このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

第二十八共勝丸乗船記

3日目最終日


 朝、目がさめると、すっげ〜揺れ!うねりの底にはいると、外がほとんど、いや一瞬ではあるが、全く見えないほどである。エンジンはブンブンまわっているようだが、進んでいるようにはみえない。ピッチング(前後の揺れ)、ローリング(横揺れ)ともに、けっこうすごい!でも、ちゃんと食事の連絡はきた。


3日目朝食(揺れで味噌汁がナナメっているぞ)


 揺れが激しくても、せんたもにかは平気である。いままで一度も酔ったことはない。(酒には酔ったことは何度もあるが・・・)こんなときこそ、風呂だ!でも、湯船のお湯は、半分も入っていない。あたりまえだ、激しい揺れで、こぼれちゃうのだった。でも、こういう状態の風呂って、けっこう気持ちがよかったりして・・・

 船内をうろうろしていたら、コックのおじさんに怒られた・・・アブナイからうろうろするなと・・・じゃ、しょうがないからブリッジにでもいこうかと階段を上っていたら、これまた見つかり怒られた・・・トイレにいったら、たまたま見つかり、怒られた・・・も〜、タイミングがわるくて、アブナい客だとコックのおじさんに完全に目をつけられたようだ。


3日目昼食


 順調なら、3日目の朝には父島に着いているころだが、GPSによるとまだまだ遠い。予想では夜7時ころのようだ。相変わらず進んでいないようだ。ブリッジにある速度計は6ノットを指している。順調だと12ノットは出るはずなので、およそ半分のスピードで進んではいるようだ。乗客4人はいたって元気。一人は全く姿を表さない。船長の話では、今回程度の揺れだと9割方のお客はゲロゲロになるようだが、この航海では5人中4人が平気なのには驚いていた。せんたもにかは、またひとつ怪しい自信がついてしまった・・・



激しい航海です〜〜〜 どど〜ん わぉ!
(操舵室(ブリッジ)からの眺め)


 レーダーをのぞかしてもらうと、島々に混じってひとつの点がみえた。そのときにブリッジ(操舵室)にいたチョッサー(航海士)曰く、「おが丸だよ」。でも、おがさわら丸レーダーに映るってことは、おが丸も相当遅れているとのこと。そりゃ、おが丸だってこのうねりではつらいだろうな・・・一番接近したときで、おが丸との距離はレーダー上で約10マイル。双眼鏡片手に探すが、結局みつからず・・・残念・・・



私のハンディGPSの画像
もちろん、船には立派なGPSの装備がある


 いよいよ島影が見えてきた。久しぶりだ。小笠原諸島の一端だ。ようやく、ほんとようやく小笠原にまでやってきたのだ。遠かった・・・ホント遠かった・・・島が見え始めてからどのくらい経過しただろうか・・・何とか携帯電話が使えるようになったとき、まずしたことは、民宿に遅れる旨の連絡だった。共勝丸に乗船していることを言ったら、初めて来島するひとで共勝丸でくるひとはまずいない、と驚かれてしまった。そんなにスゴイ来島方法なのかなぁ。共勝丸のブリッジには衛星船舶公衆電話があったのだが、公衆電話としてのスイッチを切っていたようなので、自分の携帯が使えるまで待っていたのだった。(船長さんは業務で衛星船舶電話を使っていた)


3日目夕食

 夕食を食べ終わったころ、ようやく人々の暮らしによる明かりが見えてきた。ホント遠かった〜〜〜ジェット旅客機だったら地球一週できるくらいの時間だったろう・・・こういうところだから自然が残っているのだろう。日本でありながら、ブラジルよりも遠いところ。そこが小笠原村なのだ。



 共勝丸はゆっくりと二見港の青灯台の横に接岸した。目の前にはおが丸の巨体が佇んでいる。船長に挨拶をして、港に降り立った。せんたもにかは民宿の送迎の車に乗り宿へとむかった・・・

 東京月島を出発してから55時間が経過していた・・・・・・



 そして共勝丸は、到着した2日後に、次なる目的地、母島へと向かっていくのだった。








 

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