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ソウル滞在記【α


■1997年8月21日(水) 東京駅にそっくりなソウル駅の正面には韓国の大財閥LGと大宇(DEWOO) の大きなビルがそびえている。 外は土砂降りの雨。ところが、地下鉄入り口までは屋根がない。(^^; 傘を広げ地下鉄ソウル駅へと向かう。 この雨の中を宿探しに歩くのも非常にきついので、観光客お手軽コースの 韓国観光公社へ向かう。そこでは、宿の紹介もしてるからだ。 ソウル駅から地下鉄で2駅の鍾閣(チョンガク)が最寄り駅だそうなので自動販売機できっぷを買って地下鉄に乗る。 地下鉄は1区450W。(当時のレートで¥60)市内のほとんどはこれで十分だった。 日本で買った最新版のガイドブックには400Wとあったが、どうも値上げをしたらしい。 やれやれ・・・・・ 地下鉄に乗り、鍾閣についたところ、鍾閣駅の地下街はかなりの人であった。 ところが、とりあえず地上へでたのだが西も東もわからない。 周りは似たような高層ビル群。かといって闇雲に歩くには外は土砂降りの雨。 近くだという事はわかるのでまずはこっちだろうと検討をつけ歩き出す。 幸いにも韓国観光公社ビルはすぐに見つかった。 観光センターは、地下にあるとのことなので階段を降りる。が、どうも様子が変である。 何か非常階段のようなのだ。 扉を開けて入ると、確かにそれらしい雰囲気なのだが・・・ どうやら裏口から入ったらしい。(^^; 観光センターは、外国人用の案内施設のようで、幸い日本語でも話は通じた。 案内デスクの係員に宿を探しているという事を告げると、予算を聞かれたので W20000ぐらいの所を、と頼んだら、観光センター近くの旅館を紹介された。 そこで、その宿の場所を教えてもらい表に出た。(今度はちゃんと正面玄関から。) だが・・・・・・ いっこうにそれらしき旅館は見つからない。 第一銀行の裏だという事を聞いたのではあるが、どんどん歩くといつの間にやら結構 な距離を歩いていたので、日本大使館の前まで来て引き返すことにした。 ところが、大使館の周りはなにやら物々しい雰囲気で、路路にはPOLICEと書か れたバスが何台も並び警官が何十人も待機していたのである。 何事か?と思いながらその張りつめた空気を背に受け、緊張しつつ再び第一銀行の前に立つ。 で、、もう一度よく観察すると第一銀行の裏に車一台がやっと通れるかのような細い小路が 奥にのびていたのである。 その小路を進むとあっけないほどすぐにその旅館は見つかった。 旅館の主らしいアジュマ(おばさん)は、簡単な日本語は話せるようでとりあえずは一安心である。 まずはアジュモニの部屋のような所へ通されて、宿泊名簿に書き込んだ後、とりあえず、 4泊分の宿代W80000(当時のレートで¥10800)を前払いである。 その後、アジュマからリンゴを頂いた後、二階の部屋へと案内された。 部屋は想像以上に立派なものであった。 広さは4畳ぐらいであったが部屋にはテレビとクーラーが付いていて、 個別のシャワー付きのフロとトイレもついていた。 まずは荷物を下ろし、一息つく。それまでずっと背負っていた荷物を下ろすと、 どっと疲れがでてきた。 その日は特にやる気もせず、近所のファミリーマートで買ってきた海苔巻きと サイダーで夕食を終える。 (もう少しなんかましなものは食えなかったものだろうか・・・・【後日】)

■8月22日(木) ソウルは昨日の土砂降りが嘘のような青空である。 この日は、観光名所は一切見ず、市内の書店と、韓国の電脳街・龍山(ヨンサン)巡りの予定であった。 【参照:
韓国の電脳事情韓国の書籍事情
