このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

平成8年2月3日()〜2月4日()
※当時模型同好会はまだ発足しておらず、「模型友の会」と呼んでいた


★M・T・K鉄道部門まごころツアー①
※M・T・K=模型友の会

福岡大学附属大濠高校 模型友の会 2年16組45番 吉牟田 智

5.JR九州 大分電車区
 私は、1月30日にJR九州大分運転所に、そして1月31日にはJR九州大分電車区に、福岡大学附属大濠高校模型友の会一同の見学許可を得るために電話で連格しました。普通だと、そう簡単に許可していただけないのに私が大濠高校模型友の会ですと言ったとたん、
「どうぞ、皆様のお越しをお待ちしております。」
とおっしゃって下さいました。ついでに大分電車区の方は、
「できたら、ソニックにちりん号で来てほしいんですがねえ〜。」
とおっしゃっていました。
 予定より1時間ほど遅れてJR九州大分電車区に到着しました。まず最初に目についたのが、今年1月に山口県下松市にある日立製作所笠戸工場で製造されたJR九州の近郊型車両のエース「813系、R108編成」が「普通 小倉」の行先幕を掲げて構内に留置されていました。この車両はまだ一般にお披露目されていないのでたぶん私達が一番最初に見たのだと思います。
 何といってもやはりJR九州で唯一大分電車区に配置されている「誰も乗っていないソニック883」を見学できたことが私の一番いい思い出となっています。博多駅で停車中に見ると他のお客さんのご迷惑になり車内をじっくりと見れないのですが、この時はお客など全く気にせず普通だとじっと見ておくことができないトイレや車販準備室(ソニックレディーの更衣室)なども見学できました。運転蹄を初めて正面から見た時、実際に自分で運転したい気持ちになってしまい一瞬じっと見つめていました。また、ソニックのグリーン車にも座らせていただきましたが、あの電動いすには大感激しました(大分電車区の方も、かなり念を入れて説明していらっしゃいました)。しかもグリーン車は革張りだった・・・さすがJR九州、同じ線区を走る他の交通機関と対抗しても十分勝てる車両だと感心してしまいました。
 その他、大分電車区にはレッド485系,415系など多数の車両たちが集まっていました。ここで大分電車区の方々、お忙しい中私達大濠高校模型友の会の者達を大分電車区を見学させていただきまして本当にありがとうございました。また、ソニックの下敷きまでいただきましてもう何と言ったらよいのか分かりません。

6.JR九州 大分運転所
編集者注)現行のダイヤ・運用とは異なります
 もう少し見学したかった大分電車区を後にして今度は大分運転所へと向かいました。
 何といってもここの運転所の目玉車両は、国鉄宮原線で活躍していた「キハ07 41」です。この車両が奇跡的に保管されているので見学しました。私は、おそらく外観だけしか見れないだろうと思っていましたが、なんと車内に乗せていただくことができて大変光栄でした。あののどかな雰囲気が何ともいえない木造製の車両は、私はすごく大好きなのですが、今ではJR東日本の鶴見緑(大川支線)で活擢している「クモハ12系」などごく一部の路線にしか走っていないのですごく残念です。しかも、ある鉄道雑誌でこの鶴見線の「クモハ12系」が3月16日のダイヤ改正で消え去ると聞いて、すごくショツクを受けました。また「キハ07 41」には、クラッチがついていたのですごく驚きました。北方が、運転室の所にあった部品をこわしていましたが、あとで元どおりにしたと言っていました。
 その他、大分運転所で平成7年3月24日付で廃車となっていた「EF30 3号機」がパンクグラフを下ろしたまま留置されていたのに驚き、また50系客車、キハ31系キハ125系、24系25形の寝台特急「富士号」の付属編成なども見学させていただきました。また、大分運転所の方のお話によると、寝台特急「富士号」は東京〜西鹿児島間で運転される寝台特急「はやぶさ号」と共通運用だとおっしゃっていました。
 ここで大分運転所の方々、お忙しい中私達大濠高校模型友の会の者達を大分運転所を見学させていただきまして本当にありがとうございました。

7.ログハウス村へ行く雪道にて
 湯布院ログハウス村へ行く道は、道路に大量の雪が積もっていて、日陰の所は凍桔していました。のろのろ運転で何とかログハウス村にたどり着くことができましたが、実際に大塚先生とライフライン班(池田、百田、吉牟田)が湯布院ログハウス村に行って台所の蛇口や風呂場の蛇口、ガス管や水道管のチェックをしに行きましたが、肝心な水道管が凍結しており、泊まれなくなったので湯布院の町へ引き返しました。
 ところが、難所はここからでした。帰りの雪道で私が乗っていた1号車はのろのろと走っていましたが、途中で2号車を見失ってしまったことに気づきました。この時は、柳川が一日中無線でいたらん話をしていたのが原因で電池が切れ、無線が使えなかったので、仕方なく1号車はまたログハウス村の方へ引き返しました。
 いた!!無事に2号車を発見できたのですが、スリップしていたのでタイヤチェーンを装着していました。もうめんどうになったので、石村先生と話し合った結果、こうなったら力のある者全員で2号事を後ろから押すことに決めました。みんなの気持ちが一つになって押しあったのでこの作戦は大成功し、無事に湯布院の町へ戻ることができました。私は、みんなで助け合うということはどんなに大切なことなのかということを考えさせられました。

8.急に決まった今夜の宿泊所
 急に決まった宿泊所は、湯布院の町のほぼ中心にある2つの家でした。先生方は2人で1家、生徒達は8人で1家に泊まることに決まりました。こたつや台所などがついていたので低料金にしてはぜいたくな宿泊所でした。百田と北方と私は、ぐっすり寝ていたようです。聞いた話によると、柳川と他数人は、夜中に露天風呂に入りに行ったと聞き、こいつらは何を考えているのだろうと思いました。

9.くやしかった由布岳お立ち台
 私が寝ている時、衞藤と他数人は早朝に由布岳お立ち台に行っていました。私は、すごくくやしかったです。久しぶりに行きたかったのになあ。しかし、衞藤が由布院駅の入場券を私に買ってきてくれたので、うれしかったです。

旅行記に戻る

このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください