このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
金曜日
腰が痛かった。いわゆる筋肉痛でもなく、また同じ姿勢を長時間続けていたためとかそういうのでもなく、何となくだるくて痛い。
30年以上自分の身体と付き合っているとわかる。風邪の前兆であり、しかも身体全体が弱っていて、特に弱っているところに異常が出てきたのだ。
まずいな、と思った。
夜には本格的にからだ全体がだるくなってきて、何となく熱っぽい。おまけに喉が痛くなってきた。
ボクは以前に扁桃腺切除の手術を受けた。ヨウレン菌とかが住み着いていて、疲労や風邪などで抵抗力がなくなると、この菌が活発に活動して、扁桃腺が腫れる。そうすると、40度の熱が出る。
抗生物質を服用してヨウレン菌を退治し終えるまで、高熱と解熱剤の服用の繰り返しの数日間を過ごし、その間に体力の全てを消耗し尽くしてしまうという、気が遠くなる病気である。
扁桃腺を切除しても、100%完璧に取り除くことは出来ないから、40度のような高熱を出すことはないが、同じ症状は繰り返されるよ、と意志から注意は受けていたが、まさしくその状況がやってきたのだ。
風邪ならば、2〜3度解熱剤を服用し、水分を多くとり、汗をかけばそれで熱は下がる。風邪の諸症状は残るかも知れないが、熱でうなされることはない。
ところがボクの場合は、風邪の症状が無くなっても、扁桃腺が腫れてしまうと、それでダウンである。
土曜日
たまたまこの日は休日のローテーションだったので安心していたのだが、どうやら扁桃腺の症状が出てしまった。おそれていたとおりになった。
確かに高熱は出ない。せいぜい高くて38度である。
しかし、ずっと出っ放しなのだ。発汗し、水分をとり、そして熱が下がらない。この状態が24時間続くとさすがに参ってくる。体も参るが、精神的にも随分弱気になる。
日曜から月曜にかけて、2日セットのローテーションなのだが、これはちょっと無理だなと思った。会社を休む決意をする。火曜日がまた休みなので、合計4日間休むことになるが、これで多分回復するだろうと高をくくった。
日曜日
市販の風邪薬と解熱鎮痛剤を飲みながら、寝てはうなされ、汗をかいては水分を補給する。
熱のあるときにはろくな夢を見ない。同じ夢を何度も何度も見る。仕事のことが気になるのか、仕事の夢ばかりを見る。そして、同じところで何度も何度もつまずき、汗びっしょりになって目が覚める。汗をかいても熱が下がっていない。扁桃腺の腫れが引いてないからだ。
こころもからだもぐったりする。
身体を横にしているのが苦痛になってくる。腰や背中がビジバシに痛くなってくる。タオルを小さく丸めてたたみ、痛い部分の下に敷き、圧迫を加えてみる。気持ちいいけれど、それで直ると言うことはない。
月曜日
近所の開業医へ行く。とにかく抗生物質を手に入れて、服用しなくては直らない。
朝夕の食後にと言うことだったが、まず帰宅後すぐに服用する。
だいたい1時間ぐらいで聞き始め、これなら明日のうちに治り、水曜日は出社できるだろうと思った。
ところが、3時間ぐらいで薬が切れ、また苦しみ出した。また一回しか飲んでいないから、抗生物質の血中濃度が低いのだ。最初は少し多めに飲んだ方がいいと思い、夕方と夜、それぞれ少し食べ物を口にして、規定回数以上の薬を飲む。この他に時間をずらして鎮痛剤も飲む。
やはり薬の効果が途中で切れてしまい、もしかしたらボクの体内でかなり深刻なことになっているのではないかと焦ってくる。
火曜日
朝からもう一度医者へ行き、点滴をしてもらう。
経験から言うと、点滴をしてもらうと、その終了を待たずに、随分身体が楽になるのだが、この日は全然楽にならない。
今日は元々休みの日だからいいものの、今日中に直さないとまた会社を休まねばならない。
症状は一進一退、というか昨日までとさっぱり変わらない。
夕方、少し元気になりかけて、明日は大丈夫かなと思ったところ、またガクッとなった。
熱がずっと出続けていて、フラフラになっており、体力が消耗しきっているのがわかる。
それに、精神力が影響するのだろうけれど、人間本来の力として持っている自然治癒力というか免疫力というか、そういうものがかなり低下しているような気がする。
