このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

 
いつかクモハ501の画像に…… 心象系架空鉄道物語
里見電鉄へようこそ

 
クモハ501の物語

 里見電鉄には多くの旧型電車が現役として活躍しています。なぜか軌間の違う、対岸の高松琴平電鉄と同じ車輛が複数形式居たりします( 注1 )が、東条線用のかわいい14メートル級電車クモハ501もそのひとつ。しかしこの車輛、製造以来里見電鉄以外に籍を置いたことは無いのですが……

 そのクモハ501は、日本でわずか2例しかない東芝車輛製の電車( 注2 )で、東濃鉄道モハ100形( 注3 4)と準同形です。元々東濃鉄道モハ100形の1両として発注された車両ですから、同形なのは当たり前なのですが。ではなぜ1両だけ里見電鉄にやってきたのでしょうか?

 クモハ501とその同形車が、東濃鉄道から東芝車輛に発注されたとき、その発注車両数は3両でした。ところが製造中に東濃鉄道は、買収国電の元南武鉄道100形を国鉄から譲渡されることになりました。その結果、東芝車輛に1両分の製造契約破棄が通告されたのです。結果、3両目の東濃鉄道モハ100形は工場の片隅に未完成状態で放置されることになりました。

 放置状態だった車両を拾ったのは里見電鉄でした。電気機関車の機械関係で東芝車輛に来た里見電鉄の社員に、車両売却の話が来たのです。結局里見電鉄側は貫通路の設置( 注5 )など若干手を加え里見電鉄の車輛として購入することになりました。

 里見電鉄にやってきた車輛はクモハ501と名づけられ、小型車ということもあり犬懸車庫に配置されました。そして、時には単行で、時には200形や800形に連れられて東条線を走りつづけることになったのです。

 その後、東濃鉄道は廃線となり、高松琴平電鉄に移籍する姉たちを東条駅で見送ったりしつつ、里見電鉄クモハ501号車は今日も元気に走りつづけています。
 
 
 
 
クモハ501車両諸元
形式(車種)
500(Mc)
車体寸法(長×幅×最大高)
13,600×2,500×4,040
定員
82
製造年
1951(昭和26)
製造メーカー
東芝車輛
制御・駆動方式
HL・吊掛

注1 100形(元京急1000)と200形(元京急230)のこと。
注2 実際には、更新車体だけを製造したり(箱根登山鉄道モハ100形)や、他社の下請けでの製造(国鉄80系)がある。
注3 東濃鉄道は、岐阜県の土岐市から駄知迄の駄知線と、貨物線の笠原線からなる鉄道。駄知線は1974年に災害による橋梁流失の復旧が出来ず廃線。笠原線は1978年に廃止。現在はバス会社として存在。
注4 1950年の駄知線電化時に東芝車輛で製造された電車。同線廃止後、高松琴平電鉄に譲渡され、同社の70形になる。
注5 高松琴平電鉄70形には貫通路がついているが、これは東濃鉄道時代に改造したもので、製造時は非貫通だった。


 
おまけ 史実との相違点
1.東濃鉄道100形は最初から2両しか発注されていない模様。
2.元南武鉄道の車輛は、すべて東濃鉄道では制御車化されている。なお、後に1両が付随車化の後、電動車になっている。(電動車が足りなかったらしい) この世界では始めから1両が電動車のままだったと設定されている。

おまけ 時代設定の関係で……
 里見電鉄世界は基本的に1990年代初頭の設定なので、この時点で琴電に移籍したほかの車輛は、71号は平木駅で放置中、72号は朝のラッシュを1往復しているはず。


 
 
 
 
 
 
 

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