このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

この日記帳には、適当になにか書きます。
たぶん毎日は、書けないかもしれないですが
ヨロシクおねがいします!!。

九州へ行ってきました(寝台特急編)

(注 「九州へ行ってきました」は下の鹿児島編が初編です。
まず「鹿児島編→熊本編」とお読みください)


車内は鉄分の濃い人たちでほとんど満員状態でした。普段は乗客が少ないので
車掌さんも検札に結構時間がかかっているようでした。我々は発売初日に切符を
とったので2人とも窓の風景を楽しめる向かい合わせの下段でしたが
窓のない上段の人はキツイだろうなぁ^^;。実際上段の人はほとんどロビーカーや
通路にある簡易座席で車窓を楽しんでいました。一応私の上の寝台の人に
横に座ったらどうですか?と声をかけてみましたが、大丈夫ですと遠慮してました。
私はさっそく寝台のベッドメイクを始め、廊下側のカーテンをしめて
ゆったりとできるようにしました。とりあえずまだ時間も早いので
菓子や飲み物をテーブルに広げて車窓見ながら、友人と旅行の話をしたり
鉄分の濃い話をしていました(笑)。寝台特急の夜は早く、7時過ぎには
寝る人も出てきます。だけど我々は眠れそうにない(笑)。博多を過ぎたあたりで
寝てる人に配慮して我々はロビーカーに行ってみることに。ロビーカーは混んでいて
座るところがありませんでした(汗)。仕方ないのでロビー端に設置してある
カウンターで友人と千円をかけてしりとり対決(笑)。その後3時間の熱戦を
制したのは私でした(笑)。しりとり対戦をしている途中で小倉を過ぎ門司で
機関車の交換をして九州を後に。門司から関門トンネルを抜け下関でまた
機関車交換。下関から東京までを牽引する機関車はEF66 49号機。
しりとりを見事勝利に収め、寝台に戻ると既に車内は減灯されていて寝ている人も
かなりいるようなので我々も静かに車窓を楽しんでいました。熊本で買っておいた
駅弁に舌鼓^^。気づくと友人は眠りについていた(笑)。私は一人夜行列車の
雰囲気を堪能していました。夜の車窓と静かな車内にリズミカルに響くレールの
ジョイント音。時折響くホイッスルが寂しげな感じを演出。私も広島を過ぎて
鉄道ファンにはセノハチという名前で有名な急勾配が続く瀬野ー八本松間を
通ったところで就寝。その後朝4時半頃に一旦目が覚め、外を見ると
大阪の一駅前の塚本を通過していきました。列車は広島を出ると大阪まで
停車しません(実際には機関士交代の為に途中運転停車する)。その後数分で列車は
大阪に到着。大阪で下車する乗客が写真撮っていたなぁ(笑)。
大阪を出発すると列車はかなりの高速で運行。並走する貨物列車などを
抜き去っていきます。京都を過ぎてからまた私は眠りにつき、次に目覚めたのは
岐阜でした。岐阜付近はまだ薄暗く外も寒そうでした。名古屋圏に入る頃には
通勤時間帯に入ってきます。もっとも日曜なので人も少なかったですが(笑)。
その後名古屋から乗ってきた車販がロビーカーで弁当の販売を始めると
アナウンスがあったのでさっそくロビーカーへ出陣!。アナウンスしてる最中に
ロビーカーに着いたのに既に行列ができていた^^;。さっそく弁当とお茶を
買い込み自分の寝台に戻りました。友人はまだ寝ている様子。私はさっそく
買ってきた弁当で朝食タイム♪。やっぱり車窓を見ながら食べる弁当は
最高の気分です^^。デパートとかの駅弁祭りとかで買ってきて家で食べると
たいして美味しいものではありませんが、やはり車窓見ながらはまるっきり
違ってきます。流れる風景こそが駅弁の最高のおかずなんだよなぁ^^。
そうこうしてるうちに友人が目覚め、弁当買いに行きましたが既に私が買ってきた
弁当は売り切れていたようで。私の選んだ弁当は人気高かったようだ(笑)。
「さくら・はやぶさ」は午前11時33分東京着なので、明るくなってからも
かなりの時間を走行します。昼間を走る夜行列車のゆったりと流れる時間が
また心地いい。普段の時間の流れとは違う、他の列車では味わえない感覚です。
天気もよかったので景色も良かったのがまたラッキーでしたね。
浜松の手前で浜名湖を渡るのですが、湖が青々していてきれいでした^^。
前見たときはもっと汚かったような気がしていたのですが(笑)。
静岡を過ぎれば富士山も見えてきます。富士山は上のほうが白くなっていて
とても綺麗だったので写真撮ろうとデジカメ出したのですが、撮るチャンスを
つかむことができませんでした^^;。そうこうしてるうちにJR東海と
JR東日本の境界である熱海に到着。いよいよ東京圏に近くなってきた事を
実感してきました。熱海を出ると次の停車駅は横浜で、横浜の次が
終着駅東京です。東戸塚付近を通過した辺りで横須賀線電車と並走。
横須賀線の乗客がこちらを物珍しそうに眺めていました。
ちょっと優越感を感じる瞬間(笑)。保土ヶ谷で横須賀線は止まるので
我が「さくら・はやぶさ」の方が先に横浜に着くのですが、こちらは特急で
比較的停車時間が長いこと、客車列車なので加速、減速が弱い事もあり
横浜に停車中に追いつかれ、あっさり抜かれてしまいました。
一応コレ特急なんだけどなぁ。普通電車に抜かれてちょっとショックを
感じた瞬間(笑)。その後横須賀線電車に追いつくか期待していたのですが
横須賀線は鶴見を過ぎて鶴見川を渡った所で「さくら・はやぶさ」が走る
東海道線と分かれてしまうので結局追いつくことはできませんでした^^;。
川崎を通過して多摩川を渡れば東京都に入ってきます。並走する京浜東北線電車を
何本も追い抜いていきます。相手は通勤電車なので速度もさすがに違います。
また少し優越感を感じる瞬間(笑)。そうこうしてるうちに終着駅のアナウンスが
流れてきました。我々は熱海を過ぎた辺りで整理は済ませていたので終着駅が
近づいてもスマートなもんですよ(笑)。立つ鳥跡を濁さずという事か(笑)。
そして定刻で東京に到着。下関から牽引してきた機関車は客車から切り離され
一旦上野方に移動。先に東京に到着し、新橋方で待機していた「富士」号の
機関車が近づいてきて連結。そのまま品川の客車区へ回送していきます。
「さくら・はやぶさ」号を牽引してきた機関車は単機で品川の機関区に
回送していきます。そのシーンを写真に撮ろうと「鉄」たちが集まってきて
写真を撮る場所を確保するのが大変だった(笑)。その後家への帰途に着き
2泊3日の旅が終わったのでした。なんだか駆け抜けた旅だった気がします。
「さくら」が廃止されるという事で乗り納めの意味が濃かった今回の旅ですが
また寝台特急を使って旅に出るんだろうな。「あさかぜ」「さくら」が廃止
された事は寂しいし、その他の寝台特急もこの先どうなるかもわかりません。
だけど走っている限り、これまでもそうだったように暇を見て寝台特急に乗って
旅をしていきます。こんな旅情をかきたてる列車は稀有なんですから。

2005年3月16日 01時15分04秒


九州へ行ってきました(熊本編)

(注 「九州へ行ってきました」は下の鹿児島編が初編です。 まず「鹿児島編」からお読みください)

ずいぶん日が経ってしまいましたが続きを書きます(笑)。
朝起きると、少し雲がでている感じでしたが良好と言ってもいい天気でした。
少しウトウトと余韻に浸っていたところ、一緒に旅行している友人が部屋に
やってきて起こされました(笑)。着替えてホテルをチェックアウト。
まず腹ごしらえをしようと商店街をぶらついているとショーケース(?)に
大盛り級のサンプル置いてある定食屋が。まだ朝も早いこともあって
そのお店で食事をすることに。私はチャーハンとラーメンを頼んだんですが
大盛り頼まなくて良かった^^;。通常でもかなりの量があって
食べきるのが少々きつかった(笑)。なんでも宮内庁御用達の白醤油使ってるって
店内に書いてありました。味も悪くないし、食べ終わったらヤクルトまでくれて
いや〜親切なお店だ!。食事を済ませ、いよいよ鹿児島を後にすることに。
私は鹿児島中央駅でお土産などを買ったりして、また九州新幹線で熊本へ。
今度は行きと違い各駅停車の「つばめ」に乗りました。いや本当に
九州新幹線の車両はいいですね。シートも2列×2列なので
他の新幹線車両だったらグリーン車レベルといえるレベルでしょうね。
新八代からは「リレーつばめ」で熊本へ。新八代から熊本は特急で一駅なので
余韻に浸る前に熊本に到着。熊本城に行く為に駅の案内板を見て熊本市電に
乗り込みました。熊本市電はもうほとんど道路上を走っているのでなかなか
スリリング。曲がる車が軌道内に入ってきて止まる事もしばしば。
そうこうしてるうちに熊本城の最寄電停に到着。熊本城に向かいました。
熊本城の入り口までは長い坂道を登っていくんですが、途中にお堀があったり
加藤清正公の像などもあったり、場所ごとに案内板があったりで興味深く
見ていきました。熊本城の入場券売り場で熊本城の他に細川家の旧家である
細川刑部邸にも入館できる切符を買いました。熊本城で写真をパチリパチリ
撮ったりしました。復元工事の真っ最中らしくて天守閣の周りで
あれこれ工事していました。で、天守閣内に入ると熊本城復元に賛同し
寄付などをした人たちの名前がズラーッと書いてありました。
天守閣内は博物館のようになっていて、熊本城に関する歴史資料などが
陳列されていました。なかでも加藤清正公に関する資料は豊富で
加藤清正公が実際に使用していた道具など数多くありました。
加藤清正公といえば「加藤清正、虎退治♪」で有名ですね(笑)。
天守閣最上部は展望台のようになっていて熊本の市街がよく見えました。
一部は窓が取り付けられてなく、そこから下を覗くとかなりの高さで
ちょっと怖かったですね(笑)。一通り城内を観て下におりると
なんと忍者がいた!。それも2人(笑)。ボランティアの方が
忍者の格好で案内をしているそうです。観光客の求めで一緒に写真を
撮ったり、刀を持ってポーズを決めたりと大活躍の様子でした(笑)。
休憩所でひとやすみして今度は細川刑部邸へ。途中公園を横切ると
中国ゴマを回しているグループがいました。大道芸人のように上手で
すごかったですね。感心してみていました。
熊本城から歩いて10分ぐらいの所に細川刑部邸はありました。
ここは10数年前首相だった細川首相のご先祖様が住んでた家です。
元々細川家はお殿様の家系で相当な実力者の家柄なので家も広くて
置いてある家具なども手の込んだものばかり。お宝鑑定団に出したら
鑑定人もたまげるぐらいの価値があるものばかりなのでしょうね(笑)。
庭もきちんと手入れされていて、ただでさえ重厚な建物に更に威厳が。
その後細川刑部邸を出た私たちは行きとは違う道で熊本駅に向かう事に
しました。夕方には寝台特急「はやぶさ」は出発するし、食堂車や車内販売も
ないので腹ごしらえする必要もあったので早めに熊本駅に戻る事にしました。
歩いていくうちに電停が見つかりましたが、どうやらこの電停から乗ると
熊本駅には行けない様子。仕方ないので軌道沿いを歩くと分岐するポイントが
ありました。どうやら分岐の一方向が熊本駅に向かう路線の様子。分岐して
一番初めの電停で電車を待っていましたが、なかなか電車が来なくて
その間に何本も熊本駅行きバスが行っちゃった。まぁいいか^^;。
熊本駅に到着して駅前のラーメン屋で腹ごしらえする事にしました。
さすが熊本。熊本名物の馬肉がラーメンに入っていました。
馬肉のスジを煮込んで柔らかくしたものがラーメンにのっていました。
ラーメンを食べた後、駅の売店で列車内で食べようと駅弁や飲み物、お菓子を
買い込みました。まだ時間もあったので駅からちょっと離れて列車の写真を
2人してパチパチ撮っていました(笑)。「ありあけ」号用車両や
「さくら・はやぶさ」号ヘッドマークをつけたED76形機関車が止まって
いましたね。「リレーつばめ」やディーゼルカーの普通列車などもやってきて
そのたびに写真を撮っていました(笑)。そんなこんなで時間をつぶし
いよいよ寝台特急「はやぶさ」に乗るために熊本駅構内に入ることにしました。
ホームに行くと、なんだか「鉄」くさい方がそこらにいました(笑)。
恐らく「さくら」の切符がとれなくて仕方なく「はやぶさ」の切符をとった
我々と同じこと考えた人たちでしょう(笑)。列車が到着するたびに
シャッターを切る音がしまくっていました(笑)。車庫に止まっていた
寝台特急車両が博多方面に引き出されると、ホームに向かって列車が
バックで入ってきました。もう鉄分が濃い人たちが写真撮りまくっていました。
我々も負けずに写真撮っていましたが(笑)。私たちの寝台はB寝台の下段同士。
いつもはガラガラなのでしょうが途中の鳥栖で連結する寝台特急「さくら」が
2月いっぱいで廃止される事と絶好の3連休という事でほとんど満席の状態でした。
ちなみに運転最終日の「さくら」の席は一ヶ月前の発売初日数十秒で
売り切れたらしいですが(笑)。機関車で牽引する客車列車らしく
発車時のガチャンの衝撃と共にゆっくり熊本駅を後にしました。
客車列車は発車などで衝撃はあるのですが、走ってる最中は静かで乗り心地も
いいのです。始まったばかりの寝台特急の旅に旅情はかきたてられます。
(長くなったので残りは寝台特急編へ続きます^^;)

2005年3月9日 01時14分04秒


九州へ行ってきました(鹿児島編)

2月11日〜13日に九州へ行ってきました。最大の目的は3月のダイヤ改正で
廃止される寝台特急さくら(東京ー長崎)だったはず・・・なのですが、前回の
日記に書いたとおり「さくら」の切符がとれなかったので、鳥栖ー東京間で
「さくら」と併結する寝台特急はやぶさ(東京ー熊本)で手を打つことに
なりました。まぁ寝台特急に乗るだけでは味気ないので、せっかくなので鹿児島
熊本に行こうじゃないかと一緒に行く友人と話になり、初日に鹿児島に出て一泊して
2日目に熊本に出て、夕方に熊本から寝台特急に乗って帰り3日目の昼に東京に
着くというスケジュールを立てました。2月11日の朝6時半発の羽田発
福岡行きの飛行機を予約していたので、家を朝5時に出発しました。
朝6時半の便は特割で15600円で切符を取ることが出来たのです。
(ちなみに東京ー福岡の正規運賃は31600円)
空港でチェックインを済ませ搭乗口へ。シップはボーイング777-300。
ジャンボジェット(ボーイング747)を抜き世界一の全長を誇る旅客機でした。
その長さはおよそ74メートル。搭載されるジェットエンジンも一基で
約41トンのモノを持ち上げる事ができるという世界最強の推力を誇ります。
(ちなみにジャンボ機のエンジンは一基で26トンの推力になります)
さっそくシップに乗り込み自分の席へ。窓側だったんですが丁度主翼のド真ん中で
眺めはあまりよくなかった(笑)。とはいえ上空はとても綺麗でした。雲を
はるか下に眺める景色はまたオツなもんだね(笑)。約1時間半で福岡へ到着。
空港から地下鉄に乗り博多へ。博多駅で鹿児島中央までの切符を買いせっかく
福岡まで来たんだから有名な博多ラーメンでも食べようじゃないかと地下鉄で
天神へ。ところがあまりにも朝早く着きすぎた為にどこもやってなかった(爆)。
有名な一風堂の目の前にも行ったんですがやはり営業していなかった(汗)。
というか飲食店自体が開いてねえ(汗)。ラーメンの本場まで来てマック
というリーサルウェポンが頭に過ぎりながら歩くと吉野家がありました。
確か11日は一日限りで牛丼が復活するはず・・。仕方ない、これで涙を飲もう!
一日限りの復活だし神様だって許してくれるさ!と店に入ったら牛丼は朝11時から
だってさ(汗)。結局豚丼とミソ汁とお新香というマック級のリーサルウェポンに
なってしまった(汗)。で博多から特急「リレーつばめ」に乗り新八代で九州新幹線
に乗り換えて鹿児島中央へ。リレーつばめ号はグレー一色に塗られていてとても
カッコイイです。デザインもヨーロッパの列車みたいです。車内もシックな感じに
デザインされていていいですね。ちなみに博多ー新八代を走るリレーつばめ号と
新八代ー鹿児島中央を走る九州新幹線「つばめ」は新八代で乗り換えになりますが
一本の列車として扱われています。なのでリレーつばめ号の行き先表示は
鹿児島中央行きとなっています。逆に九州新幹線も博多行きと表示されます。
新八代はなんというか・・・周りが全部畑ばかりだねぇ・・・・(笑)。
個人商店すら駅前になかった^^;。タクシーロータリーに数台タクシーが
いるだけだった。なぜこんなところに駅を作ったのか小一時間問い詰めたい(笑)。
九州新幹線の車両を一言で言うと「和風」。コレにつきますね(笑)。
新幹線の車両は機能優先という感じで殺風景に感じる事もあるのですが
九州新幹線の車両は車内に木がいたるところに使われていて暖かい感じがします。
なにしろ座席にすら木が使われています。ブラインドはすだれだし(笑)。
鹿児島の桜をすだれに加工したものだそうな。洗面所にはイグサでできた
縄のれんがなびいており、公衆電話の仕切には布製ののれんが(笑)。
とにかく今までの新幹線のイメージを覆す和風テイストは一度乗ってみる事を
オススメしたい(笑)。新八代ー鹿児島中央間は約40分弱なので
もう少し乗っていたいって思うぐらい短い。とにかく九州新幹線はトンネルが多い。
新水俣の辺りは海が見えて眺めがいいのですが、鹿児島中央の駅手前まで
トンネルは連続します。鹿児島中央に到着してさっそく食事する事にし
駅近くの店で、さつま揚げや、きびなごの刺身とか名物を食べました^^。
おいしかったなぁ・・・。でもちょっと量が少なかったな(笑)。
食事を済ませて桜島に向かいました。鹿児島の路面電車に乗り込み当てずっぽうで
水族館前で降りたら、桜島行きのフェリーターミナルは歩いてすぐだった(笑)。
こういうカンは冴えるのですよ私は(笑)。桜島行きフェリーも片道150円という
破格の運賃でびっくりしました。15分くらいの乗船時間ですが片道30分の
東京湾フェリーだって500円くらいとるぞ(笑)。しかもこの桜島行きフェリー
乗船券売り場はなく桜島ターミナルでの料金後払いです。なんだかバスみたい
ですね(笑)。フェリー自体も珍しい構造で前後に操舵室があるのです。
なので方向転換する必要もなく行ったり来たりが可能なのです。
晴れていて桜島はとても綺麗でした。ちょっと蒸気も出ていたみたいでしたけど。
桜島ターミナルに着いて改札口に設置してある料金箱に150円を投入。
本当にバスみたいだ(笑)。歩いて展望台へ。なんだか恐竜の遊具とかも
設置してある公園に展望台はありました。すごい長いローラー滑り台もあって
いい歳したおっさん2人が滑る光景がその後あったという(笑)。
展望台では桜島が間近で眺められ、遠くに開聞岳も眺める事ができました。
帰りに地元の方と思われる親切なドライバーの方がターミナルまで乗ります?と
勧めてくれました。ターミナルまでそれほど時間もかからないので
遠慮はしましたが。うぅ・・人の温かみが身にしみる。何気ない幸せって
こういう事なんだろうな^^。フェリーで鹿児島市街地に戻り
予約しておいたホテルにチェックイン。JR九州が運営するホテルでシングルが
3750円(税別)という安さ。バスルーム、トイレ、テレビ、冷蔵庫もあって
この値段ならお得^^。近くの商店街の食堂で夕食。さつま揚げ定食と焼きうどんを
食べました。さつま揚げがアツアツで美味しい。さすが本場^^。その後居酒屋で
ささやかな乾杯をしました。その後ホテルに戻りゆっくりテレビを見ていました。
指宿の方を回る地元の番組とかやっていたなぁ。それと「特命係長只野仁」も
やっていたので見てしまった(笑)。WINKの鈴木早智子がゲストに出てたな〜。
ひさしぶりにテレビで見た気がする。そんなこんなで第一日目の
九州旅行、鹿児島の夜は更けていったのでした。
(熊本編へ続きます)

2005年2月17日 02時51分04秒


さよなら「さくら」「あさかぜ」

元鉄道ファンとしては大ショックな、そして予想もされていた来るべきものが
来てしまった・・・。2005年春のダイヤ改正で「さくら」「あさかぜ」の
ブルートレインが廃止される事が決定したのです。「あさかぜ」は
ブルートレインの元祖、「さくら」に至っては「富士」と同じく昭和4年から
走っている(戦時中に一時休止されましたが)日本最初の愛称つき特急列車
かつ、列車番号1,2を長い間保持した名列車だったのです。
かつて新幹線が博多まで延伸しておらず、飛行機での旅も一般的では
なかった頃は夜行列車の旅が普通でしたが、その夜行列車も少しずつ消えていき
残った寝台特急も新幹線や飛行機の競争に押され乗客が激減。根強いファンも
多いのですが今回の春のダイヤ改正で2本の寝台特急の廃止が決定されました。
存続する「富士」「はやぶさ」は東京ー門司間で併結され、ほぼ一本の列車と
言ってもいい状況にまで縮小されます。という事で同じく鉄道好きの友人と
乗り納めに行こうと2月に九州に行く事になりました。
いつも東京から乗るのは芸がないという事で行きは飛行機、帰りに寝台特急を
使おうという話になったのですが、ところがこれがエライ事に^^;。
切符の発売は1ヶ月前からなので発売初日に友人と切符をとりに行ったら
既に満席・・・(汗)。東京発も同じく満席(汗)。くそっ!。鉄道ファンを
甘く見ていた!。レジデントオブサンめ・・・これも貴様の仕業かっ!(笑)。
しかしその日以外はスケジュール的にキツイので泣く泣く「さくら」を
諦めることに・・・。しかし東京ー鳥栖間で「さくら」と併結する「はやぶさ」
は席が空いているという事で「はやぶさ」で妥協することにしました^^;。
まぁ「さくら」の車内にも立ち入れるし、同じ車両だし・・・いいか(笑)。
おかげで予定もだいぶ狂ったんですけどね。「さくら」は長崎からで
「はやぶさ」は熊本からなので。友人とは九州新幹線を利用して鹿児島に
行ってみるのもいいかもという話もしているのですが、まだ厳密には
決めていません。私はやはり行き当たりバッタリの旅が好きなので(笑)。
さてさて、どうなることやら?。

2005年1月24日 00時17分00秒


恐怖の胃カメラ

ここ最近胃の具合が悪く病院に行きました。潰瘍でもできてるんじゃないかと
思いまして意を決して病院へ。で内視鏡検査を受けることになりまして
もう恐怖のドン底ですよ。初日は血液検査だけ受けて終わったのですが、次の日に
内視鏡検査という事で超鬱状態(笑)。ヘンな病気じゃないといいよな〜とか
仕事が忙しくて休めないんだけどな〜とか、もう鬱な事ばかり頭の中で一杯に(汗)
胃カメラなんて考えるだけで気分が悪くなるぜ!。何しろ検査の前の注意書きに
直径9ミリとか書いてあるんですよ。9ミリってかなり太いじゃないか(汗)。
で、あまりに鬱なのでネットで胃カメラ経験者の話でも書いてないかと検索して
見ると「胃カメラはそんなに苦しくないよ〜」とか「麻酔が効いてるから安心」とか
書いてあるんで少しは気分的に楽になった(笑)。前日の夜9時からは食事は
しないでくれということで、夕方のうちに食事はすませました。
で、いよいよ恐怖の当日。しかし意外と気分は落ち着いている。戦中の特攻隊員も
出撃の日はすべてを吹っ切ったように落ち着きはらっていたというので、それと
同じ気持ちなのだろうか(笑)。水も飲んではいけないという事で何も飲まず
食わずでその時をただ静かに待つ。そしていよいよ決戦の時(笑)。
病院へ行った私はただ廊下のベンチで、そう・・試合を待つボクサーの様に
静かなる闘志を秘め医者に呼ばれる時を待つのだ。そして看護士さんに呼ばれ
内視鏡室へ。もう迷いはない!。高見盛のように気合を一発!。
で麻酔をしてもらうのですが、まずシロップのような麻酔薬を飲んで
その後にスプレータイプの麻酔をノドに吹いてもらいます。このスプレー麻酔が
すっごい苦いんですよ(汗)。で、このスプレー麻酔は3回かけるということ
なのですが、1回目からすごいシビレまくり(汗)。唾液が口にたまっても
飲み込むことすら困難なのです。タンが絡まってもノドに力が入らないので
とても苦しい。舌の付け根が膨らんでるような感覚もあり、この状態ですでに
苦しいぜ(笑)。で3回スプレー麻酔かけて全然ノドの辺りに感覚がない状態に
なったのですが医者がいつまでたってもきやしない(汗)。段々ノドの感覚が
戻ってきたような所で医者が登場(汗)。一応「感覚が戻ってきたような気が
するんですけど」って言ったのですが医者が言うには大丈夫という事で
最後のトドメに意識が朦朧とする位の強力な麻酔を注射したのですが
麻酔かけた直後にマウスピース咥えさせられて胃カメラを突っ込んできた(汗)
そんなすぐに麻酔は効かないんじゃないか?(汗)。ウゲゲゲゲゲゲゲゲ(汗)
メチャクチャ苦しいじゃん!。どこが楽なんだよ!。ネットのバカヤロー!と
頭の中で恨み節を言いながらとにかく苦しい。麻酔の意味がねぇ〜〜。
とにかく胃カメラを奥に入れていくのがムチャクチャ苦しい。奥に入っていく
のが自分でもわかる。息は吸えるけどノドに力が入って胃カメラのケーブルを
しめつけているのがわかります(汗)。検査自体は数分で終わって休憩室で
少し横になっていたのですが結局意識が朦朧としなかった(汗)。
意識が朦朧とするような強力な麻酔を注射したんじゃなかったのかい!と
おもわず心の中でツッコミをいれるお茶目な甘口野郎であった(笑)。
看護士さんからも「あ、意識はハッキリしてるようですね」と言われたが
私的には朦朧としてほしかったんですけど・・・(汗)。
麻酔注射されたうえ、苦しいんじゃ注射され損ではないか(汗)。
で、その後医者に呼ばれ、「胃と十二指腸を検査してみましたが、潰瘍も胃炎も
ありません」と言われ拍子抜け(汗)。風邪やストレスで胃の調子が落ちている
んじゃないかと言っていました。ただ血液検査で尿酸値が高いと言われて
尿酸を下げる薬と胃薬を処方してもらいました。とりあえずヘンな病気でなくて
よかったです(汗)。今回の事で私が言える事は「胃カメラはやっぱり苦しい。
麻酔を絶対的なものと思わないほうがいい」という事でしょうか(笑)。
みなさんも胃カメラ検査をする事があったら覚悟はしていったほうがいいかと
思います(笑)。まぁでも吐くような事はないですよ。ただとにかく苦しい
とは言えますが(笑)。コレを読んでる方、胃には優しくしていきましょう(笑)

2004年11月29日 00時54分04秒


たまにはデジの話でも
ジオチャでは私が「デ・ジ・キャラット」が好きだというのが、すっかり認識されており、ラビアンローズというHNはラ・ビ・アン・ローズからとっているのも知られている所ですが、たまにはデジの話でも綴っていきましょうかねぇ。今年の年末で「でじこ・うさだ・ぷちこ」からなるD・U・Pが活動休止という事でデジが一区切りを迎えます。ゲーマーズではデジグッズの販売は続くようですが、デジコンサートなどの大きなイベントはなくなる模様です。デジがゲーマーズのパンフ「FROMゲーマーズ」の中の1コーナーの妖精さんとして97年に世に登場してからはや7年。その間TVで何度もアニメになったり、映画にもなったり、マンガになったり、コンサートを定期的に開いたり。コンサートも六本木のヴェルファーレだけでなく横浜アリーナや大宮ソニックシティでもやったりと、とてもお店のマスコットキャラとは思えない展開をしました。私は初めの頃はデジが大嫌いだったのですが、とある事でデジにハマり今に至るわけです(笑)。お気に入りキャラであるラビのグッズもたくさん買ったなぁ・・。CDもたくさん出ていて、明るくノリのよい歌が多いのもデジの特徴のひとつです。アニメの方は一番最初のシリーズであるワンダフル版が今でも一番好きですね。「ほかほかごはん」と「PARTY☆NIGHT」の回なんかは特に好きです。映画版はデジキャラットパパのインパクトが強烈すぎて、それしか思い出せません(笑)。とりあえず言える事は藤田和之は声の仕事には向いてないと思うのでプロレスの方に全力傾けてくださいって事か(笑)。案の定「デ・ジ・キャラットにょ♪」では変えられていましたが(笑)。「にょ♪」では、うさだあかりがよかったですね。やっぱり私はうさみみキャラが好きなんですかねぇ?(笑)。ここはやはり某ロリ系洋服ブランドのうさみみ付きパーカーやカーディガンを買うべきなんだろうか(笑)。デジコンサートには何度か足を運んだりしました。真田アサミさん、沢城みゆきさん、氷上恭子さんの3人はもちろん、ブキミコンビやPKOの3人も人気あったなぁ。あとブロッコリーの木谷社長も出てくると会場が沸く沸く(笑)。いつぞやはブロッコリーがJリーグのベルマーレのスポンサーになったという事で選手とかも会場に登場して語尾に「にょ」をつけながら話してたのが印象に残ります(笑)。あと数年スポンサーになるのが早かったらいまや日本代表の司令塔の中田英寿が会場で「にょ」をつけながら挨拶してたかもしれん(笑)。年末のファイナルコンサートも行こうとは思っているんですが早々にロイヤル席は売り切れてSS席も多分もう・・・^^;。とにかく最後だし席の場所が悪くても行こうとは思っています。デジが一区切りという事で寂しい気持ちもありますが、別に私の中でデジが終わるわけじゃない。これからもラ・ビ・アン・ローズ萌えでいこうと思います。それにみるふぃ〜さん、成儀さん、その他の友達もデジが縁で出会えました。その意味でも私にとってデジは忘れられない特別な作品です。
2004年10月21日 22時28分04秒


すっかり寒くなってきたじゃないか
今年は5月頃から暑い暑いと思っていましたが、寒くなるのも ずいぶん早いじゃないか(汗)。小学校の卒業文集の中の私のクラスのページで クラスメイトが選ぶなんでもランキングのようなコーナーがあって 「薄着な子」で42人中2位に選ばれた私が10月に上着を着るくらいだから 相当早い(意味不明(笑))。まぁ当時は冬でも半ズボン、上は薄いトレーナー1枚 だったので私も歳をとったなと、しみじみ思うわけですが(笑)。 最近どんどん太ってきちゃってヤバイな〜と思い、今度スポーツクラブにでも 通おうかなと考えてたり(笑)。一応脂肪や炭水化物の摂取を抑える ラップシステムを食後に飲んだりしていますが、本当は あまりコレに頼らない方がいいですよね。結構リバウンドがあると聞きます。 やはり簡単に痩せる方法なんてないんですよ。根本的には体を鍛えて基礎代謝を あげていくしかないんです。近所にスポーツクラブがあるので入会しようと 考えているのですが、中々先立つモノが・・・(汗)。おまけに仕事が結構 体力仕事なので仕事から帰ってきてから行くのもなかなか億劫な気も(笑)。 体力仕事で太るのはどういうことじゃ!という批判は置いておいて(笑)。 とにかく少し体を絞り込まねば!。今のままでは、やはりどうにもみっともないですからね(汗)。
2004年10月17日 00時14分04秒


たまには旅に出たい
たまには旅に出たい ここ最近旅に出てないんですよね〜。 去年の9月に長崎へ行ったのが、旅らしい旅ですけど それ以降は日帰りで近場を回るぐらいしかありません。 乗り物大好きな私は(車で泊りがけの旅に出かけるのは ほとんどありませんがw)どこへ行くかより、その過程の 何に乗るかに最大の目的を置きますので、ちょっと私の 旅の仕方はあまり参考にならないかも(笑)。 実は8月の盆休みの頃に、どこかへ出かけたくなって 新橋駅の近くの格安キップ店でキップを探していたのですが 新宿発の「あずさ」「かいじ」とかの特急券つき乗車券が 結構安いんですよ。新幹線だと、よくて3〜400円引きぐらいで それほど割安感はないのですが、在来線の特急は かなり割安感があるのです。新宿〜甲府だと片道1000円 以上の割引になっていて、こいつはすごいトク!。 と、まぁいい気になって往復買っちゃったんです。 と・こ・ろ・が!!。なんと盆休み中はそのキップは 使えない事が判明!。おまけに買った後の返品は不可という おまけつき(笑)。新宿まで行って自動改札機にいれてから 使えないことがわかったってのが私のバカさ加減(笑)。 すっかりシラけて帰ろうと山手線ホームに向かう途中 ふと埼京線の案内板を見ると新宿発大船行きの 新宿湘南ラインの電車があったのです。 11両編成という事で「こいつは・・まさか」と埼京線ホームに 駆け上がると予想通り全車両オール2階建ての215系が 止まっていました。うお!やったぜ!こいつに乗らずに何に乗る!。 山手線の「走るンです」なんかまっぴらゴメンだぜ!(笑)。 いい事にSuicaで乗ったから行き先なんか変更が自由にきく(笑)。 もう大船まで乗り通し決定だろ!という事で帰る予定を 大船に変更(笑)。で、大船まで優雅なひとときを過ごし (オール2階建てと言っても通勤車両なので、それほど 豪華というわけでも実はないんですけど(笑)) で、大船に着いたのですが、「大船といえば湘南モノレールだ! 湘南モノレールで江ノ島に行くぜ!」という事で 湘南モノレールで江ノ島へ(笑)。で、江ノ島に着いて 「江ノ島まで来て海を見ないわけにはいかん!」と歩いて 江ノ島の砂浜へ。まぁ水着は持ってなかったので海には 入らなかったんですけどね(笑)。盆休みなので海水浴客が ウジャウジャ(笑)。水族館でも見ていくかと思い 江ノ島水族館へ行ったのですが入館料が高くてやめました(笑)。 で、帰りに「湘南といえば江ノ電を忘れちゃいないかい?」という 神のお告げがありましたので江ノ電で鎌倉に出る事に(笑)。 海岸線沿いに国道134号線と並走する箇所は本当にいいね〜。 思わず気分はサザンオールスターズ♪。でも桑田佳祐って サーフィンできないらしいですね?(笑)。 で、鎌倉から横須賀線に乗り、戸塚で東海道線に乗り換えました。 横須賀線と東海道線は横浜まで並走するので、そのまま 横須賀線に乗っていてもOKなのですが、東海道線は戸塚の次は横浜で 横須賀線は戸塚ー横浜の間に東戸塚、保土ヶ谷と余計に 停車駅があるのです。あと横須賀線と東海道線、両方乗りたいという 鉄道ファンにしかわからない思いというものも(笑)。 で、横浜で東急東横線に乗り換えて帰宅という事がありました。 甲府へ行くはずが、何故か湘南へ(笑)。山から海(笑)。 こういう行き当たりバッタリな小さな旅とかはよく行きます。 目的地を決めずに行き当たりばったりの旅が結構お気に入りです。 どんどん当初の考えから脱線していくのを見ていくのが 楽しいです(笑)。え?甲府行きの格安キップはどうなったって?。 9月の前半に行ってきましたよ。マックのダブルチーズセットを 食べて帰ってきただけですが(笑)。
2004年9月24日 00時18分04秒


ジオ拡張版移行の作業開始〜
なんだか旧ジオと新ジオの統合が近いという事で 移行の作業を始めました。一応旧ジオも残す予定です。 旧ジオはファイル置き場になるかもしれないけど(汗)。 さて、どうなるやら?。
2004年9月11日 18時49分43秒


なんとかしてくだちぃ
今年は暑いです〜(汗)。6月も初めから部屋の中が30度超えているのです(汗)。梅雨入りも早かったし台風も6月に発生した数として今までの記録を破ったそうな(汗)。私の家はマンションなのですが親の使う部屋は壁掛けのエアコンが装備されているのです。ところが私の部屋は建物の中ほどにある部屋なので外に室外機を置く壁掛けエアコンはおろか、窓用エアコンすら設置できないのです(汗)。今までは親の部屋からサーキュレーターを使い涼しい空気を自分の部屋に送り込んだりしてしのいだりしていたのですが、親はエアコンがあまり好きな方ではないので私の部屋が涼しくなる前に停止されてしまうのです(汗)。私は自慢じゃありませんがかなりの暑がりです。春は4月末から秋は11月末まで扇風機は回しっぱなしです(笑)。サーキュレータ代わりに使っているボックス扇のほか、自由自在に置き場所を選べるクリップ扇風機2台が唸りをあげて回っています(笑)。しかし本当に暑くなると扇風機は暑い空気をかきまわすだけのやっかいなシロモノとなり暑がりの私としてはなんとかならないかと悩んでおりました。とりあえず今回は冷風扇を導入してみたのですが(小型ファンヒーターみたいなのを見つけて買いました。他の機種はかなり大きいのばかり)冷風扇というモノは水が気化するときに周りの熱を奪う気化熱を利用したものなのですが、まぁ実際はそんなに涼しいモノではない(汗)。というか水を気化させてるんだから湿度はバンバンあがるし、当然ながら水の補給もいりますし、こまめに手入れしてやらないとカビくさい風でイヤーンとなります。とはいえ、ただの扇風機よりは微妙に涼しい風は出てきます。湿度があがれば体感温度もあがるという意見もありますが(笑)。もうひとつの手段としては冷風機というモノもあります。こちらは冷風扇とは違い水は使いません。冷風機にはコンプレッサが内蔵されていて除湿も出来て冷たい風が出てきます。コンビニクーラーとも言われるようですね。自由に部屋内を設置、移動ができる簡易エアコンなので本命のようにも思えたのですが、これも万能の神ではなかった(汗)。冷風機とはエアコンの室内機と室外機がひとつになったようなモノなのです。移動可能な窓用エアコンみたいなものです。つまり冷風の吹き出し口の前は涼しいが当然冷風機の後方からは他のエアコンの室外機同様に熱風が吹き出ているわけで部屋の温度がかえって上がってしまうという欠点があるのです(汗)。部屋の外の廊下にむけて熱風を排出するという方法もあるのですが・・・・。今のところ私の部屋の完璧な冷房手段はこの世に存在しないようです(汗)。快適なヲ部屋生活はいつになったらできるのか今後にご期待!(なんのこっちゃ(笑))。
2004年7月5日 00時51分00秒


映画「シルミド」を観てきました
(注意 ネタバレの部分があります。当作品を観ようと思われている方は飛ばして読んで下さい)
久しぶりに映画館で映画を観てきました。作品は「シルミド」。韓国の映画なのですが映画館に行ってまで観てみたいと思ったのはホントひさしぶりです。川崎のチネチッタへ弟と2人で観にいきました。この映画は1971年8月に現実に起きた事件を基に作られた作品で韓国では論争まで巻き起こったような作品だったようです。この映画がきっかけに、作品で登場するこれまで政府が隠し続けてきた「684部隊」の存在を公式に認め、その詳細が発表されたりしました。さて映画の内容は死刑囚や無期懲役囚などの社会から隔離された人間を集め北朝鮮のキムイルソンを暗殺する為の特殊部隊684部隊(以下シルミド部隊)が結成され、常に死と隣り合わせの地獄の訓練の毎日が描かれます。それは壮絶な、およそ訓練とは呼べないもので死人も出たりします(実際のシルミド部隊の訓練でも数名の死人がでたと当時の部隊教官が証言しています)。地獄の訓練を生き延びた隊員は強靭な肉体と精神、精密な射撃能力、強力な戦闘術を会得しキム・イルソンの暗殺作戦命令を受け北朝鮮への潜入作戦に出動した直後、命令の中止が下されます。当時の韓国大統領パク・チョンヒ軍事独裁政権は北朝鮮に対し、対立から対話の方向へ方向を変え、キムイルソン暗殺の為のシルミド部隊が国際世論での韓国の立場を悪くしない為に、そして国家機密の上でも邪魔な存在となったシルミド部隊の抹殺命令が下されます。しかしその命令がシルミド部隊隊員の知る事になり、国に裏切られた彼らは怒りに燃え1971年8月23日武装蜂起し、教官達を殺害しソウルにいる大統領の下へ決死の反乱を決行します。バスを乗っ取り大統領官邸へ向かう彼らは共産ゲリラのレッテルを貼られ、仲間が次々に殺され、最後は思い半ばで自決の道を選びます。この「実尾島事件」と呼ばれる実際に起こった事件を描いた作品ですが韓国政府はつい最近まで、その存在は公式に認めていませんでしたので映画では想像の部分も存在し、完全にノンフィクション作品ではありません。しかし隊員の反乱を生き延びた教官たちの証言や、シルミド部隊にジャックされたバスに乗り合わせていた乗客などの証言、様々な事実調査を綿密に集め非常に濃厚な映画に仕上がっていると感じます。ただおよそ2時間半の上映時間では描ききれていない部分もあるかなと感じます。とはいえ濃厚なシーンが続きますので中だるみは感じませんでした。私はお金を払って見る価値はあったと思います。この実際の事件の事は私は今回初めて知ったのですが彼らの哀しみはわかる気がします。いろいろと韓国では事実について論争もあるようです。彼らは犯罪者などではなく実際は貧しい者たち、もしくは拉致されたという話もでているようです。それと実際は抹殺命令はなかったという議論もあるようです。いずれにせよ韓国の暗い部分であり、実際に部隊は存在し、実際に事件があったのです。冷戦下の状況で国家に翻弄されてしまった男たちの悲劇です。もし私が彼らの立場だったらどうしただろう?。自分を捨て駒扱いした権力への復讐に命を捨てて武器を取るだろうか?。命を狙うものが間近に迫った時その時私はどうするだろう?。もちろん武器を取って戦うだろう。むざむざ殺されるつもりはない。どの道殺されるなら自分の生きた証拠を叩きつけてやるだろう。誇りを守るなんて格好良い事は言うつもりはない。ただ怒りをぶつけてやるだけだろう。色々な思いを感じた作品でした。アンソンギの演じるチェ教官隊隊長はその存在感、ひとつひとつの動作が格好よかったです。それとホ・ジュノ演じるチョ軍曹は訓練では冷酷で隊員たちを痛めつけまくりますが、彼らの抹殺命令に強硬に反対したのもチョ軍曹でした。抹殺命令を取り消してもらう為に直談判しにソウルに出張に出たその夜にシルミドの反乱が起こり、軍曹は彼らを説得する為に現場に着いた直後に何年もかけて育て上げた隊員たちを乗せたバスが自爆し、燃え盛るバスに向かって叫び続ける軍曹の姿が心に残っています。DVDでたら買おうかなと思っています。心に残る映画でした。
2004年6月6日 02時21分00秒


戦争ジャーナリスト襲撃
イラクで戦争を専門に取材されていた橋田信介さんと小川功太郎さんが襲撃を受け現在安否不明となっています。ただ日本人と見られる2人の遺体が見つかり確認中となっています。橋田さんは戦場取材30年のベテランで、つい先月の朝まで生テレビにも出演されていたのに・・・。丁度その回はビデオにも録画してあり、橋田さんは戦場取材の難しさ、緻密な情報収集をし、考えられる限りの安全対策を施しても現場では絶対の安全はないと経験と知識に裏打ちされた話をされていました。その上で今度の邦人拉致事件について拉致された5人は危機管理が甘い点があったと苦言を呈する一方、政府の対応にも痛烈な批判を発言されていました。自衛隊のイラク派遣に関しては国益にはならないと批判する一方(私も自衛隊のイラク派遣は憲法解釈においても、今回の泥沼戦争はアメリカと英国など一部の国が国際協調を著しく傷つける行動に出た結果である事、複雑な国際情勢の中、国民世論が分裂している状況は好ましくないと考えますので自衛隊派遣は批判的ポジションです)、それでも汗水たらしながら活動する自衛隊員に感慨深くされている一面もあったようです。そのついこの前までTVで元気な姿で熱弁を奮っていた橋田さんが今回このような事に遭われてしまいました。どんなに経験を積んでも100%大丈夫ではないという事が改めて思い知らされた結果となりました。先月末TVで元気な姿を拝見していた分、私はショックを感じています。橋田さんは戦争取材専門という事で覚悟をしておくようにと家族に話されていたようですが、逆に家族の冷静な対応は辛く感じました。特に橋田さんの奥さんはにこやかな顔で対応されていましたが、心の中ではどんな葛藤があったのか私には心中察する事すらできません。例の自己責任論の事もあったのでしょうし、覚悟もしていた事でしょう。でもね、やっぱり長い間一緒に暮らしてきた人が突然いなくなってしまう事は割り切れる事じゃないよ。人間そこまで簡単に生きてない。だから尚更家族の冷静な対応に苦しさを感じてしまうのです。橋田さんは戦場取材という仕事をしてきました。橋田さんの取材でたくさんの戦場の実態を知らされてきました。でも自分の家族に、どこにでもいる夫婦がいて子供がいて、歳をとっても一緒に暮らす、平凡だけどほんとは何より代えがたい生活をさせてあげられなかった橋田さん。最後に家族に悲しい思いさせてしまいましたね。それは橋田さんの償えきれない罪だと思います・・。ほんとに驚き、そして悲しい一報でした・・。
2004年5月29日 01時35分00秒


ハンバーガー
私はたまにハンバーガーを食べたりするのですが、マクドナルドを利用する事がほとんどです。近場にはマクドナルドとモスバーガーがあったのですが(数年前にモスは閉店しました)モスの方は1〜2回利用しただけで、ほとんどマクドナルドオンリーという感じでした。というか私はモスが嫌いです。モスが好きな人は不快かもしれませんけど(汗)。でも色々と考えがあってモスを選ばなかったのです。まず初めにモスは美味しいとは思います。思うんですがまず値段が高すぎます。モスは普通に食事しようと考えると7〜800円は軽く超えます。1000円を超えることもあるでしょう。マクドナルドなら600円あればダブルチーズのセットをLLで食べられます。それとモスは時間がかかりすぎます。ひどい時は20分近く待たされた事があります。これでは時間がない時は利用できません。時間があればほぼ同じ料金、時間でファミレスのガストで食事ができるのでモスは使いません。こちらのほうがゆったりできて食事も美味しいと思います(おいしく感じるかは人それぞれだとは思いますが)。目玉焼きハンバーグだと380円で食べられる上にセットを追加しても200円ほどのアップだし、なんといってもお替り自由のドリンクバーがあるのが最大の魅力だと思います。最近はガストでもハンバーガーを置くようになりましたし、ファミレスとハンバーガー店じゃ比較なんかできないという事はなくなったとも思います。マクドナルドとモスは値段も違いますし客層も少々違うので比較は簡単にできないとは思いますが、ここでは同じハンバーガーを扱うお店ということで書こうと思います。値段と味の値打ち感というかバランスを考えると、これは私はマクドナルドの方が軍配があがると思っています。マクドナルドのハンバーガーは84円です。味はモスより格段に落ちます。しかし84円ならこの味でも納得できるのです。むしろお得感さえあると思います。モスのハンバーガーは220円です。出来立てホヤホヤでジューシーで全体にふっくらして美味しいです。しかし210円は高く感じます。おまけに注文してから作り始めるので出来上がりが10分近くになる事が多いです。もちろんマクドナルドも待たされることはありますが、モスほどは待たされません。おいしいとは思いますがお得感がマックより低く感じます。私がモスが嫌いな理由は、値段と味のバランスがマックより悪い点、時間がかかりすぎるため手軽に食べる事ができない点なのです。ハンバーガーは手軽に食べられる事が最大の存在価値だと思っていますのでモスのように時間がかかるのは許容できないのです。マクドナルドは作り置きなので味は落ちますが時間がかからない上に安くなっています。値段の差はマックとモスの企業力の差もあるとは思いますけど。多少値段が高くて少々時間がかかっても美味しいハンバーガーが食べたいというならモスがいいでしょう。でもモス並の値段と時間をかけて美味しいもの食べるなら私はファミレスを選びます。そっちのほうがお得感があると私は思うので。
2004年4月26日 22時302分00秒


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