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 拾.荷物車

 正直なところ、余り触れたくない項目ではある。複雑なも経歴の持ち主も多いし、何よりも各編成における所属をはっきりと私自身も把握できていない、という現状がある。だから、とりあえずこの時代の東海道の急行に組み込まれていて、使えそうな製品の紹介に毛が生えた程度の解説でお茶を濁させていただくことにする。

 スニ30
 いわゆる31系シリーズの17m級全室荷物車でスニ47800→スニ36500・36650→スニ30という経歴をたどった一族。スニ47800として108両が製造され、改番によりスニ36500〜36583・スニ36650〜36673、さらにスニ30 1〜108へと改番されていった。形態的には標準的な17mダブルルーフ車の形態で当然のごとく縦リベット及び車体外周・シル・ヘッダーリベット打、また、スニ36500に改番された47800〜47883→30 1〜84は、木造車時代を踏襲した窓高660mm、47884〜47907→30 85〜108は、窓高が広がり735mmになっている。基本的な窓配置等には差異はない。戦災で18・23・34・42・69・78・92・96・98の9両の戦災車と2両の行方不明車(番号不詳)を出し、さらに’60までにぽろぽろと廃車が出ているが、その年次と車番は不勉強のため不明である。また、変種として、28が丸屋根化改造を受けており、また、スユ30 28が、そのままの窓配置でスニ30に編入され、スニ30 109に改番されている。
 モデルの世界では、なんともはや驚くべきことに両タイプとも製品化されている。キングスホビーからトータルキット(台車別売り)としてスニ36650が、Yellow Trainからコンバージョンキットとしてスニ36500(製品名はスニ30)が、それぞれ発売されている。いまいち製品が手薄なこの時代の荷物車としては意外なほどに恵まれている形式である。

 マニ31
 分類としては32系シリーズの全室荷物車として分類される20m級全室荷物車で、マニ36700として製造された18両(36700〜36717→31 1〜18)がダブルルーフで、マニ36750として落成した54両(36750〜36803→19〜72)が、シングルルーフで、それぞれ落成している。このうち、59〜72の14両はマニ32と構造が同一(トイレが付いている)であったため、’53(S28)にマニ32に編入されている。また、55・71を戦災で失い、進駐軍に接収された車両のうち、オシ30 1となった6は、その後マニ31に復旧されずに一生を過ごた。戦争を超えたマニ31のうち、7は’52(S27)長野工場で更新修繕の際丸屋根に改造され、’56(S31)に22・33・45の3両が便所設置改造を受けマニ32 91〜93に編入、さらに’59〜60(S34〜35)にかけて、さらに相当数の(20両以上)車両が同様の改造を受けマニ32に編入されている。とりあえず、改造が確認が出来ている車両は、7・24・26〜29・32・35〜37・40・41・47・48・51・53・54・56〜58であり、逆に無改造が確認できているのが1〜5・8〜18・19・21・25・31・38・42・46・49・52で、ある。形態的にはマニ36700系が、先に述べたとおりダブルルーフで縦リベットあり、マニ36750系がシングルルーフで縦リベットなしの、車体外周・シル・ヘッダー上リベットあり、という標準的なスタイルである。また、それを考えると、丸屋根に改造されたマニ31 7は、縦リベットありで丸屋根という、珍妙なスタイルであった、ということになるのだろうか。また、製造当時からトイレ付であったマニ31 59〜72は、19〜58と若干窓割が違う。
 模型ではマニ36700・36750系、ともに完成品がハセガワからナカセイの再販製品が出ている(製品表記はそれぞれマニ31W・マニ31)。また、マニ36750系をプロトタイプとしている製品は多数派のマニ31 19〜58をプロトタイプとしている。

 マニ32
 狭窓車ではあるが、35系シリーズに分類される20m級全室荷物車である。元々マニ36820(マニ32)として製造された車両は64両(24両は旧番号制度の5桁番号 マニ36820〜36843・残りの40両は新番号制度 マニ32 25〜64として落成、うち35〜64は戦後製)であり、その他に先に述べたとおり、マニ31から編入された車両が存在する。戦災で22が、事故で3が、それぞれ’45に廃車となっている。オリジナルのマニ32には大きく分けて3タイプあり、まず、マニ36820〜36836→マニ32 1〜17がいわゆる張り上げ屋根構造、マニ36827〜36843及びマニ32 25〜34→マニ32 18〜34が、ごくごく標準的なスタイル、そして戦後製の35〜64が、いわゆるきのこ型半切妻と、それぞれあいなっている。さて、リベットだが、はっきりいって、よくわからない。どうやら、張り上げ屋根構造をもつ車両(1〜17)に関しては、全車リベットはなかったようだ。で、写真とにらめっこした結果、マニ32 32に関しては、どうやらリベットがないらしいということも確認できた(鉄道ファン No.42)。このことから、同じ年に製造された25〜34に関しても、恐らくリベットはないだろうという推測が成り立つ。では、全車に関してリベットがないんじゃないか、という気もするのだが、ところが、進駐軍に接収されたマニ32のうち、マニM-3212の番号をいただいた車両の写真を見ていると、どう見てもリベットがあるようにしか見えない(鉄道ジャーナル別冊No,27 JR・民鉄客車列車大追跡)。この車両の元番号が判らないからなんともいえないのだが、マニ32の中にリベットありの車両が存在するという事実は動かしがたく、そうすると、製造年次から考えても、18〜24は、少なくとも18・19の2両は、リベットがあったのではないか、と思われる。無論、戦後製の35〜64に関しては、リベットはない。ちなみに、マニ31からの編入組は当然種車のスタイルを踏襲している。
 製品だが、この時代の20m級全室荷物車として最も汎用性の高い車両にもかかわらず、近年までまったく恵まれていなかった。かろうじてkitcheNが戦後型をプロトタイプとしたキットを出していた程度でそれすら絶版という状況だったが、ようやくレボリューションファクトリーから一般的な戦前タイプ(張り上げ屋根ではない車両・リベットなし)とマニ31 59〜72(マニ32 71〜83)のコンバージョンキットがリリースされた。ほとんど最後の空白地帯とも言える部分を埋めてくれた意義は非常に大きいといえよう。
 余談だが、kitcheNのキットは少々難易度は高いものの、きちっと組めばいいものが出来るものが多く、個人的には好きなメーカーではある。色々な制約で大量生産できないとのことだが、応援していきたいメーカーである。具体的に何が出来るわけでもないが。

 マニ60
 60番台をいただく車両はいわゆる鋼体化改造車であり、マニ60はその一連のシリーズの中の全室荷物車で、言うまでもなく20m級である。後天的な改造でマニ60に編入されたものはこの時代にはいない(かろうじて’59から他形式からの改造が始まってはいるが)ので、触れない。元々マニ60として生まれた車両には車体構造から見て大きく分けて2種類あり、まず1〜44が一つのグループ、そして、201〜245・301〜307・351〜461がもう一つのグループ、となっている。後者はさらに、200代が裏縦貫・北海道用(201〜240が青函航路航送用、241〜245は純然たる北海道向け)で魚腹台枠車、301〜307は本州用で溝形鋼台枠車(非魚腹台枠)、351〜461が本州用で魚腹台枠車、というような陣容になっている。ちなみに、1〜44の台枠は薄形鋼台枠車であり、200番代の車両の蓄電池箱は、北海道用車両によく見られる大型のものとなっている。
 Nゲージでは元々GMとKATOがマニ60を出しており、そのうちGMのキットの方が201〜245・301〜307・351〜461のタイプの車体をプロトタイプとしており、「使える製品」である。これに対し、KATO製品の方は別のタイプ(ハユニ63・64、ハニ61・62からの改造車)をプロトタイプとしているため、この時代を基準としてみた場合は「使えない製品」である。また、その隙間を埋めるべく(?)、怒涛の勢いのKSモデルがコンバージョンキットとして1〜44をプロトタイプとしている製品を発売した。ちなみに、KSモデルは他にハユニ61・62改造のマニ60(製品表記:マニ60 571.572.576.577及び、マニ60 586.604)や「スユニ改造のマニ60」(同:マニ60(スユニ改) 702.703)といったマニ60を発売しており、これにより一通りのマニ60が製品化されたことになる。ただ、この最後の「スユニ改造のマニ60」というのがどんなものなのか、図面集を見ても見つからなかった。何なのだろう…こいつは…。少なくとも、この時代には存在していないことだけは確かだ。

