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White Album



〜学園祭前の雪 第1話〜


カランコロンカランコロン・・・。
喫茶店エコーズ入口のドア、3連カウベルが優しげな音を立てた。
「いらっしゃいませって、はるか・・・か」
はるかと呼ばれたショートカットの少女。川島はるかは、どこかぼんやりとした目で軽く店内を見回した。
店内に他の客の姿は無い。普段も昼空けのエコーズは、客の入りはまちまちだった。
「それで・・・今日はお客さん? それとも遊びに来たのか?」
「・・・暇そうだね」
と言って、はるかは店員の目の前のカウンター席に座る。
「昼の忙しさから開放されたところさ。ご注文は?」
「今日は冬弥一人? 彰は?」
はるかはメニューを手に取り、またぼんやりとした目で眺めていた。
いまいち噛み合わない会話。
冬弥と呼ばれた店員、藤井冬弥。彼にとってはいつもの事だった。
呆れる様子も無く、カウンターでグラスを拭いていた。
話題にのぼった彰とは2人の高校時代からの友人の七瀬彰。この店の店員でマスターの甥にあたる。
「彰はまだ大学だろう。マスターは奥で・・・もう寝ているだろうな」
「紅茶。ホットで、レモンティー」
「はいはい。かしこまりました」

 それから・・・3分はたっただろうか。その間、2人は一言も話すことは無かった。
マスターがセレクトしたチャイコフスキーの弦楽セレナーデと、お湯を沸かす音だけが店内を支配していた。
店の外の音は全く聞こえてこない。ただ、窓の外は雪がちらついていた。
それから冬弥はレモンティーを淹れ、はるかはじっとその冬弥を見ていた。
「・・・冬弥。レポート書いた?」
一瞬はるかが、にっこりと微笑んだようにも見えた。
「誰のをだ? 俺は来週までに提出のが、3つも重なっちまったからな」
一方の冬弥はウンザリした表情を浮かべ、はるかの前にソーサーとティースプーンを置いた。
「はい、お待たせ致しました」
良い香りと共に、はるかの前にレモンティーが置かれる。
はるかはすぐにカップに手を伸ばした。
「熱いぞ」
「ん、大丈夫」
そうして香りを楽しんでから、一口。
「温かいね」
「そりゃそうだ、淹れたてだからな。外は雪が降っているし・・・」
自然体というのが相応しいのだろう。2人の会話にはたっぷりと空気が含まれていた。
マスターは意図していないが、曲のように優しさを含んだ展開がそこにはあった。
「高井先生のレポート。考えた?」
「ああ、プリントに書かれていた参考文献から1冊読めってやつだろ。あれは終わった」
「早いね」
「たまたまだ。美咲さんに聞いたら去年も同じ出題をしたらしい。そのせいだよ」
「美咲さん、どこにいるかな・・・」
同じ高校出身の一年上の先輩、澤倉美咲。冬弥、はるか、彰に共通の先輩だ。
「まだやってなかったのか。もう本は読んだのか?」
冬弥は呆れ気味に答えた。
「演劇部かな?」
「なんだそりゃ?」
「冬弥・・・変」
意外そうな表情のはるか。
「なにが変なんだい?」
「全部」
「・・・」

 外は少し雪が強くなっていた。はるかの紅茶も残り少ない。
「冬弥。本、もう読み終わった?」
「俺のはもう図書館に返したぞ」
「残念」
はるかは窓の外を見ながら言った。
「美咲さんはね、演劇部の手伝いをしているんだよ」
「ん、さっきの話か」
「それで図書館にこもりっきり」
そう言って、はるかは紅茶を飲みきった。
「美咲さんに演劇部の友達なんかいたんだ。本当に・・・誰にでも優しいな」
「由綺。レポートどうするのかな?」
「そうそう。由綺の代わりに図書館へ返す本があったな」
「雪だね・・・。紅茶、おかわりお願い」
「待て待て。そっちの雪じゃない」
冬弥はもう1杯分の紅茶を用意しに、カウンターから離れた。
由綺は冬弥の彼女で只今売り出し中のアイドル、森川由綺。
4人と同じ大学に在籍しているが、仕事が忙しくて殆ど姿をみせていなかった。
「私が返そうか?」
「返却期日までに読んでおけよ」
カウンターから離れたついでに、冬弥は由綺から預かったハードカバーの本を奥から持って来た。
「昨日、店で預かったんだ。今日仕事が無かったら大学へ行ってこようと思っていたんだが・・・」
「ありがとう。紅茶、まだ?」
「忘れずに返却日までに返すように。由綺が借りていることになっているんだからな」
冬弥から受け取った本をリュックに詰めるはるか。
その姿を見てから冬弥は2杯目の紅茶をはるかのテーブルに置いた。

 「はるか。美咲さんの話はいつ聞いたんだ?」
「ん、先週かな?図書館の入り口で」
「はるかが図書館とは珍しいな。別のレポートか?」
「偶然」
「成る程」
はるかはすぐには二杯目に手をつけなかった。
しばらく手を組んで冬弥を見ていた。
「暇だね」
「ああ。雪の所為か客の入りが悪い。もっとも楽でいいけど」
曲はチャイコフスキーから、ドヴォルザークの弦楽セレナーデに替わっていた。
冬弥は客のいない今のうちにと、テーブルを布巾がけして廻った。
「雨宿りならぬ雪宿りで、客が入ってもよさそうなもんだけどな・・・」
「静かでいいと思う。二人だけは」
「奥にマスターがいるけどな。今日はゆっくりと眠れるだろう」
そう言って、丁寧にテーブルを拭いていく冬弥。
はるかはぼんやりと冬弥を見ていた。

 カランコロンカランコロン・・・。
ドアの3連カウベルが優しげな音を立てた。
静かで暖かな店内に、冷えた外の空気が流れてきた。
「いらっしゃいませ。2名様ですね、奥のテーブルへどうぞ」
冬弥は入って来た2人の客を案内する。
明るいグレーのスーツを着た30歳位の男と、明るいピンクのジャケットを着て赤い2つのリボンで髪をまとめた20歳位の女の子。
スーツの男は先に奥のテーブルへと進むが、女の子は一緒には行かずに水とメニューを取りに戻ろうとした冬弥に声をかけた。
「こんにちわ、藤井君。お疲れ様」
「理奈ちゃん、いらっしゃい。理奈ちゃんもお疲れ様。でも、理奈ちゃんの方がもっと大変なのにね」
「うふふ・・・そうかしら? 藤井君だって、こことTV局のADさんのアルバイトもしているのに。謙遜ね」
トップアイドルのハードスケジュールとアルバイトの掛け持ち。一体どちらが大変だろう。
「今、お水とメニューをもって行くから」
「待たせたら怒るわよ」
ちょっと意地悪そうな口調に反して、冬弥を見る理奈の顔はとても優しかった。
そして理奈はマネージャーの待つ席に向かった。
ブラウン管の向こうのアイドル緒方理奈のイメージと、今冬弥の前に立っていた理奈の雰囲気は、同じようで違う。
由綺のライバルで先輩、トップアイドルの特別な女の子。でも、彼女だって普通の女の子。
冬弥そんなことを考えながらカウンターまで戻り、水とメニューを取ってから奥のテーブルに向かった。

 「オリジナルブレンド珈琲が2つですね。かしこまりました、しばらくお待ち下さい」
注文を取って理奈とマネージャーの席を離れた冬弥は、カウンターでぼんやりとしているはるかに声をかけた。
「何か食べたらどうだ?もう4時になるぞ」
「ん・・・、そうだね」
はるかは返事をすれども、メニューを見てはいない。
奥のテーブルに視線を移して、何かを考えているような・・・いないような表情だった。
その視線の先にいる理奈は難しい表情を浮かべ、時折その表情が険しくなったりした。
冬弥ははるかを放っておいて、ブレンドコーヒーの準備を始めた。
マスターの主義で、珈琲の注文が入ってからミルで豆を挽く。マスターが自らブレンドしたモカ珈琲がこの店の売りでもある。

 ゴリゴリゴリゴリ・・・。
カウンターに珈琲豆の香ばしい香りが漂う。
「いい香りだね」と、はるか。
「それでも、サイフォンを使わない辺りはマスターらしいよ」
こだわる所はこだわるが、面倒くさいところは省く。いい加減と言えば言えなくないが、このスタンスがマスターらしさだった。
それからトレイの上に2人分のソーサーとティースプーン、ミルクに砂糖を用意してお湯が沸くのを待つ。
冬弥は挽き上がった豆をネルドリップの上にあける。そして沸き上がっていたお湯を注ぐ。
少しづつ蒸らしながら、じっくりと珈琲を淹れて行く。
その様子をじっと見ていたはるかが「私にも珈琲。それとクッキー、あったよね」
「判った。ちょっと行って来るから、その後でな」
「待たせたら怒るわよ」
「・・・聞いていたのか」
はるかも理奈に負けないような笑顔で、軽く意地悪を言う。
内心やれやれと思いながらも、笑顔で答えて冬弥は奥のテーブルに向かった。



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