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長い夜〜豊後富士の空のもと〜大濠高校 1年 衞藤 隆史
人というものは、無理をすれば自然と疲れというものが我が体にたまるもので、私もその一人ではないかと思う。そんなとき、気分転換でもしなければ、人はまず落ち着いてはいられないだろう。私の今回のまごころツアーでの最大の目的は、日ごろの疲れを取ることであった。三学期が始まって約1ヶ月がすぎ、身体的、精神的にもそろそろ限界が来ていた時に舞い込んだこの旅行の話に、もちろん断ることなく賛同し、話が持ち上がった日の夜には日程表を作っている私がいた。
ひさぴさの旅の話に心揺れ
2月3日23時、急遽決まった本日の宿泊地「とくなが荘」に落ち着く。今朝7時40分に自宅を出発して以来、約15時間ぶりのことだ。部屋に入ったのはいいが、寒い。とにかく寒い。吐く息は白く、ストーブもこたつも電気カーペットも、ほとんど役に立っていないような感じさえする。改めて、湯布院盆地の冬の厳しさを教えられた。数年前、正月に来たときとはまったく違う寒さである。
寒さこそ冬の季節の顔であり
時間が経つにつれて、少しずつであるが部屋が暖まってきて、各自思い思いの姿で時間を過ごす。音楽を聞く者、テレビを見る者、また、もう疲れてしまったのか寝てしまっている者もいる。そんな中、私はただひたすら英語科の宿題に追われた。「気分転換にきたのに、ここまで来て宿題をするのか?」なんて言いたい人、はい、その場で挙手。実は当の本人もそう思っている。しかし、深雪先生からの攻撃を想像すると、嫌でもしないわけには行かなくなるのである。正直言って、点が欲しいが為かもしれない。しかし、いま現在の教育制度から言って、この発想は仕方ないのかもしれない。
あほうどり1点欲しさに宿題す
時は丑の刻過ぎ。私はまだ、宿題をやっていた。隣にいるY氏はどういう訳か数十分前からテンションは最高潮の模様で、歌う相撲取りと化していた。そして、私は宿題をやる手を止めた。時は来た。条件はそろった。今回の旅行で私の最大の目的を果たすときそう、一人でゆっくりと露天風呂に入るときがやってきたのだ。はやる気持ちを押さえながら、露天風呂に向かった。
露天見呂は決して大きいものではなかったが、私には十分な広さであった。熱くもなくぬるくもないお湯だった。早速、湯ぶねに入る。外の気温があまりにも低いために、入った後もしばらくは体の震えが止まらなかったが、5分もたつと体の内から暖まってきた。 ふと、空を見上げてみる。豊後富士の空のもと、限りなく丸に近い月が、空高く昇っている。月明かりがやけに眩しい。今までに味わったことのない明るさである。また、星の光も一段ときれいに見える。もちろん、日常生活のなかで出会うことのできない光景である。
冬空に明るくそそぐ月光や
そんな月明かりのもと、3学期が始まってからのことを色々思い出してみる。1ヶ月たらずであるが、喜怒哀楽、たくさんのことがあった。今、こうして思い出してみると、喜悲哀楽すべてのことが私にとっていい経験となったと思える。
また、空を見上げる。先ほどの月が明るく光っている。月をじっと眺めてみる。頭のなかは空っぽになった。何も考えない。何も考えられない。しかし、それと引き替えに何か私の心を満たすものがわいてきた。ことばではとても表現できない「何か」である。それが何かは私にもわからない。でも月を眺めれば眺めるほど私の心は満たされていくのである。それは、月の魔法なのであろうか。
我が心月の光に満たされて
10分ぐらいたったであろうか。私は湯ぶねから出る。体は心から温まり、心は「何か」で満たされていっぱいだった。
そこには、湯ぶねに入る前とはまったく逢う私がいた。
夜明けはまだ、見えてこない。
長い夜月光だけがあかあかと
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