こんなことなら、さいしょから市民病院かどこかに事情を説明して入院でもした方が良かったかなあと思い始めた。
水曜日
やはり会社を休む羽目になる。
抵抗力が全くなくなってるような気になる。
もう一度点滴を打ってもらい、薬の追加をもらう。
風呂に入っていないので、体臭が臭くて自分でも気持ちが悪い。身体を固く絞ったタオルで拭う。
身体を拭うという行為を積極的に思いついたのは、回復に向かっている証拠かなと自ら慰めながら、また横になる。
そして目が覚めたときに襲ってきた、頭痛。思わず叫び声をあげるほどの激痛だった。
顔が歪む。
しばらく頭を抱えていると少しおさまり、そしてまた激痛が襲ってくる。何度過去の繰り返しがあり、もうだめだと思った。
「市民病院まで連れていってくれ。ダメなら救急車呼んでくれてもいい」と、妻に頼んだ。
幸い他にせっぱ詰まった用事もなく、妻の運転で市民病院へ。
市民病院は午前中のみの受付なので、救急扱いで、脳外科へ。
問診票を書き、体温と血圧を測り、「じゃあ、診察の前にCTをとりましょう」ということになった。
脳外科なるところで診察を受けるのも初めてなら、CT(脳の断層写真)をとるのも初めてである。
この時は少し頭痛はおさまっていたのだが、とにかくきちんと検査を受けれることでホッとする。
結果は「異常なし」
異常なし宣告を受けているその時でさへ頭痛が全くおさまっていたわけではない。
「もう帰っていいよ」と言いたげな先生だったが、「何か薬を下さい」というボクに、「では何か出しておきましょう」ということになった。
妻に「何でもないんだって」というと
「入院を覚悟してた」という
「ぼくも覚悟してた」
「入院でもいいと思ってた」
「ぼくも、入院ならそれはそれでいいと思ってた」
帰宅後、新たにもらった薬を飲む。
「鎮痛・消炎剤」と「鎮静剤」(気持ちを落ち着けたり、筋肉の緊張を和らげたりする薬と、解説があった。精神安定剤的な意味もあるのだろう)をすぐに服用し、それから1時間もしないうちに嘘のように楽になった。
それでまあ、こんな闘病(?)日誌みたいなのを書く気力も湧いて、今夜は入浴して明日こそ出社できるぞとか思ったりしている。
免疫力が一挙に回復したような感じがする。
実は、自ら病気を治そうとする力が弱ってるなと思ったとき、自分にとって楽しいことをやって、免疫力を高めようと試みたことがある。それがつまり、ホームページの更新なのだけれど、確かにショートストーリーを一本アップしたがこれは今回の病気になる以前から書き始めていたもので、さあ、新しい何かを書くぞと思ったとき、何の気力も湧いてこなかったのだ。疲れ果てていて、創作意欲など湧くわけもない。どれだけからだがしんどくっても、十分な創作意欲があったら病気なんてどこかへ行ってしまっていたかも知れないし、病気でしんどいときにそんな意欲が湧くものかとも思ったりした。
とりあえず、僕は快方に向かっているらしい。
ところで、ここから追加記述なのですが、僕がこのような身体に至った過程について、書いておきたいと思います。
僕が初めて耳鼻科に通ったのは、小学校1年生の時でした。
学校の検診で、「アレルギー性鼻炎」と診断され、一枚の紙を渡されました。
「治療済み」を医師が証明するためのもので、これを持って耳鼻科に行き、治療を受けて、それが終わればはんこをおして返してもらえるから、それを学校に提出することになるのです。
僕は両親にとって初めての子供であり、こんな紙切れをもらうのは初めて、とにかく学校という重大なところの検診で「ダメ」を出されたのだから早急に治療をして、治療済みの医師のお墨付きを学校に提出せねばならないということが、かなりの重大事になってしまったわけなのです。
通った耳鼻科が悪かったのかどうか、脱脂綿を付けた竹串ほどの長さの細長い金属棒を鼻の穴に突っ込んで引っかき回されるという治療を受けました。
脱脂綿には、薬品がその度に付けられます。
こんな治療をされて平気なわけありません。鼻の中に棒を突っ込まれる度に激しく鼻孔内が反応し、いつ終わるとも知れないくしゃみに見舞われます。
