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ソウルへの道・4
■8月20日 朝、目覚めるとフェリーはすでに釜山港内に停泊していた。 どんよりとした曇り空、初めての異国は海の上からの景色だった。 0830時、フェリーは静かに釜山港フェリーターミナルに接岸し 下船が始まった。 入国審査、税関検査も無事通り、フェリーターミナルから出ると 空は、晴れ上がりむっとした蒸し暑さが私の体を包み込んだ。 フェリーターミナル内の銀行で3万円をウォンに両替すると 224,480ウォンとなり、たちまち札束が帰ってきた。 (当時のレートは¥100=W748だったのである。)
釜山市内に出て、まず宿探しを始めた。 と言っても全く知らない街。言葉もろくに通じない。 手持ちのガイドブックだけを頼りに安宿を当たってみた。 片言の韓国語で何とか宿を回って交渉し、地下鉄駅近くのある一軒の安宿に決まった。 そこは、2畳ぐらいの小さな部屋で、シャワーはなくトイレは共同、 クーラーもなく、隅っこでゴキブリがうごめくような宿だった。 これでも10000ウォン(約1340円)もしたのだが・・・・ その日は、釜山市内観光にすることにした。 小高い山の上、玄界灘を見下ろす竜頭山公園にきたとき 突然、爆音とともにジェット戦闘機の編隊が低空で頭上を飛び去ったのである。 私は、これには度肝を抜かれた。 そして改めて韓国が準戦時下体制にあることを感じたのであった。
釜山市内
その後、地下鉄に乗り国鉄(KNR)釜山駅へ向かった。 翌日に乗るソウル行きの列車の予約のためである。 しかし、私の韓国語は付け焼き刃の急造品である。 会話もままならないので、紙にハングルで希望列車、行き先を書き、 窓口に出すとあっさり予約が取れた。 8月21日1000時釜山発超特急「セマウル」列車番号8、15号車14番の席がとれた。 料金は23100ウォン(3100円)。 日本だったらこの3倍はするだろう。韓国の交通機関の料金の安さのは感心させられる。 その日の夕食は、コンビニで買っためちゃ辛いカップ麺。 韓国のコンビニは必ず店内に飲食スペースがあり、無料でお湯が用意されているので 店内で買ったカップ麺をその場で食べていく人が多いのである。韓国ではよく見かける「LG25」のコンビニ。今回の旅ではよくお世話になった。
韓国では、水道水を直接飲むよりミネラルウォーターをか買って飲むようで、 売っているミネラルウォーターが豊富であった。1.8リットルのが 750−1300ウォン(デパートの方が一般の商店より安い) また、非常に蒸し暑いため、がちがちに凍らせたミネラルウォーターが 売られているのである。 暑さでへばっていた私も早速凍ったミネラルウォーターを買ったのだが、 ふたを開けると水が噴き出し、しかも、なかなか溶けないのでいらいらさせられた。 宿に戻ったものの、網戸がないので窓が開けられず、(あけると虫が入ってくる) ひたすら生ぬるい空気を攪拌するだけの扇風機がずうっとうなっていた。 テレビは、ノイズ混じりの日本の野球中継放送と、韓国語の放送。 (韓国だから当たり前なのだが・・・) 初めての異国の夜は、蒸し暑さと枕元をはう虫たちと共に過ぎて行ったのである。 ■8月21日
その日の釜山は抜けるような青空であった。 朝8時に宿をでて、近所のマクドナルドで朝飯。 ハンバーガーとコーラ、ポテトのセットで、1600ウォン(215円)。 ・・・・どうも韓国に来てもろくなものを食ってないようだ。 マクドなら世界中どこでも同じようなものだし… 釜山駅へ向かい、売店でキムパプ(韓国風海苔巻き)を買い、車中での昼飯用とする。 0945時、セマウル号専用改札が開きソウル行きの改札が始まった。 流線型のディーゼル機関車を先頭に16両のステンレスの車体が、釜山駅ホームに はいっていた。セマウル号。横に韓国国営鉄道の「KORAIL」のロゴが。
日本の新幹線と同じ標準軌なので、車内は広く2x2のゆったりとした座席が並んでいた。 座席は、新幹線のグリーン車並(座ったことはないが・・・)で、普通車なのに、 肘掛けの幅も広く、フットレスト付きの豪華なものでありさすが韓国の誇る 豪華特急だな、と感心したのである。快適なセマウル号車内
やがて韓国語と、英語の車内放送と共に定刻1000時、セマウル号は釜山駅を出発した。 車内の座席はほとんど埋まっている。 どちらかというとスーツを着たビジネスマンやきちんとした身なりの人が多く、 Tシャツ姿の私はどうも落ち着かない… ソウルまでの路線、「京釜線(キョンプソン)」は日本統治時代、満州への直通特急 が走っていた路線であり、特急「あかつき」「ひかり」「のぞみ」が満州で走っていた 頃からの主要幹線である。 南北に朝鮮半島が分断され、大陸への直通列車も走らなくなった今も、 ソウルへの主要ルートなのである。そのせいか、あちこちで様々な種類の列車とすれ違う。 貨物列車も結構走っており、「鉄道は、兵器なり」ということを感じさせられる。 日本とさほど変わらない風景の中を時速120kmのスピードで列車は走っている。 1240時ごろ朝鮮戦争(6.25戦争・ユギオ)の激戦地、忠清南道の道庁所在地、 大田(テジョン)に止まった。 しかし、窓の外は釜山の良い天気のかけらもなく、どんよりと曇っており今にも雨が 降りそうな気配であった。 ここで、乗客が結構下車し、車内は空いてきた。 ソウルへ近づくにつれ空は、どんどん暗くなりやがて雨が降り出した。 ソウル郊外の水原(スウォン)を過ぎ、ソウルの街の中へと入っていった。 すれ違う列車が多くなり、都市部へ来たことを実感させられる。 ソウルが近づき、長い鉄橋で漢江を渡り、1420時、ソウル駅へ定刻に着いたのである。 だが、外は土砂降りの雨。しかも普通車の停車位置のホームには屋根はなかった。 札幌からの長い旅。 やっと来たソウルの街。 一人旅の身に無情の雨が滲みてくる。 宿も決めてない。今日の宿はどうしようか・・・・・・ ソウルへの道・完
ソウル滞在記【α】 へ続く
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