】 朝食は近所のセブンイレブンで火を噴きそうな辛いカップ麺とジュースで済ませ、鍾路書籍と言う本屋に向かった。 この本屋は朝の9時からやっているので早速覗いてみた。 小一時間ほど覗いたが特に買う本はなかったので、地下鉄で電気街・龍山へ向かった。 龍山では様々な店があり、一日中いても飽きないほどであったが、日本でおなじみのゲームやアニメ作品 が多かったのが驚きであった。 特にその夏に日本で映画公開されたエヴァンゲリオンを扱っている店が結構あって、その人気の程が伺いしれるものであった。 私は日本国内でも秋葉原や神田のあたりは上京する度に必ず寄るぐらいなので非常に龍山は堪能できた。 結局、龍山ではほとんど見て回った、と言うような感じである。 (と言ってもエヴァのポストカードなどはしっかり買っていたりするのであった・・・(^^ゞ ) 買い物を終え、再び龍山駅に戻る。と、時計を見ると既に昼の3時過ぎ。 昼飯を取るのも忘れる程夢中であったのである。 そして地下鉄で鍾閣にまた戻るのだが、ソウルの地下鉄の車内は実に賑やかである。 と、行っても防音効果云々ではなく・・・ とにかく地下鉄の車内で新聞売りが売り歩いているかと思えば、首からラジカセを下げて 手には小銭のは入った籠を持ち、なにやら奇妙な音楽をならしながら黙々と車内を歩く物乞いがいたり、 つかつかと歩いてきたかと思うと突然車内で怪しげな商品説明を始める物売りがいたりと、日本では 考えられないような風景が目の前で展開されるのである。 また、それを買う人が結構いるのだからもっと驚きであった。なるほど、この商売も巧くできてるな・・ と思ったのである。 さて、鍾閣に戻り、昨日お世話になった観光センターでインターネット端末や、パンフレットで 韓国内の様々な情報を仕入れたあと、私は夕食を取るためロッテデパートへ向かった。 やっぱり韓国に来たなら何か韓国らしいものを・・・・・・・・ と思って行ったのだが、どうも様子が違う。デパート内のテナントは洋風のところが目立つ。 これは韓国風かな?と思ってみてもそれほどお金の持ち合わせのない私にとって手に届くようなな値段のものではない。 ようやく韓国らしい店を見つけピピンパブを注文する。 席に座ってあたりを見ると周りに座っているのは着飾った若い女性や結構いい身なりの中年婦人など高級百貨店 のお客様といった感じの人ばかりである。それを見るとTシャツにジーンズと言う私の服装が何か場違いなよう な気がして来ていたたまれない気持ちになってきた。 やがて注文した品が運ばれてくると私はかき混ぜるのもそこそこにピピンパブをかき込んだ。 そして食べ終わるとすぐに会計を済ませそそくさとその店を出たのである。 (おかげでW8000のピピンパブであったがろくに味も覚えていない。) その後、デパートの地下の食品街で総菜パン(W2,500/¥338.これが結構おいしかった。)と、ペットボトルのサイダー (1.5リットル・W1,350/¥100)を買い、夜食とすることにした。 歩いて観光センター向かいの永豊文庫という書店に向かう。 大きな書店は夜の9時までやってるので便利である。そこでゲーム雑誌と翻訳用に韓日辞書を買った。(計W25,900) 大きな書店なのでかなり広く、見て回るだけでも面白いものである。 床に座って本を読んでる人や、一生懸命本からメモしてる人。そういう人たちが結構いるので面白い。 日本でそんなことやってたら顰蹙もんだけどね。(笑) で、その日宿に戻ったのは夜の10時前であった。

■8月23日(金) この日もソウルは晴れだった。 暑い。気温が32度もある。道産子の私には耐え難い毎日である。 毎日Tシャツは取り替えたのだが少ない替えのシャツが底をつくのも時間の問題である。 ・・・・この日の予定は北朝鮮(北韓)見物である。 と言っても普通の人が思いつくのは板門店(パンムンジョム)の見学と思われるが、 板門店の見学は、個人では出来ず、KTBのツアーに¥7000近くの大金を払って参加せねばならず、 しかも服装制限が厳しく出発は平日のみ、事前予約が必要・・・と実に七面倒くさい。 そこで私は、ソウル市郊外の坡州市にある烏頭山(オードゥサン)の統一展望台へ行くことにした。 ソウル駅午前10時発の京義線 シ文山行きの準急、統一号で向かうことになった。 準急といっても14両編成の立派な客車列車で巨大なディーゼル機関車が牽引するものである。左右:統一号
