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 拾壱.郵便車

 荷物車同様、余り触れたくない車種である。よって、扱いは荷物車と同レベルである。

 マユ33
 逓信省所有車として製作された郵便車で、この車両から区分室のある郵便車には幕板部に採光窓が設けられるようになった。16両が製造されたが、戦時中に12が全焼し、戦後を無事迎えられたのは15両であった。また、生き残った車両のうち、2が進駐軍に接収されマニ33となった後、’53の接収解除で再度マユ33に復元されたが、その際中央の従業員室が狭い異端車となり、マユ33 111の番号をいただいている。この車両は区分室にあった区分棚を撤去、そのスペースを郵袋室としている。さらに同年、4〜8の5両が似たような改造を受け(区分室を郵袋室に)、101〜105に改番されている(4→105、5〜8→101〜104)。ちなみに、111に比べると101〜105は郵袋室が狭い。いずれもオリジナルのマユ33とはドアの位置と窓割が異なり、また、101〜105と111とは中央部(従業員室部分)の窓割が若干違うのみである。こういった後天的な改造により、マユ33は3つの形態に分けることが出来るわけであるが、オリジナルのマユ33にはリベットがある(車体外周及びシル・ヘッダー)ので、基本的に改造を受けた車両にもリベットはある。ただ、改造を受けた車両に関しては、その改造を受けた部位(車掌室側の荷物扉周辺)はリベットが消えている。台車はTR23。
 模型では、ハセガワからオリジナルの形態の製品が完成品の形で、KSモデルからオリジナルと101〜105をプロトタイプとした製品がコンバージョンキットとして、それぞれ発売されている。ただ、KSモデルの方はリベットの表現はされていない。

 マユ34
 マユ33とほぼ同時期に製造された郵便車で、マユ33と同じく逓信省所有車両である。マユ33と比べると従業員室が狭くなった分、積込室が広くなった程度で、脈々同じような車両となっている。もちろん、窓割等はそれに伴って差があるが。マユ33と同じリベットありの車体で4両が製造されたが、3が戦災で廃車となっている。また、戦後に5〜16が続番として製造されているが、この車両はすぐにマユ35に改番されているのでここでは触れない。また、後天的に車掌室新設の改造を受けたようなのだが、具体的にいつ受けたのかは不明である。なお、この改造により窓が一箇所埋められている。台車はTR23。
 模型の世界では製品化されていないように見えるのだが、実はkitcheNのマユ35がリベットこそないもののマユ34の改造前と同じ側面のキットとなっている。というか、正確にはこのキット、マユ34(戦後型)というほうが正確かもしれない。詳しくはマユ35の項目で述べることにする。

 マユ35
 戦後、マユ34の増備車として製造された車両で、マユ34を半切妻化(いわゆるきのこ型)した車両、という説明でほとんど事足りる車両である。実際、15両が製造されたがそのうちの12両はマユ34の続番としてマユ34 5〜16として落成している。残りの3両に関しては、初めからマユ35として落成している。マユ35に改番されたのは、車掌室設置改造のためだったのだが、後(?)にマユ34も同様の改造を受けたようなので実質的にはマユ34と何も変わらない、といっても過言ではない。窓配置もオリジナルのマユ34と比べると車掌室となった部分の窓が一箇所ないだけでそれ以外はまったく同じ、車掌室設置改造を受けたマユ34とはまったく同じ窓配置となっている。もちろん戦後製ゆえリベットはなく、先に述べた通りオリジナルのマユ34と違って屋根もきのこ型の半切妻となっている。台車はコロ軸受けのTR34を履いている。
 さて、製品だが、マユ34の項目でも述べた通り、kitcheNからキットが発売されていた。ただ、側板を見ていると本来車掌室となって埋められてしまっているはずの部分の窓が空いており、これはまさにマユ34の窓配置そのものなのである。したがって、厳密にマユ35としようとすると窓を一箇所埋めなくてはならないのだが、金属相手にそんなことはしたくない、というのが本音であり、また、私自身も図面を見て初めて気がついたのだが時すでに遅し、素組みでキットを組んだ後だった。といっても、ご多分に漏れずこのキットもすでに絶版であるが。

 オユ36
 なんと言うか、難解な車両である。’49(S24)にマユ35に引き続き6両が製造された郵政省所有車両で、’55にそのうちの1〜5が改造を受けている。問題はこの改造で、内装の改造により室内の配置が変わったのはいいのだが、それと同時に、電暖化改造を受け、それに伴う自重増加のためスユ37に改番されたというような記述をよく見るのだ。確かに後年オユ36は電暖化改造を受けスユ37に改番されているのだが、それがこの室内改装時に行われたとは考えられない。なんとなれば’58の客車配置表にははっきりと「オユ36」という文字が大ミハの欄に躍っている上に、それ以前の問題として、この時代に、電暖はまだ使用されていないはずである(むろん、戦前に湘南列車で使われていた電暖というものはあるが、それとこれとは明らかに別物なので置いておく)。よって、この時代にはこの車両はまだスユ37としてよりもオユ36として存在していた、と考える方がずっと自然であろう。また、オユ36 6は’56に別の改造を受けスユ40 11となっている。詳しい改造内容に関しては、「模型的見地」からすると余り意味がないと私は考えるので省略する。台車はTR23B。
 製品であるが、kitcheNが「オユ36(改装後)」という製品を出しており、これが’55に改造を受けた後のオユ36 1〜5に該当する。また、オユ36 6改造のスユ40 11の方も、同じくkitcheNから発売されていた。まぁ、絶版だが。後、なぜか改装前のキットが出てないのだが、これは、何としたことかもっとも有名な図面集であるところの「鋼製客車形式図集」(鉄道史資料保存会編)にも改造後の図面しか出ていないのが原因ではないか、と勝手に考えている。しかし、何故図面集に出ていないのだろうか…

 スユ41
 オユ40(改造後スユ40)に続いて2両が製造された郵政省所有の郵便車。オユ40からすでに完全切妻車となっており、この車両もそうである。台車はTR23B。
 製品はまだどこも出していない。

 スユ43
 スユ42の少し後に6両が製造された護送便専用郵便車(車内で郵便区分業務をせず、区分済みの郵便物を運ぶためだけの車両)であり、区分室がないため明り取り窓がなく、荷物車風情の形態をしている。台車はTR23D。
 製品では、BONA FIDE PROJECTがエッチングキットを出している。

 オユ61
 鋼体化改造客車シリーズである60系の中で、オユ60に続いて2両が鋼体化改造された郵政省所属の郵便車である。1・2が存在したが、’55(S30)にオユ60が改造されオユ61に編入、3・4を名乗っている。台車は全車TR11。
 製品ではオユ60を含めて、両タイプ(1・2と3・4)とも、kitcheNからエッチングキットが発売されていた。

 スユ72
 形式番号からもわかるとおり、戦災復旧車であり、客車復旧車であったスユ71に車掌室とデッキの設置改造を行って改番された車両。1〜15がスユ71として復旧され、その全車がスユ72へ改造されている。台車はTR23。
 製品では、kitcheNが前身のスユ71を発売していた。

 オユ11
 軽量客車シリーズとして最初に製造された郵便車オユ10に引き続き製造された郵政省所属の郵便車で、この時代には’57に落成した6両が存在した。オユ10に比べると区分室が若干広く、この結果窓配置が若干異なり採光窓が一つ多くなっている。
 模型ではまだ製品化されていない、はずである。ただ、後になって製造された冷房搭載車のほうは、製品化されていたような気もするが、細かいことは失念した。


 すでに述べた通り、この時代の各急行に使用されていた荷物車・郵便車の受持区というのは今の手持ちの資料では私には多くを語れない。よって、とりあえず編成記録等から推測した各急行の荷物車の受持区と、主に使われていたであろう車種をまずまとめてみることにする。これは、主に’57-10改正〜’58-10改正間の記録を元にしている。

11レ・12レ「なにわ」
荷物車:広ヒロ マニ31・32
郵便車:大ミハ スユ43

13レ・14レ「明星」
荷物車:大ミハ マニ60・74・31・72・76
郵便車:東シナ マユ33 100

15レ・16レ「銀河」
荷物車:東シナ マニ31・32

17レ・18レ「彗星」
荷物車:大ミハ マニ60・74・31・72・76

19レ・20レ「月光」
荷物車:東シナ マニ31・32

21レ・22レ「安芸」
荷物車:広ヒロ マニ31・32

23レ・24レ「瀬戸」
荷物車:岡オカ マニ60・32・74

25レ・26レ「出雲」
荷物車:東シナ スニ30

201レ・202レ「大和」
荷物車:天リウ マニ76・74

203レ・204レ「伊勢」
荷物車:名ナコ マニ60・76・72・32・31・74


31レ・32レ「阿蘇」
荷物車:熊クマ マニ72・60・74・76
郵便車:東シナ オユ11・36・61・スユ41・72・マユ35

33レ・34レ「雲仙」
荷物車:門サキ マニ72・32(半切車)・60

35レ・36レ「高千穂」
荷物車:東シナ スニ30

37レ・38レ「霧島」
荷物車:鹿カコ スニ30

39レ・40レ「西海」
荷物車:門ハイ? マニ72・74?
進駐軍用荷物車:東シナ 軍用マニM(マニ31・32)
郵便車:東シナ オユ11・36・61・スユ41・72・マユ35

41レ・42レ「筑紫」
荷物車:東シナ マニ31・32

43レ・44レ「さつま」
荷物車:東シナ マニ31・32
郵便車:東シナ オユ11・36・61・スユ41・72・マユ35

 荷物車の車番がばらばらになっているのは、’58-10現在の配置表からみて、確率的に充当された確率が高い車両、つまり、より多くの両数が配置されていた順に並べているためである。実際の運用にはある程度の限定がかかっていた可能性もあるが、あまりにサンプル数が少ないためにその辺のことはまったくわからない。また、あくまで実際の編成の記録を参考にしているため、サンプル数が少ない上にイレギュラーなものを参考にしていた場合、そもそも受持区が間違っている可能性もある。さらに、’57-10改正〜’58-10改正間の編成の記録を元にしながら、参考にした配置表が’58-10現在であるから、どこまで信憑性があるのか、というのは自分で言うのもなんだがかなり怪しい。信頼するか、しないかは読者諸氏のご判断にお任せする。郵便車のほうも、脈脈同じような感じである。無責任かもしれないが、ご容赦いただきたい。というか、むしろこの辺の資料をお持ちの方はご一報いただきたいくらいである…。
 最後に、上にあげた各区の、’58-10現在の該当車種の配置を一覧にしておく。

東シナ
スニ308 33 36 41 71 75 85 90 91 93 101
マニ3112 32 37 46〜49 52 56〜58
マニ321 4 5 8 13 15 20 21 24 26〜28 33 62 76〜81 91〜93
オユ111〜6
オユ126〜9
マユ33101〜104
マユ351〜3 13〜15
スユ411 2

オユ12は、’58-10に製造された護送用郵便車で、恐らく運用としてはマユ33 100と共通だったのではないか、と考えられる。

名ナコ
マニ3110 15 25
マニ329 25 73
マニ6042 425〜429
マニ728 16〜18
マニ7473〜75
マニ7611〜13 25〜27

大ミハ
マニ313 8 11 27 40〜42 51
マニ6010〜14 211〜237 301 302 371〜375 430 431 449〜451
マニ725 6 21〜23
マニ741 2 64〜70
マニ7618〜20
スユ435 6

天リウ
マニ743〜7 71 72
マニ765〜7 21〜23 34 35

岡オカ
マニ3263 71 72
マニ6037〜40 306 307
マニ748 14

広ヒロ
マニ3143 50
マニ3214 64

門サキ
マニ3237〜40
マニ60305 365〜367
マニ729 10 15 19 20 25

門ハイ
マニ749 10 12
マニ7624 33

熊クマ
マニ60359 360
マニ7211〜14 24
マニ7411 13
マニ7636 41

鹿カコ
スニ301 26 27 72 74 97 104〜106

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