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ソウル滞在記【β】


■1997年8月23日(土)(続き) ソウル駅正面のLG、大宇ビルの向こうに見える山は南山である。 この山の上には真っ白なソウルタワーがあり観光名所となっている。ソウル駅からは近いので徒歩で南山へ向かう。 ソウルヒルトンの裏の急坂を通り、長い階段を上っていくと南山公園が見える。南山公園よりソウルタワーを望む
南山公園には動物園や植物園、様々な銅像があることもあり、家族連れでにぎわっていた。 だが、この時点で暑さと急坂をのぼりきった疲れでダウン。 木陰のベンチで汗だくのTシャツを脱ぎ、上半身裸になって昼寝とする。 30分ぐらい微睡んだ後、生乾きのTシャツを着て南山ケーブルカー(ロープウェイ)乗り場へ向かう。 週末の土曜ということもあって結構乗り場は混雑していた。 W1650(¥222)の往復チケットを買い、山頂へ向かう。 タワーの根本まで来て見上げるとまるで蒼天に向かって突き上げるようにそびえる白亜の巨塔である。 で、ここでも入場料W1200(学生)。(^^; エレベーターで一気に130m登り、展望台へ。 展望台からはまさにソウル市内が一望である。眼下に流れる漢江。遠く西には黄海(西海)。 惜しむらくはこの展望台からの写真撮影は軍事上の観点から全面禁止であることか。 タワーを降り、ケーブルカーで再び下へ降り、一旦宿に戻る。 宿で着替えた後、地下鉄に乗り蚕室の総合運動場へ向かう。 駅で買ったスポーツ新聞では今日のナイターは0Bベアーズ−LGツインズ戦である。   夕方6時半頃総合運動場駅で降りて、地上へでるとそこは長蛇の列。 その列が尋常ではない長さである。私は訳が分からずにその列に並ぶ。 だんだん列が進むにつれどうも様子が変なのに気が付いた。列は野球場の周りを回ってるのだが、 その列が野球場に入ってる様子がない。それどころか別な方向へ延びている。 隣で並んでる人のチケットを見るとサッカーのチケット(爆) どうやら隣の競技場で行われるサッカーの試合の列であったようだ。私はあわてて列を向け入場券売場へ向かった。 一般席(外野席)はW5000。(¥675)既に試合は始まっていた。 私は三塁側のLG側の席に座った。一応ソウルにフランチャイズがある両球団の試合なのだが、 内野の入りは結構あるのだが、外野はがらがらである。応援する人は手に手に細長い風船を打ちならしている。 だが応援の方はOBの方が盛大である。OBの攻撃前には球状中にOBの応援歌が流れだすのである。 ♪OB OBOB O〜B ・・・・・・・・・・・ 試合のペースは速く、5−4で、試合が終了したのが午後8時10過ぎ。OBの勝ちである。 試合が終わるが否やLG側の応援団はさっさと引き上げてしまって、あっという間にスタンドはもぬけの殻である。 隣の競技場ではサッカーの韓国−ウズベキスタン戦で盛大な応援が続いてる。
そのまま地下鉄で宿に戻る。 宿に戻る前に宿の近くの繁華街、鍾路をしばらくぶらつく。 屋台のトッポッキや、おでんを食べたり、射撃場(モデルガンを撃たせてくれる店)で遊んだり、と 遅くまでぶらついた後宿に戻ったのは夜10時半頃であった。

■8月24日(日) この日も思いっきり晴天であったので観光客らしく一日ソウル市内観光をすることにした。 まずは徒歩で徳寿宮へ。W500の入場料を払い、入るとあちこちにウェディングドレスの姿が・・・ 日曜ということもあって朝早くから結構人が入ってる。さっと宮内を見て、写真を撮った後、景福宮へ向かう。 世宗路を、右手に李舜臣将軍の銅像を見ながら北へ向かって歩く。右:光化門 左:勤政殿
景福宮内は旧朝鮮総督府の建物の撤去が既に終わっており、跡地の復元作業工事が行われていた。 景福宮内の国立博物館があったので、入場料W700を払い入場すると、日本語の案内レシーバーがあったので パスポートと引き替えにそれを借りる。 確かに日本語で説明してもらうと分かり易い。ハングルのままでは何がなんだかわからなかったであろう。 館内は冷房が利いていて外にでるのがおっくうになるくらいであった。 宮内をいろいろ見て回るつもりであったが工事中の所が多いせいか十分には回れなかった。 宮内の売店で海苔巻きの昼食をとった後、昌徳宮に行ったのだが・・・・・ 昌徳宮内はツアーじゃないと入れないようなのでツアーの時間を待つことにした。 その日最終の日本語のツアー出発時間は14:30であったが、着いたのは14時少し前。まだ受け付けも始まってない。 近所のベンチで寝て待ってるといつの間にやら14:30過ぎ。既にツアーは出発した後であった。 しかも昌徳宮は月曜休館。(;;)結局塀の外から眺めるほか無かったのである。 で、気を取り直し次の目的地 戦争記念館 へと向かうため地下鉄恵化駅へと向かったのである。
【景福(丸)・昌徳(丸)・徳寿(丸)って、戦前の関釜航路や終戦直後の青函航路にあったフネでしたね。 これらのフネの名前は全て韓国の**宮のなんですね。私自身青函連絡船の研究してるもんで・・・】

 

「戦争記念館」
ここはミリタリー好きなら泣いて喜ぶであろう。(^^; 戦争と言っても6.25(朝鮮戦争)や韓国軍ベトナム派兵のころだけでなく、古くは三国、高麗時代の 資料、武器、装備が巨大な建物の中に余すところなく展示されているのだから・・・ しかし、メインはやはり「6.25韓国戦争」(韓国内ではこうよんでいる)であろう。 この戦争でこの国は国家分断の憂き目にあい未だに統一されてないのである。 軍事が日常とかけ離れている日本とは異なりここでは軍事も日常なのであろう。 韓国の軍隊はまさに「戦うための軍隊」なのである。(さしずめ日本の自衛隊は土建屋レベルであろう。) 大きな建物の中には様々な主要武器の展示があり、6.25当時のF51から、対空ミサイル、F4Kファントム、 国産K-1戦車など常設展示としては非常に充実したものである。 また、屋外には実際に座って体験できる20mm対空機関砲や、B52爆撃機をはじめとした大型機の展示、各種戦車 ミサイル、などの展示がされている。
戦争記念館。本当はもっと横に長い建物である。
しかも屋外の展示は市民公園として解放されており、自由に出入りできるのである。(屋内展示はW2000の入場料) まさに「開かれた軍隊」である。(徴兵制があるためほとんどの国民が何らかの形で軍に関係しているということもあるが。) ここに来たことは韓国に来た一番の収穫ではないだろうか?(^^ で、この日はそのあとその足で戦争記念館近くのオタクの街・龍山電子街へまた向かったのである。

■8月25日(月)
朝起きてまず、宿代の追加をする。 当初予定では今日ソウルをでて、もう一泊どこかの都市でしようかと思っていたが、 結局明日までソウルにいることにしたのでもう一泊分の宿代を払うことになる。 宿代の精算を終えて、外にでる。ソウルに着いた日以外は晴れ上がった暑い日がずっと続いている。 だが、じめっとした暑さではなく、札幌のような比較的からっとした暑さである。 ただ何日も続くときついが。

この日は全く予定無しで、何をしようかと宿をでたところ昨日はなかったトーストの屋台が。(^^
早速1つ買う。(W1100)トーストと言っても食パンに卵焼きと野菜サラダを挟んだ物だが。
(私はこの味が気に入って、帰国後も時々家で作っては食べている。)

まずはソウル駅近くの東大門市場へ。ここは何でもあり〜ぃの雑多な市場である。
以外と目に付いたのが登山用品店。韓国は登山が盛んなお国柄らしい。
目星をつけた店にはいると、なにやら怪しげな商品が・・・・・・・・・ どうやら市販のカセットガスカートリッジを
直につけられる携帯コンロのようだ。(爆) もちろん買う。  W12000也。 満足。
東大門市場で買った怪しげな携帯コンロ

その後、ソウル駅へ行き明日の釜山行きの列車の指定席の申し込みをする。
と言っても今回も紙に書いての申し込み。自分の語学力のなさを痛感する。
無事26日23時55分発の特急ムグンファ号の指定席が取れた。(W15,400)
その後遅い昼食としてソウル駅のロッテリアでプルコギバーガーを食べる。
韓国ではポテトにはケチャップが付いてきたが、韓国の人はポテトをトレイの上に一旦全部あけて
その上からケチャップをかける、と言う食べ方をしていた。

へー珍しい食べ方だなぁ・・・と、横目で見ながら私も「郷に入っては郷に従え」とばかりに同じようにまねをする。

・・・・確かに一本ずつケチャップをつけたりポテトが容器に入ったままでかけたりするよりは遙かに食べやすい。
韓国のロッテリアのケチャップは小さなアルミパックに入っているので絞り出すようにしかケチャップがでないので
このような食べ方になったのだろう。

食事を終え、この旅の目的の一つであった「エヴァンゲリオン」の韓国語版コミックを探すことにした。
と言っても、ソウルの3代大書店(教保文庫 永保文庫 鍾路書籍)には無いことがわかっていたので、中心部でなく
韓国の流行最先端の街と言われている(ガイドブックにはそう書いてあった)「江南」(カンナム) へ向かった。

と言っても別に何かあてがあるわけではない。ブランドものを買うならガイドブックやパンフレットは役に立つが、
そんなものには縁のない私にとって知らない街でものを探すのは結構骨の折れることだった。

ソウル駅から地下鉄を乗り継ぎ江南駅へ着く。 確かに何となくあか抜けした感じの街である。

しかし、ハングル知識のほとんどない私には店の中を見ないと 何を売ってるのかさえわからないのである。
時間はあったので取りあえず大きな通り沿いに歩いてみた。 が、全然本屋のホの字も見つからない。

さてどうすべかなぁ・・・・と考えては見たものの 全く初めての知らない異国の地ではどうしようもない。
ひたすら己が信ずるままに歩くほか無かった。

しばらく歩いてみると、向こうから漫画の本をビニール袋に入れた子供が歩いてきた。 どうやら買ってきたばかりの本らしい。
と、いうことは近くに本屋があるに違いない、と思い子供が来た方向を歩いていった。

そして、高層アパートが建ち並ぶ一角にそれらしき店の入った雑居ビルを見つけた。
心躍らせながらその店にはいると確かにコミック本がたくさん置いてある本屋であった。

顔がにやけるのを押さえて、店の中を見回すと・・・・・あった。 雑多に積まれた本の山の中に日本で見慣れたあの本の表紙が。
(題名はハングルだが) でたばかりの新刊もある。   

迷わず手に取り3冊を店番のアジュマに渡す。 一万ウォン札を出すと黙ってアジュマはw2500のお釣りを私に渡してくれた。
「カムサハムニダ」と私は礼を言い、店を後にする。

その瞬間、「あーこれで韓国に来たかいがあった」と思ったのである。
(^^ゞ その日は浮かれ気分で宿に戻り、ロッテ百貨店で買った総菜パンとジュースで一人祝杯(?)をあげたのだった。(笑)


ソウル滞在記【γ】 へつづく


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