そもそも僕は何のアレルギーかきかされておらず、今自分なりに解釈すれば、他の人に比べて温度変化に敏感ですぐくしゃみがでる、という程度です。
しかし子供は、先生、医師、親のいいなりです。
耳鼻科を出るときは、入るときに比べて格段に鼻の調子が悪くなり、いつまでこんな事を続けるのだろうと思い始めた頃、医師から治療終了のはんこをもらいました。
しかし、症状は全く改善されていません。以前よりひどくさえなりました。
こんな調子で、2年生になっても、3年生になっても、4年生になっても「アレルギー性鼻炎」の烙印が押され、2年生からは医者を変えて棒を突っ込まれることもなくなったけれども、ちっとも症状は改善されません。
鼻が出たらかめばいいじゃないか、と僕は思うのですが、親は深刻で、このままでは将来に関わると思ったのでしょう、学校から出される「治療強制書」はもう5年生頃から無視をしていましたが、中学2年生の時に手術を受けることになりました。
局部麻酔による手術で、悪い鼻の粘膜を切除して取り出すというものでした。
いいもいやもありません。「こんなんでは集中力も体力も維持できず、受験勉強にも就職にも関わる」という親の説明で入院させられました。
いやあ、入院生活の辛かったこと。
仰向けに寝ていないとすぐに出血するから、寝返りも打てないのです。腰に来ました。腰が痛くて痛くて、どうしようもないのです。
結果として手術は失敗でした。何ら改善されなかったのです。(悪くもならなかったので、失敗と言い切るのは失礼ですが)
局部麻酔でしたから、意識はあります。切除後、詰め物をされるまでの間のほんの一瞬、広くなった鼻孔を駆け抜ける空気がなんと気持ちよかったことか。その一瞬だけが、手術を受けて良かったと思ったひとときでした。
それから幾年月、大学生の頃から、扁桃腺が腫れるようになりました。
40度の高熱が4〜5日続きます。
他に悪いところがないので、解熱剤が効いてるときは何ら支障がないのですが、根本的な部分、つまり扁桃腺の腫れがおさまってないのですから、すぐまた熱が出ます。
1年後に同じ症状を体験してからは、半年おきに症状が出るようになり、結婚直後はついに1〜2カ月ごとに40度の高熱に見舞われるようになります。
これは手術しかないと言うことで、また入院。
2度の入院が2回とも外科手術であり、しかも耳鼻科であったというのは、珍しいかも知れません。
今度は全身麻酔でした。喉の手術は全身麻酔なのです。
麻酔で事故が起きるのは当然のことであることは知っていましたし、あれやこれやそれにともなう誓約書みたいなのにサインさせられましたが、一月ごとに40度の熱が出るなら、麻酔に失敗して死んだ方がましだという気になってさえいました。
扁桃腺を切除して、扁桃腺は100%とりきれるものじゃないから、今後も扁桃腺が腫れることはあるけれど、今までみたいな高熱は出ないよ、と説明を受けました。
上に書いた闘病日誌は、まさにそのとおりで、熱が38度を越えることはなかったのですが、症状としては全く扁桃腺の腫れそのものでした。
それはともかく、施術後に手にした「家庭の医学」のような本を見て、僕は愕然としたのです。
「鼻の手術が、扁桃腺が腫れるという症状の引き金になることがある」と、書いてあります。
元をずっと辿れば、学校での検診と治療強制書。これがなければ、僕は扁桃腺による発熱に悩まされることはなかったはずです。
これは僕の学校教育に対する批判です。
「いま、ちょっと検査をしたら、鼻の状態が悪い。すぐに治療をして、医師の証明をもらってこい」と、学校は僕の将来も何も考えずに僕に指示をしました。
学校教育とは、全てにおいてそうです。目の前のことを解決すれば、それでよし。
もっともっと長い人生設計みたいな事には一切責任を持ってくれません。また、持てと言っても不可能でしょう。
その責任を持つのは誰かというと、親であり、本人です。
学校教育に対する批判であると同時に、これは何でもかんでも学校に任せといたらいいんだという社会風潮への批判でもあります。
学校なんて、子供の教育のほんの一部しか担っていないんだよと、みんな気が付くべきです。
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |