平成十八年九月九日昼
玄海町は神湊の末広で定食を食しました。やっぱ、大力よりインパクト無くなったなぁ。

平成十八年九月二日昼
廿日市の駅前のサファイアで豚玉二つ食いました。食の記憶は美化されるというか、デバイスが掛かってしまいがちですから、味を的確に伝えるのは難しいと思いますが、やっぱり結構美味しいと思います。

平成十八年八月七日昼
びすとろときつで、ランチしました。まあ、良しとしときますが、奥さん旦那に好きさせなよ!段々美味しく無くなってきているぞ!足代要らずの、近くという利点しか見出せなくなっていました。

平成十八年八月六日昼
阿蘇市(昔の一の宮町)の役場の傍にある四季采いちのみやの中でカレーを食しました。サラダバー付で絶対美味しかったです!洋食のちょいフレンチですか?味がしっかりしているので私でも満足できました。お薦めです!

平成十八年七月十七日昼
玉名の国道沿いに或る、あの天琴で食しました。脂多過ぎ、くどいラーメンに終わっています。やはり、限度を超えてしまう店が多いんですね。人の舌は馬鹿になってしまうんですから。

平成十八年七月十六日昼
久留米市大善寺黒田の島崎うなぎで、またもうな丼を食しました。とんまつより、みんなの評価は高いんです。でもうな丼オンリーだったりします。

平成十八年七月十五日昼
久留米井筒屋で、村岡総本舗さんが来られていたんで、水饅頭戴きました。おいしかったなぁ。夏は、ここの羊羹をオフシーズンにしております。

平成十八年七月二日昼
近所の怪しい中華料理屋で、ランチを食しました。最近流行りの内装、最近流行りのメニュー、荘珍味は女性向の店であって、私向きではありませんでした。デブには反感を食らう店だと思います。

平成十八年六月十日昼
久留米市大善寺黒田の島崎うなぎで、うな丼を食しました。とんまつより、私の好きなうなぎ屋さんです。

平成十八年六月三日昼
大村市のやまとで、角寿司を食しました。味が、変わらないんです!ある意味凄い店なんです!残すべき店でしょう!あ、今度波佐見のうわさの店に行ってみよ!

平成十八年五月六日昼
筑後市のきの屋でロースカツ丼を食しました。昼にきの屋に行ったら、これが定番なんですわ。でも、味が違うかなぁ?

平成十八年五月五日昼
佐賀の北方の井出ちゃんぽんで、麺大盛りをいただきました。食が細くなったなぁ。

平成十八年四月二十九日昼
佐賀の神野公園の隔林亭でお茶をいただきました。

平成十八年三月十一日昼
鳥栖の村岡総本舗で、一杯買いこみました、これから、寒くなるまで櫻羊羹ともお別れです。そして佐賀市の鶴乃堂で肉まん食しました。これも、シーズンオフかなぁ?

平成十八年二月十四日昼
大牟田市江口で草木饅頭を一杯買いました。あんまり他では売っていない方ですね。私はこっちばっかりです。

平成十八年二月十一日昼
博多ラーメンを食しました。安い、早い、これでもうちょっと、美味しければ、最高なんですけれど。長浜らしい長浜ラーメンだから仕方が無いんですけれど。

平成十八年二月五日夕
丸星のとなりでラーメンを食しました。焼き飯も食しました。もう食べに行く根性はありません。

平成十七年十二月十七日昼
パピヨンプラザの八仙閣でサービスランチと八仙定食を食しました。久しぶりでしたが、、、私の周囲の中華料理は落ちているので、これで良しとします。

平成十七年十二月十日昼
有田の深川精磁の工場にある究林登で、カレーを食しました。許す!許します!

平成十七年十一月五日昼
またふれあいセンターいずみの炉丹で地鶏唐揚定食です!そして、塩漬けたけのこを買いました!美味いから、良いんです!

