このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
本が買えなくて、結局諦めてしまったという記憶は、中学生の頃までさかのぼる。
何故買えないかというと、お金がないからである。
ターゲットはコミックとジュニア文庫だったのだけれど、何度も何度も本棚に挟まれた通路を往復して、手にとっては戻し、値段を頭の中で暗算をして、綿密なる計算の上に、レジに向かった。
直感的に、「欲しいな」と思った本ぐらい何の躊躇もせずに買いたいなあ、そう思うようになったのは、高校生になった頃からだろうか。
大学へ行き本格的にアルバイトをするようになれば、きっと欲しいと思った本ぐらい好きなだけかえるようになるかな、とかすかな希望を胸に抱いたりした。
でもなぜか結局、そうはならないのだ。
おまけに社会人になってもその事情は変わらない。やはり全体の支出可能額のうち、書籍に費やすることが出来る金額(または割合)にはおのずとリミットがあるのだろう。
欲望というのは限りないもので、確かに学生の頃に比べたら、本を買うために対やするお金は増えたかも知れない。というよりも、何々を買うのをやめて本を買おうとか、そういうやりくりが可能になったという方がむしろ正解だ。
今と学生時代を比較して本の購入に関して大きく違うことは。
ひとつ、まとめて本を買うようになった。本屋に行く機会が減ったからだ。以前は、どの本が欲しいという目的もなく、「何かいいのがないかなあ」と書店に出入りしたものだ。そういうことが今はほとんどない。何々の本が欲しいとわざわざ出かけていく。わざわざ出かけないとなかなか機会がない。ただし首尾良く手にはいるとは限らない。
ふたつ。買ったとしても、読む機会が少なく、そのままになってしまうことがある。
買ってきたのはいいけれど、机の上に積み上げたままになっていたりする。僕は読み終えた本は書棚に陳列するけれど、読みかけまたは読む前の本は机の上に積んで置く。
これはこれで愉快な状況だ。何か読みたいなと思ったときに、机の上に何らかの本が置いてあるのだから。
でも、健全なのかなあ、とかふと思う。
欲しい本があるけれどなかなか買えずに、読書欲を沈めるために、書棚にある本のどれかを選び、既に何度か開いたことのあるページをめくる。そういう読書行為と、以前よりは少しは欲しい本が買えるようになったかも知れないけれど、読む時間が無くて、机の上に積まれて「早く読みたまえよ」と恨めしげな表情で本達ににらまれること。
どっちが健全で、どっちが幸せなのだろう。
買えなくても、本屋さんめぐりは楽しい。
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