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旅行記 イギリス篇・エピローグ


2000年3月25日から4月3日までのヨーロッパ旅行の記録
1.プロローグ・ドイツ篇  →  2.スイス・リヒテンシュタイン篇  →  3.フランス篇  → 4.イギリス篇・エピローグ

目が覚めたときにはすでにドーバー海峡トンネルを抜けていて、イギリスに入っていた。ユーロスターのトイレットペーパーはピンク色であった。他にもピンク色のところがあった。線路沿いには多数の牧場があり、羊がいた。10時13分、ロンドンのユーロスターが発着するウォータールーインターナショナル駅に到着。時間は2時間しか経っていないが、イギリスは他のヨーロッパ諸国より1時間手前なので、実際は3時間の行程。

ユーロスターを降りると、簡単な入国審査があった。ここもEUとそれ以外は別の審査であった。しかし、ここも滞在日数を聞かれた程度だった。入国審査を終えてからバスに乗る。他のヨーロッパ諸国の車は右側通行であるが、イギリスだけは日本と同じ左側通行。世界でも車が左側を通るのは日本とイギリスぐらいだそうだ。久しぶりの左側通行に少しとまどった。そしてバスが出発したのだが、道路が異様なほど混んでいる。月末でしかも週末だったからであろう。ちなみに、イギリスの通貨単位はポンドで、1ポンドが180円から190円、補助通貨がペンスで1ポンドが100ペンス。

まずはイギリスの国会議事堂、そしてその時計塔ビッグベンをテムズ川の向かい側から見学。川沿いを見てみると、世界一大きい観覧車があった。これは2000年の元日から営業する予定だったが、動かなかったため3月から営業を開始したそうだ。ものすごい行列ができていた。そして昼食、飲茶形式の中華料理であった。それからロンドン塔・タワーブリッジを見る。この2つはすぐそばにある。その後バッキンガム宮殿へ行った。女王が宮殿に居ると王室の旗が、居ない時はイギリスの国旗が掲げられるのだが、この時女王はオーストラリアに行っていたらしく、国旗がかかっていた。宮殿の入口近くには黒い大きな帽子で有名なロイヤルガードがいた。

それから三越で買い物した後、ホテルに入った。ちょうどその日は1000人近い団体が泊まるらしく、部屋はダブルベッドにエキストラベッドを入れた、かなり狭い部屋だった。しかし今まで泊まったホテルよりも豪華で、日本系のホテルではないのに、日本のテレビが入り、部屋の案内書きにも日本語が書いてあった。夕食はホテルで取った。その後は部屋でドラマを見ていた。

4月1日、1000人の団体とかち合わないように、早めに朝食を取った。この日はウインザー城へ行った。これは王室の離宮で、現在も使われている宮殿としては世界最古らしい。城の一部は一般に公開され、博物館になっていて、トラファルガーの戦いでネルソン提督に致命傷を負わせた弾丸なども展示していた。1993年に火事でかなりの部分が焼け、再建に4年がかかったらしい。ここが火元だというプレートもあった。ここも王室の持ち物なので、ロイヤルガードがいる。そしてちょうど城内の見学を終え、外に出てきた時、ロイヤルガードの交代式があった。ロイヤルガードがさまざまな楽器を演奏し、城の内外を行進する。前日はバッキンガム宮殿の門から小さくしかロイヤルガードの写真が撮れなかったが、この日はちゃんとした写真が撮れた。間近で見て分かったのだが、ロイヤルガードはかなり大きい。だいたいみんな身長が180センチ以上あるだろう。その上あの黒い帽子をかぶっているのだからより一層大きく見える。それを見た後宮殿の周辺のお土産屋で買い物。ロイヤルガードの人形が99ペンス(約180円)で売られていたので購入。また、ここに限らず王室関係のグッズが多数売られている。絵葉書・皿・人形その他色々。それもエリザベスII世のものからチャールズ皇太子、ダイアナ妃やウィリアム・ヘンリー両王子のものまで。日本の皇室のグッズなどないから、少し違和感を感じた。その後ロンドンに戻り昼食。イギリスの軽食として有名なフィッシュアンドチップスを食べた。