平成十七年十月十日昼
佐賀空港の村岡総本舗で、体育の日の栗饅頭買えました!おいしいんです!この栗饅頭!

平成十七年十月五日昼
ふれあいセンターいずみの炉丹で地鶏唐揚定食です!そして、塩漬けたけのこを買いましょう!美味いんです!

平成十七年十月一日昼
簡保の宿北九州で、海鮮丼!ロケーション最高で、余計に美味く感じますね!

平成十七年九月二十四日昼
やっぱり飯塚のグーテンタークでシュークリーム買っちゃいました!

平成十七年九月十九日昼
藤井養蜂で蜂蜜ソフトと饅頭食いました!386号沿いの休憩所です。

平成十七年九月一日昼
島根の山の中の糸糸原さんちの砂鉄(こがね)で割り子そば食いました!悪く無かったです!で足立美術館では抹茶セットをいただきました。

平成十七年八月八日昼
天ぷらのだるまで食いました。なんか油の切れが、、、ここの天かすはお好み焼きに欠かせません!

平成十七年七月三十日昼
泉村最後の日、ふれあいセンターいずみの炉丹で地鶏唐揚定食でした。ここの塩梅は非常に好きです。そして熊本の田中万十店でつぶ餡、さらし、やぶれの黒&白。つぶ餡のあんまんは車中でぱくつくのが決まりです。やっぱここは外せません!

平成十七年七月十七日昼
直方駅前の永楽で、やきそばと焼き餃子を食しました。ラードで焼き上げる放置やきそばは健在でしたが、もうすぐ閉めるそうです。そして飯塚グーテンタークでシュークリームを買いました。グーテンタークのシュークリームは絶品です。

平成十七年六月二十五日昼
津屋崎町の国民宿舎で、定食を食しました。ここは定食で十分ですな。でも油が切れていませんでした。

平成十七年六月十九日昼
日田市の中島で、何時ものごとく、カツ定食のAです!!うまかったです。

平成十七年六月五日昼
松華楼がちゃんぽん屋に代わっていたので、直方駅前、うどんの光陽でお好み焼きを食しました、うまかったです。小竹のジャーマンベーカリーでシュークリーム、おいしゅうございました。

平成十七年五月十四日昼
国道200号線沿い、松華楼で、酢豚定食!!うまかったです。グーテンタークのシュークリームおいしゅうございました。石田のプリンとシュークリームおいしゅうございました。筑豊にはまだ美味い店がありますぅっ!

平成十七年五月四日昼
日田市の中島で、何時ものごとく、カツ定食のAです!!うまかったです。

平成十七年四月九日昼
佐嘉神社そばの鶴乃堂で肉マン10個1200円なり!うまかったです。

平成十七年三月四日昼
柳川のケーキのカトウで、ザッハトルテとか、苺の王様、ラズベリーとレアチーズを食しました。おいしかったです。

平成十七年二月十二日昼
平戸の天満屋で鯛茶御膳を食しました。おいしかったです。佐世保大塔のログキッツでハンバーガーを食しました。おいしかったです。佐嘉神社のそばの肉まんを食しました。おいしかったです。中原でタイヤキ!と言ったら、みんなに否決されました。

平成十六年十二月十八日昼
柳川で蒸篭蒸しを食しました。怪しい工場生産品ですね。柳川本家系統のタレは砂糖に水あめが強過ぎます。本吉屋も悪くは無いんですが、、、

平成十六年十二月十一日昼
津屋崎町の国民宿舎で、定食を食しました。おいしかったです。久しぶりに来たんですけれど、石炭無くなって後が無い覚悟を見せてもらいました。

平成十六年十二月五日昼
北野でいきなり万十を買い込みました。まだまだあるんですよ、怪しいけれどおいしい店ってのは!

平成十六年十一月十三日昼
三連水車の藤井養蜂ではちみつソフトを食しました。

平成十六年十月三十日昼
トンダヤで一杯買いこんで、一杯食べました。みつ系の甘さがたまりません!若竹屋で座の冷やおろしと生酒を買いました、ルン、ルン!

平成十六年十月二十九日昼
上天草市の松島にある味の福助で私は刺身定食、妻が天ぷら定食を食しました。寿司屋の刺身定食、天ぷら定食でした。帰り道の田中万十店で酒種万十その他を食しました。田中万十店が、一番だったのでびっくりしました!

平成十六年十月二十三日昼
西海橋手前の国道沿い万十屋であらかぶ定食を食しました。実は、私は鯛が食べたかったんで、サイコーで、完璧でした。

平成十六年十月十一日昼
魚眞で、魚眞定食を食しました。サバの煮付けはもうちょいです。量は問題なしで、1500円であれならば、良いかな?

平成十六年十月十日夕
黒田の富安でうな丼食しました、ちょいと濃いけれど、悪くは無かった。

平成十六年八月二十二日昼
汽車弁当は喰えなかったんで、きらくで、天ぷら御膳を食した。おいしかった。人吉はグルメ都市だと実感したなぁ。

平成十六年七月二十九日夜
伊予西条で、焼き鳥を死ぬほど喰った、確かに違う、これは文化の差か?

平成十六年七月二十四日夜
焼肉のアスカで喰った、う〜ん、安い、安過ぎる!

平成十六年七月十九日夜
フォトラリーの帰りは、黒木のなべたで、から揚げを買った、おいしんだも〜ん!

平成十六年七月三日昼
はもやったら、中津である、中津の日の出寿司で、鱧天定食に穴子天ぷらを食した。マジに久しぶり!ちょいと掃除が行き届かなくなっていたのが、哀しかった、、、

平成十六年六月十二日昼
別府駅前のとよ常で、特製天丼大盛りを食した、うれしかった。あの値段で、美味すぎる!

平成十六年六月十一日夜
久しぶりにしげながの日吉町で、回転寿司を食った。美味さが、佐伯より確実に落ちる。だが、価格は回転寿司故に1/3だった。びみょ〜だ!

平成十六年五月二十八日夜
二十六?年ぶりに、らんぷ亭でカレーを食った。記憶は、記憶のままが美しかったと思った。

平成十六年五月八日昼
穴子飯が食べたくなったので、ちょいと宮島口まで行って、駅弁あなごめしを食した。駅弁はテイクアウトに限ります!

平成十六年五月四日昼
天満屋でひらめ定食を戴いたが、シーズン終了したので不満が残った。佐世保のアメリカンは待ち時間が長すぎて断念した!

平成十六年五月二日昼
大牟田の怪しい蕎麦屋さんで再び鶏トロ膳を食しました。志まやは変わりません、昔ながらのアジは郷愁をそそります。

平成十六年四月二十五日昼
大牟田の怪しい蕎麦屋さんで鶏トロ膳を食しました。う〜ん、昔ながらのアジは郷愁をそそります。

平成十六年四月十日昼
鐘崎の入り口にある怪しいトコで、目いっぱいお食事しました。美味しかったですっ!全員満足しましたぁっ!

平成十六年二月十五日昼
天満屋が団体客入りなのですし膳、鯛茶と天ぷらを戴いた。全員不満であった。佐世保のアメリカンではハンバーガーを食したら、全員満足であった!

平成十六年一月二十四日昼
ウン十年ぶりの天満屋で、鯛茶懐石を戴いた。家庭の味と料亭の味、んでもって、家庭よりが一番大好きな料理の基本だ。佐世保のアメリカンではハンバーガーを食した。閑雲亭でお茶して、天満屋で鯛茶懐石食べて、佐世保でハンバーガーを喰う。お気に入りルート最定着だ!

平成十五年一二月二十日昼
久しぶりの寿司源であった。夕方から食べた、そりゃもう、一通り握って貰って、もう一度、青物だけを食した。ここの塩梅は壺にはまっている!

