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2000(平成12)年9月10日(日) 担当 岸原司
まごころツアー14
福岡大学鉄道研究愛好会、福岡鉄チャン連合
オリジナル貸切表示板
2000年11月25日に惜しまれつつ廃止となった西日本鉄道北九州線。私たちは廃線を控えた9月10日(日)、福岡大学鉄道研究愛好会主催の貸切運転会に顧問大塚先生、3年城、2年岸原、1年中野が参加した。
西鉄北九州線は全盛期には44.3kmもの営業距離を誇り、北九州市民の足として長い間活躍してきた。しかし近年は衰退の一途をたどり、廃止直前には黒崎駅前〜折尾間のわずか5.0kmの専用軌道が残るのみであった。西鉄福岡市内線は1977年に全廃され、福岡県内に残る最後の軌道線として運転されてきた。しかし運転本数の大幅な削減と、利用客の減少により廃止が決定。黒崎駅前〜熊西は筑豊電気鉄道と共同利用であったため筑豊電気鉄道が引継いだ。そしてついに西鉄北九州線は2000年11月25日、89年の歴史にピリオドを打った。
運転会当日、私たちは博多駅に集合し先生の車で黒崎駅へと向かった。黒崎駅には早く着いたので、時間つぶしに近くの模型店へ立ち寄った。ここで先生は何処も売切れで、探し回られていた ○イクロ○ース「○召客車新○号」を購入。先生の財布は金欠知らずなのだ!
西鉄折尾駅に並ぶ600系の2灯と1灯
貸切運転を行った625形 この後黒崎駅まで戻り、福岡大学鉄道研究愛好会の方々、九州大学鉄道研究同好会の方々と合流した。西鉄北九州線黒崎駅前駅は駅前再開発の新ビルの1F。私たちが乗る車輌が入線する前に筑豊電鉄の連接車が到着し、発車していった。
乗客はそう、全員鉄チャンです、ハイ。 私たちが乗った車輌は625形。この600形は1950年〜1952年に大量に製造された北九州線の主力車。冷房化と同時に赤から白地に赤と白のラインを巻く塗装となった。また前照灯ほとんどが1灯から2灯へと改造されている。しかし625形は前照灯1つに、箱型のテールランプと数少ない車輌の1つだ。運転士は2人乗車。貸切といっても人数が多いため立席者もあった。車内アナウンスも平常通りで、1駅1駅停車していく。熊西を出ると筑豊電気鉄道と分岐する。もう1人の運転士が分岐待ちの信号で降りて、また戻ってきた。信号が変わりゆっくりと走り出す。筑豊電気鉄道は直進、西鉄北九州線は右に曲がる。よって西鉄線は自社軌道というのに、そろりそろりと筑豊電気鉄道の線路を横切った。この後も皇后崎、陣の原、折尾東口と停車していき、勾配のある大きなカーブを曲がり、煉瓦橋を渡って、終点の折尾に到着。この折尾駅は外から見ると近代的な駅ビルの3Fにホームがある。しかし階段を3Fまで上ってみると、そこはタイムスリップした世界。一昔前のローカルなホームが現れる。この日、ホームには思わぬ出迎えがあった。 写真左:折尾名物「かしわめし(東筑軒)」を売っておられた方と。車内で歌を歌ってくれました。弁当、記念写真付きの見学会でした。西鉄折尾駅にて。
写真右:折尾駅附近の現存する数少ない煉瓦造りの「斜めアーチ」で、日本最大級とか。「斜めアーチ」は俗に「ねじりまんぽ」とも呼ばれています。 折尾名物「かしわめし」の東筑軒さんから出前があったのだ。駅弁代は参加費に含まれていて、受けとる時にあみだくじに名前を書き込んだ。後で何か当たるらしい。久しぶりの「かしわめし」舌鼓を打った。集合写真の後、各人思い思いに写真を撮ったり、気の合う人と会談したりと、ゆっくりと流れる時間を楽しんだ。折り返しの時間が近づき、最後に駅弁売りの方がCDを出したという歌を披露してくれた。そしてさっきのあみだくじはこのCDプレゼントの抽選だった。残念ながら私たちの中に当選者はいなかったが、車内ライブは大盛況ののち幕を閉じた。駅弁売りの方に見送られながら、折尾を後にした。
皇后崎に着くと福大の方が2人カメラを手に電車を駆け下りた。しばらくして帰ってこられたが、いい写真が撮れたのだろうか?そうこうしている内に電車は再び黒崎駅前に戻ってきた。
本当にあっという間だったが、この貸切運転会は西鉄北九州線が廃止になっても忘れるようなことはないだろう。
お誘い頂いた福岡大学鉄道研究愛好会の皆さん、本当にありがとうございました。
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