このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

1995九州旅行記

「いざ、九州」

このページでの行程:札幌−小樽−新潟−東京−広島−(熊本)


1995年8月3日

の朝は日の出が早い。朝5時に起きたときには既に日が昇っていた。

下宿から地下鉄駅への道のりはひんやりした空気が気持ちよい。

まずは地下鉄でJR札幌駅へ向かった。札幌駅からはJRで南小樽駅へ。

(2年後再び同じルートを通ることになる・・・)

小樽からのフェリーは新日本海フェリーの「フェリーしらかば」。この年(95年)に就航した新造船である。

新潟までの航路はゆったりとした船旅であった。しかし、当時の私にはカップ麺を持ち込む知恵はなかったので

あらかじめおにぎりを買い込み船内で食べていたのである・・・


1995年8月4日

朝、新潟港に着いた船から降り、初めての新潟の地を踏むこととなった。

新潟駅で今回のきっぷ、「九州ワイド周遊券」を買い、(学割\27260/新潟発着14日間有効)

ワイド周遊券の恩恵を早速受けるべく急行「赤倉」で一路長岡へ。

長岡では乗り継ぎに時間があったので駅前のイトーヨーカドーで食料を買い込む。

上越線は私にとって初めて乗る路線だったので見るもの全てが新鮮であった。

越後湯沢から乗ってきた中年の女性と、長岡の学生と相席になり、話し込んでるうちに

上野まで楽しく過ごせたのであった。

の後、大垣夜行(当時は東京駅工事のため品川発着となっていた。もちろん「ムーンライトながら」は

まだ無かった頃の話である)で西へ向かうことにしていたが、品川駅に着いたのが17時過ぎ。

何もすることがなかった私は発車までの7時間、ホームでひたすら待つしかなかったのである。(^^;


1995年8月5日

めて乗った大垣夜行は途中何事もなく無事大垣に到着。しかしこの日はこれからが本番である。

この日はさらに広島まで乗り継ぐ予定なのである。

大阪を素通りし、姫路、岡山と鈍行を乗り継ぎ広島に着いたのは既に夕刻。昼飯も食べてない・・・

島駅について早速駅前から出ている広電に乗り中心部へ。まずは腹が減ったので広島名物お好み焼きを。

このときまで一度も広島のお好み焼きは食べたことがなかったので大きな期待を抱きながら・・・「名所」お好み村へ。

しかし、広島市内翌日が原爆の日と言うこともあり大混雑の様子。お好み村も例外でなく人人人・・・・

何とか空き席がある店を見つけてネギ焼きを注文。

確かにボリュームがあってうまい。けっこう食べる私でも満足できるものであった。

て、夜も更けて宿を・・・しかし泊まるところがない。当然である。私が広島に行ったのは広島が一番込む日だったのである。

今回の旅は野宿覚悟できていたので銀マット、シュラフ持参であったが、このときの私はさすがに町中で野宿するほどの勇気はなかった。

しかしそこに救いの神が。

広島駅ビルの中の展望風呂がこの日オールナイト営業であったのである。早速1310円を払い風呂へ入る。

しかし同じ事を考えてる人は多いものでロビーは人でいっぱい。足の踏み場もないほどと言う表現がまさにぴったりである。

まず、あまり豪華とは言えない風呂で汗を流した後、何とかロビーの壁際に場所を確保し壁にもたれて眠ったのである。


1995年8月6日

、背中の痛みで目が覚めた。無理な姿勢で寝ていたためだろうか。ひどい目覚めである。

時計を見るとまだ朝5時前。しかしこの人いきれのする空気の淀んだ場所にはもう居たくはない。

荷物を持って早朝の街へと出た。

暫く歩いて、この日原爆慰霊式典が行われる会場へ向かうとすでに花束を持った人が何人も・・・・・・・

今年は、かの修羅の時から50年。半世紀の区切りの年である。参列者も多いようだ。

そこで私も平和を祈る若者の一人として(笑)式典に出席することに。

首相などの偉いさん方の話の後、8時15分がやってきた。

全員が黙祷し、会場は一斉に静まりかえり、広島の時間が止まったかのようであった。

 

 

式典が終わり私は会場を後にした。

駅に向かう途中、コンビニで麦茶1Lを買い列車の中で飲むことにした。

島から普通電車で岩国へ。岩国駅近くにコインランドリーがあると言う情報を事前に掴んでいたので洗濯のために途中下車。 

しかし、岩国の駅に降り立ち何か手持ちぶさたな事に気がついた。麦茶である。

車内に麦茶を残したまま列車は行ってしまったのである。 あああああ・・・・・・・・・・・・・・しかもまだ一口も呑んでないのである。

 

日曜の午後、見知らぬ街のコインランドリーで一人座っていると、何か自分の存在が浮き上がってくるような

不思議な感じである。一人の旅人として・・・

 

国からは下関行きの列車に乗る。途中オートレース帰りの酒臭いオヤジさん方が乗ってきたりと

まさに鈍行という感じの列車であった。

日が西に傾きかけてきた頃、下関に到着。ここから乗り換えればいよいよ九州である。

下関を出た列車は関門トンネルに入った。

 

トンネルを抜けるとそこは・・・・・・・・・・・・・・・・九州。


<<<続く

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