平成十五年十月十八日昼
別府の駅前にあるとよ常で、特製天丼・大盛りを食した。私の知る限り、九州最強のB級グルメ天丼だ!

平成十五年八月四日昼
暴力都市・無責任行政都市北九州は祝町で、かかしうどんを食した。ざるうどん大盛り、九州のうどんはモチモチ・ムチムチである。

平成十五年七月二十一日昼
オペル・フォトラリーで、トンダヤの月の丘とどら焼きを買い込んだ。冷たい麦茶にも熱いお茶にも合うなぁ。

平成十五年七月六日昼
春日でまたうどんを食した。やはりつゆが甘過ぎ、でも、食べられる。

平成十五年二月九日昼
根っこ・まるいち・田村神社・てっちゃん・萬城屋で食った。早朝出発で日帰りうどん参りなんだが、田村神社の怪しさは半端ではなかった。

平成十五年一月二十六日昼
佐賀には怪しい甘味どころがある、その名も一平だ。移転する時内装一式持ってきたという恐ろしさ。病気だがミルクセーキ、美味しいぞ!
佐賀の怪しい肉マン屋である。商店街で唯一営業している鶴乃堂で肉マンを入手する。うまいなぁ、別府の幸崎に匹敵する(傾向はまったく別だけど)貴重なお店だ。

平成十五年一月十八日昼
上杉・いきいき善通寺・めん吉・松下・蒲生・飯野屋・萬城屋・上戸という饂飩屋を食した。めん吉は死んでいた、ど素人に料理させて恥じない店は消滅するに限る。飯野屋のうどんは根本的に合わなかった。上戸は先が楽しみなうどん屋で、精進・精進を望みたい、あんたまだバケる素質あるでぇ!
で、川之江のあまげんは大当たりであった。甘いけれど上品である、くどくない。大洲のしぐれは何時ものとおり、落ちないでね!お願いっ!

平成十五年一月二日昼
湯布院には確信犯が作っているワインがある。収穫期の小雨の好条件を有する久住一帯であちら風に葡萄を育てる確信犯達の評価を下すには、少々早い。でも、濃厚な絞り汁で作る葡萄酒は先が楽しみな代物だ。しかし、この味を評価する十分な数の消費者を獲得できるのか?そこが問題だ!帰りに玖珠の春日でうどんを食った。つゆが甘すぎなのだが、悪くない。

平成十四年十二月二十九日夜
筑紫野インター出口の交差点そばに在る怪しい中華料理店北京、おじぃとおばぁが全力で料理を作っている。そりゃあ、昔に比べると少々落ちるさ、でもね、ここじゃあ電子レンジでチンする料理は出さないぜ。

平成十四年十二月二十一日夜
穴子が食いたくなった。穴子ゆーたら、宮島口、其の名も「うえの」である。元来駅弁屋さんだったのだが、今では穴子飯屋で通っている。でも、宮島口の駅には「うえの」が在って、穴子飯を売っている!

平成十四年十二月十三日昼
一心ラーメンで、やきめし&ラーメンだ!ここも久留米クラシックの最右翼!

平成十四年十二月七日昼
恒例!暮れのうどん参り!である。めん吉は当たりであった!蒲生もいつものごとく当たり!木村も美味かったけれど、前場は大した事無かった。松岡は凄かった!松下も美味かった!凄い、当たりがめん吉&松岡だから、今回は大当たりのうどん参りだった。尾道ラーメンはちょいと外してしまった。

