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ソウル滞在記【γ】


■1997年8月26日(火)

この日は夜遅くソウル駅を出る夜行列車で釜山へ向かう。それまでは全く何もすることがない。
今日も抜けるような晴天で暑くなることを予想するには申し分ない天気であった。

宿のアジュマにお礼を言い、5日間お世話になった旅館を出る。

まずは昨日もあったトーストの屋台で朝食。

その後、地下鉄でソウル駅へ。ソウル駅のコインロッカーに荷物を入れ、身軽になる。(W700)

地下鉄で延世大学近くの「新村」へ向かう。学生街なら何か面白いものがあるだろうと言うことで。

新村駅を上がると延世大学まで一直線に伸びる大通りを進む。

途中には電子娯楽室(ゲーセン)、本屋、CDショップ、喫茶店、吉野屋、と日本の学生街それほどかわりはない。

国鉄の築堤をくぐると延世大学の正門である。

構内に入ると結構人が多い。(学生かどうかは知らないが。)

ちょうどお昼時だったので学生食堂を覗いてみる。が、混んでいて座れそうもない。

そのまま出た私は、大学近くのコンビニで揚げパンとココアを買い込み、大学構内の木陰のベンチで

食べた後、横になって昼寝を決め込む。

(何か私は韓国ではベンチがあると昼寝をしているようである・・・(^^;)

天気が良くて暑い日は昼寝が体力温存には一番であるし、特にする事もないのでのんびりするのも良いのである。

目覚めた後、電子娯楽室などを覗きながら、新村駅へ戻る。

一旦ソウル駅へ戻り、ソウル駅からは歩いてロッテデパートへ。 

免税品店で日本へのお土産を買うためである。

・・・・しかし、免税品店にいるのは日本人ばかりである。ここは韓国なのだが。

お土産は自分が食べるものではないので適当に見繕って買う。(^^;

ところがこれがまた結構高いのである。4箱のお菓子と、韓国風の置物を買って精算する。

・・・・¥2660也。(このときは日本円で精算)

おいおいおいおいおい・・・・日本でもこんなに高くないぞ。(笑) 

もう、パガジ(韓国語で「ヒョウタン」の意。慣用として「ぼったくり」の意である。)一歩手前。

お土産に手を抜いた私が馬鹿だった。(^^;;; 「すごいよ! ロッテさん」(爆・意味が分かる人だけね。)

再びソウル駅に戻り早めの夕食とする。

ソウル駅の韓国風の食堂でピビンパブを注文。

注文するとすぐにキムチの入った5皿、私の目の前に置かれた。

まあ、突き出しみたいなものだろうと思い、早速手をつける。白菜のキムチだけでなく、水キムチ(?)

や、キュウリのキムチもある。だが・・・

とにかく、辛い!辛い!

一口食べる度に水を飲まないととても食べられない。

ようやく半分ぐらいキムチを食べたころ、すごく熱い石の器に入ったピビンパブが到着。

金属のスプーン(スッカラクというらしい)でかき混ぜかき混ぜかき混ぜ・・・・・・・・・・・・

この時のピビンパブは、実に食い応えがあった。ぺらぺらのステンレスの器のロッテのレストランとは違い

分厚い石の器に入っていたため食べ終わるまでずっとジューといったままであった。

これで4500w。ソウル最終日にして韓国の味に触れたという感じであった。

食堂のスポーツ新聞は、カラーの一面は韓国の英雄・中日のソン・ドンヨルと、LAのパク・チャンホの記事である。

で、中を見ると今日の試合日程がある。ソウルの蚕室の球場ではOBベアーズ−ヘテ・タイガース

のナイターであると書いてあった。

このとき、ヘテは2位と2ゲーム差の首位。行ってみる価値はありそうだ。(結局1997年の優勝はヘテであった。)

私は日本でも阪神タイガースのファンなのでチーム名のタイガースに惹かれた、と言うのが本音だが。

試合開始は6時半。地下鉄で向かえば間に合いそうだ。

前回の教訓を生かし、お菓子とジュースを買い込み球場へ向かった。

総合運動場駅に着いたときは日没間近。だいぶ涼しくなっていた。

試合開始には間に合った。で、私はまた外野の一般席へ。今回も3塁側である。

球場の売店でキンキン打ち鳴らすスティック風船を買い(W1000)、外野席へと上がる。

ちょうど試合開始前の国歌斉唱が終わったところらしく、一回表のヘテの攻撃が始まろうとしていた。

さすがに首位のチームの試合だけあってテレビ中継も来ている。観客の入りもLG戦よりもよいようだ。

外野もざっと席が埋まるくらいの人がおり、内野は黄色(ヘテ)と白(OB)の盛大な応援合戦であった。

新聞を見ると、一番バッターのイ・ジョンボム選手は昨日までで打率.343(3位)、HR25本(1位)という

選手である。(ヘテ一番の人気選手であった彼はその後、1998年のシーズンからはかつての同僚、

ソン・ドンヨルのいる中日ドラゴンズへの移籍が決まったのである。)

上のいずれも蚕室球場。3塁側の一番上の電光掲示に「イ・ジョンボム」の表示が。

スタンドは、プラスチックの籠にスルメやお菓子などを入れ、売り子の兄さんが回っている。

(日本のように可愛いおねぇちゃんはスタンドで売り子をしてはいない。グッズ売りの売店にはいたが。)

試合の方は白熱した試合となり、6回表にヘテが先取点を取った後も一進一退の攻防であった。

1−0のままで最終回、9回裏のOBの攻撃が始まった。(韓国のスコアボードは、その回が始まると

点数の有無に関わらず「0」が先に点灯する。)

1アウト、ランナー1塁2塁。逆転サヨナラのチャンスである。

3塁側の雰囲気は、このまま勝ってくれ、と言う感じであったが、それを打ち消すかのように

センター前へヒットである。

センターがホームへ返球。

その間に2塁ランナーがホームイン。さらに一塁ランナーが本塁突入である。

セカンドが中継し、ボールはホームに返球。ランナーは本塁憤死か、と誰もが思った。

ところがいっこうに判定が下らない。

どうしたのだろうと思っている内にOB側の選手が引き上げ始めたのである。

と、その時9回裏のOBの電光スコアボードが0から2へと変わったのである。

どよめく3塁側

やがて試合終了を告げるかのようにOBの応援歌が球場中に流れ始めた。

何がなにやら状況を把握しきれないまま試合は終わってしまったのである。

さあ、3塁側の応援団は黙っていない。飛び交う怒号、ヤジと共に内外野のスタンドからは

次々とペットボトルやらスティック風船、段ボールに果ては何処から持ってきたのか

ゴミで満杯の大きなポリバケツごと投げ込まれたのである。

球場の外でも判定に納得できないファンが大声で言い争っている。

(私もこの判定には納得していない一人であった。)

これをみて私は、タイガースファンはやっぱり熱い。  こう思った次第である。(^^;

球場の喧噪を後に私は釜山行きの列車に乗るためにソウル駅へ向かったのである。


ソウルからの道 」へつづく


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