このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

 


02.11.29 新宿 P:鳳車輛

集約臨時列車「かながわ」の旅
1989年9月15〜16日 167系修学旅行用電車引退に寄せて

JR東日本に残っている165・167系がそろそろ引退との事で、私が始めて親父に借りたカメラで撮影した写真を引っ張り出して飾ってみます。1989年、日光へ修学旅行に行ったモハ167-1の車中から見た様々な車両達。国鉄が分割・民営化され間も無い頃のスナップです。89年・平成元年といえばついこの間の様に感じますが、既に15年近い時間が過ぎようとしており、丸っきり変わってしまったもの、そうでも無いものが混在してなかなか面白いものです。
なにぶん12才の子供が撮った写真、しかも絹目のプリントを無理矢理読み取ったもので、質を問う様なものではありませんが、どうぞご笑覧下さい。
東海道本線 藤沢〜品川

これが始めて撮った鉄道写真(?)、藤沢駅の構内風景。珍しくも無い113-0'と小田急4000系。今と大して変化の無い光景だが、今は時刻表が分別式のゴミ箱と共にホーム上に移設されている。丁度時刻表の右下にいる色眼鏡かけた青い上下のおっさんあたり。「のぼり口」の行灯、番線表示、白い時計、クハ111の禁煙車標等は国鉄時代のまま、ちょっと懐かしい。
まだライナー用ホームの無い貨物線を通過していく最新鋭のEF66 100番代。実見したのは始めてだった。裏手の駐車場に停めてあるクルマ達が皆白い。そういう時代だった。現在ここは立体駐車場となっている。コンビーフの看板はやはり小学生の自分にとっても外せないアイテムだったのかも知れない。
ほどなく入線してきたのは、青いヘッドマークも誇らし気な急行形電車。中間に入った運転台をすかさず撮影。この頃既にデカ目ライトが珍しく感じられた。調べたが車番は不明。整列して右を向いてATS-Pの標記も真新しい黒HゴムはゼッケンからH11編成、クハ167-1と思われる。電車編成表によれば同年の4月に更新したばかりでまだピカピカ。乗車したのはモハ167-1。トップナンバーに狂喜した記憶がある。
西横浜にて相鉄新6000系。今は亡きアリック日進の地下でトミックスのベーシックセット2(初代)を買って貰い、車端の配電盤の上に載せて運んだ思い出の車。今も現役だが、よく見ればドア窓がHゴム支持で、この形態は既に存在していない。当時この辺りには新交通システムの試験施設の様なものがあったと記憶する。
東神奈川にて留置されたハマセンの205系。方向幕が2段式になる以前の、配属間も無い頃のはず。乗っているモハ167-1も更新したてで座席の枠や化粧板、窓サッシなどどれも光り輝いている。モケットの柄も少し懐かしい。新生JRの意気込みが感じられた良き時代。景気も良かったし(笑)。こちらを向いた態度のデカイ少年は同級生の室町君。彼はでっかくて綺麗な家に住んでいて、ファミコンのカセットもいっぱい持っていた。誕生日に俺があげたビー玉、彼はまだ持ってるかな。・・・ある訳ないか。
鶴見にて京浜東北線の103系。まだオール103系の時代で、中間に封じ込められた低運のクモハとクハが変な行先を出していた頃。後ろに線路が3本あるって事は、鶴見発の列車かも知れない。バックは鶴見線の高架。絹目の粒子が荒いのはハサミでちょん切っちゃったから。トリミングとも言う。
国鉄末期、余剰となった食堂車は様々な形で転用された。運のいい奴は客車に化け、そうでないのはダルマとなってこんな姿に。蒲田にあった「グルメステーションかまた」。塗色がいかにも適当な感じで、できた当初からみすぼらしい。末期はなまこ壁塗装になって喜多方ラーメン屋だかになっていたが、今は解体されてしまった。バックは毛糸屋さん。
特急電車の末路第2段。こちらは食堂車ほど哀れではなく、編成美は乱すものの豪華な設備で人気を集めた「化けサロ」。この呼び名を始めて聞いた時、バケットシート装備のサロの事かと思った。2箇所ある開閉窓が無機質な感じでカッコイイ。品川にて。
←PREV  HOME   NEXT→

 2003 鳳車輛製造  otorikk@cityfujisawa.ne.jp

 

このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください