このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
しまった、と思ったことはよくあるけれど、後悔をしたことはあまりない。
後悔先に立たずなんて言うけれど、後にも立たない。
僕はどちらかというと、「しゃあないやんか」という考え方の方が大きい。
上司というのはある面において大抵頭が悪くて、部下(僕または僕の直属の部下)が自分の思い通りにならなかったら、「なんでや?」といいわけを求めてくる。
本当は、理由が知りたいのではなくて、「すみませんでした。つぎからはしっかりやります」という言葉が聞きたいだけなのだが、とりあえずいいわけを求めてくるのだ。
僕は面倒くさいし、馬鹿馬鹿しいし、説明したって「あなたの満足いく結果が得られなかったのだから、どうせ説明したって理解できないでしょ」とか思いながら、8割ぐらいはしょって「仕方ないんです」という。
そうして上司のご機嫌を損ねるのだ。
何故チャレンジせずに仕方ないなどと言い切るのだ、持てる力を全部発揮したのか、ああだこうだ。
こういう場合、悪いなと思うけれど、僕は持てる力どころか、何もしていないことの方が多い。
「そんな仕事したくないんだよ」というのが本音であり、実際にやらない。
お断りしておくけれど、しんどいからとか面倒だとか支障が多そうだとかそんな理由で仕事がしたくないわけではない。「僕がこのポジションにいる限りはそんなことはしない。嫌だったら、他の誰かイエスマンにやらせて、僕の今の地位を解任すればいい」くらいに思っている。
指示されたとおりにやるばかりが仕事じゃない。「何もしない」ことだって、立派な仕事なのだ。言われたとおりにやって失敗しているヤツは多い。今、ここで、何もしない、という判断を下せるヤツはそうざらにはいないぞと、僕は自分を自分で誉めてやる。
かといって、「あなたの言うとおりにやることは、現状ではこれこれこんな問題があって、するべきではないと判断しました」とまで言ってのけるほど、僕もず太くはなく、これらをきちんと説明できれば出世もするのかも知れないけれど、まあ「あれやこれやで仕方ないんですよ」と、結局面倒になってそんな風に言ってしまう。
それで、上司は激怒してしまうのだ。年に2〜3度切れてしまう。
「そんなに切れて、よく疲れませんね」と、一度言ってやりたいが、言えるわけもない。
何も切れるのは、若い人たちだけではないのである。
「お前はいつでもそんな言い方をする」とか「そんなこと言うんだったら俺は降りる。全ての責任はおまえが取れ。俺はもう知らん」とか、激興して大声で叫ぶから、手が付けられない。
こんな時は、口に出さないけれど、こう思うのである。「僕はイエスマンにはならないし、なれない。あんた(タチ)が俺を選んだんだから、それは仕方ないんだよ」と。
それはともかく、上の人にはお気に召さないようだけれど、「しゃあないやん」という精神に僕はあふれていて、後悔という念にとらわれることはほとんどない。
後悔したってしょうがないのだ。
あのとき、こうしとけば良かったとか、こんなことしなければ良かったとか。
もし、○○だったらなんて、所詮むなしいのだ。
だって、その時に戻ってやり直せるわけじゃない。
同時にふたつの生き方をして、よりいい方を選ぶなんて事もできない。
だったら、後悔って、全くの無駄じゃないのだろうか?
でも、反省はした方がいいと思う。
反省とは、取り返しのつくことに対して行うものだと思うから。
もしあのとき、あんなにたくさんの塩を入れなかったら。
そう反省すれば、次に同じ料理を作るとき、今より美味しくできるだろう。
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