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ソウルへの道 ・1
あの司馬遼太郎の「韓のくに紀行」超える大作!(んなわけないよな〜〜)(^^;
■1997年8月13日
早朝午前6時、私はぎっしりと荷物の詰まったバックパックを背負い朝一番の地下鉄で札幌駅へ向かう。
朝早いということもあるが、お盆に入っただけあってさすがに人が少ない。
札幌駅から、新潟行きのフェリー乗り場のある南小樽へ普通列車で向かう。
8時頃南小樽へ到着。ここからフェリーの出る勝納埠頭まで徒歩10分ぐらいである。
で、南小樽駅に着いたのだが朝8時を過ぎたと言うのに駅前でシュラフにくるまって寝ている輩がいる。
これは、マナー違反である。STB(駅ネ)をするなら始発が出る前に起き撤収するのが仁義である。
さて、一時よりは少なくなったとはいえ、旅人に大人気の日本海航路である。
フェリーターミナルの前のローソンは、内地ナンバーのバイクや車で一杯である。
フェリーターミナル内も帰省客の親子連れ(と言えば聞こえはいいが、要はガキの集団である)
でいっぱいで、普段フェリーなんぞに乗らないガキが、おだって走り回っておりうるさいのである。
私が乗るのは、1030発新潟行きの日本海フェリー「フェリーあざれあ」である。
既に20000トン近くもある大きな船体を横付け出航準備を整えていた。
1階のカウンターで乗船手続き後、乗船客の列に並び待つ事1時間半。ようやく乗船が開始された。
帰省シーズンだけあって乗船定員いっぱいである。
私は長いギャングウェイを歩き、2等船室へと入っていった。 2等船室・・・当然雑魚寝なのだが、
フェリーの船旅は、同室者がどういう人間なのかで決まるのである。
隣の人間が鼾をかこうものなら最悪である。今回の船旅は、18時間と言う長丁場になるので、
そこのところが一番重要である。
で、今回の同室者は、男5:女15という恵まれた(自分の今までの経験から)比率。
しかもうるさいガキはいない!
旅の最初からツイてる、と思った私であった。
先に出航する敦賀行き「ニューあかしあ」(撮影・小樽港フェリーあざれあ船上)
航海は夏の日本海が大体そうであるように波も穏やかで快適であった。
ただ、食事は3食カップ麺。(船には必ず給湯機が付いているため、カップ麺を持ち込む旅人は多い。)
デッキにはつがい者ばかり。そんな中、一人でカップ麺をすするのは悲しいものであったが。
昼間は船は沿岸部を航行するためかデッキでは携帯電話で話している人もいる。
船内のシアターで映画を見たり、ロビーで新聞を読んだりデッキで昼寝、と各々が思い思いの船旅を楽しんでいるようだ。
翌日0530、雲間から朝日が射すころ新潟港へ着いたのである。
ソウルへの道【2】(日本国内編・2) へつづく
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