平成十四年十二月六日夜
ちくも食堂で、焼き飯&ラーメンである。久留米クラシックの最右翼に位置するちくも食堂、讃岐のセルフに匹敵する怪しさである。

平成十四年十一月三十日昼
荒尾の万幸堂のメロンパンである。このメロンパンは、私の知る限り、九州一である。

平成十四年十一月二十五日夜
怪しいキムラヤで、定食セットを食した。何故にここまで怪しいうどん屋がキムラヤに併設されているのかも、分からない。

平成十四年十一月十六日昼
十月に佐伯に寿司を食いに言った。だから、十一月も佐伯に寿司を食いに行くのだ!寿司源に三人で乱入して、湯呑までもらってきてしまった。で、いつもの汲心亭でおばちゃまの御茶を頂いた。佐伯の寿司と御抹茶のコンビは、ほとんど無敵である。

平成十四年十月二十七日昼
長崎と言えば、卓袱料理と、中華料理と、カステラが有名である。カステラと言えば福砂屋である。ところがワタシにとっては、福砂屋は最中なのである。長崎まで、丸山の本店まで買いに走ってしまった。

平成十四年十月十二日昼
原尻の道の駅では、とり天定食である。800円であのボリューム、柔らかいとり天、とり天は天ぷらであって、から揚げじゃないの!
で、道の駅きよかわ、桃のソフト、奥の奥まで入ったソフトの重量感は、異常を感じさせる逸品だ!
最近の道の駅で、ちょっと不思議というか、普通の現象に出会う事が多くなってきた。何でって?日本製らしい竹製品が多くなってきたのだ。日本製の竹は腰が在る。外国製は腰が無い。
値段の面からか?竹製品のメッカと自称する大分県のトコでも、めったに日本製の竹製品は見かけなかった。これは大分県として恥じるべき惨状であると思う。

平成十四年十月五日昼
佐伯まで御茶を一服頂きに行くついでに、お昼に寿司源で食いまくった。美味かった!無茶苦茶美味かった!寿司は地のネタをお任せにするのが一番だなぁ。

平成十四年九月六〜九日
またうどんを食いに行った。七日は朝から上杉、はすい亭、ジャンボ高木、赤坂、松下、丸山と食いまくった。昼飯は徳島で笑福亭のラーメンを食した。外れが無かったから、恐ろしい。
八日のお昼は、西条の萬城屋で二玉食った。恐るべし萬城屋、九州にも欲しい!

平成十四年八月二十五日昼
今日のお昼は、北九州・祝町のかかしうどんだ。私はざるうどん(多め)で、嫁ハンは肉うどんである。これで、しなやかさがあれば、、腰は讃岐レベルに達しているのだが。

平成十四年八月二十四日昼
今日も知久留で昼飯を食った。私は焼き飯の久留米ラーメン(定番だ、味の比較用に同一メニューで通す事が多い)、嫁ハンはラーメン定食!良いよなァ、久留米のラーメンは常に庶民価格であり続ける、それが、存在意義かもしれない。久留米ラーメンの特色は、安い!海苔!豚骨白醤油ではないだろうか?白いスープは久留米ラーメンの基本である。

平成十四年八月十一日夜
知久留で飯を食った。私は焼き飯の久留米ラーメン、嫁ハンは焼肉定食!ここの焼き飯と焼肉は、鉄板仕上げである。美味いとしか言いようが無く、その値段は絶句・感涙モノだ!

平成十四年八月三日夜
学校前の(駅名だ!)明龍軒ではまった!味良しで、そこはかとなく漂う怪しさは、美味さを倍増させる!ラーメン屋さんなんだが、炒め物の美味さは特筆モノだ!

平成十四年七月七日昼
竹田である、原尻の滝である。水中鍾乳洞で、トトロの停留所である。道の駅原尻で、とり天定食だ!御奨めである。すぐとなりの道の駅で、桃のヨーグルトサンデー!ここで、ゆず入り飲料(ごっくん馬路村のコピーか?)を発見しながら、手が出せなかった。

平成十四年六月二十二日昼
讃岐まで、うどんを食いに行った。アサイチの上杉!急須の木村!無敵の天かす松下!青空うどんの蒲生!粉の田村!水の山越!結局六杯しか食えなかったけど、美味かったから、良いのだ!参加費用一万円!値段は100円だけど結局一杯1400円くらいのかけうどん!を食ってきた!

