このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
沖縄本島の旅は2度目です。
今回は沖縄戦を次代に伝える「ひめゆりの塔」と
マンタが泳ぐ「美ら海水族館」を巡りました。
平成18年4月3日(月)
ひめゆり平和祈念資料館 | |
3泊4日のレンタカー付き激安航空券をゲット。 ペーパードライバーの私に代わって、琉球大学在学中の次男が運転&ガイドを引き受けてくれ ました。アルバイト〜〜(^^♪ AM10:00、糸満市に向かって出発。 まずは「ひめゆり平和祈念資料館」へ。 | |
「財団法人沖縄県女師・一高女ひめゆり同窓会」の石碑 「平和であることの大切さを訴え続けることこそ亡くなった学友・教師の鎮魂と信じ、私たちはこの地にひめゆり平和祈念資料館を建設しました」 1989年6月23日 | |
米軍の沖縄上陸作戦が始まった1945年 3月23日深夜、沖縄師範学校女子部、沖縄県立第一高等女学校の生徒222人、教師18人は、南風原の陸軍病院に配属されました。 アリの巣のように堀めぐらされた横穴の壕に2段ベッドが置かれただけの施設でした。 | |
1930年代から、長引く戦争により学園は 次第に軍事化されていきます。 夢見る年頃のごく普通の明るい青春を戦時色に塗り替えた「戦争と教育」。 その過程を展示しています。 | |
「戦争を知らない世代が人口の過半数を超え、未だ紛争の耐えない国内・国際情勢を思うにつけ、私たちは一人ひとりの体験した戦争の恐ろしさを語り継いでいく必要があると痛感せざるをえません。 | |
平和を象徴するように明るく咲き誇る中庭の花々。 | |
沖縄県平和祈念資料館 | |
沖縄県平和祈念資料館は1975年に設立され2000年に一部修正されました。 平和祈念公園から祈念塔を望む | |
沖縄県平和祈念資料館。 南仏を思わせる(行った事はないけれど)明るく開放的な外観。 | |
エントランスからエントランスホールへ。 平和祈念資料館は、戦争の犠牲になった多くの霊を弔い、沖縄戦の歴史的教訓を正しく次代に伝え、全世界の人々に沖縄のこころを訴え、恒久平和の樹立に寄与するために設立されました。 | |
青い空、果てしなく広がる海原を眺めながら、なに思う。 平和って、ありがたいね。 | |
喜屋武岬 | |
沖縄本島最南端に位置する岬。高さ50mの断崖が続き、断崖の上には灯台が立っている。 展望台も設置され、眼下には東シナ海と太平洋の紺碧の大海原が広がる絶景地。 | |
また、沖縄戦で米軍が読谷海岸に上陸し、多くの島民や日本兵は沖縄本島を南へと逃げたが追いつめられ、逃げ場を失いこの岬から身を投げたという悲しい歴史の場所でもある。 (楽天トラベルより) | |
喜屋武岬にたつ「平和の塔」。 この平和の塔は日本軍にとって最後の地点、喜屋武岬の守備にあたって壊滅した第62師団の将兵を祀っているそうです。 | |
遅い昼食は沖縄料理店「ぱいかじ」で。 沖縄そば・ジューシー・おつくり・煮物・もずくなどの定食。 「こぶしめ」のおつくりは、はじめての味。甲イカの仲間だそうです。身が厚くモチモチ〜(^^♪ ビールが売り切れだったのが残念。 |
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