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終わりなき旅



第4部



「すると、すぐにでも発たれるのですか?」
「まぁな。少しは貯えもできたし。長居し過ぎたのかもしれない」
美凪の質問に、往人はポンポンと財布を叩いてみせた。
そして目は真っ直ぐに美凪を見つめた。
「とりあえずは、今日明日にどうするかを考えてからだな」
「そう・・・ですか」
少し沈んだようにも聞こえる美凪の反応に、往人らしかぬ答えが戻って来た。
「まぁ手紙を書くって柄じゃないが、出来る限り善処してみるさ」
「済みません」
「そんなに気にするな」
そう言って美凪の肩に手を乗せ、自分には何てことはないさと、数度手を振ってみせた。
「私も・・・往人さんが戻ってくるまでに、妹と仲良くなっておきます」
「おいおい。美凪のことだ、すぐにでも仲良くなれるだろうに」
往人はおどけた様子で言葉を返した。
なぜなら、子供のように純真で真っ直ぐな者ならば、美凪と打ち解ける事は決して難しくない。
この1ヶ月間で往人は大いなる母性とでも言おうか、何か包み込む様な物を美凪に感じていた。
「それは・・・わかりません。妹を・・・。
大切な妹を二度と失ってしまいたくない一心に、臆病になってしまうかも知れません」
それは美凪にしてはやや後ろ向きな発言だった。
まだみちるとの一件の傷が癒えず、その傷の大きさを物語っているようでもあった。
「でも、その可能性を考えることが出来ている以上は、対処の仕方も考えられるだろう。
それ以前に、そんなことになるなんて考えないだろう?」
「・・・わかりますか?」と、美凪は小さく優しく微笑んだ。
「まぁ、この1ヵ月でなんとなくな。仲良くやって貰いたいもんだ」
「・・・はい」

「往人さん。『さよならは別れの挨拶じゃない。また会う為の約束なんだ』
という歌詞の歌をご存知ですか」
「ああ、俺でも知っている位有名な曲だな。もう20年くらい前のじゃ?」
そうして、わずかだが沈黙が訪れた。
2人の頭では、恐らく同じフレーズが流れていることだろう。
「きっと・・・もうすぐ。往人さんと別れる事になるのでしょうね。
でも、私はこの歌の歌詞を信じたいと思います」
「そう・・・か」
「はい。この夏・・・まだ終わっていないこの夏。
まだ見ぬ私達の人生の、ほんの一夏に過ぎないのだと思います。
でも、少なくとも今までの人生の中でもっとも貴重な体験を、出会いをしました」
ゆっくりと、どこか厳かな雰囲気を漂わせる美凪。
「俺はたまたま路銀が尽きて、この街に留まっただけなのにな」
往人はいつもの軽口を叩いた。
「はい。ですから、この先いつまた往人さんにお会いできるかは皆目検討がつきません」
「ああ、俺もだ。でも、戻ってくる事は約束する。
きっと、戻ってこなきゃならなくなるはずだ」
「・・・はい」と、そこまで言いかけて美凪は目頭にこみ上げてくる物を抑えようとした。
「私は、それでも待つつもりだと言おうとしましたけど・・・先に言われてしまいましたね」
「俺自身の目的と、お前との約束」
往人は口にした言葉をゆっくりとかみ締めてから言葉を続けた。
「安心しろって」そう言って往人は少し乱暴に美凪の背中を叩いた。
「鋭いスナップでしたね」
不意をつかれた美凪は手を頬に当て、首を傾げながら往人の目の前に迫った。
辺りはすっかり陽も落ち、遠い街灯の光では表情を伺うには心もとない。
「ああ・・・。俺は良い嘘はついても悪い嘘はつかない。だから安心して待っていろ」
「今までのは、良い嘘なのですか?」
ふっと、美凪は体を預けるように往人の胸に飛び込んだ。
「本当の事を言う。俺はちゃんと戻ってくる」
往人は顔を背け、真っ赤になりそうな自分を美凪に見せまいとした。
「それはだ・・・。戻ってくる先がお前だからだ」
「本当ですね」と、胸に顔を埋めたままの美凪が言った。
「ああ」この時往人は、抱きしめるように美凪に手を回した。
「指切り・・・。出来ますか? 指きりを、して・・・もらえますか?」
美凪は顔を上げて、じっと真っ直ぐに往人を見つめた。
「指切りでも何でも出来る。これは嘘じゃな・・・」
言葉を遮るように、美凪の小指が往人の眼前に差し出された。
そしてその白く細い指に、往人の指が力強く添えられた。
「それでは・・・行きます。指切りげんまん・・・」
美凪のどこか震える、ゆっくりとした口調に往人も合わせた。
「「嘘ついたら針千本飲ます。指切った」」
この時小さいながらも一筋、流星が流れた事は2人を見守る者しか気付いていなかった。

時間にして2分程の間だが、2人には1時間にも感じられる時間が流れた。
重ねられた指は解かれることはなく、2人は互いを見詰め合い続けた。
やがて往人の残っていた左腕が美凪の体に優しく、そして力強く回された。
2人はどちらかが求めるわけでもなく、自然に口付けを交わした。
ゆっくりと美凪の瞳が閉じられ、そして2度目の永遠とも思える時間が流れた。
駅舎によるライトアップも無く、街灯も遠く薄暗い駅のホームの上の2つの影。
満天の星々と、短い夏を精一杯生きる蝉達が立会人。
言葉よりも確かな方法で、言葉にはならない思い込めて、2人は約束を交わした。
誰よりも大切な人との、一つの約束。
何よりも重たく、温かく、忘れられない、大切な約束。
大切な人との大切な思い出があるから、相手を信じる思いがあるから、2人はその約束を結ぶ事が出来た。
「約束だ・・・」
美凪は目を閉じて「・・・はい」と答えるのが精一杯だった。
喜びの涙を湛えた瞳をそっとすくう往人の指。
その優しさがまた美凪に涙を流させた。
美凪の体をきつく抱きしめて「今・・・泣く事なんか無い」と呟いた。
「俺が戻った時に泣いてくれればいい」と続けられた言葉に、美凪は涙を堪え切れなかった。
「その時は、往人さんの胸で泣いても良いのですか?」
「嬉しい時の涙なら俺は歓迎する。もう、悲しい涙は見たくないからな・・・」
そっと往人の手が美凪の髪を撫でる。
「ぐすっ・・・。頑張ってみます」
「だから美凪。今は泣くな」
髪を撫でていた往人の右手は、そっと美凪の頭に添えられた。
「もぅ無理です。
今の私は悲しくて・・・嬉しくて・・・寂しくて・・・誇らしくて、何で泣いているのかさえ・・・」
その後の言葉は続かなかった。ただ嗚咽が蝉の鳴き声に染み渡っていった。
「そうか。だったら気が済むまで泣いていいさ。泣きたい時には泣く。
みちるだってそう言うだろうな。美凪がそう言い聞かせてきたように」
「はい・・・そうします」
今までずっとホームに立っていた2人だったが、往人は美凪をホームに座らせた。
美凪は往人から離れまいとしがみ付いたが、往人はそんな美凪をキスで静めた。
それから往人も美凪の横に座った。そして美凪は往人の胸にしがみつくように泣いた。
溢れる思いを代弁するかのように、止めど無く涙は溢れて続けた。
そして2人の姿は夜の闇となった。



明日か、明後日か。

いつ往人がこの街を出て行くかは、まだ本人も決め兼ねていた。

ただ往人がこの街を出て美凪が残っても、決してそれは悲しい別れではない。

そのことは2人とも理解し合っていた。

2人がこの先乗り越えなければならない壁。その壁を超えた先にある再会の為の、一時的な別れ。

たとえ明日会えるとしても本当に愛しい人との別れならば、身が引き裂かれる思いとなり得る。

約束や信頼という言葉ではまだ足りない、精神的な理解を胸に2人は明日へと歩き出すのだろう。


2人を旅に擬えるなら、名も無き駅から2人は今これから旅立とうとしている。

互いの行程は大きく違えども、到着日時に差が生じても、目的地は変わらない。

それがどんなに長くても、どれほど待つことになっても。

戻る場所は変わらない。



次の発車までまだ時間がありますが、どうか良い旅を。




illustrated by Key1



第3部舞台設定あとがき

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