平成十四年六月十五日昼
有田のポーセリングパーク、九州有数のバブルの遺産だ。ここにのんのこの観光蔵が出来たので行ってみた。水が美味い!酒は甘い!流石は日本最強の激甘日本酒地域だけのコトはある。
流石に武雄温泉は満杯状態、駐車場が無いんだもん。で、北方、井手ちゃんぽんを食った。ちゃんぽん、野菜大盛り、麺大盛り、どちらも大盛り、特製と五種類のちゃんぽんがセレクト出来るのだが、流石の私もちゃんぽんしか食えない、それ程多い!甘いが、人工調味料の甘さでは無い、俺、あれがたっぷり入っているとグルタミンショックで、吐き気がするもん。粗塩かな?あの甘味は。ここの味付け、塩は多いよ、食い終わったら、目一杯喉が乾くから、間違い無い!

平成十四年六月八日昼
口は災いの元、大分・庄内・阿蘇野にまで水を汲みに行った!天下無敵の炭酸水の湧水だ!

平成十四年五月十九日昼
母のお花見準備で、若竹屋に酒を買いに行った!若竹屋で買いこむのは「座の生」である。佐賀県西部一帯の無敵極甘天国には及ばないが、筑後も甘口の酒だ。ここで生を呑める時には、買え!それが私の哲学だ!義父用に一升、花見用に五合、買った!若竹屋、和くら野には酒好きしか居ない!

平成十四年五月十七日昼
吉井の駅の裏に、栗木という麺工場が或る。ここは、各種多様の麺を製造している。義弟夫婦が知らないというので、つれていった。はまったらしい。
ここで、日田のサッポロビールに予約を入れて、乱入だ!開所記念でこの時期エビスビールの出来立てが呑める!はまるぞ!
夜はしげながで回転鮨を食った。私は、青物が美味い鮨屋を愛している。ここの青物は結構美味いの。

平成十四年四月十三日昼
車がツァフィーラになった、加えて、妻のおねだりで別府の御風呂を蹂躙してきた。知る人ぞ知る地蔵湯と、浜田温泉は建て変ると同時に悪くなっていた。食事は、宇和島運輸フェリー乗り場の喫茶店で「とり天定食」ちっと少なくなってないか?
食べ足りず、竹瓦温泉の角から入った「幸崎のぶたまん!」アンは味が濃過ぎるかもしれないが、モチモチ感は無敵だ!安さも堪らない!ここはお勧め!

平成十四年三月二十三日昼
山口には下関と長門湯本温泉が或る。下関で飯を食う、安いトコは一杯或るが、下関唐戸市場に乱入してみた。最近市場を通さぬ流通革命が進行中で、市場も背に腹は代えられない。午前中が良いんだが、それでも、そこそこにお値打ちのモンが食べられる。ここから長門湯本へ、山越えで乱入した。湯本の恩湯だ。湯船が深いここは、腰をやった時にゃあサイコーだ!

平成十四年二月二十三日昼
この時期、御雛様だ。佐賀の御雛様に行こうというので、佐賀の長崎街道縦断御雛様巡りをしてきた。佐賀といったら、「一平」だろうが、時間的にも無理になったので、某豚マンである。みんなに馬鹿受けしてしまった!

平成十四年二月一日昼
恒例、真冬のうどん参りである。例によって、真冬といってもピーカンだった!
午前六時の上杉・ジャンボ高木・宮川・木村・彦江・蒲生・ヨコクラ・山田屋・萬城屋と食いまくった!
愛媛県大洲で、生しぐれを大量ゲットした。
へっへっへ、最近御茶が美味しい、嗜好が変わりつつある。花粉症の季節は御茶だ!