その後前日行った三越の前で解散、自由行動となった。先ずは念願であったHMVへ行く。行ったのは本店ではなかったが、本場のHMVに行けただけで良かった。ワールドミュージックの日本のところへ行くと、太鼓や尺八、琴などのCDしかおいていない。ひょっとしたらイギリス人は日本にはこんな音楽しかないと思っているのではないか、そんな不安がよぎった。その後ゲームのところに行くと、先程とは全く逆の意味で驚いた。おいてあるゲーム機はPlaystation・Dreamcast・Nintendo64・GameBoyなど、全て日本のゲーム機。それ以外のハードは見当たらなかった。日本でもよく知られているソフトの英語版も多数あった。ゲーム市場は完全に日本が独占しているようだ。海外でも日本のゲーム機が売られているのは知っていたが、ここまですごいとは知らなかった。西洋人は日本人をばかにする向きがあるが、ゲームに関しては、日本からやってくるゲーム機・ソフトを待つしかないようだ。Playstationの雑誌があったので購入。もちろん全て英語で書かれている。プレステの雑誌を読んで英語の勉強になるというのもまた面白い。それによるとプレステ2を公開した東京のゲームショウの様子が載っていた。ヨーロッパでプレステ2が発売されるのは今年2000年の9月らしい(日本では2000年3月発売)。

その後はロンドンで一番大きい書店、フォイルズへ行く。新聞社新聞THE TIMEが発行している世界地図を購入。その後はFortunum&Masonという店へ親の買い物にについて行き、ホテルへ戻った。ホテルへ戻るのにはタクシーを使った。ロンドンのタクシーはパリのタクシーと違い、きちんと目的地へ連れて行ってくれる。しかし料金は日本と同じくらい高い。ロンドンのタクシーは向かい合わせに4人座れる。日本のタクシーより広いのでかなりゆったりしている。ホテルに戻ってからは部屋で簡素な食事を取り、旅行最後の夜を過ごした。

4月2日は朝から自由行動。この日は日曜日であった。イギリスに限らず、ヨーロッパでは日曜日はほとんどの店が休業か午後からの営業となる。だからこの日は午前10時半ごろホテルを出発。11時頃から開いている店にいくつか入りながら12時を待った。12時過ぎにHMV本店に行った。時間がなかったので店内はほとんど回れなかったが、日本のCDのところは前日と同じであった。レストランで昼食をとった後、大英博物館に行った。大英博物館の入場料が無料だというのは有名だが、当然経営は大赤字なので2ポンド(約370円)の募金を募っていた。どの国の貨幣でも構わないと書いてあり、募金箱には10円玉も入っていた。さて、その大英博物館であるが、エジプトのところが工事中でミイラがおいていなかった。ここでロゼッタストーンのマウスパッドを購入。使わないでしまっておく。さて、ここのお土産に各国の言葉で大英博物館と書かれた袋が売られていたが、そこに「大英博物館」と漢字で2つ書かれていた。恐らく日本語と中国語のつもりであろうが、同じである。

その後博物館のそばのお土産屋に入り、そしてタクシーでホテルに戻った。結局地下鉄(イギリス英語ではUndergroundという)や赤い二階建てバスには乗れなかった。集合時間になっても一組が帰ってこない。とりあえず出発しようかという時になって帰ってきた。途中で地下鉄が動かなくなったらしい。ちなみに、パスポートをなくしたりした場合は大使館に行かなければならないが、ロンドンの日本大使館は土日・イギリスの休日・日本の休日に休むという休みだらけで、その間は一切手続き等をしてくれないので気をつけなければならない。30分遅れで出発、空港から帰国の途についたのだが、ここからが大変であった。

