このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください


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115系(その2) スカ色

◇ 0番代編成

1966年、三鷹区に投入された115系は、旧型国電時代の塗色であったスカ色をまとい、115系のニューモードとなった。
また、新たに制御電動車クモハもこのとき作られたが、甲府以遠の輸送需要を考慮し3輌編成を組むためであった。

さらに、中央東線のトンネル断面積が小さかったことから
パンタグラフ取付位置を下げるため、低屋根構造とした
モハ114-800番代も新規に作られた。
一方、サハも同時に起こされ、編成を大きくする際はこれを増結して対処した。このように、この時期の増備により
115系は多くの車種を有することになった。

● 1992年、湘南色のクハに続き小高のキットを用い製作したものです。しばらくブランクがありましたが、このころエンドウの115系300番代(スカ色)完成品を購入し、それにあわせ0番代も作ってみようと、突如小高のキットを入手、製作しました。もっともエンドウの完成品はその後転出してしまいましたが・・・
● 仕様は先のクハと同様、前面はカツミの前面パーツに交換、妻面はエンドウの妻面パーツに合わせ、ペーパーから切り出しました。
● クモハはモハ110のキットをベースにし、モハ114のハイライトであるパンタ付近の低屋根化は、パンタ設置部分の木製屋根板を平らに削りとる方法をとりました。今にして思えば、結構しんどい方法だったと思います。
● このモデルではAU75型冷房装置を積んでいますが、スカ色の115系0番代でAU75型クーラーを積んでいるのは、クモハ115−11の編成のみと思われます。
(本車はその後、需要家の下へ引き取られました。)

◇ 300番代6両編成

1975年、湘南色に続いてスカ色にも冷房車が登場した。
当初は、サハを含む8輌編成で使用されたが、1985年から編成換えがなされ、1986年小山区からMM’が転入し、
6輌貫通編成が登場した。
なお、この編成にはMM’に2000番代が組み込まれている。
1986年および1990年に新前橋区から1000番代MM’が転入した。

その後の輸送需要から、6輌貫通編成をさらに1編成必要としたが、他区に余剰車がなかったため、新造したもの
である。1000番代とせず2000番代となったのは、300番代と耐寒装備をあわせメンテナンスを共通化するためだ
ったとのこと

● スカ色の300番代は1996年に製作。一方の2000番代はそれ以前の1993年の製作です。
● 2000番代でペーパールーフの試行を行いました。
● 300番代は、湘南色115系のページにある5000番代製作後のもので、当社の量産技法による第1号編成です。前面は展開図から切り出したペーパー製、車体はペーパールーフ構造となり、ユニットサッシはコンパスの針によるスジ彫りで表現しています。ユニットサッシについては2000番代も同様の工法で編成として統一されています。
● ご存知のとおりスカ色の2000番代についてはフィクションです。モデルにおいて1000番代特有の雪切室のスリットを省略するため、上記のお話にしました。そのスリットについては、今も工法を模索中です。
(本車2000番台はその後、需要家の下へ引き取られました。)

◇ サロ115

1980年、宇野線快速列車に使用されていた113系を岡山区の115系に置き換える際、サロを組み込むため、それまで使用していたサロ113を115系化改造した。

宇野線での使用は、瀬戸大橋の開通により消滅したが、その後も岡山エリアで一部の運用に組み込まれており、
特別料金を必要とするものの、広島の115系3000番代と同様、アコモデーションの良さが利用者において好評
のようである。
その後サロの一部は中央線に転属、スカ色に塗り替えられ、夜間の松本運用の一部に組み込まれている。

● これは全くのフリーランスです。上記設定はいずれも架空のものですが、宇野線運用においてのサロ組込みは実際検討されたようで、上記のとおり当時関西にいたサロ113を改造しようと考えたようです。
● モデルは1998年に製作しました。技法は上記300番代と同様です。上記の話を知って実現していたら面白そう思い、作ってしまいました。
● オーナーの趣味としては、短編成のローカル列車でもグリーン車がつながれているのは、鉄道文化として、あるいは旅文化として豊かな感じがするのですが・・・・・・・・・

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