平成十四年一月二十七日昼
武雄には競輪と大楠と、「注意一秒、怪我一生、焼酎一升二千円」の○○酒造と「のぼるくん」がある。
かえりに、北方の「井手ちゃんぽん」を食った。嗚呼、少し脂が強すぎる!ただ、それだけだ!

平成十三年十二月二十二日昼
鮨が食いたくなった。佐伯にお出かけした。で、御茶室に御邪魔させていただいた。亭主のおばちゃまと、何故か話があって(恐ろしい位に嗜好が似ている!)目一杯盛り上がってしまった。
鮨の職人は、カウンターに立つ以上、サシで勝負だ!の気概を持って欲しい!ただ、それだけだ!

平成十三年十二月一日昼
先週は宮島にもみじ饅頭を食いに行った、さすれば、今週は讃岐うどんだ!松下・丸山製麺・蒲生・田村・山越・まごころ・山田屋で食ってきた。
何故にさぬきうどんは食えるし、美味しいのか?

平成十三年十一月二十三日昼
広島はもみじ饅頭だ、もみじ饅頭食べたくなったので、宮島にお出かけした。宮島では「もみじ饅頭」の買い食い!藤井屋かな?チーズ饅頭が凄い出来である。廿日市まで行って、駅前でお好み焼きを食った。
お好み焼きは、学校と駅の傍が一番や!とのたまう知り合いの言葉に間違いは無かった。

平成十三年十月十四日夕
別府の温泉、最近不評なのが市営の不老泉、出ているお湯の量が少ないと言う証言が在る。だもんで、昼は宇和島運輸フェリーの乗場にある食堂で「とり天定食」五百円。その後久しぶりに行ったのが亀陽泉、ここは旧国道沿いにもその一本西の道にも亀陽泉前っていうバス停があるから、心配ご無用。そこから曲がれば、はいあったぁっ!薬師如来さんが番台の上にお祭りしてある。
市営の温泉に合わせて百円に上がっている!でも、昔のままだ。
亀陽泉行って、不老泉寄って、夕方になったもんで、別府駅前のとり常で、特製天丼六百円である。
どっちもえーです。

平成十三年九月二十二日昼
うどん参りの帰り道、愛媛県大洲町に立ち寄った。ココには松栄堂がある。そして、そこにはしぐれがある。生志ぐれが九十円、栗入り生志ぐれが百円、こちらは日保ちしないが、なんとも言えず美味しい。ホンマの御茶の御菓子という趣の変わった和菓子だ。愛媛県の一帯でも購入可能らしいが、やっぱ、ここは本店で購入したい!

平成十三年八月五日昼
田主丸・吉井・日田と巡った帰り、何故か386(サンパウロ)号を通っていたら、腹が減ったんで甘木のニュー長田に寄った。
ここは、結構うまい、コロッケ定食が密かなお勧め、洋食屋さんのコロッケ状態。時間が掛かるよ、どーも、作り置きしていないみたいだから。
こっちじゃ定番のソース味のホルモンも捨てがたいし、ちゃんぽんも良いよ。

上記一文は、後日の対応に問題が在り過ぎましたんで、修正させていただきます。

平成十三年七月二十九日昼
筑豊・飯塚には、筑邦炭坑の遺産が集中している。筑豊の遺産は、いまや、記憶と食い物しか存在しない。鉱害もあるが、何時まで、筑豊がこれで食っていけるか。疑問だ。
ひよこは、九州で生まれたお菓子だが、東京銘菓になってしまった。炭坑が集中していた筑豊には腐るほどの砂糖が流通していて、その砂糖をベースに、数々の御菓子と、店が生まれた。「黒ダイヤ」「成金饅頭」「千鳥饅頭」知っている人、手ぇ上げてぇっ!
みんな知らないでしょうねぇ。
飯塚の伊川温泉の南に、「煉瓦亭」がある。東京のあそこではない。洋食のお店だ。昼の営業と、夕方の営業、時間があるんで注意して欲しい。私は、ここの定食セットで味見をして、単品メニューに進むのはどうだろうか?量は多めだから、注意しなさい!
在る意味、街の洋食屋・定食屋さんも、絶滅危惧職種でもある。
ジョイフル・吉野家・マックの出店が、確実にこれらの職種を絶滅に追い込みつつあって、やがて、まともな食い物を食えなくなってくるだろう。今、私は記憶に残っているこれらの店の食い歩きを再開した。

平成十三年六月三日昼
私の住む筑後地方の小京都、秋月である。久しぶりにお出かけしてきた。
夏の熱い季節に何故、秋月か?理由は簡単だ。久助で、くずを食うのだ。久助とは何か?高木久助という葛屋さんだ。
江戸の葛の代名詞、ここの商標が原因で、吉野葛まで「久助」と呼ばれる様になったらしい。
十代目が頑張っている高木久助は、今も葛を作りつづけている。手間が掛かるわ、材料だって半端じゃないこの葛作り、何時まで出来るだろうか?
私は日本の伝統産業の余命は長くないと思っている。所詮、日本人は金にならない事を蔑むようになってしまった。金にならなければ、残る筈が無い。パート労働の低賃金が最後の砦で、これが無くなれば、恐らく壊滅するだろう。伝統産業ってのは、イメージ先行の存在で、生産効率が異常に悪い、流通経路が複雑で最終価格は高い。直取引でもなければ、まず、儲からない。
人気が出れば、金になる。金になれば、消費量は激減し、日常生活から乖離した形でしか残れない。今食わなければ、終りかもしれない。そんな気分でいつも私は味わおうとしている。
で、黒蜜はちょいとくどいんで、いつも、ぜんざい食っている。

平成十三年五月十二日夜
明日は母の日という土曜日、食事に行った。久留米のしげながという魚屋さんがやっている回転寿司だが、魚はそこそこに良く、結構うまい。
こちらの回転寿司でTVに取り上げられたのは「○し大○」というグループがあるのだが、所詮まともな競争相手が無かった回転寿司、味を表現すれば「悲しい」の一言。四皿食って逃げ出した。
「しげなが」では母と妻と私の三人で三十三皿。私だけで二十三皿食った勘定になるが、回転寿司で生まれて初めて満足する体験を得られた。これだけ食っても九千円に届かなかった。結構、結構。
「しげなが」の北茂安町の支店。ここはお勧めだ。
そして良い店を発見したが、同じ日にかつて美味かったラーメン屋が閉店していた事を知った。
いつの間にやら店が移っていた「摩天楼ラーメン」だ。
常に味を維持する事が出来る店は閉店などしない。味が落ちれば、客も馬鹿ではない、客足も遠のき売上が減少する。やがては閉店に追い込まれる。
「しげなが」が末永く最低限でも今のレベルを維持してくれる事を希望する私であった。
しかし店長はホクホクやった。ちょっと来て、バカバカ食って、さっと帰る良い客であったに違いない。意外と難航したのが皿のカウントで、お願い大将!従業員教育を徹底してね(笑い)!

平成十三年五月十二日昼
吉井のトンダヤに行った。月の岡、栗入り月の岡、どら焼きを大枚買い込んで来た。
トンダヤの先代当主が明治時代に作り出された「ザボン漬け」の伝承者は無く、私等夫婦の代で終わりですという話を伺った。ザボンを茹でて、炊くのだが、茹でるのは今やたった一人旦那さん以外に無いそうだ。
消費者は残酷だ、自分達の要求を押し通す為には、他人の生活など無視してしまう悪癖を有している。
何で、継いでくんないの?と身勝手に考えている自分に愕然とした。
今度「ザボン漬け」の大きな奴を買おう。そして食おう。
「ザボン漬け」には、別府時代に大量に刷っていた商標を今も使用しているとの事。商標、謎の別府市表記の理由が判明した。

最初に戻りまっせ!


親分さんの迷宮・目次に戻りまっせ!

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