このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
「ディープ・エコロジー」を読んで
「ディープ・エコロジー」(昭和堂)
アラン・ドレングソン、井上有一共編
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このホームページのタイトルを「Green!地球にやさしい生活」としているのに、これまで「地球にやさしい」とは何か、と真正面から問われるとちょっと戸惑ってしまうところがあった。それは例えば、自家用車を使わないであったり、合成洗剤を使わないであったりするのだが、突き詰めると、この本に書いてある通り、まず自然そのものの価値を認めること、そして自分もその自然の一部なんだと感じることだと思う。
本書には確かに難しい部分もあるが決して荒唐無稽なことを書いているとは思わない。僕自身はごく自然にディープエコロジー運動のプラットフォーム(原則)を受け入れることができると思う。小さい頃、奈良県南部の山村に住んでいて、目の前の川で遊び、また夜には、満天の星空に恐怖感を持ったことを覚えているが、その頃の体験がこうしたキャラクターを育てたのではないかと考えている。
このホームページを作成した当初、「安威川ダム」のページに以下のように書いた。「土地代いくら、木一本当たりいくら、と積算しても、実際の価値は数字では表せません。最後には、木々の命は?そこにいる生物の命は?結局誰にも数字は出せません。そのままの自然が絶対的な価値をもっているのですから。ぜひとも、このままの自然を残して欲しいと思います。」ちょっと大上段に構え過ぎたか、とも思ったが(事実、ある友人からは結論が先にありきで感心しない、と言われた)、やはりこれで間違ってはいないと思う。
なぜかと問われても、この感覚を論理的に説明することは簡単ではないが、一方で多くの人が大なり小なり、今の大量生産、大量消費、大量廃棄の現実を快く思っていないのではないかと思う。そういう中で、きっかけさえあれば、ちょっと気になるところからスタートできるのではないだろうか。例えば、スーパーに買い物袋を持っていくとか、過剰な包装を断るとか、石鹸に切り替えるとか。
なぜ、資源の無駄遣いを出来るだけ減らすのか、なぜ木を出来るだけ切らないようにするのか、なぜ水を出来るだけ汚さないようにするのか、詰まるところ、いのちあるものを大切にしたい、という気持ちに行き着くのだと思う。ただ本書の中でも指摘されるように、例えばリサイクルをするとしても、リサイクルそのものが目的になってしまい、消費の絶対量が減らなくなるという状況には気を付けなければいけないと思う。いくら省エネ機器が増えてもトータルの台数が増えていれば全体では何の改善もない。
あまり書くと、それでは聖人君子のような生き方になってしまうと思われるかもしれない。しかし、上記のことはどれもこれも、無理をして歯を食いしばって行うほどのことではない。自分自身がやましい気持ちを起こすこと無く、単に「気持ちよく暮らしたい」ということだと思う。
意識するしないにかかわらず、世の中には多くの市民運動が存在し様々な取り組みを行っている。核廃絶、原発や放射性廃棄物の問題、ダムや林道など無駄な公共事業、温暖化防止や酸性雨などの地球環境問題、遺伝子組み替え作物、産業廃棄物処理場やごみの問題、水の枯渇や安全性の問題など、これらの自発的な活動はどれも「気持ちよく暮らしたい」という思いに駆られての行動ではないだろうか。
これまではどれも気になるが、どの問題に対しても結局何もしないという状態が長く続いたが、このホームページを立ち上げるに当たって、どれか一つと考え、安威川ダムの問題を取り上げることにした(といっても大したことはしていないが)。結局身近な自然が一番大切に思うから。本書で紹介される「バイオリージョナリズム(生命地域主義)」につながっていくことだと思っている。
巨大な現代社会の前に個人の力など、たかがしれているが、無気力から刹那主義に陥ったり、あきらめてしまっては何の解決にもならない。
今後ますますディープ・エコロジー運動が認知されますように。
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