 マニ72
 いわゆる、戦災復旧車といわれる一連のシリーズというのは、模型のネタとしては魅力的ではあるが、その生い立ちも絡んで極めて資料が少ない。いわずと知れた、70台の形式番号を冠する車両が戦災復旧車であり、このマニ72も、その戦災復旧車の一員である。元々荷物車として製造された、20m級全室荷物車で、戦災復旧車としては最も新しい車両となり、それだけに整ったスタイルとなっている。台枠を流用しているので70番台を名乗っているが、車体は新製であり、新製であるから当然リベットはない。この形式に限らず、戦災復旧車で車体を新製している車両は基本的にリベットはない。25両が製造され、そのすべてが電車からの復旧車である。車体を新調しているのに何故か電車ばりのスタイル(窓の天地幅が大きい)をしているのは、なかなか面白いものである。25両とも、各扉上部の水切りの位置、形が若干違う程度で、車体に関しては各車間で差異はない。マニ72 24を除き両側に幌を備えており、マニ72 5のみがTR13を履く変種である(他の車両はTR23)。
 こんな車両がモデルで出てたまるか、と思っていたら、最近のNゲージ界は恐ろしい、なんともはや、kitcheNがコンバージョンキットを発売した。もっとも、ご多分に漏れずすでに絶版(休止?)状態であるが。

 スニ73
 17m級の全室荷物車で、オハ70を経て荷物車となった車両である。当初は34両が存在したが、スニ73 1が洞爺丸とともに津軽海峡の藻屑と消えており、この時代には33両が生き残っていた。種車となった電車の種類により「30系グループ」と「50系グループ」に大きく2種に分けられ、このうち「30系グループ」の方は種車の車体を流用しているのに対して、「50系グループ」の方は台枠のみを流用し、車体は新製している、らしい。無責任な言い回しだが、完全に裏が取れない上に如何せん資料の少ない戦災復旧車ゆえ、ご容赦いただきたい。さて、33両の、各グループの内訳は以下のようになっている。

台枠

車番

30系グループUF202 4 5 6 15 22 23 26 33
UF2425
UF2510 16 18 28
50系グループUF32(UF11系)30
UF113(UF11系)3 11 32
UF113(UF14系)12 21 27 29
委細不明7 8 9 13 14 17 19 20 24 31 34

何故台枠形式まで書いたかというと、これによって魚腹台枠車か否か、という事がわかるからである。あいにくと私は電車方向まで資料を集めていなかったので詳しいことは書けないが、スニ73 6が魚腹台枠車であることから(サイドビュー国鉄一般型客車)、UF20型台枠を流用している車両は魚腹台枠を持っているのではないか、と思われる。また逆に、スニ73 25の写真(サイドビュー国鉄一般型車両)を見ると、魚腹の影が映っていない。よって、UF24型台枠は魚腹ではないらしい…と、表を見たら同じ台枠を使っている車両は他に判明していなかった…。とりあえず、台枠に関してはもう少し掘り下げてみたいとは思っている。車体に関しては「30系グループ」の方は種車の車体を流用しているためにべっこんべっこんの外板にリベットごつごつの車体を持っているのに対し、「50系グループ」の方は車体を新製しているのでどうなっているのか判らない。リベットはないと思うのだが…。何故かこのグループの車両の写真が見つからず、「30系グループ」の写真ばかりなのである…。
 模型だが、疾風怒濤、疾風のように現れて、疾風のように去っていったkitcheNのキットが、今のところ唯一の存在である。ただ、困ったことに今ではキットの現物を確認できない(うちの環境では)ので、プロトタイプがどれかは不明である。ただ、リベットがなかったのは覚えている。

