このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

ソウルへの道・2


■8月14日
朝日の射す中、0530時、「フェリーあざれあ」は、ゆっくりとその大きな船体を新潟港につけた。 殆どの旅客は車で下船し、徒歩の客は40人ぐらいであった。 新潟駅までは、バスに乗る。早朝のまだ眠っている新潟の街をバスは駅へ向かって走っていった。
新潟駅前にて
新潟駅からは、東京へ向かう事になる。と、いっても貧乏旅行の私の事。 新幹線などと言う贅沢なものは使わず、青春18きっぷの鈍行旅行となるのであった。 空は晴れ渡り、心地よい風を浴びながら越後平野を列車は南へと向かった。 途中、長岡、水上で列車を乗り継ぎ、国境(くにざかい)のトンネルを抜け、私は一路高崎へ向かった。 だが、水上から高崎まで大混雑。ずっと立ちっぱなしだったのである。 高崎から、鉄道ファンの聖地「横軽」へ向かった。 関東平野に入ったころから外は打って変わって雨模様となり陰鬱な感じであったが、初めての路線はいつも心高鳴る ものがある。
1400時頃、横川駅へ着き有名な釜飯で昼飯とする。 ホームでは、カメラを構えた「同志」(笑)が、カメラの砲列をしき、入線する列車にシャッターを切っていた。 軽井沢までの切符を買い、最初で最後の横軽体験となった。 碓氷峠の急坂を登るEF63とあさまの姿を撮ろうと雨にもかかわらず、沿線にも「同志」がいっぱいであった。 「あさま」の車内も大混雑で、ここでも私は、立ちんぼうであった。(しかも、私は海外行きの大荷物。)
軽井沢に着いたものの、洋風の駅舎は、すでに無く、プレハブ作りの簡素な駅舎になっていた。 周辺はガスがたち込め、しとしとと降る雨に外に出る気にもなれず、折り返しの普通電車で 高崎へ戻る事とした。
が、 数少ない普通電車。軽井沢に着いた時にはすでに大混雑。そこに、軽井沢から更に大勢の乗客。 当然、車内はすしづめ状態。もちろん座れるはずも無く、立ったまま高崎まで戻ったのである。
ようやく、すし詰めから解放され疲れきっていた私は、上野までの快速の車中はずっと眠っていたのである。
14日の宿は、時刻表で見た浅草のカプセルホテルに泊まる事となった。 その夜、ホテルのロビーは、コミケのコピー本製作所となっていたのである。 おそらく、そこにとまってたかなりの割合はコミケ行きの人間ではと思われるのであった。 数人でかたまりカタログを見、コピー本を作るさまは、私の人生の中で経験した事のない DEEPな世界であった。

■8月15日 その日は、朝から雨だった。
今日は、終戦記念日。だが、有明のオタク達にゃ関係ない。 戦没者追悼式典で「Air(Kanon)」が流されたとニュースで聞いて、弐号機と量産機の戦いを想像した私は、

精神汚染Yに突入していたのか・・・(^^;

(注釈:当時はエヴァンゲリオンの映画が公開されブームの真っ最中であったのである)
閑話休題。
有明のビッグサイトはとにかくでかかった。大勢の人が蠢き並ぶ様は形容しがたいものだった。
1500時頃、有明を抜け秋葉原をぶらつくも、お上りさんの私にはさっぱり???であった。
今日も昨日と同じ所に泊まることに。 宿のフロントには、大量の同人誌らしきものが詰まったダンボールの山。 ロビーの様子も昨日と同じ。あちこちでコミケ談義に花が咲いている。 私にとってこの日が大いなる衝撃の1日であった事は確かである。

■8月16日
コミケ(コミケット/コミックマーケット52)2日目。 東京駅からのバスは、9割が女の子。自分一人が浮いているような錯覚にとらわれる。 0930時頃有明着。薄曇りの空の下、駐車場には、ン千人の行列がうねうねと伸びていた。 昨日より更に人込みは増していた。 ただただ圧巻。 コミケおそるべし。
早めに切り上げ、1400時頃東京駅に戻る。 で、東京駅から秋葉原を経由し、浅草まで歩いて帰ったのだが、 コミケで消耗した体で、見知らぬ土地を歩くのは大変であった。 晩飯は上野駅前の吉野家で牛丼を食う。(もちろん特盛。) 宿は、同じ所に3泊目。

■8月17日
コミケ3日目。 昨日とは打って変わって、東京駅からのバスは8割が野郎。(自分もだが・・・) 本命のサークルが出るのもこの日が多い。 0900時頃有明に着いたのだが、駐車場の行列は昨日より更に長く、 今日の人出を予想させるには十分であった。 同人誌を何冊買ったか、などと言う事はここでは省くが、 かなりの出費となったのは確かである。 コスプレの会場は、まさに異次元であり普段着でいるとみょーに落ち着かない。 噂には聞いていたものの、あたり一面がコスプレ集団と言うのは・・・・
コミケをたっぷり堪能(?)した後、品川へ向かう。 今日(17日)、臨時の普通列車(大垣行き)でいよいよ西へ行くのである。 しかし、コミケで買ったグッズや同人誌の重さで更に重くなったバックパックは、 疲れた体に鞭打つかのように肩に食い込み、(25kg近くはあったのでは?)体力を奪っていく。 夜の品川駅ホームは、臨時大垣行きを待つ人たちの列で埋め尽くされていた。 駅前のマックのハンバーガーを夕食にし、ホームでわびしい夕食を取っていたが、 周りは、ほぼ100%コミケ帰りと見受けられ、コミケの紙袋や同人誌を持ってる人で いっぱいであった。
そして、待つ事4時間、「臨時大垣行」が入線した。臨時大垣行き9375M(撮影・品川駅)早くから並んだ甲斐あって、座席は確保したものの、車内はデッキ通路問わず、人、ひと、ヒト、使徒(これは間違い) の山。トイレにいくのも難儀する大混雑であった。 古びた湘南色の電車は日付が変わる少し前、満員の乗客を乗せ、 品川を発車し、街の明りを抜け、西へと向かったのである。

いつになったらソウルに着くのやら・・・・
ソウルへの道【3】(日本国内編・3) へ続く


おまけ:
コミケで買った同人誌は、全部で6冊。 (PEPPY ANGELさん、キタキツネ本舗(現・きたきつねほんぽ)さん、あと、旅行本も少々)
その他に、NERV手ぬぐいも購入。 …当時はエヴァ熱がすごかったのね。

 

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