このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

62系Ⅱ 旧国と東海型のハーフ
62系Ⅱ
首都圏の通勤線区については、車輌の新性能電車化を進め1972年には完了させたが、地方線区ではいまだ
旧性能車の使用が続く状況であり、首都圏と地方の車輌の格差が目立つこととなり、改善が求められた。
しかし、当時の地方線区では、まだ新性能車の検修体制が整っていなかったことから、地方線区のうち、仙石、房総、身延
の各線の車輌について、アコモデーションを改良することが検討された。
そこで、1972年に足回りは73系であり、車体を103系並に改造したモハ72970が製造され、鶴見線で試用された後、
そのシリーズは仙石線に投入された。
その後、1974年には、73系の足回りを使用し、車体を115系並とした62系Ⅱが製造され身延線に投入された。
73系の足回り、台枠を再用し、上回りは115系300台のそれを新造したが73系台枠を使用したため、絞った車体下部の
すその部分は垂直になる形状となっている。
前述のとおり、駆動系は73系のものであるが補助電源は113系の冷房改造により発生したMGを用い交流化したため、
編成の中間に他の旧性能車を挟むことはできなくなっている。また、タネ車により台車がDT13、あるいはDT17、TR48で
あるバリエーションが存在する。
62系Ⅱは、しょせん旧性能車輌であることから、やがてメンテナンスコストがかかるなどの問題を呈し、他線区への拡大
がなされないまま、やがて新性能車輌の投入により廃車されていった。
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M車のパンタ周りは、低屋根構造になっています。模型はペーパールーフですが、一度通常の屋根構造で組み立てた後、
低屋根部分を切り取り、別途ペーパーで低屋根になるようふたをし、表現しています。上の画像では見づらいですが、パンタ近く
の屋根肩部には、ルーバーを、やはりペーパーの貼りかさねで表現しています。配管は真鍮線で表現し、ヒライ器はエコーの
パーツを使用。パンタは宮沢のPS13をオークションでゲットしたものを装着しています。
ベンチレーターはカツミのホワイトメタル製でクハを含め4輌ともに用いています。
というわけで、先の競作企画 クモハユニ44以降、当社としては東海型車体を有する62系を作ろうと準備していましたが、
これも競作の題材となることになり、2006年から製作を開始しました。
当社としては、珍しい部類のスケールモデル製作となりましたが、例によって省略を重ね、当社仕様により完成させました。
編成は、クハ66000−モハ62001−モハ62000−クハ66301 とし、クハ66301に日光TR48を履かせたほか
は、日光DT13をはかせています。動力はパワートラック31をM車の1輌に装着しています。
床下機器は日光、エコーのパーツを使用。前面スカートはペーパーからそれらしく切り出しています。連結器胴受、
ジャンパ栓、貫通路渡り板、ほろ、はエコー製。ほろ枠は紙から切り出しています。
ユニットサッシは、事務用の方眼紙から切り出し、車体に貼り付けてから窓を切り抜いています。またアルミサッシは、
やはり事務用方眼紙から切り出し、ペイントマーカーの銀色を塗った上で貼り付けています。Hゴムもペイントマーカー
で表現しています。
62系Ⅱの特徴である、すその折れ曲がりについては、上の画像で見づらいかもしれませんが、次のとおり表現して
います。
すそ端から、1.5mmのところで裏側からすじ堀りし、車体の外側に折り曲げます。さらにすそ端から7mmのところで、
うらからすじ堀りし、ここは車体の内側に折り曲げます。このようにすそを調整しそのうえで車体をコの字にまげ、
ペーパールーフで箱にしていきました。

以上のとおりで、今回も塗装に失敗したりしましたが、ともかくも完成させることができました。
本来なら、2006年春に競作を開始し、2007年6月末までの完成の予定でしたが、11月にまで遅れてしまいましたが、
当社の製造車輌に、また、オーナーが製作したいリストにあがっていた車種が加わり、オーナーは満足しています。

                                                              − 終わり −

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