 マニ74
 戦災復旧車の荷物車の中で、この車両ほどそそるスタイルをしている車両もおるまい。有名な半流線形型の妻面を持っている車両はこの形式に属している。元々はオハ71として復旧された車両で、1〜14が電車復旧車、50〜81が客車復旧車、となっている。このうち、有名な半流線車は電車復旧車のうちの半数(2 5 8 10 12 13 14)が該当し、残り7両の電車復旧車は平妻車となっている。また、この電車復旧車の中で10のみが種車の車体(モハ60064)を流用しているため他の車両と微妙に窓割が違う。ただ、種車から見てリベットはなかったと考えられる。さらに、12・13は客車ばりに窓の天地寸法が小さくなっている。窓配置に関しては不明である。と、いうか…何で車体を新製していて、電車ばりの窓幅なのだろうか…戦災復旧車は。それに、マニ72なんか半流の台枠使ってる車両は台枠改造をして平妻に叩きなおしているというのに、何故マニ74(の前身のオハ71)は半流の妻なのだろうか…。マニ72の方が復旧年次は後なので、その辺も絡んでいるのかもしれないが。まぁ、おかげで、半流の妻面をもつ荷物車というけったいな代物が出てきたわけだが。ちなみに、客車復旧の50〜81に関しては手元に一切資料がないため、委細不明である。
 模型では、もうここしかないでしょう、kitcheNが「電車復旧の窓でかい車体新製車バージョン」(無論、私が今便宜上でっち上げた名前である)を一応出していた。現状では店頭在庫のみっぽいが。一応、平妻、半流線妻、どちらでも組むことが出来るようなキットになっているが、半流線妻で組むには、多少の経験(妻の曲げ、半流にするための全長調整等々、主に現物合わせの、しかも金属加工)が必要であろう。基本的にkitcheNのキットは瞬間接着剤で組むことが前提(説明書には「金属部分はハンダ付けでかまいませんが、板厚が薄く長時間コテをあてるとひずみますので注意。」としかかかれていない)になっているのかどうかわからないが、やはり半田で組んだ方がいいと思う。板厚が薄いから、半田付け作業にかかわらず、慎重な取り扱いをしないとすぐに歪んだりするが、その代わりその繊細なキットから出来る車両はかなりいいものである。それなりの難易度もあり、「作った」という実感も持てる、なかなかいいキットだと思う、kitcheNのキットは。

 スニ75
 形式からもわかるとおり、17m級の全室荷物車であり、オハ70として復旧したものを荷物車へと再改造したものである。1〜79・91〜110・151の100両が存在し、このうち91〜110の20両が電車復旧車、残りの1〜79・151が、客車復旧車となっている。このうち、電車復旧については、スニ73と同じく台枠によって「30系グループ」「50系グループ」に分けることが出来、いずれも台枠のみ流用で車体は新製となっている。

台枠

車番

30系グループUF2091 92 93 94 99 100 101 106 109
UF25106
50系グループUF32(UF11系)110
UF112(全溶接)95
UF113(UF14系)103 104
委細不明96 97 98 102 105 107 108

 台枠の詳細に関しては、スニ73のところで述べた通り、勉強不足である。基本的に台車はTR11だが、91のみがTR23を履いている。ちなみに、客車復旧の1〜79・151に関しては、まこと情けないことに資料がなく委細不明である。151に関しては、一度スニ73 111となったものを’53の客車改番の際に151へと改番されている。しかし、何故に電車復旧の車両の資料しかないのだろうか…。
 模型ではもはや戦災復旧ではここ以外はありえないkitcheNがキットを出していた。ただ、キットを見る限りでは妻が折妻になっているのだが、うちにある資料の中ではそのような折妻の車両の写真というのは確認できなかった(91・106)。もしかしたら客車復旧の方はそのような形態になっていたのかもしれない。ただ、窓割は電車復旧のものと合致している。

 マニ76
 マニ74と同様、オハ71を改造した20m級全室荷物車で1〜37・41・91〜93の41両が改造され、このうちの1〜37が客車復旧車、41・91〜93が電車復旧車と、このようになっているが、91は洞爺丸と共に海の藻屑となり廃車となっている。いずれも台枠のみ流用で車体は新製、窓の天地幅に関しては珍しく(?)客車並となっている。ただ、客車復旧の方が全車台枠のみ流用かは不明である。台車はTR23/34、窓配置は、サンプル数1対1ゆえ有意な統計とはいえないが、一応客車復旧車と電車復旧車で変わらないようだ。
 模型の世界ではkitcheNが…、となるはず(?)が、この車両は発売されていない。すなわち、何処のメーカーも発売していない。まぁ、この車両が発売されていないことに首を傾げてしまう現状の方が変なのかもしれない…。変かどうかは別にして、数年前では考えられない状況ではある。

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