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1999年 春 最北端をめざして・・・ 5


5月1日 くもり のち 雨
和寒===>稚内

 オートショップサイトウの好意に甘え、朝食に納豆をいただいた。本当は朝6時頃には出発したかったのだが、あまり早朝も社長に迷惑かけてしまうので、少しばかり遠慮した。朝7時、出発。これでも、けっして遅い出発ではない。オートショップサイトウの社長さん、ほんとうにありがとうございました。

 風もやや後方から吹いていて、順調に距離を稼ぐ。名寄を過ぎたあたりから、車の通行量が激減した。やっと、北海道らしい平原を、たったひとりでいる時間が増えてきた。こーゆーところを、このママチャリで走りたかったのだ!和寒から音威子府までの約90kmは、追い風に乗ったことも幸いして時速27kmの巡行速度。ギアなしのママチャリでは、とんでもなく速い。そうこうするうちに、音威子府の街にはいっていた。

 音威子府では、最短経路で北上するか、オホーツク海に出てから北上するかの一瞬迷った。しかし、最短で稚内を目指すことにした。なぜなら、ココから先は、本当に人家が少なく、泊まるところをそろそろ念頭にいれておく必要があったためである。

  
雪もたくさん                北海道的景色

 さあ、元気に音威子府を出発したのだが、中川までの山の中の区間は、雪崩の影響により片側交互通行。この時期でも、山間は雪がたくさん残っていた。道路わきには水芭蕉が・・・きっとこの花は、ほとんど人間に見られることはないのだろう。車、オートバイでは絶対に気づかれることはないような道端に、ひっそりと咲いていた。

 この辺りから進路が西に向いてきたので、だんだん風が敵になってくる。途中最北の街を目指しているにもかかわらず、完全なる向かい風になってしまう。フルパワーをだしても12km/h程度。平坦な道なのに・・・終わりのない上り坂のようだ!中川を過ぎても、しばらくは風が自分の進行を邪魔していた。道路がまがりくねっているので、完全な横風になるときもあるのだが、そのとき私を抜いていったオートバイは、斜めになりながらまっすぐに走っていた。きっとオイラも、斜めの状態でママチャリをこいでいるのだろう・・・

 時間は午後3時をまわっていたのだが、今日中に稚内まで行ってしまおうと考え始めた。きっと暗い時間になるのだろうが、この先、街と呼べるのは稚内までないようだ。いままで、天気はなんとか持ちこたえていたのだが、豊富を過ぎたあたりから、雨が降り始める。カッパを着てひたはしる。つらい・・・午後6時、「ここから稚内市」の看板を発見!やったぁ〜!でも、市街まで相当な距離があるようだ。市内といっても、今までと全く景色が変わらないではないか!雨の中、だんだん薄暗くなってくる・・・早く街にはいりたい・・・こんなところで日が暮れたら、ちょっと大変なことになってしまう・・・東京にいたときに憧れていた、誰もいない国道を走るなんてことが、いまは少し怖くなっていたのだ。

 景色が見えないくらい暗くなろうとしたとき、ようやく街路灯がたくさん見えてきた!!やったー、市街地に突入!なぜか街に入ったのが、すごくうれしかった。南稚内付近で食事をとり、稚内駅に。駅の待合室にオートバイライダーが2名いた。そして、この日の宿を紹介してもらう。稚内駅から約8km、真っ暗の国道を稚内市声問のライダーハウスを目指してすべての照明を点灯して走る。前照灯3個、街中では考えられないくらいの電灯を点けていた。Bikehouse ダビットソン、旅人宿とのこと。ここに一晩、お世話になった。ここは枝幸の銭湯兼ライダーハウス、枝幸YOUと経営がいっしょらしい。酒の持ち込みOK。冷蔵庫の中身も原価。綺麗な室内。楽しい夜をすごす。


ここが旅人宿 ダビッドソンだ!


 あまり関係ない話だが、ここで出会ったライダーとは、2001年6月現在でも、たまに飲み会などで遊んでもらっている...

 

走行距離227.3km。前日の記録をもう更新してしまった!でも、つかれた。

累計457.3km

 

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