がらがらの車内で駅の売店で買った朝飯代わりの海苔巻きとおにぎりを食べながら発車を待つうち、 静かにソウル駅のホームを離れたのである。 京義線はかつてソウル(京城)から、平壌、さらには満州へと線路が続いていたのだが、現在は 軍事停戦ライン近くの シ文山(ムンサン)で鉄路は途切れている。 そのかつての幹線をのんびりとした各駅停車の準急・統一号は走っている。 と、近くにいた韓国人の青年が時刻表を開いている私を見て、「時刻表を貸してくれないか?」 と聞いてきたので貸してあげたところ、同じ車両に乗っていた日本人の観光客の団体に見せていたのである。 しかし、言葉がなかなか通じないので難儀しているようである。 そこで、横から私が日本語で説明しようと声をかけたところ、その団体さんは、私を韓国人と思ったらしく 「日本語上手ですね」・・・・・・(^^;;; その団体さんも(と言ってもツアーの自由時間で来ていた6名の方だが)統一展望台へ行かれるとのことだったので 私もいっしょに同行することになった。 ソウルをでて約一時間、統一展望台の最寄り駅の金村(クムチョン)に到着した。 ここで駅前からバスがでているはずなのだが場所がよくわからない。 そこで、団体の強み。タクシーを拾うことにした。 タクシーはすぐつかまり、私たちはすんなり乗ることが出来た。 ところがこのタクシー、よく飛ばす。スピードが尋常じゃない。 統一展望台までの道路は南北統一後の連絡用に片側4車線の広い道路になっているのだが、 その道を130km/hのスピードで走っていく。 そのおかげ(?)で15分ほどで統一展望台の麓に到着した。 展望台までは無料シャトルバスで山の上まで一気に上っていくのである。 シャトルバスはすぐに来て、山の上へと私たちを運んでいった。 うねる山道を登るにつれ山上のガラス張りの展望台の建物が見えてくる。中央のガラス張りの建物が統一展望台。右はシャトルバス。
展望台は入場料がW700(学生料金)。中にはいるとまずは北朝鮮(北韓)の紹介ビデオが上映されている。 順路に沿って行くと、北からの亡命者の所持品の展示や、北の状況を示す様々な資料類。 さらに、展望台からは臨津河(イムジン川)をはさみ、わずか3.2kmの所に北側がはっきり見える。
左:展望台より臨津河を挟み北側を望む。右:展望台内の模型。
普段、日本では陸上の国境が無いせいか、このような景色は何か違和感のあるものとして感じた。 川向こうの建物さえ見えているのに行き来できない。(それは北方四島も似たようなものだが・・・) しかも川沿いには厳重な鉄条網に監視小屋。改めてこの国の現実を再認識することとなった。 感慨を新たに展望台を降りて地下の出口に向かうと、そこは売店。北と南の両国の特産品の販売所である。 (と言ってもいわゆる日本のお土産屋、まさにそのものである。) んーーーーー商売上手!(笑) 展望台の帰りも麓までシャトルバスである。(これは、山上に駐車場のスペースがないことと、周辺に集中 している軍事施設に対する防諜的な意味合いも含まれているのだろうか?) ところが、バスを待つ人の列が続いていたため結局30分ぐらい待つことになり、炎天下アイスをなめながら待つことになった。 ようやくバスに乗れたのだが、帰りのバスには監視兵もいっしょに乗車。私の目の前に兵士の自動小銃ぶら下がってる格好となったのである。(−−;;;シャトルバスが麓に着くとすぐに金村駅行きの連絡バスが待機していた。 W500を払いバスに乗ると、すぐ発車した。 ところが、このバスもまたタクシーに負けず劣らず飛ばす飛ばす・・・(笑) 途中何度か停車したものの20分ぐらいで金村駅の裏手にあるバス停?に到着した。 金村駅発のソウル行き列車は14時04分発までなく、それまでの間昼食とすることにした。 駅前の商店のテラスを借り、近所の総菜屋?から買ってきて下さった唐揚げやビールで昼間の宴会となった。 列車が着くまでの間、ツアーの人たちといっしょに宴会に加わらせてもらった。 (こういう旅先での出会いがあるからまた旅がやめられないんだなぁ・・・・(^^; ) 帰りのソウル行きの統一号もそんなに混んでなく、4人分の座席を一人で占有できたのであった。 クーラーの利いた車内でくつろぐうちにソウルへ到着したのは15時08分であった。 展望台でご一緒した日本人ツアーの団体(6名)さんとはソウル駅でお別れである。 (その節はタクシー代に昼食まで頂きまして本当に感謝しております。) 【以下
ソウル滞在記【β】
へ続く】

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