このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
このことに関して、影響を受けた本がいくつかあります。
「旅の神話をつなぐ空」−−これは小林弘利さんの作品で、昭和63年にコバルト文庫(集英社)から発行されています。アトピーを克服するための食料を大昔から取り寄せる、とまあ極端に短くするとそういうことなのですが、何故大昔なのかというと、最近はやりの有機農法とか無農薬栽培というのが当たり前だった時代の作物だからです。
といっても、このお話に出てくるほど昔にさかのぼらなくても、本当はいいんですけどね。
もうひとつが「牛のおっぱい」−−これはモーニングに連載されていた、菅原雅雪さんの作品。北海道の旭川近郊が舞台です。近郊といっても何しろ北海道、旭川ですから、思いっきり山の中です。
それから「夏子の酒」−−この作品はテレビ化されていますので、多くの方がご存じでしょう。これもモーニングに連載された、尾瀬あきらさんの作品です。夏子の酒を造るためのコメは、有機農法・無農薬栽培で、というところがポイントであるのですが、現実の農家社会ではそれがとても難しく、テレビでは省略された「豪田さん」というキャラクターが、作者に変わってそれらのことに熱弁を振るい、また多くの困難に出逢います。
最後が、「美味しんぼ」−−解説を要しませんね。この作品はあまりにも有名です。ショックだったのは、有機栽培をされたコメを玄米で食べるのがとても危険だという提言。なぜ? 抗生物質にまみれたエサで育った家畜の糞や、化学肥料で育った稲の藁など、そういったもので作られた堆肥が安全なわけがない、危険な堆肥で育てられた有機農法による作物は、化学肥料で育った作物よりも危険なのだ。
実は、こういう世の中になってしまったのは、つい最近のことです。
僕は30代、両親は60代ですが、僕の両親が若かった頃は、ここまでひどくなかったんです。
野菜なんて、季節に応じたものしか食べられなかったし。
農薬・化学肥料・抗生物質・合成された食べ物や調味料。そういうものの集大成であるジャンクフードやスナック菓子。こんなものを生まれたときから食べているのは、僕たちの世代からです。
一番大切な、育ち盛りの時代に、きちんとした食べ物がすでになかった、そういう世代です。
僕の両親は健在で、歳とともに様々な体の不調を時として訴えますが、優れた治療やクスリで、不調期を脱すれば健康に見えます。
これも、体を作る成長期の一番大切なときに、まだまともな食べ物で育ったから、歳を取ってもクスリだのなんだので回復できるのだと僕は思っています。
なら、僕や妻は?
いい加減なもので育った僕たちは、しかも子供の頃から薬漬けです。
恐ろしいことに、そういう世代が老人と呼ばれる年齢になった頃、どういう影響が出るか、まだだれもわかっていない状態であるにもかかわらず、僕たちは子供を産み、育てます。
もちろん世の中に流通しているあらゆるものに、何の拒否反応も示さず子供に与えます。
知識としてそれらが「怖いものかも知れない」とわかっていても、何がどう怖いのかまだ結果が出ていないので誰にもわからないのと、安全なものを手に入れるには、大変な労力とお金が必要なこと、そして安全といわれているものが本当に安全なのかどうかは、庶民には知り得ないからです。
アトピーとはそういうものに対する拒絶反応(アレルギー)なのですが、人間本来の生命力は、そういう毒を排除する力を持っています。アトピーが増えると言うことは、毒を排除する力、すなわち生命力がどんどん劣ってきていると言うことです。
精液の中に含まれる精子の数も減っていますし、人類は滅亡へ向かっているわけですね。
おそらく、日本人の場合は僕たち(1960年代生まれ)の世代から、老人になったときにとんでもない事象が起こるような気がします。
原因不明でうめき、苦しみ、そうしてのたれ死んでいくのかも知れません。
これらのことはそういう社会運動をしたりして活動をしたり実践をして、何とかしようとしている人たちがいることも知っています。(僕は自分自身では何もしていませんが)
かといって、とても解決する方向へ向かっているとは思えないのです。
それはなぜか。例えば、リサイクル。
ペットボトルをリサイクルすると言って、それで繊維を作って服を作ったりしていますが、それは僕にはとても馬鹿馬鹿しく思えます。
だって、ほんの十数年前まで、ペットボトルなんて無くて、ジュースとかそういうのは、全部瓶で、形を変えずにリサイクルしていたじゃないですか。(缶ジュースはありましたけどね)
いまや、配達してくれる牛乳と、瓶ビールぐらいではないでしょうか?
本当ですよ、昔はジュースの空き瓶を酒屋さんが買い取ってくれたんですから。
キオスクでジュースを買ったとき、車内に持ち込むなら瓶代として10円余計に払ったんですから。
ゴミ箱に捨てれば済むペットボトルを回収して別の製品に加工するのに、どれだけの労力とエネルギーとお金が必要なんでしょう。決して省資源だなんて言えないと思います。
このことを指摘すると、ある人に、「だけど今更、ペットボトルのない生活に戻れない。だから少しでもましな道を選ばないと」と、言われました。
少しでもましな道。それは破滅へのスピードを少し遅らせるにすぎないのではないかと思ったりします。
ついでにいうと、僕はとても弱い人間ですから、いったん覚えた楽で快適で便利な生活を自ら放棄する事なんて出来ません。世の中の多くの人も、失礼ながらそうだと思います。
法的な拘束力と厳重な罰則を持って、この世からペットボトルが無くなるようなことでもない限り、ぼくはわかっていながらペットボトルを買い続けるでしょう。
また、ペットボトルで生計を立てている人がいる限り、そんな厳しい法律が出来るわけがありません。そういうところから利権を得ている議員さん達に業界からプレッシャーがかかり、とても国会を通過できそうにありません。
基本的には、1960年代の生まれたときから毒で犯された世代の人たちがやがてどうなるのか、結果が何一つ出ていないから、実は誰も危機感を抱いていないのでしょうね。
結果が出てからでは遅いのか、それともまだやり直しがきくのか。
それはまだわからないけれど、前者だとすれば、僕たちは滅亡に向かっていると言うことになるのでしょうね。
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