このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

1995九州旅行記

「今日のお宿は・・・?」

このページでの行程:熊本−小倉−能古島−武雄温泉


1995年8月6日

門トンネルを抜け西日が車窓に射し込んできた頃門司に到着。いよいよ九州である。

しかしそのまま私は小倉まで乗車。小倉からはにちりん42号に乗り換え博多へ。

ところがこの日の宿は決めてない・・・さてどうしようか。夕食のために博多駅で下車した私であったが、あてがあるわけでない。

そうこうしてるうちに22時・・・夜行で夜を明かそうと思ってホームに上がると目の前には787系熊本行き有明33号。

・・・・気がつくと私は発作的にその列車に飛び乗り熊本へ向かっていた。

熊本着は23時43分着。この時間から宿を探すほど私はタフじゃない。熊本駅に降り立ち、さてどうしようかと佇むのみ。


1995年8月7日

がて0時を過ぎ、駅が静まり返る。

だが熊本駅は夜行列車が停車することから24時間営業。待合いホールを見回すと薄暗くなった照明の下横になっている旅人が

いるわいるわ・・・  私もそれに習ってベンチに横になる。いわゆる駅ネ(STB)である。

と言ってもこのまま朝まで蚊と同居の夜は勘弁である。

博多行きの夜行列車が2時50分に着くのでそれに乗ることに決定。それまでの間眠りについた。

西鹿児島からの夜行特急に乗り何とか座席を確保。ようやく落ち着く。

列車は4時20分発車。既に夜が白み始めている。このまま博多まで戻るのも芸がないと思う。そこでどこかいいところはないものか

と時刻表を探すと珍しく鳥栖から客車列車が。

車から1時間、5時20分に鳥栖に到着。私は半分寝ている頭で下車し鳥栖駅へ。

鳥栖からは6時34分発豊後森行きに接続。朝日が差す中ディーゼル機関車に牽かれた12系客車がホームに入ってきた。

早朝と言うこともありお客はほとんどなし。客車の1両はグリーン座席の再利用。座り心地は良さそうだ。(普通列車にしては)

6時34分、客車列車独特の軽いショックのあと静かに列車はホームを発車した。

リクライニングの心地よい座席で眠るうちに日田彦山線と交叉する夜明駅へ。ジャンクションとは思えない山の中のひなびた駅である。

ここで小倉行きに乗り換える。かつての筑豊の炭坑の町々を抜けてディーゼルカーは走る。

倉からは門司港駅行きに乗り、門司港へ。

門司港の駅舎は古びた洋風建築。鹿児島本線の起点でもおあり、かつては下関との間の関門連絡船の発着駅でもあった。

門司港駅を眺め、再び博多へ戻ることにする。その途中、寄り道して香椎線に乗り換え西戸崎往復。

その海岸沿いをコトコト走るディーゼルカーの中でガイドブックを見てると博多の近くに「能古島」と言う島があることに気がついた。

島なら海岸で寝ることもできるだろうと云う安易な考えで早速博多駅から能古渡船場へのバスに乗る。

古島へ向かう船は小さなフェリーで15分。あっと言う間の船旅であった。

さて、キャンプの準備も食料も持ってない私はどうしようかと座ってると、キャンプ場への送迎バスが。

しかしテントも持ってない私は結局そのキャンプ場でバンガロー1棟を一人で借りることに・・・・\2000(;;)/~

まあ、博多湾に浮かぶ小島だから海のきれいさは期待してなかったが、北海道あたりと変わらない海である。

キャンプ場は目の前が浜なので泳いだりしていたが、どうも様子が違う・・・

どうやらここは家族連れやグループで来るためのレジャー施設のようなものらしい。一人旅の私には何とも場違いな感じである。

夜は持参していたスナック菓子だけの夕食。窓の外からは博多の夜景が見えたが函館出身の私には物足りない。

浜では遅くまでジャリガキ共が花火をして騒いでいる。         私はさっさと寝ることにした。


1995年8月8日

目覚めると早速蚊に食われていた。かゆみで目が覚めるとは何とも嫌な目覚めである。

この島にはさっさと見切りをつけたかった私は朝飯も食「え」ずにキャンプ場のクルマで渡船場まで送ってもらった。

再び昨日来た船に乗り戻ると、JR姪浜駅前までのバスがあったのでそれに乗り駅へ向かう。

ようやく姪浜駅前のコンビニで遅い朝飯(めんたいスパゲティ)を買い、乗り込んだ唐津行きの列車の中で食う。

唐津で西唐津行きに乗り換え西唐津へ。ここから先に未成線「呼子線」があるとのことだが西唐津駅ではその痕跡すら見つけられない。

再び唐津に戻り佐賀行きの列車に乗り換え長崎へ向かう。

【以下次回】


<<<続く

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