ロンドンのヒースロー空港は世界で最も大きい空港である。ここから午後7時45分発の日本航空402便に乗ることになっていた。しかし、空港に着いてみるとその飛行機が午後11時出発になるというのだ。空港に着いたのが午後5時頃、6時間もある。しかもその代償が日航指定のレストランでの10ポンド(約1800円)の食事券のみ。その上帰りも成田空港着であったので、成田に着いたら伊丹空港行きの飛行機はすでに出発している。そうなったら東京で1泊し、翌日大阪に帰るはめになってしまう。そんなこと冗談ではないと思いつつ、とりあえずその食堂(セルフサービス式)へ行ったがものすごく混んでいる。しばらく待とうということになった。7時過ぎに食堂に行ってみると比較的すいていたので、とりあえず席取りをした。その途端、けたたましい音でベルが鳴り響いた。数分後、火事なので1階に下りるようにという指示があり、1階に下りた。すると消防車や救急車が止まっており、消防士が2階に上がっていった。それから10分ほどした後、ベルが鳴り止み、消防士も1階に下りて、外へ出ていった。どうやら大事には至らなかったらしい。しかしレストランに戻ってびっくりした。店員が食べかけの食器を全て片付けているではないか。食べ始めた時にベルが鳴ったりした人はたまらない。今度は金を払って食事を買い直さなければならない。僕はまだ食事を買っていなかったので搭乗券をもって並んだのだが、買い方が分からないうえ、店員の英語が聞き取れない。それでもなんとかしてやたら甘いステーキを買うことができた。

 そして午後9時ごろ、出発ゲートに入った。ゲートの中で1時間半ほど待った。この間案内放送は一切なかった。他の飛行機の搭乗案内はその国の言葉で何度もしているのに。この空港では飛行機の飛び立つ30分前まで何番ゲートに飛行機が止まっているか表示しない。午後10時30分過ぎ、27番ゲートという表示が案内板に表示された。もうすでに他の飛行機は全て飛び立っている。それから荷物検査をし、ゲートに向かった。出国手続きはなんと係員にパスポートを見せるだけであった。飛行機に乗り込む際、係員のトラブルで出発が遅れたと聞いた。ストでもあったのだろうか。そして午後11時15分、実際より3時間30分遅れで飛行機はヒースロー空港を飛び立った。飛行時間は10時間半、日本時間4月3日午後5時40分の到着だと放送が入った。大阪へは東京到着後にどうするか決まるとのこと。飛行機内で配られた新聞で、小渕首相が倒れたことを知った。飛行機に乗った途端に眠くなり、出発から6時間後ぐらいまでほとんどずっと寝ていた。目が覚めたのはロンドン時間4月3日午前5時半ごろ。それから何度か寝たりした。飛行機に酔ったのか、少し気分が悪い。2回の機内食は両方一切食べなかった。行きと同様、座席にテレビがついていたが、あまりゲームもしなかった。

出発が遅れたのとは対照的に、飛行は順調で、日本時間4月3日午後5時35分頃、無事成田空港に到着した。いよいよ日本に帰ってきた。ゲートから入国審査のところまで動く歩道を歩いていると、一つのゲートのところに多数のテレビカメラマンが待ち構えていた。その時は誰か有名人でも帰国するか来日するのだろうと思っていたが、翌日、小渕首相の娘を待っていたのだと分かった。そして入国審査。日本人が帰国する際はパスポートの顔のチェックとパスポートに帰国のスタンプを押すだけで済むのだが、外国人が日本に入国する場合はそうはいかない。日本の入国審査は世界で一番厳しいらしく、一人で5分以上もかかることも珍しくないらしい。入国後、荷物を受け取り、税関へ。一人あたりの外国製品の持ち込み額が1万円以上の商品が20万円分未満なら関税はかからない。うちは4人家族なので合計80万円まで非課税。よって荷物を検査されることもなく税関を通過。その後、午後7時発の全日空の便で伊丹空港に帰れる事が分かった。国内線ターミナルに向かったのが6時45分。急がねばならない。荷物を預け、搭乗口へ向かう。タラップのあるところまでバスで向かい、タラップで飛行機に乗り込む。今度は1時間で着く。乗った飛行機は国際線仕様らしく、テレビも付いていたが使えなかった。座席の前にあったパンフレットを見ていると、全日空の方が日航よりも機内食も豪華みたいだ。

飛行機の出発は30分遅れたが、無事午後8時35分頃伊丹空港に到着した。門限30分前。そしてタクシーで帰宅。

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