このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

まごころツアー1

平成8年2月3日()〜2月4日()

「模型友の会大分電車区、運転所見学ツアー所感」
事実上のまごころ旅行記1

案内人 : 顧問 大塚雅之

旅行行程(概略)※この旅行記は1ページ+感想文で構成されています
1日目大濠公園入口→三島公園→豊後森→恵良→大分電車区→大分運転所→湯布院→宿泊地(湯布院)(泊)
2日目湯布院→由布院駅→中津→耶馬溪→日田→大濠高校(解散)
感想文 By衞藤   By吉牟田
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 模型同好会では、まだ正式に同好会になる前(当時は「模型友の会」と呼んでいた)の1月25日(木)、みんなが集まったときに電車でも見に行こうという話が出た。生徒たちどうしはよく駅や車両基地北方はバス営業所)に行っていたようで、私も彼らの撮って来た写真を見せてもらったりしていた。そこで、私は軽い気持ちで「じゃあ先生が車を出してやろう」と言ってその場は終わっていた。
 ところが、次の日(26日)1年の衞藤分刻みの行程表を作成し、さらにその翌日(27日)には2年の吉牟田が衞藤のプランに合わせた見どころガイドみたいなものを作り、大分電車区と大分運転所に見学許可まで取ってきたのにはびっくりさせられた。そのときすでに今さらやめとこうとは言えない状況に追い込まれていた。その行程表には驚いたことに、目的地や経由地、普段あまり行くことのできない所など、車であることを最大限(免許も持ってないのに、なんでそんなことが思いつくのかと今でもわからない。)に利用したプランで、みんなの役割分担までもが決まっていた。
 もう、旅行に行くことを覚悟させられていた出発前々日の2月1日になって、その日から北部九州地方は寒波に見舞われ大雪が降り、出発はまず無理だろうと思われた。出発当日の朝、一応雪はおさまったがこういう天気だし事故など起こっては大変だと思い、私は何と言って行くのを思いとどまらせようかと考えながら集合場所に行ってみると、みんなはすでにニコニコ顔でそろっており、もう行くつもりでいるようだった。しかし彼らはただ集まっているだけではなかった。大分方面の道路情報や気象情報をテレビ、ラジオ、電話はもちろん親戚の家にまで確認を取り、ちょうど水分峠を通過するころにはチェーンなしで通行できるなど、やはり今さらやめとこうとは言えない状況にしていてくれた。そんなわけで、発案から10日という信じられないほどの短期間で出発にこぎつけた。
 信じられない事と言えば、旅行先での出来事で、車で移動していると、駅など何の目印もないような所で吉牟田衞藤が「あと2分したら、『ゆふいんの森2号』が通過します。」と言い出したので待っているとその通りに列車が来たりとか、大分市内でさすがの北方大分交通のバスの製造会社までわからんだろうと前方から来るバスを指さし、「北方、あれはどこのバスや?」と聞くとズバリ、「日野でしょう。」と答え、しかもバスとすれ違う瞬間「やはり、エンジン音が日野です。」と言ったりとか、大分運転所の方に案内をしてもらい説明を受けていると彼らはその方を質問攻めにし、挙げ句の果てにはこの形式の車両は昭和何年頃まではどうだったなどと、逆に教えてたりとか、泊まった宿で柳川をチーフとする炊事班が、いわしのつみれの入ったとてもおいしいみそ汁の朝食を作ったりとか、この旅行すべてが信じられないことの連続だった。
 つまり私にとって一番信じられなかったのは、普段は見せない彼らの行動力、探求心、観察力、自主性だったと言える。それだけでも十分価値のある旅行だったと言える。宿泊予定先の水道管が破裂し、急遽宿泊地を変更せざるを得なくなるなど予期せぬ事態になり、保護者の方々にもご心配をおかけするということもあったが、生徒たちの信じられない一面を見れたことと、何とか目的を果たして帰って来れたので、よかったと思っている。
 この旅行でいろいろとご心配をおかけしたりお世話になった石田先生をはじめ、高田先生、大塩先生、山下k先生、幸野先生、マツダレンタカーの方、大分運転所および大分電車区の方々、衛藤の親戚の方、湯布院のとくなが荘の方とそこを紹介してくれた観光案内所の方、そして保護者の方々にこの場をお借りしてお礼を申し上げます。


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