このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

この日記帳には、適当になにか書きます。
たぶん毎日は、書けないかもしれないですが
ヨロシクおねがいします!!。

(告 新しい日記を設置してあります。ほぼ毎日更新中!。
新日記のほうもぜひ読んでみてくださいね。
こちらの旧日記ページは重大日記などに使う予定です。
新日記ともどもヨロシクお願いします!。)

新日記はこちら

青函トンネルウォーキング(1日目)

(この日記は新日記8月18日分の再掲載です。新日記のほうもご覧くださいね)
今日は仕事を早めに上がらせてもらい青函トンネルウォーキングに旅立つ日です。
会社を3時頃に出て、そのまま横浜駅経由で羽田空港へ。当日九州方面に台風が到達。
西日本方面に向かう飛行機は欠航が相次ぎ、大混乱状態で大変だったようです。
一方、私が乗る函館行きも津軽海峡付近で発達した大雨&雷で気象条件が悪く
青森行きも含め、もし着陸できない場合は羽田に引き返すという条件付きの
運行となり、おまけに運行機材の到着遅れで出発も遅れるという
少々不安を感じる中、函館に向かい飛び立ったのでした。
今回、函館行きに使われたのはボーイング777-200。東京湾上空をターンしながら
幕張上空を通過して内陸部を飛行機は北上していきます。恐らく飛行コースは
幕張→宇都宮→山形→秋田上空を通過し、弘前辺りで海上に出て、竜飛崎沖から
右にターンし松前半島を横切る形で北海道上空に到達、函館湾を横切り
函館空港にランディングするというコースを取っていたのではないかと思います。
(機内モニタで現在地を表示した時には既に秋田上空に到達直前だった為
それまでのコースはルートマップによる予想。巡航高度 約8900m。巡航速度 約900Kmで運航)
羽田を発ち、およそ1時間で函館に到着。津軽海峡上空に厚い雲が立ち込めており
高度を下げていくと揺れが次第に強くなっていき、雲の中に突入すると突き上げる
ような揺れになる。雲を抜けると函館湾上空を通過中でした。
雨は既に上がっていました。函館湾から市街地上空に入り函館空港へのアプローチスタンバイ。
フラップを下げて揚力確保しつつ地面に迫っていく。着陸寸前少し風に
煽られたのか、軽く斜めに傾きながら片側車輪から着地。一瞬間が開き
もう片側車輪も着地。少し進行方向が斜めになったか機体が左右に振る感じあり。
フロントギア着地と同時にエアブレーキ展開&エンジン逆噴射により減速して
いく。充分に減速したところで制動カット。滑走路を離れターミナルに向かいます。
ターミナルに到着しボーディングブリッジが横付けされ、飛行機を降ります。
空港は既に折り返しの東京行き最終便を残すのみで待合室以外は静かでした。
空港からはリムジンバスで函館駅へ。予約しておいた函館駅前にあるホテルに
チェックインした後。食事でもしようと街中に出たのですが
飛行機が遅れてしまい、お店もあちこち閉まっていました。こっちは店じまいも
早いのね(汗)。青函トンネルウォークに備えて開いていた薬局でバンテリンと
エアーサロンパスを購入。(飛行機にはスプレーなどは持ち込みできないので
現地で調達しようと最初から考えていました)。食堂が閉店しているので仕方なく
居酒屋で食事をする事に。サワーと帆立のバター焼きホッケの開き、イカソーメン
を食べまくり。さすが函館!食い物がうめえ!(笑)。いい気になって
サワーを何杯も飲んだらフワフワしてきたぜ!。フワフワほろ酔い気分のところで
店のお姉さんが話しかけてきてくれて、色々と函館の話聞かせてもらいました。
その後ホテルに戻り、シャワーを浴びて汗を流しみるふぃ〜さんから携帯にM
メールが来ていたので、少しメールをやりとりしたあと、朝も早いし
長いトンネルを歩く体力を温存する為にも、早めに寝る事にしたのでした。

2006年10月20日 01時37分04秒


青函トンネルウォーキング(2日目)

(この日記は新日記8月19日分の再掲載です。新日記のほうもご覧くださいね)
いよいよ青函トンネルウォーキング当日です。
受付は朝6時20分から6時50分の間なので6時30分頃には
ホテルをチェックアウトして函館駅に向かいました。受付で係員に
参加チケットを見せて、エントリー札と荷札、JR北海道特製万歩計を
もらい受付完了。長い距離を歩くので途中で食べるための
チョコパン2つと、飲み物をペットボトル3本買い込み準備完了。
今回、青函トンネルの吉岡海底駅から竜飛海底駅までの約23キロを
歩き、地上までの1316段の階段を登りゴールを目指します。
吉岡海底駅までは函館7時発のスーパー白鳥10号で向かいます。
列車に乗り込み、あらかじめ指定された席に座りました。

       ↑789系 スーパー白鳥号

列車は約1時間ほどで吉岡海底駅に到着しました。
吉岡海底駅は薄暗くて、気をつけて見てないといつ通過したのか
わからないくらいだと思います。ホームから奥に進むとドラえもんの
映画のポスターやら記念写真のプレートやらがトンネル一面に貼ってありました。
海底駅にはドラえもん海底ワールドというものがあり子供達に人気があります。
ドラえもん海底ワールドも北海道新幹線工事の関係で今年が
最後になるのでいつもより人が多いんだそうです。
奥に進んでいくと青函トンネルの工事の様子を写したパネルや
難工事の連続だった青函トンネル工事が題材の、高倉健が主演した
映画「海峡」のポスターが貼ってありました。
タイムスタンプカードをもらい、青森発の参加者が到着するまで
暫く待機していました。今回はトンネルウォーク参加者の他に
より最深部を目指す先進導坑ツアー参加者も来ており、先進導坑組は
先に出発していきました。青森発の参加者も到着し
いよいよタイムスタンプを押して青函トンネルウォーキングスタートです。
午前8時47分、さぁ出発だ!!。

     ↑吉岡海底駅定点

吉岡海底駅から竜飛海底駅までは列車が通る本坑の横を通っている
作業坑を歩いていきます。普段はトンネルのメンテナンス作業員の
通路として、非常時には避難通路として使われます。
コンクリートを吹き付けて固めた構造で、漏水を排水する為の
水路があり、幅も車一台分程度、明かりも約10メートルおきに
蛍光灯が灯るだけの薄暗いトンネルです。海底トンネルという事で
あちこちから水が滴り落ちていて通路の床はグチャグチャ。
気温は20度前後と高くないのですが、湿度が非常に高く
80%以上もあり、服がベタッとしてきます。

↑ 作業坑内部はこんな感じです

作業坑内部は、環境はお世辞にもいいとは言えないですが
通路には風が吹いており、歩いていても、それほど暑く感じないのは
助かりますね。通路には1キロごとに色違いの蛍光灯と表札があり
目安になっています。同じく所々に本坑に繋がる横坑があり列車が
通過していく音も聞こえてきたり、同じような景色が続いていますが
意外に飽きがきません。天井を見上げるとツララ状の鍾乳石の
ようなものができていたり観察しながら進んでいくのは中々楽しい
ものです。だけど上ばかり見ていないで時々ある水溜りにも
注意しないとね(笑)。吉岡から約9キロの地点で
青函トンネルで一番深い地点に到達します。
つまり日本一低い水準点です。標高 約マイナス256メートルとなっています。

      ↑青函トンネル最深部地点

更にしばらく歩いていくと中間地点の札が見えてきました。
北海道から青森県の境である事を示しています。

    ↑中間地点

中間点を過ぎると、通路は登りとなっていきます。
緩い勾配なので、初めはあまり登ってるという感覚はありませんが
それが10キロ以上の連続勾配、しかも通路はぬかるんでるとなると
少しずつ、そして確実に足腰に効いてきます。
ふくらはぎ上部と膝の後ろの部分、特に関節付近に痛みを
感じるようになってきたので、途中の休憩エリアで前日に買った
エアーサロンパスを吹きかけて冷却しながら歩いていきました。
歩き続ければいつかはゴールにたどり着く。ただひたすらに黙々と歩く。
なんとなく無の境地にたどり着いた気も?(笑)。
吉岡から何時間歩いたのだろうか、いよいよ竜飛海底駅の
ゲートが見えてきました。このときは本当に嬉しかった(笑)。
ゲートをくぐれば竜飛海底駅。この日も一般の見学者は訪れており
吉岡から歩いてきてヘトヘトになっている青函トンネルウォーキング参加者の
姿を見て「なんだ、この連中は?」と思ったに違いない(笑)。
そうさ!我々は歩いて津軽海峡を渡ってきたんだ!と
妙な自信と誇りが胸にふつふつと沸き立つ(笑)。

  ↑竜飛海底駅定点

しかし竜飛海底駅はまだゴールじゃない!。
これから地上までの1316段の階段が待ち受けてるんだ。
一応別料金でケーブルカーに乗って上がる事もできるんですが
ここまできてケーブルカーなんて乗れるか!。意地でも階段を登ってやる!。
ヲの根性見せたれゴルァ!!と気合を入れなおす。
ケーブルカー乗り場の手前で最後の距離札があり
ここが作業坑の終点。少し感慨深かったかな?。

    ↑距離を示す札。竜飛0キロ地点

しかし本当の地獄はここからだった・・・。階段登り口に到達し
見上げると延々と階段が続き上が見えない・・。なんということだ!。
予想していたとはいえ、23キロを歩き、疲労が蓄積した体で
この永遠に続くとも思える階段を登れというのか!。

       ↑永遠に続かんばかりの階段

しかしここで挫けてなるものか!。アントニオ猪木も引退の時に
「踏み出せばその一足が道となり、その一足が道となる。
迷わず行けよ!行けばわかるさ!」と言ってたじゃないか!。
もう私は迷わんぞ!。この戦いに勝利するのは私だー!、と
勇んで階段を登りはじめたのでした。
・・・地獄。そう、そこは間違いなく地獄だった。
登っても登っても終わりが見えない・・・・。
足は今までにない悲鳴を上げ始める。心臓はバクバクと激しく動いている。
噴出すが如くの汗。踊り場で休憩しながら少しずつ登らないと本気で死ぬぞ、コレは(汗)。
少しずつ、少しずつ登っていくとようやく上が見えてきました。
あぁゴールはもう少し。男闘呼を見せろ!。
・・・そしてゴールに到達。タイムカードに時間を印字してもらう。
午後2時6分ゴール到着。23.5Kmの歩きと1316段の階段の所要時間5時間21分。
地獄は終わり、青函トンネルウォーキング制覇。
出口から地上に出ると風が心地よかった。バスが待機しており
ある程度人が乗ったら休憩場所のホテル竜飛へ出発します。
ホテル竜飛はすぐ側でした。中に入り2階にある大広間に向かう。
2階に行くのもかなり辛かったのですが(笑)。
大広間で到着の受付をするとJR北海道が認定する
青函トンネル完歩証明書が授与されました。
大広間でお茶と弁当が渡され、ようやく座って食事がとれる。]
トンネル内はベチョベチョで座る気にはなれなかったので
トイレ以外は休憩を全くとらずに歩き続けたので・・・。
パンも歩きながら食べたし。弁当をたいらげて風呂に向かいました。
体中ベトベトで汗を流したいのもありましたが
とにかく湯に浸かって疲れを癒したいというのが正直でしたね。
一応、替えの下着なんかも用意してきて正解。
もう足の筋肉がパンパンで風呂場まで行くのも一苦労。
シャワーを浴びて、湯に浸かった時は極楽を感じた(笑)。
その後、大広間に戻ってしばらく休憩タイム。

↑大広間から津軽海峡を望む。微かに見えるのが北海道

青森に戻る組が先にホテルを出発していき函館に戻る我々の組も
バスに乗って蟹田駅へ。蟹田から函館行きスーパー白鳥19号に乗り
また青函トンネルに突入。列車は5時間以上かけて歩いた区間を10分ちょっとで
あっさり駆け抜け、約24分で総延長53.85Km、世界最長のトンネルを抜けました。
途中、単線区間の江差線内で、大阪行きの豪華寝台特急トワイライトエクスプレスが
スーパー白鳥19号を待つために運転停車しているのを見ました。
いつかはトワイライトエクスプレスに乗ってみたいなぁ。
函館駅に着いたのは日も沈んだ夜の午後7時20分。
朝、ウォーキングの受付を済ませてから12時間以上。
あたしゃ疲れたヨ。駅で解散となりホテルにチェックイン。
全身筋肉痛であまり動きたくない気もしましたが
せっかく函館に来たんだから函館山の夜景は見ないと!。
と言う事でバスで函館山の頂上に行ってきました。
100万ドルの夜景と言われている函館山からの眺め。
もう感動的なほどロマンチックで素敵な眺めでしたね〜。
しかもこの日は函館の花火大会があって、更に素晴らしくロマンチック。
まぁ当然の事ながら見物客も多くて大変だったけど(笑)。

      ↑ 100万ドルの夜景

見物客が多かったので早めに山を降り、朝市そばの食堂で
またまたイクラ&ホタテ丼にホタテのバター焼き
そして塩ラーメンを食べてホテルに戻りました。
函館山を登り、更に疲れてしまったので部屋の風呂にまた入りなおし
コンビニで買ってきたチューハイとポテチをつまみながら過ごしました。
その後みるふぃ〜さんからメールが届いたので、しばらくやりとりしながら
青函トンネルウォーキング当日の夜は過ぎていきました。

2006年10月20日 01時37分04秒


青函トンネルウォーキング(3日目)

(この日記は新日記8月20日分の再掲載です。新日記のほうもご覧くださいね)
青函トンネルウォーキングも無事完歩し、帰路につきます。朝、起きると・・・・強烈な筋肉痛だ・・。
しかし昨日よりは多少マシな気はする(汗)。あらためて筋肉痛の軽減の期待を込めて
バンテリン(エアーサロンパスではない)を塗るのでした。
少し朝はゆっくりして9時半頃、ホテルをチェックアウトしました。
帰りは函館12時53分発、八戸行きスーパー白鳥24号に乗る予定なので、しばらくまだ時間があります。
一応替えの服を持ってきてたので着替えたんですが・・・なんか、この服少し匂うな(汗)。
昨日、替えた下着をビニール袋にいれておいたとはいえ同じリュックに入れといたのが間違いだったかな(汗)。
パルファムも持ってくればよかったかな(汗)。と言う事で駅近くのデパート内にあるフレグランスの店で
ミニボトルのパルファムを買うことにしました。アランドロンの「サムライ」など
何個かテスティングさせてもらって選んだのはアザロの「クローム」というパルファム。
軽くウッディっぽい香りでしょうか。でもキツすぎず爽やか。香りの変化は時間が
経ってもあまりないような気がする。と言う事でピタピタと軽く首筋と手首につけて
いざ出陣よッ!。と言う事で来たのは函館のメモリアルシップ摩周丸。
青函トンネルが開業するまで青森と函館の間を結んだ青函連絡船の一隻で
今は函館港で青函連絡船の歴史を学ぶ事が出来る資料館となっています。
青函連絡船の歴史を紐解いていけばそこには日本の開発と、戦争に翻弄されていく日本
そして戦後復興していく日本の歩みと重なっていくのです。
1954年9月26日に発生、1139名が亡くなるという台風による転覆事故
「洞爺丸転覆事故」は青函トンネル実現を具体化するきっかけになる悲劇の歴史もあります。
しばらく摩周丸を見て回っていると時間が近くなってきました。
食事やお土産を買う時間を考えて、早めに摩周丸を後に。
食事は朝市の中の食堂で再び海鮮丼とイカソーメン(笑)。
くそーっ、午前中からなんて贅沢なんだ(笑)。
お土産を探しに、函館駅の方に行ってみると蒸気機関車が牽引する列車が駅に入っていました。
森のいかめしで有名な森駅まで行く「SL函館 大沼号」が入線しているのです。

↑ 函館駅で発車を待つ「SL函館 大沼号」

その後、ものすごい汽笛とドラフト音を響かせながら出発していきました。
C11という小型タンク蒸気機関車なんだけど、やっぱり迫力は凄いですね♪。
C11でこれなら、C62とかならもっと凄いんだろうな〜。
お土産も買い、いよいよ函館を後にする事に。事前に指定席とれなくて八戸までは自由席なんですよね。
筋肉痛で歩くのもキツイ中、八戸まで3時間も立ってたくないぞと早めに並ぶ事にする。
指定席が満席と言う事は当然自由席も混むと言う事ですからね。
ホームに着くと何人か並んでいましたが、席をキープする事はできそう♪。
列車に乗り込み席に座ると、隣のホームにドラえもんが
一面に描かれた列車が入っていました。ドラえもん海底列車号という吉岡海底駅にある
ドラえもん海底ワールドに行くための特別列車です。
今年が最後と言う事で親子連れがたくさん乗っています。賑やかな塗装で子供は喜ぶだろうなぁ〜。

    ↑ドラえもん海底列車

しかもドラえもんと、のび太の着ぐるみが歩いてきましたよ。
どうやらドラえもん達が海底列車を見送ってくれるようです。
もう大人気で子供が一緒に記念撮影しまくりですよ(笑)。
これは中の人も大変だぞと思わずにはいられない(笑)。
ドラえもん海底列車が発車した後も控え室に戻るまでに一緒の撮影をせがまれてたりとか(笑)。

↑ 発車後も撮影に応じる健気なドラえもん

そうこうしてるうちに、ホームの先の方に行っていたのび太も帰ってきましたよ。
ドラえもんよりは楽な感じがする(笑)。のび太はなんかいいよね〜(謎)。

↑ 一仕事終えて大手を振って帰るのび太

発車時間になりスーパー白鳥24号は函館駅を後に。
この列車は青函トンネルの竜飛海底駅に停車していきます。
青函トンネルの海底駅で下車する為には乗車券のほかに海底駅見学整理券が別に必要になります。
青森駅で列車は進行方向が変わるので、乗客は座席を自分で転換させて座りなおします。
混んでるから転換も大変ですね(汗)。青森から約1時間で終点八戸に到着。
八戸からは東北新幹線に乗り換えて東京に向かいます。東北新幹線は指定席とってあるので、急がず慌てず。
余裕の乗り換え。乗る列車は16時19分発の「はやて26号」。しかしあれだね、北海道の函館から
隣の県の青森の八戸までスーパー白鳥で約3時間。同じ3時間でも新幹線は
青森の八戸から東北を一気に縦断し東京まで来てしまう。
新幹線の速さを改めて感じますね。スーパー白鳥も決して遅い列車ではなく
在来線では津軽海峡線で最高140kmとトップクラスのスピードで走ってるにも関わらずです。
そんなこんなで東京に到着。事前に車で川崎駅まで迎えに来てくれるという事だったので
川崎駅まで東海道線に乗る。川崎駅で無事合流し、家に帰ったのでした。
結局一日中筋肉痛に悩まされましたが、中々濃密な一日が過ごせたのではないかと思います。

2006年10月20日01時37分04秒


甘口野郎、下妻を訪ねる

盆休みに突入したので、せっかくだからどこかに出かけよう!という事で
最近DVDを買った映画「下妻物語」の舞台である下妻を訪ねてみました。
予定のルートは東横線で渋谷まで出て、渋谷から上野まで山手線で
上野から取手まで常磐線、取手から下妻まで関東鉄道常総線と行く事にしました。
私は東急東横線沿線に住んでいるので、渋谷に出る時は下妻物語の主役の
桃子が心酔するロリ服ブランド「BABY,THE STARS SHINE BRIGHT」のお店がある
代官山を通り、なんだかちょっと気分が桃子っぽくなるじゃないか(笑)。
渋谷から山手線に乗り、途中の田町で日中快速運転を行っている京浜東北線に
乗り換えて上野へ。上野から常磐線の特別快速に乗り一気に取手へ。特別快速だと
途中、日暮里・松戸・柏・取手しか止まらないのですごい早くて便利。取手からは
常総線に乗り換えるのですが、これが2両編成のディーゼルカーなうえ
ワンマンカーというローカル臭プンプンの列車で下妻への期待が高まります(笑)。
途中の水海道で下妻行きに接続する列車で、加速はディーゼルカーらしく
ノロノロ(笑)。さすが原作の序盤にある亀のような速度で走るという一節は
伊達じゃない!(笑)。水海道までは複線になっているものの途中駅は
無人駅が多く、運転手が切符を受け取ったりしていました。
途中の水海道で1両編成のワンマンディーゼルカーに乗り換えになり
その先は単線で無人駅だらけという更にドキドキワクワクの展開に(笑)。
見渡す限りのたんぼの中を列車は走り、まさに下妻物語の舞台に来た!と
感慨深さが味わえる(笑)。そして列車は下妻駅に到着。下妻駅には駅員もいるし
駅舎には待合室がちゃんとあって一番立派だった!?(笑)。
とりあえず映画で桃子が立っていたと思われる場所を写真撮ってみました。
下妻駅ホームの写真
そして桃子とイチゴが代官山に行った時の帰りのシーンなどで登場する
下妻駅の待合室も忘れてはいけない。ということで写真に収めました。
下妻駅待合室の写真
下妻駅前の写真
そして映画でも頻繁に登場する東京のパルコ以上に品揃えがよく、なんもかんも
揃ってるという下妻市民自慢のジャスコ下妻店に行く事にしました(笑)。
見渡す限りのたんぼの中を通る国道を歩いていくとなんだか見覚えがある
パチンコ屋が・・・!?。これはまさか一角獣の龍二が登場する場面のパチンコ屋
ではないのか?と思い、帰ってからDVDで確認したらその通りだった(笑)。
中にも入ってみましたが景品交換所の辺りとかやっぱり映画のままだった(笑)。
パチンコ屋の写真
更に国道をどんどん進んでいくと目的地であるジャスコ下妻店が見えてきました。
ここが噂のジャスコ下妻店かっ!。郊外型大型店舗らしく駐車場が広い〜。
ジャスコ下妻店の写真
中に入ってみると普通のジャスコなわけですが(笑)。でも確かに食料品から
衣料品、家電から本でもなんでもあった(笑)。確かにある意味パルコにもひけは
とらないと思います(笑)。本屋に行ってみると下妻物語の原作本がデーンと
並んでいた(笑)。まさに映画に出てくるジャスコそのものなので宣伝効果は
最高だ(笑)。原作本は買っていなかったしせっかくなので買いました(笑)。
まさに物語の舞台の地で買った原作本はある意味レアとも言えるかもしれん(笑)。
しばらく店内を見て周っているといい時間になってきたので帰宅の途につくことに。
ジャスコを出て道路を挟んで向かい側にあるココイチでとりあえず食事をして
元来た道を戻っていくと道路の側の空き地(?)で馬が佇んでいました。
原作では牛が出てきたが、牛ではなく馬が佇んでいるとは・・・さすが
この街は下妻物語を観た者の期待を裏切らないぜ!(笑)。
道の側で佇む馬の写真
しかしまぁ映画の中でもたんぼのシーンはよく出てきたけど本当にたんぼが
多いなぁ・・・。多分国道から外れると右も左もたんぼなんだろうけど・・。
下妻の風景写真
歩いているとバス停があったので時刻表を見てみると。つくばセンター行きが
間もなく来る。せっかくここまで来たんだから帰りも同じじゃ面白くない。
つくばセンターから東京駅の間は一車体のバスとしては日本最大の15メートルの
全長を誇るバスが走っていて一度乗ってみたかったんだよなぁ・・・という事で
帰りはバスで帰ることに決定!(笑)。待ってるとバスがやってきたので乗り込み
つくばセンターまで1時間くらいかかったのかな?。つくばセンターで東京行きの
高速バスのキップを買って待機。しかし下妻からつくばセンターまで720円で
つくばセンターから東京まで1250円って料金バランス悪くないかい?(笑)。
しばらく待っていると全長15メートルの2階建て超大型高速バス
「メガライナー」が到着し、私は2階席の一番最前列の席を確保しました。
さすが2階建てなうえ最前列だから眺めがいい(笑)。このバスはその長さの為に
国土交通省の認可が遅れてしばらく運行できなかったというすごいバスです。
何しろ普通の大型観光バスより更に軽自動車1台分ぐらい長い。
全長が長いぶん内輪差もすごいみたいで通常の大型バスよりかなり大回りで
カーブや交差点を曲がっていきます。運転するのが大変だろうなぁ。
このバスはネオプラン(ベンツ)製の特注車でタイヤも8輪もついています。
8輪もあるので、さすがに高速走行時の安定感がありましたね〜。
見た目からデカイので信号で止まったりすると、歩行者や家族連れの車とか
バスを覗き込んできたりで注目の的(笑)。なんか気持ちいいね!(笑)。
しばらく一般道を走ったあと、常磐道に入り東京へ一気に向かいます。
途中上野駅を経由しバスは東京駅に無事到着しました。東京駅からは
また山手線に乗り渋谷まで行き東急線に乗り換え帰宅しました(笑)。
帰りも代官山を通り過ぎました(笑)。BABYに行ってたら完璧だったのですが(笑)
つくばを回ったせいか帰りはかなり遅くなり夜11時を過ぎてしまい
さすがに家に着いた時にはヘトヘトになってしまいました(汗)。
なんだか桃子が愚痴を言いたくなる気持ちもわかる気がしますねぇ(笑)。
でもまたそのうち下妻を訪ねてみたいですね♪(笑)。

2005年8月12日 01時37分04秒


ファミコン時代

私はファミコン世代でファミコンには強い思いいれがあります。
初めて遊んだファミコンソフトはタイトーの「スカイデストロイヤー」で
一部のマニアの間では有名なクソゲーと言われております(笑)。
ゲームとしてはゼロ戦を操縦し機銃と魚雷で敵の戦闘機や戦艦などを倒して
いくゲームです。当時としては画期的な3D視点のシューティングでしたが
遠近感がメチャクチャで敵の攻撃がよくわかりません。しかも機銃も
強制的に連発だったのが単発に変わるのが困り者です(笑)。
一応当時遊んだゲームのタイトルを書いていってみましょう。
所有していたゲームのほか、友人などから借りて遊んだゲームも載せます。
末クリアも多し。しかもほとんど細かい部分を忘れてしまっている(汗)。
(年代バラバラ、適当に並んでいます(汗))

10ヤードファイト、1942、F-1レース、SDガンダムガチャポン戦士2カプセル戦記
JJ、T,M.N,T、アーガス、アーバンチャンピオン、アイスクライマー
アイスホッケー、アストロロボSASA、アタックアニマル学園、アトランチスの謎
アフターバーナー、アルカノイド、アルカノイド2、アルゴスの戦士
イーアルカンフー、いただきストリート、いっき、ヴォルガード2、うっでぃぽこ
うる星やつら、エキサイトバイク、エスパードリーム、エレベーターアクション
エッガーランド、オトッキー、おにゃん子タウン、オバQワンワンパニック
きね子、カイの冒険、カケフ君のジャンプ天国、カラテカ、がんばれゴエモン
キャプテン翼、ギャラガ、ギャラクシアン、キングコング2、キングスナイト
キン肉マンマッスルタッグマッチ、キン肉マンキン肉星王位争奪戦、グーニーズ
グーニーズ2、グラディウス、クルクルランド、クレイジークライマー
けいさんゲーム、ゲゲゲの鬼太郎妖怪大魔境、けっきょく南極大冒険
コナミックスポーツインソウル、ゴルフ(JAPAN.USコースも含む)
コナミワイワイワールド、ザナック、サーカスチャーリー、サッカー
サラダの国のトマト姫、さんまの名探偵、ジーザス、シェラザード、ジッピーレース
シティコネクション、ジャイロダイン、スーパーロードランナー
スーパーアラビアン、スーパースターフォース、スーパーゼビウス
スーパーチャイニーズ、スーパーピットフォール、スーパーブラックオニキス
スーパーマリオ(1,2,3)、スーパーリアルベースボール、スカイキッド
スカイデストロイヤー、スクウェアのトムソーヤ、スクーン、スターソルジャー
スターフォース、スターラスター、スパルタンX、スプラッターハウス
スペースインベーダー、スペースハリアー、スペランカー、スペランカー2
セクロス、ゼビウス、ソロモンの鍵、ソンソン、ゾンビハンター、タイガーヘリ
タイトーグランプリ、ダウボーイ、ダウンタウン熱血物語、たけしの戦国風雲児
たけしの挑戦状、タッグチームプロレスリング、ダックハント
ダブルドラゴン、チャレンジャー、チャンピオンシップロードランナー
チョップリフター、ツインビー、ツインビー3、つっぱり大相撲
ディープダンジョン、ディグダグ、テグザー、テトリス、テニス
テラクレスタ、ドアドア、トップガン、とびだせ!大作戦!、ドラえもん、
ドラゴンクエスト(1〜4)、ドラゴンスピリット、ドラゴンバスター
ドラゴンボール(1〜3)、ドルアーガの塔、ドラキュラ2
ドンキーコング(jr、3、算数遊びも含む)、ナッツ&ミルク、バーガータイム
ハイウェイスター、バイオ戦士DAN、ハイドライドスペシャル、バイナリィランド
ハイパーオリンピック、ハイパースポーツ、バギーポッパー、パチコン、パックマン
パックランド、バトルシティ、バルーンファイト、バレーボール、パロディウスだ!
バンゲリングベイ、ビーバップハイスクール、ピンボール、ファザナドウ
ファイナルファンタジー(1〜3)、ファイナルラップ、ファミコンジャンプ
ファミコングランプリF-1レース、ファミコングランプリⅡ3Dホットラリー
ふぁみこん昔話新鬼ケ島、ファミコン探偵倶楽部消えた後継者
ファミスタ(87も含む)、プロゴルファー猿、ファミリーサーキット
ファミリージョッキー、ファンタジーゾーン(2も含む)、フィールドコンバット
プーヤン、フォーメーションZ、フラッピー、ベースボール
ヘクター87、ベストプレープロ野球、ヘラクレスの栄光、ペンギンくんWARS
ポートピア連続殺人事件、ポケットザウルス、ボコスカウォーズ、ホッターマン
ポパイ、ボンバーマン、マイティボンジャック、マインドシーカー、マッハライダー
マッピー、マドゥーラの翼、マリオブラザーズ(永谷園のも含む)
ミシシッピー殺人事件、ミッキーマウス、メトロクロス、メトロイド
もえろツインビー、リンクの冒険、ルート16ターボ、ルナーボール
レーサーミニ四駆、レッキングクルー、レリクス暗黒要塞、ロードランナー
ロマンシア、ワルキューレの冒険、悪魔城ドラキュラ悪魔城伝説、影の伝説
奇々怪界、花のスター街道、快傑ヤンチャ丸、魁!男塾、貝獣物語、Zガンダム
ハリキリスタジアム、銀河の三人、銀河英雄伝説、激亀忍者伝、月風魔伝
源平討魔伝、子猫物語、五目ならべ、御存知弥次喜多珍道中、孔雀王
Bugってハニー、高橋名人の冒険島、魂斗羅、沙羅曼蛇、信長の野望全国版
新人類、水晶の龍、水戸黄門、水戸黄門2、聖闘士星矢黄金伝説(完結編も含む)
光神話パルテナの鏡、戦場の狼、大魔司教ガリウス、火の鳥鳳凰編
ナゾラーランド(1〜3も含む)、謎の村雨城、謎の壁、風雲小林拳
超時空要塞マクロス、怒、東海道五十三次、桃太郎伝説、桃太郎電鉄、頭脳戦艦ガル
独眼竜正宗、忍者くん、忍者じゃじゃ丸くん、忍者ハットリくん、忍者龍剣伝
熱血硬派くにおくん、熱血高校ドッジボール部、燃える!お兄さん
燃えろ!プロ野球、爆笑人生劇場(1〜3)、半熟英雄、飛龍の拳2、北斗の拳
魔界村、迷宮組曲、妖怪道中記、夢工場ドキドキパニック、涙の倉庫版SPECIAL

今もたまにファミコンをひっぱりだしてプレイしますが
機械的な制限が多かった分、直球勝負なゲームが多かった気がします。
今のゲームは機械が高性能化しグラフィックも演出も高度化していてすごいのですが
そのぶん与えられる情報が多すぎて想像できる余地が少ないのかなとも
思ったり。たまにファミコンやると妙に懐かしくて楽しくていいんですよね。
今のゲームも楽しいものはたくさんあるけれど、昔ながらのシンプルなゲームも
時々やりたくなります。子供の頃熱中したものだからというのもあると思いますが
色々複雑になってしまったゲームへの一種のアンチテーゼなのかな・・・。
最近そう思います。そんな私は最近ゲームはオンラインゲームばかりですが(笑)

2005年8月6日 03時06分04秒


だらだら過ごした3連休と携帯電話

せっかくの3連休だったのですが、何もしないまま終わりました(汗)。
友人と車でココイチへカレーを食べに行ったり、羽田の方に行ったぐらいで
特に面白い事とか何もない連休でした(汗)。あ〜何やってんだろ(汗)。
先立つモノがあれば秋葉原へ聖地巡礼とかも行きたかったのですが
今月はオフや、携帯電話を買い換えたりで既に先立たれていたし(笑)。
携帯電話はmovaのF251iからFOMAのSH901isに変えたのですが電池バカ食い(汗)。
液晶は大きくてキレイだし、カメラも316万画素でオートフォーカスと
手ぶれ補正もあるのはいいんだけど電池の消耗激しすぎだぞコレ(汗)。
電話やメール、iモードを普通にやったら1日しか持たないですよ(汗)。
携帯ジャンキーは予備の電池を2〜3個は持ってないと
足りないんじゃないか?(汗)。価格.comなんかの評価を見ても
FOMAは全般的に電池の持ちは悪く、特にSHは悪いという書き込みが多かったのは
事前に知っていたけどここまで悪いとは(汗)。これ電池の劣化が著しくなった
時が怖いなぁ・・。とSHの不安要素ばかり書いてますが、私は割とSH気に入っていて
あまり後悔はしてません。やっぱり液晶がキレイだというのが大きくて
音も4スピーカーで悪くない。F251はモノラルだし音が小さくて、騒がしい場所では
最大音量にしても聞こえにくい事があったんですよね。SHでは音もかなり
大きく鳴ってくれるのでよかったなと思っています。契約面では私はあまり携帯を
利用する事はないので、FOMAの待ちうけプランである「FOMAプラン39」に
パケット割引の「パケットパック10」と、FOMAの電波が届かない場所では
今まで使っていたmovaに切り替えて使用できる「デュアルネットワークサービス」を
設定しました。どうもFOMAはパケット単価はmovaより安いんだけど、パケ使用量が
movaより増加する場合があるらしい(汗)。あまりメールとかiモードは
やらないので割引サービスいれるかどうか悩んだのですが一応いれることに
しました。iショットは多分滅多にやらないと思うけど(笑)。
iアプリも微妙なところだし、それに毎日のように重いデータをやりとりするなら
パケホーダイとかにしたほうが安く済むだろうし。ただパケホーダイは
iモードやメールやiショットの場合に使い放題になるだけで、web閲覧の場合は
かなりの割引になっているとはいえパケ代が別にかかってしまう(汗)。
しかも基本料が6700円以上のプランに限られ、定額料として3900円が
別にかかってしまう。なんだか微妙にセコイと思うのは私だけだろうか(汗)。
ファミリー割引や、いちねん割引を併用すればだいぶ安くはなるんだけど
なんだか微妙なところなんですよね。これではmovaからFOMAへの移行を
順調に進めることなんて難しいはず。だってmovaでも特に困らないんだもん。
FOMAはもう少し様子を見たほうがいいかもしれませんねぇ・・・。

2005年7月19日 00時35分04秒


ジオチャオフ

3日にジオチャのオフが開催されました。メンツは今回のオフ幹事のクネスさん
唯一の女性オフ参加者だったくさやさん、私の三人と少々メンツは少なかったの
ですが期待、緊張が入り混じる中オフは幕があいたのでした。
一番最初に集合場所に到着したのは私でした。待ってる間にくさやさんとも
連絡をとりあったりしてたので特に待ち時間は気になりませんでした。
途中雨が降ってきたりもしましたがクネスさんとも無事合流。
首輪と迷彩という格好だと聞いていたので問題なく合流できました。
あとはくさやさんとの合流を待つだけだったんですが、チャットでも
「駅で迷いそう」とか言っていて心配していたのですが、やはり迷ってたようで
くさやさんからのメールが私とクネスさんの携帯にきていました(笑)。
改札のほうで待ち合わせるか〜とクネスさんと相談してた時に、なんだか
携帯持ってウロウロしながら歩いてくる人が(笑)。クネスさんは半信半疑
でしたが、私は直感でこの人がくさやさんだと確信してたので声をかけてみたところ
やはりくさやさんだった(笑)。とりあえず無事メンツと合流できてよかった^^。
ジオチャで数え切れないほど会っている3人ですが、リアルでは初顔合わせなので
まずは、はじめましての挨拶から^^。その後まだ中華料理店の予約の時間まで
少々あったのでプリクラを撮ろうという事でゲーセンへ。クネスさんが行こうと
してたゲーセンは改装工事してましたが、近くのゲーセンで無事プリクラを
撮りました。私は1〜2回しかプリクラを撮った事ないので何が何だか混乱して
いましたが、なんとか出来上がりよかったよかった(笑)。写真もキレイだし
字を書き込んだりできたりプリクラも進化してるんだねぇ・・・。
私が最後に撮った時は写真は汚いし、字なんかないしタダの写真シール撮影機
だったんだけど(笑)。3人でできたプリクラ写真をわけあって
ゲーセンを出たら予約の時間も迫ってきたので中華料理店へ行くことにしました。
事前に写真を見ていたのですが、やっぱり高級そうな感じのお店でした。
入ると靴を脱ぐお店でやはりそこらのラーメン屋じゃない雰囲気が(笑)。
とりあえず飲み放題という事で3人はサワーを頼んで乾杯といきました!。
料理も続々とやってきてツマミながら談笑タイム^^。私は飲むお酒といえば
サワーぐらいなのでサワーばかり飲んでいましたがクネスさんはサワー以外に
ビールも飲んでいました。くさやさんは愛する日本酒があったけど頼まず
サワーを飲んでいてアレッ?(笑)。そのうちクネスさんが酔っ払いだして
大丈夫かいなと心配も(笑)。なんだか本人は記憶にないようですが(笑)。
クネスさんはへべれけになってしまいましたが、くさやさんと私はほとんど
シラフ状態でいました(笑)。元々そんなに飲んでもなかったのですけど(笑)。
最後に牛乳かんが出てきて、くさやさんと私は学校の給食を思い出し苦笑い(笑)。
うっ・・・やはりニッキくさい(汗)。以前にも牛乳かんはマズイとかジオチャでも
話してたし、オフの談笑でも牛乳かんの話出たのでタイムリーだかなんだか(笑)。
飲み放題タイムが2時間という事で2時間ほどでお店を出ました。
まぁ私とくさやさんが予想してた通り7品ついて飲み放題は一人1000円では
なかったわけですが(笑)。とはいえリーズナブルな料金だとは思うし
むしろ安いと思います。1000円という話が激安すぎて異常だったわけで(笑)。
その後カラオケに行く事になり、あちこち回ったのですが休日の夜だったので
どこも混んでいて歩き回るハメに。その後なんとかすぐ歌えるお店を見つけ
カラオケタイムスタート!。クネスさんはくさやさんを大トリにしようとか
言ってましたが、まさかそれが自分に回ってくるとはクネスさんは予想も
していなかっただろう(笑)。一発目はクネスさんからスタート。
次に私、くさやさんと歌いまわして行くことに。くさやさんは最初歌わないとか
ゴネておりましたがクネスさんと共同で歌わせる事に成功!(笑)。
私はまぁいつものように雄たけびモードで歌っていました(笑)。
今回は古めの一般曲を中心に歌っていきましたが、もし次のオフがあるなら
その時はアニソン全開でいきますね!(笑)。なんか本当はアニソンを期待されて
いたみたいだし?(笑)。楽しい時間はあっという間に過ぎていきいよいよ解散の
時間に。その後横浜駅の改札近くで解散し帰宅の途に。家に帰り次第
クネスさんとくさやさんにお疲れメールを送信。結局その夜お疲れモードで
ジオチャは集まらなかったようですがクネスさんは待っていたらしいという情報も
あります(笑)。初顔合わせ同士のオフで少々緊張や心配もありましたが
無事オフが開催できてよかったなと思っています。

(クネスさんへ。)
事前に色々とお店を駆け回ってくれてありがとうございます。
おかげで楽しいオフになりました。幹事やってくれて助かりました。
またオフの機会がありましたら、よろしくお願いしますね。

(くさやさんへ)
オフではありがとうございました。初のオフ参加という事で緊張や心配もいろいろ
あったと思います。体調の心配もありオフ参加できるか心配していましたが
当日は最後まで参加されホッとしております。おみやげも
ありがとうございます。懐かしい味と共にいただいております^^。

またオフの機会を作って集まりたいですね!。本当にありがとうございました。
そしてオフ参加のみなさんお疲れ様でした^^。

2005年7月05日 01時14分04秒


今年2度目の九州訪問の旅(完結編)

(この日記は下記の「その1」から読んでくださいね!)

船は出港するとかなり沖を航行するので携帯電話が使えなくなります。
船内にも通信衛星を利用した船舶公衆電話があるけれど6秒10円と
以前色々と問題があったダイヤルQ2のアダルト番組級の料金(汗)。
なので船に乗り込む前に弟の所へ電話をかけてターミナルまで迎えに来てくれと
頼んで入港の予定時刻を伝えて迎えに来てもらう事にしました。
20時間の船旅なので帰りに路線バスと電車じゃツライ(汗)。
それと携帯の電波が届かなくなるから、これが最後のメールだと前日に
寝台特急の中で夜遅くまでメールのやりとりをしていた人にひと時のお別れの
メールを送ったら携帯の電池が切れかけたので電源を落として船に乗り込みました。
乗り込むためのギャングウェイ(乗船タラップ)を歩いてる間、次に九州の地を
踏むのはいつの事になるのだろうとか考えるとちょっぴり切なくなったり。
これも旅のロマンなんだろうなぁ・・・。そしていよいよ船内に入ると
まず乗船口からエスカレーターでロビーに上がり自分の船室を探しました。
まぁ自分の船室と言っても2等のベッド室なので1室に十数名入るんですが。
この船には特等、1等、2等寝台A、2等寝台B、2等寝台C、2等と船室の
等級があり、特等は定員2名のバス、トイレつきの広々とした洋室で
1等も定員2名の洋室で、バス、トイレつきですが若干特等より狭くなっています。
2等寝台Aは定員4名の部屋で2段ベッドになっており、シャワー、トイレと
じゅうたん敷きの洋間があり、くつろぐ事ができます。
2等寝台Bは定員4名のシャワー、トイレつきの畳敷きの和室になっています。
2等寝台Cは2段ベッドの大部屋になっています。2等は一般的なカーペット敷きの
大部屋になっています。船内にはロビー、自販機コーナー、売店、レストラン、
イベントホール、展望通路、展望サロン、大浴場(サウナつき)、ゲームコーナー
などがあります。さっそく自分のベッドに荷物を置いて船内見学にでました。
一通り船内を回って、外のデッキに出てみました。まだ出港前なので
宮崎市街がよく見えました。そうこうしてるうちにレストランがオープンしたとの
案内放送があり、腹ごしらえの為にレストランへ行ってみる事にしました。
レストランはバイキング形式になっており自由に好きなものを選べ食べ放題に
なっています。なんだか品数も豊富で欲張って皿からこぼれそうになるぐらい
持ってきてしまった(笑)。特に好物のポテトサラダを山盛りで(笑)。
ポテトサラダはドンブリに山盛りにして食べたいと思うほど好きなのです(笑)。
その他エビチリやミートボール、サイコロステーキなども大量にゲット(笑)。
皿に乗らないので泣く泣く諦めたのも・・・。いい気になって大量に持ってきたので
全部食べたら、おなかが苦しくなってしまった(汗)。レストランを出ると
出港の時間も迫り宮崎の街並を目に焼き付ける為に再び外のデッキへ。
出港の時間になり車両積載のバイザーが上げられギャングウェイも離され
フエの合図と共に岸壁からロープが外され短い汽笛を一発鳴らしフェリーは
一路川崎へ向け出港していきました。沖に出るに従い船は揺れ始めましたが
特にひどい揺れでもなく船酔いしてる人は見かけませんでした。
いつものことなんだけど日向灘は結構揺れるんだよね。沖に向かってどんどん進み
宮崎の街の光はどんどん小さくなっていきました。シーガイアの光は結構遠くまで
来ても見えてましたけどね。このフェリーは日本でも上位に入る高速フェリー
なので(航海速力26ノット、時速換算で46〜7キロくらいかな)
航海中に外デッキに出ると風が強烈で吹き飛ばされそうな感じになります。
特に夜は強烈なので船に乗る時は注意してください。小さな子供には危険なので
夜の外部デッキに出ないよう注意してください。もし出る時はなるべく風を
避けられそうな場所を選んで動いてください。外側付近は特に風は強烈で
思わぬ突風があったりなど危険なのでオススメできません。
外部デッキから中に戻り売店でちょっとオリジナルグッズを購入。
これもヲのサガか(笑)。それとフェリー専門の雑誌も購入。船の中で
本を読むのは船酔いの原因にもなるので家に帰ってから読むことに。
ロビーにある大型テレビではNHKのBSが放送されていました。
あの時はメジャーリーグの試合の中継がされていたのかな?。
あまり野球の事はわからないんだけど、自販機コーナーで買ったカップメンを
すすりながら(レストランで苦しくなるくらい食べたんじゃないのかという
ツッコミは無視します(笑))試合の中継を見ていました。そのうちに
段々と睡魔が・・。まぁ夜中の1時なので当然でしたが(笑)。船の揺れは
まるで揺り篭のよう。自分のベッドに戻りヒツジの数を数える間もなく
眠りにおちていきました(笑)。朝、目が覚めると紀伊半島の辺りを船は
航行していました。この船は途中、南紀勝浦に寄港するのです。
その入港前だったので船はかなり速度を落としていました。そして勝浦港に入り
狭い港内なのでタグボートを使い180度ターンして勝浦ターミナルに接岸。
10分ほどで船は出港して一路川崎へ向け速力をグングンあげていきました。
昼間は外デッキも夜ほど風が強烈ではないのでノンビリしたもんです。
あるいは黒潮に乗るので風がそんなでもないのかな?。レストランで朝食をとり
(朝食もバイキング形式)、スクランブルエッグやベーコン、ウインナーなど
またしても山盛りで持ってきて食べすぎで苦しくなった(笑)。
その後京浜航路が休止になる事をうけてか、ブリッジ見学のアナウンスがあり
参加することに。ブリッジ見学なんて滅多にできないレアな事ですから
絶対参加しないといけないと思いました。太平洋フェリーなんかでは
ブリッジ見学イベントをやっているのは聞いてましたが、マリンエキスプレスで
やるのは本当に珍しい事ではないかと思います。ここ最近はブリッジ見学を
行っていたフェリーもテロなどを警戒してやらない事が多いようですが
京浜航路休止という事もあり粋なイベントを企画してくれたようです。
ブリッジにあがると乗組員2人が運行に携わっていました。
普段はオートパイロットで航行してるので舵を操作することもなく進行方向の
注視を2人でしています。他の船が接近した時などに「72度」「サー72度」とか
確認しあい舵を切ったりはしていましたが。ブリッジにある機器などの説明を
受けて、私も少々案内してくれた事務長さんとお話をしたりしました。
見学会の後、少々眠気があったので昼寝を。昼食のアナウンスがあったが
朝食を食べ過ぎて食欲がわかなかったので昼食はパス。今思えば
チャーハンやスパゲティがメニューにあったのでもったいなかったかなと(笑)。
その後イベントホールで映画の上映。上映作品は山田洋次監督の
「虹をつかむ男〜南国奮斗編〜」。以前乗ったときも「男はつらいよ」とか
山田洋次監督作品だったような気が(笑)。とはいえフェリーには山田洋次作品の
ような懐かしくもホッとする作品が異様に似合う(笑)。
映画を最後まで観て、ノンビリした時間が過ぎてゆく・・・。あぁなんて
贅沢な時間なんだろう。これが船旅の醍醐味だよなぁ・・・と思いました。
時間に追われないって本当に贅沢なことだと思う。そんなこんなで時間は
過ぎてゆきフェリーは東京湾に入っていきました。東京湾内は速度はかなり
落とし、ゆっくり川崎へと進んでいきます。ポイントポイントで船内に案内放送が
入り名所の解説をしていました。事務長さんも外部デッキに出て乗客に案内などを
していました。今回の旅は乗組員のサービスもよくて楽しい旅になりました。
第一海幇と第二海幇を横切り、横浜のベイブリッジやランドマークタワーなどが
見えてくると川崎までもう少しです。東京湾アクアラインの風の塔の近くを過ぎて
羽田空港が見えれば川崎ターミナルは間近。そして船はゆっくり岸壁に近づき
接岸。船旅は終わりました。そして子供の頃から親しんできたフェリーでの
最後の船旅も終わりました。なんだか万感の想いと共に船を下りました。
ギャングウェイの出口には弟と母親が迎えに来てくれていました。
スマン!。入港時間間違えて1時間近く早めに来させてしまった(爆)。
そんなこんなで私の旅は終わりを告げました。2泊3日の旅でしたが
なかなか密度の濃い旅になったと思います。帰りに回転ズシで食事をして
家に帰ったのは夜8時くらいだったのかなぁ・・・。
なんだかすごく充実してたので早めに寝てしまいました(笑)。
今度は北へ行きたいですねぇ・・・。旅は本当にいいものだ。

(追記)
6月17日、京浜航路最終日という事で川崎ターミナルへ行ってきました。
宮崎行き最終便は私が乗船した「フェニックスエキスプレス」。
海上の気象がよくない為か出港は遅れましたが、何度も何度もお別れの汽笛を
ならしながら船は川崎を離れていきました。胸を打つ感動のお別れでした。
長いことお疲れさま。そして今まで本当にありがとう。京浜航路。

2005年6月20日 02時00分04秒


今年2度目の九州訪問の旅(その2)

(この日記は下記の「その1」から読んでくださいね!)

宮崎駅近くのトヨタレンタリースで一番安いヴィッツを借りたのち
まず帰りのフェリーターミナルの場所を確認しにいきました。
ナビが装備されていたので、それで道を確認しながら向かっていきました。
フェリーターミナルまでは市街地からそんなに遠くもなく、意外とすんなり
フェリーターミナルに到着できました。場所を確認してから今度は日南海岸方面へ
向かいました。国道をひたすら走って行ったんですが、広くてよく整備されていて
とても走りやすい^^。バイパスみたいな感じだったのかなぁ?。
結構スピードも出す車も多そうだし、スピード警告の標識も多かったんだけど
あまり速度を出す車はいませんでした。私が一番スピード出してたかもしれん(汗)
う〜む、都市圏を運転するドライバーは無意識のうちに時間に追われるように
運転するようになってしまっているんだろうか。チト反省^^;。
宮崎の市街地から日南まで50キロ超あるんですが、道路も混んでなく
スイスイ走れて実に心地よい^^。途中でバイパスと下の道の分岐があって
下の道を走ったんですが、どうもバイパスは建設途中らしくヘンなところで
切れてるらしい。下の道を走っていってもバイパスで行っても結局はあまり
時間的にはかわらない感じのようでした。途中著名な観光地である青島の辺りを
通ったら観光客の呼び込みとか多かったですね。観光地らしく人も多かったし。
後でラジオで知ったのですが、当日青島周辺のこどもの国で何やらイベントが
あった様子。それで地元の人達も集まってきていたらしいです。
青島を抜けて進んでいくと道路は海岸沿いにのびていきます。広大な日向灘と
有名な「鬼の洗濯岩」を見ることができる絶景の道ですね^^。
特に眺めのいい場所などでは展望ポイントとして車を停められる場所と案内が
あって私も車を停めて写真を撮ったりしました。雄大な風景に私はしばらく
眺めていました。その後も、ひたすら日南方面へ向かい日南海岸を経て
油津に到着^^。油津周辺にあるスーパーにちょっと買い物をしようと入ったら
なにやら改装工事中で店舗の敷地の半分近く入ることができませんでした。
南国らしく色鮮やかな服や靴が置いてあったり、ショッピングに来たと思われる
地元の若い女性も色鮮やかな服を着ていたり南国へ来たって再度実感。
当日はラジオでもDJが蒸し暑い日だと言っていたので特にそうなのかもしれない。
その後今度は都城方面へ向かう事にしました。都城までは山を越える道を進み
日南海岸沿いの道とはまた風景がガラリと変わって、どこか懐かしい田園の景色
の中を走っていきました。クネクネ曲がる山の道はさすがにヴィッツだと
パワー不足が否めなくてなかなか速度もあがりませんでしたね。
まぁエアコンを入れていたのもパワー不足の原因なんですけど(笑)。
下り道になると、長い下り道なのでブレーキの負担を考慮してエンジンブレーキを
併用しながら下っていったんですけどATだからかエンジンブレーキの効きが
それほど良くなくセカンドだけでなくローにまでいれたりして下っていきました。
結構大型トラックが走ってるのでカーブが結構怖かったかも^^;。
山から降りると広い畑の中を道は伸びており、そこをどんどん都城市街へ向かい
進んでいきました。都城から宮崎のほうへ向かう国道で戻るつもりだったので
国道とぶつかる市街へと走っていきました。都城駅前を右に曲がると宮崎へ向かう
国道に入ります。以前は「彗星」号は都城まで走っていたんだよなぁ。
市街地を抜け、また田園地帯の景色のなかを道は伸びておりその風景の中を走って
いきました。やがて道は山に入りましたが日南から都城までの道から比べれば
それほどカーブがあるわけでもなく勾配もゆるやかで走りやすい道でした。
1時間半ぐらいで宮崎市内に戻る事ができて、まだ時間もあったので
シーガイアのほうへ行ってみる事にしました。シーガイア周辺は公園になっていて
私も公園の駐車場に車を停めて公園で休憩することにしました。
公園の中では子供達も遊んでいたり、ゆっくりと自然散策する人達もいました。
私は公園にある池のほうへ向かっていきました。どうやらこの池は日本神話に
出てくるイザナギノミコトが死んだイザナミノミコトを冥界にまで追いかけて行き
そこであった穢れを清める為にみそぎをしたと伝えられる池なのだそうです。
しばらくその池の周りで今回の旅の事の想いを巡らせていました。
もうあと数時間で宮崎を離れていくと思うと、どこかまだ物足りなさを感じたり。
その後レンタカーの返却時刻が近づいたので給油して返却。ヴィッツよ!今日は
ありがとう!って感じかな(笑)。その後おみやげを買ったりして
タクシーでフェリーターミナルへ向かいました。川崎行きのフェリーも
まだ乗船は始まっていませんでしたが、その隣に入っている大阪行きフェリーは
すでに乗船は始まっていて車なども続々と船の中に入っていってました。
とりあえずターミナルで乗船名簿を書いて乗船手続きを済ませました。
大阪行きは19時10分発なので川崎行きより1時間ちょっと早い出発なので
私は岸壁から大阪行きの出港を見送る事にしました。短い汽笛を鳴らし
大阪行きフェリーはゆっくり出て行きました。なんかフェリーの出港らしく
テープを渡したりしていましたが、すっぽ抜けて全部テープが落ちちゃったのを
見たときは思わず笑ってしまった(笑)。その後川崎行きも乗船開始となり
私も九州の地に別れを告げ、船に乗り込みました。
(その3へ続きます)

2005年6月13日 01時07分04秒


今年2度目の九州訪問の旅(その1)

6月3〜5日に宮崎へ行ってきました。メインの目的は前回の日記にも書いて
ありますが川崎ー宮崎・日向間を結ぶマリンエキスプレスの京浜航路休止にあたり
最後に乗ることでした。6月3日会社を少々はや引きさせてもらい
会社から直接出発しました。行きは新横浜から新幹線で京都まで出て、京都から
寝台特急「彗星」号に乗車して宮崎に向かうという行程でした。
京都に20時20分までに到着しないといけない為、新横浜を5時過ぎに出る
「のぞみ」号を利用しました。自由席を使うので座れないかなと思っていたのですが
意外と空いていて窓側に座れました。のぞみは新横浜を出ると名古屋、京都と
停まります。岐阜羽島を過ぎたあたりで辺りは暗くなってきました。
京都に19時20分頃に到着。とりあえずの腹ごしらえに駅でカレーを食べて
寝台列車内で食べる為に弁当を2つと飲み物3本を購入してホームで待っていると
意外と早い30分くらい前に「彗星」は入線してきました。東京発の寝台列車では
発車10分くらい前にならないと列車は入線してきませんが、特急用ホームだからか
だいぶ余裕を持って入線するようです。夜風の吹きっ晒しのホームで客を待たせず
早くから列車内でくつろげる良いサービスだと思いました。東京発の寝台列車でも
ぜひやってほしいサービスですが東京駅では難しいかな(汗)。
私の寝台は彗星号に1両しか連結されていない個室寝台ソロ。個室なのに
通常の2段寝台と同じ料金というリーズナブルな料金設定。少々狭いですが
個室という事でプライバシーが確保されておりオススメです。
特に女性などは2段寝台では気になると思うので個室をオススメします。
この「彗星」号は途中の門司まで長崎行き「あかつき」号と併結して走ります。
「あかつき」号には通常の2段寝台の他に1人用B個室「ソロ」
1人用A個室「シングルDX」4人用簡易コンパートメント(2段式寝台)
それと3列座席で寝台料金不要のレガートシートが連結されていて
彗星号よりちょっと賑やかな編成になっています。列車は京都を出ると新大阪、大阪
三宮、姫路、岡山、倉敷・・・と止まって行きます。新大阪の手前で大阪発青森行き
寝台特急「日本海」号とすれ違い、こちらは宮崎に、向こうは青森となんだか
南へ向かう列車と北へ向かう列車の一瞬の出会いに万感の想いを馳せました・・・。
岡山の手前では東京へ向かう「サンライズ出雲・瀬戸」号とすれ違い
「あぁあの列車は東京に朝着くんだ。もうそんな遠い所にまで来ているんだな」と
想いを馳せたり。これが夜汽車の持つロマンであり、昼間の列車では味わえない
旅情というか情緒なのです。闇の中を朝を目指して駆ける青い列車。
そして同じく闇を駆ける列車との一瞬のすれ違い。それが寝台列車の旅の醍醐味
だと私は思っています。旅客列車だろうと貨物列車だろうと夜を徹して
駆ける列車達にヒューマンな魅力を感じます。時間はかかりますが一度寝台列車の
旅を味わってもらいたいです。目覚めれば自分の知らない新しい場所へと
連れて行ってくれる。そう思うとなんだかドキドキしませんか?^^。
彗星号は0時28分発の三原でその日最後の客扱い停車をします。その後は
4時33分の下関駅まで客扱いの停車はしません。運転士交代の停車はしますが
その間は列車はひたすら夜を駆け抜けます。九州に入って最初の駅である門司。
ここで「彗星」号と「あかつき」号は切り離されます。身軽になった彗星号は
小倉から日豊線に入り大分周りで宮崎を目指します。別府ー大分間は7時前に通り
車窓からは朝日に輝く別府湾が見ることが出来てとてもきれいですよ〜。
高崎山の前を通りますので運がよければサルを見ることができるかも?(笑)。
大分から先は単線区間になり列車は列車交換をしながらゆっくり宮崎へと
向かいます。そして終点南宮崎駅へは10時41分に到着します。
京都から、およそ14時間20分の旅。旅情を胸いっぱいに列車を降りました。
一旦宮崎まで戻り駅を出ました。南国宮崎はもう蒸し暑かった〜。
フェニックスの木が南国ムードを高めます。宮崎駅を出ると日傘を差した
黒のゴスロリ女性が歩いていた(汗)。秋葉原とかならともかく
こんなとこまで来てゴスロリを見るとはおもわなんだ(汗)。
なんだか南国ムードも旅情も吹っ飛んじゃいましたが、気をとりなおして
腹ごしらえ^^。弁当2つじゃちょっと足りなかったですね(汗)。
駅の近くにあるラーメン屋に入ると、店内はトンコツをガンガン煮込みましたぜ!
って感じの強烈な匂いが漂っていました。横浜の家系ラーメンとかはトンコツでも
グツグツ煮込まないで匂いはあまりないんだけど、九州系はグツグツ煮込むので
スープは白く匂いが漂う。だがその匂いがないとトンコツじゃないという人も
いますし、私もせっかくここまで来たのでやはり特徴のあるラーメンを食べたいと
思うのでむしろよかったと思いました。注文したラーメンがやってきて
一口スープをすすると、スープにはこってり系でトンコツの臭みは消えていて
麺は少々細め。筑豊ラーメンという事でこれがオーソドックスなスタイルの
ラーメンなんでしょうね。万能ネギが色を添えとても美味しかった^^。
その後レンタカーを借りて日南海岸の方へ行ってみることにしました。
(その2へ続きます)

2005年6月9日 21時06分04秒


またまた九州に出かけます

6月3日、仕事が終わり次第九州の方へまた旅に出ます。今回の旅の目的は
子供の頃からよく乗っていたカーフェリーが廃止されるという事で、それを惜しむ
意味でも乗ってこようと思い今回の旅を計画しました。宮崎・日向ー川崎を結ぶ
カーフェリー「マリンエキスプレス」が赤字の為に運行の継続が難しいと言う事で
廃止を決定したようです。まだHPの方ではアナウンスされていませんが6月17日
以降の予約を受け付けていないので6月17日の便を最後に運航終了の予定のようです。
この川崎ー宮崎を結ぶ通称「京浜航路」はかねてから乗客の利用が少なく
トラックの利用が主だったのですが、宮崎から川崎へのトラック利用の需要は
そこそこあったようですが逆に川崎から宮崎へはトラック需要があまりなく
赤字が慢性化していたようです。年間15億の赤字(去年は原油高の影響で
20億の赤字を出したらしい)を出していたようで、抜本的な改善が必要な
状況に迫られていたようです。最近は他社が撤退して運航がなくなった勝浦や
高知にも寄航するようになったりと需要を掘り出そうともしていましたが
それほどの利用もなかったらしく、より時間的に厳しくなってしまいました。
それでも好調な大阪ー宮崎航路の収益で京浜航路をなんとか維持してきたらしい
のですが、それも限界に近づき今回の廃止という事になったようです。
色々と航路存続の為にも現在2隻でのデイリー運航を1隻での隔日運航での維持を
検討したりもしていたようですが。航海速力26ノットの日本でも5本の指に入る
高速が自慢だったフェリー「パシフィックエキスプレス」「フェニックスエキスプレス」
の2姉妹もどうやらパシフィックエキスプレスの方は売却が決定したようです。
そういえばこのフェリー、以前西部警察スペシャルで少し登場していたな〜。
確か時限爆弾が乗せられていたと思うんだけど(笑)。
とりあえず6月3日、新横浜から京都まで新幹線に乗り京都からは寝台特急「彗星」
で宮崎まで出ます。行きのキップはすでに購入済み、フェリーのほうも予約は
済ませてあり、乗る直前にキップを購入することになっています。
とりあえず宮崎には午前中には到着し、出航は夜の8時頃なのでそれまでは
宮崎観光としゃれこもうと考えています。前回の九州旅行では宮崎の日南海岸も
考えていたのですがスケジュール的に厳しく断念したので、今回は日南海岸の方へ
行ってみようかと考えています。最近はカーフェリーを使って宮崎に行く事も
なかったのですが、いざなくなると思うとやはり寂しいですね。
子供の頃から親しんできた航路だし、なんだか思い出がまたひとつ消えていくよ。

2005年5月25日 00時33分04秒


シールオンライン1周年

私が毎日のように遊んでいるシールオンラインが4月1日で正式サービス1周年を迎えました。
思えばシールを始めて1年以上経つんだなぁ。ベータテストの時からシールはプレイ
していたので感慨深いものがあります。当時は未実装エリアも多くあったし
鍛冶師も芸人も実装されてなかったりと、今とはだいぶシールの世界も違っていました。
正式サービス開始に向けベータテストのキャラも名前、装備品以外は一度リセットされて
(最初は公式的には名前以外は全部リセットと告知されていたが、プレイヤーからの要望で変更)
改めてキャラの育成を開始したのですが、正式サービス開始直後にサーバダウンして
いきなり混乱が起きたのも懐かしい思い出です(笑)。その後マップや新しいバイルなど
(シールオンラインの世界ではモンスターのことをバイルと呼びます)
実装されていき現在も新しいマップやバイル、アイテムが実装され続けています。
正式サービス開始して少し経って以前から一緒にウルティマオンラインを遊んでいたみるふぃ〜さんも
シールに合流してきて、いまではすっかり私よりシール通に(笑)。
可愛らしいキャラと世界観で他のオンラインRPGよりポップ感を強調しているシールオンラインは
入りやすく遊びやすいオンラインRPGのひとつだと思います。もちろん他のオンラインRPG同様
絶対追いつけないような廃人プレイヤーも存在するし、ワガママな迷惑プレイヤーもいますけど。
だけどそれを差し引いても、まったりした遊び方ができるゲームではないでしょうか。
ただ基本は戦闘とアイテム生産が軸なのでウルティマオンラインなどのオンラインRPGよりは
選択の幅は少ないとは思うので、色々な遊び方をしたいと思う人には物足りないかもしれません。
ただ逆にそのシンプルなおかげで世界に入り込みやすいのでネットゲームが初めての人には
オススメできると思います。たとえば私がシールと並行して今も続けている
ウルティマオンラインでは選択の幅がありすぎて何から始めればいいのかわからない
というプレイヤーが多いのではないかと思います。実際私がそうでした(笑)。
ウルティマオンラインは入り難く抜け出しにくい、本当に様々な遊び方ができる
世界的に有名な凄いオンラインRPGなのですが、楽しさをわかるまでに脱落する人も多そう^^;。
シールオンラインはシンプルなので早く飽きが来るかといえば、別にそうでもなかったりする(笑)。
もちろん単調と感じて引退する人もいます。ただ明るい世界観でまったりしたプレイができるので
そういうプレイスタイルを望む人が多く残っているのも特徴です。結構、他のオンラインRPGは
プレイヤー同士で我先に的な殺伐とした雰囲気が見受けられるのもあるので
それに嫌気をさしているプレイヤーが多いのではないでしょうか。もちろんシールにも
ボスエリアなど殺伐とした雰囲気があるところもありますが、そこを避ければまったり世界が多いです。
名物GMも多く毎日のようにイベントを開催し(プレイヤーが主催のイベントも多い)
他プレイヤーとのコミュニケーションをはかれるように運営会社、プレイヤーが共に協力しあう
コミュニケーションを大事にしたシールオンライン。運営会社にはいつまでもサービスを続けていってほしいですね。

2005年4月3日 22時42分04秒


飯島夏樹さんのご冥福をお祈りします

九州旅行での鹿児島での夜、ホテルの自室のテレビで
肝細胞ガンに侵され、余命半年と宣告されている元プロウインドサーファーで
作家の飯島夏樹さんを取材した「天国で逢おう」という番組を見ました。
家族と共に末期ガンと闘う飯島夏樹さんを取材した番組で、本人や家族の葛藤や
苦悩が語られていました。そして静かにハワイで最後の時間を家族と共に
過ごしていた飯島夏樹さん。番組では今年1月、ハワイに飯島夏樹さんを訪問し
スタッフとの再会を喜ぶ飯島夏樹さんのインタビューで番組を閉じました
その飯島夏樹さんが去る2月28日に家族に見守られ天国へ旅立っていきました。
つい最近何気に思い出し、その後どうなったのか気になりネットで検索したところ
飯島夏樹さんの公認ブログに、その訃報が載っていてかなりショックでした。
元プロサーファーで元気そのもだった飯島夏樹さんが肝細胞ガンと診断され
闘病生活が始まったのは2002年6月。辛い治療とガン再発を繰り返し
とうとう2004年6月余命半年の宣告を受けるという状況になってしまいました。
飯島夏樹さんはガンの再発を繰り返す中、鬱にかかったりもしたそうです。
でも共にガンと闘ってくれる家族、そして仲間達に支えられ次第に自分を
素直に見つめるようになっていきます。闘病生活を送る中で感じた
「自分は生かされている」という思いを多くの人に伝えたいと執筆作業を始め
2004年7月「天国で君に逢えたら」が出版されベストセラーになりました。
その後も意欲的に執筆活動にも取り組み、「今日も生かされています」という
エッセイを連載するなどしていました。ただ4人の子の親であり、幼い子供達の
成長を見てあげることができない事がとても辛いと飯島夏樹さんは
言っていたそうです。無理な延命治療にお金を使うなら子供達の為の養育費を
少しでも残す為にと延命治療も拒んだりもしていたそうです。
しかしガンは飯島夏樹さんを蝕み、とうとう歩く事もままならぬほど体力が
衰えていってしまいました。元プロサーファーであり海が大好きだった
飯島夏樹さんは最後の時間を過ごすホスピスとして家族と共にハワイへ移り
静かな家族との時間を過ごし天国へ旅立っていきました。
公認ブログによれば葬儀では飯島夏樹さんはウエットスーツに身を包み
家族も明るく元気そうにしていたそうです。遺灰は飯島夏樹さんの希望で
ハワイの海に散骨され大好きだった海へ飯島夏樹さんは還っていきました。
共に苦しさや辛さをを乗り越え、今やるべき事は全部やった家族だからこそ
元気に見送る事ができたのでしょう。飯島夏樹さんは病気になった事は
不幸だったと思います。だけど飯島夏樹さんは幸せだった。大切な家族と
周りの仲間と素晴らしい時間を過ごせたのだから。それは「自分は生かされている」
という飯島夏樹さんの言葉に表されていると感じます。
飯島夏樹さんのご冥福をお祈りいたします。

2005年3月25日 23時46分04秒


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