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White Album



〜学園祭前の雪 第2話〜


 「お待たせ致しました。オリジナルブレンド珈琲です。ごゆっくりどうぞ」
理奈とマネージャーは、スケジュールか何かの打ち合わせをしていたように見えた。
マネージャーは手帳に書き込みをして無反応だったが、理奈は「ありがとう」と冬弥に笑顔を向けた。
トレイをもってカウンターに戻ると、はるかに注文された珈琲の用意を始めた。
「はるか。オリジナルブレンドで良いんだよな?」
「うん。それとクッキーって、何か種類ある?」
「チョコチップとナッツと・・・確か4種類8枚が1セットのはずだよ」
「じゃぁ、それ」
「かしこまりました」
ちょっとおどけて答える冬弥と、楽しそうなはるかだった。

 冬弥がはるか用に珈琲豆を挽いている時に3人組の客が入り、段々と普段の活気がもどりつつあった。
窓際のテーブルに陣取った3人組の注文を取る冬弥。
はるかとすれば、話し相手の冬弥が少し忙しくなってきたので少々残念そうだった。
それでもまだ夕飯時の目の廻るような忙しさは今は無いので、冬弥の様子を見ては声をかけた。
「由綺はこの本について何か言っていた?」
「難しかったって、言ってた」
「大変」と、少しびっくりするはるか。
「ははは、大丈夫だよ。忙しい由綺にあわせて読み易い本を美咲さんが選んでくれたからな」
注文を受けた珈琲とケーキの用意をしながら、笑って答える冬弥につられてはるかも笑う。
「な〜んだ」
「由綺は内容については、あんまり覚えていないってさ」
はるかにオリジナルブレンド珈琲とクッキーのセットを出す冬弥。
「それでレポート大丈夫なのかな? 由綺・・・」と、一口珈琲に口をつけてからのはるか。
「はるかに心配されるとは、由綺も思っていなかっただろうな」
「ひどいね・・・」
カウンターにはまだはるか以外の客はいなかったので、こんな会話も気兼ね無く出来た。
「あれ、曲が終わったままだね」
まだマスターは寝ているらしく、店内のBGMが止まっていた。
「はるか。何かリクエストはあるか?」
「そうだね・・・前にマスターが教えてくれたピアノの曲がいい」
「えっと。バックにストリングスなんか入っていたかな?」
「なかった」
「じゃ、ジョージ・ウィンストンかブルース・スタークだろ。ジャズじゃなかったよな?」
「違うと思う」
「じゃ、どっちかだ」とは言ったものの、どっちがはるかの言っている物かは自信がなかった。
冬弥はカウンター奥CDプレイヤーとCDラックに向かい、すぐに見つかったブルース・スタークの方を選んだ。
プレイヤーのCDを入れ替えてから、冬弥は珈琲用のお湯が沸いたので3人分を淹れた。
そう言えばジョージ・ウィンストンの方が有名だったっけ。冬弥はトレイに珈琲をのせながらこんなことを考えた。

 まだ雪が降る窓の外。店内にはピアノソロが流れる。
店内にはまたお客が入り、カウンター席にもはるか以外の客も座った。
ブルース・スタークのピアノは音数はすくないものの、情感たっぷりに歌い上げる。
カルメンやシューマンのようなクラシックの曲も、デイブ・ブルーベックのテイクファイブといった有名なジャズもアレンジされている。
そんな何処かで聴いたことのある曲をアレンジしたアルバムが流れる店内は、人数のわりに静かだった。
楽しそうに話しているのは、店員の冬弥と客のはるかだけだったかもしれない。

 そうしてしばらく時間が経過してから、奥に座っていた理奈のマネージャーが支払いに来た。ドア側のレジに冬弥は移った。
奥に視線を移すと理奈はまだ座っていて、コップの水を飲んで壁に架かった複製の絵を見ていた。
いつもの事・・・店のそばにマネージャーが車を廻す為に先に会計を済ませて出る・・・だったので、
会計を終わらせた冬弥は水差しを持って奥へ向かった。
「理奈ちゃん、もう1杯どうかな?」
「藤井君・・・ありがとう」
「今日はまだ忙しいんだ。頑張ってね」
「ありがとう藤井君。・・・本当にあなたって優しいのね。由綺だけじゃなくて、誰にでも?」
まだ時間はあるらしく、理奈は質問で返してきた。
「あそこのカウンターの子が、幼馴染の子なのかしら?」
「えっ? 何で理奈ちゃんがはるかを知っているの?」
「そうそうはるかさん。由綺が羨ましそうに言っていたわよ、『冬弥君とはるかの仲って、もの凄く自然で羨ましいよ』って」
冬弥は理奈が何故そこまで知っているのか、大いに驚いた。
「えっと・・・由綺が理奈ちゃんにそれを話したの?」
「そう。しばらく藤井君とはるかさんの会話を聞かせてもらったけど、由綺がそう思うのももっともよね。兄妹みたい」
「えっ・・・」タジタジになる冬弥。
「あの雰囲気に由綺がお店に入っていたら、嫉妬しかねないわね。勿論、由綺が藤井君を信頼しているのは知っているけど」
『ごちそうさま』と言いたげな理奈の表情。
「あ・・・あの、理奈ちゃん?俺は間違いなく由綺の彼氏だよ・・・」
「ふふっ、勿論知っているわ。でも、最近会っていないでしょ。由綺がこぼしていたわよ『会いたいなぁ』って」
「ねぇ理奈ちゃん。由綺のやつそんなことまで理奈ちゃんに話しているの?」
「ええ、そうよ」
「参ったなぁ・・・」と、冬弥は頭をかく。
「ふふっ・・・彼氏さんとしてはどんなお気持ちかしら」と、天使の笑顔で小悪魔的な質問をしてくる。
「お手上げ・・・。今度由綺にしっかりと言っておかないと」
「そう? 由綺の話を聞いて、私は由綺と藤井君が羨ましいとも思うわよ。お腹一杯になっちゃうけども」
トップアイドルの、アイドルじゃない素顔。とても普通の女の子の会話だった。
ただ、由綺と理奈のいる世界がとても現実離れしているだけで、彼女達は普通の女の子だ。
「由綺のやつ。本当に無防備というか・・・」
「あら? 私に聞きかれちゃまずいことかしら?」
「いや、そうじゃなくて。由綺が理奈ちゃんに話している時に、誰が聞いているか判らないじゃない」
「今まで大丈夫でしょ? 由綺を信じてあげなくちゃね。彼氏君」と、ちょっと寂しそうな笑顔。
それから理奈は時計に目をやり、「そろそろ行かなくちゃね。珈琲ごちそうさま。またね」
「うん。ありがとうございました」と冬弥が言う。
理奈は笑顔で手を振ってエコーズを後にした。

 カランコロンカランコロン・・・。
理奈が去って、ドアの3連カウベルが鳴る。
「面白かったよ」と、はるか。
「こっちまで聞こえていたのか。まずいなぁ・・・店内でこんな会話は」と、冬弥はまた頭をかく。
「でも由綺の話、びっくり」
「ああ、俺もだ。俺とはるかの関係の一体何処がいいんだ?」
「さぁ?」と、2人して考え込む。
「そうそう、このCDじゃないね」
「あ、やっぱり違ったか?」
「でも、これもいいね。誰?」
「ブルース・スタークって、言うピアニストだ。マスターがたまたま安売りで発見したんだと」
「ふ〜ん」

 カランコロンカランコロン・・・。
また、カウベルが鳴った。2人が考えている間に、彰がエコーズに入ってきた。
「お疲れ、冬弥。はるかもいたんだね」
「ん」と、視線を彰に向けるはるか。
彰は頭とコートの上にのった雪を払い落とした。
「彰。そろそろ忙しくなるかもしれないから、今日はバイトしてくれ」
「叔父さんは?」
「まだ寝ているみたいだ」
「まぁ、料理の注文が増えそうになったら起こせばいいかな」
「そんなところだな」
彰はカウンター奥の店員用の部屋へ、荷物を置きに入っていった。
「今日は彰もアルバイトだね」と、最後のクッキーを口にしたはるか。
「ああ。昼飯時と夕飯時は天気に関係なく混むからな」
「なるふぉろ」
「全部食ってから言えよ」と、冬弥は笑って言う。
はるかは氷の溶けた水を飲んで、一息つく。
「もう1杯飲むだろ」
「うん」
冬弥は空になったはるかのコップに冷えた水と氷を注いだ。

 奥からエプロンをつけた彰が戻って来た。
「今日はまだ入りが少ない方だね。この雪の所為かな?」
「外はどうなんだ? 結構寒そうに見えるけど・・・少しは積もったのかな?」
「今は軽く雪が残っているけど。でも、このまま夜も降り続いたら、明日は結構積もっているかもね」
大学から真っ直ぐエコーズに来た彰はこの雪が楽しそうな様子で、こう答えた。
「そうなると、明日のバイト行きが大変だな」
「冬弥、明日バイト?」と、氷をかじりながらはるかが聞いた。
「ああ、TV局のADのバイトさ。大学は休みだから、しっかり稼がないとな」
「由綺に会えたらいいね」
「ああ」と、はるかに答える冬弥。
「それじゃあ、そろそろ行くね。いくらかな?」
「え〜っと、結構飲んでいたからな。1480円だ」
「わっ、びっくり」と、さして驚いた様子もないはるか。
冬弥はレジに移り、打ち込んで行く。
席を離れたはるかが「じゃ、2000円」と、2枚紙幣を出した。
「はい、520円のおつりです。ありがとうございました」
「ありがとうございました」とは、彰。
「じゃね」と、はるかは店を出た。

 冬弥はレジからカウンターに戻らずに、はるかの後を追って店を出た。
店から冬弥が出てきたのに気付いたはるかは、「あれ? どうしたの?」と。
「さっきの話。由綺の話は、誰にも言わないでくれな。美咲さんくらいならまだわかるけど」
「大丈夫だよ。それよりも、寒くない?」
「確かに冷えるな。コートを着ていないからな」
2人の足下には薄っすらと雪が、街一面に雪が積もっていた。
まだ夜にはなっていなかったが雪雲で街は薄暗く、もう秋は終わったことを実感させた。
「ほら、自転車がのれなくなる前に帰ったほうがいいぞ」
「そうだね。転んだら傷がつくもんね」そう言って、銀色に光る自転車に目をやった。
それ以上に、はるかの自転車が錆びたら洒落にならない。
大体はるかの自転車はメルセデス・ベンツ。ドイツ製で実に20万円強の代物だった。
一度乗らせてもらったが、車のイメージに違わずガッチリとしていて、それでいてしなやかさを併せ持っていた。
「乗ってもいいけどさ、ちゃんと拭いておけよ」
「うん。じゃあね」
「ああ」
はるかは自転車の鍵を外し、押しながら歩いていった。
吐く息は白く、Yシャツにエプロン姿の冬弥には、これ以上外にいるのは無謀に思われた。
はるかを見送った冬弥は店に、仕事に戻った。



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