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1995九州旅行記

「温泉温泉また温泉」

このページでの行程:武雄温泉−長崎−由布院−延岡−高千穂−熊本


1995年8月8日(続き)

賀駅で特急かもめに乗り継ぎ約25分。あっと言う間に武雄温泉へ。さすが特急は速い・・・・

コインロッカーに荷物を収め駅から歩くこと約10分。赤い楼門の温泉が見える。

武雄温泉には何種類かの温泉があるようなので一番安い元湯に入る。

湯船は地下の隠し湯みたいな雰囲気であったが、入ってみるとお湯は透明でさらっとした感じである。

特に湯上がり感がいい。肌がつるつるする。今まで入った温泉の中でもTOP3に挙げたいぐらいだ。

温泉を出て温泉街の小さな商店でラムネを買い湯上がりののどに流し込むとすっきりする。

び駅に向かうと特急ハウステンボス号が。

思いついてさっと乗れるのが周遊券の機動力を生かした良いところである。18切符ではこうはいかない。

約45分でハウステンボスへ。と言っても別に入るつもりはない。駅前からただ眺めるのみ。(^^;

それもそこそこに長崎行き快速が到着。本数が少ないので車内はハウステンボス帰りの人でいっぱいである。

私は何とか空席を見つけ快速にしては立派なロマンスシートに座ることが出来た。

列車は大村湾に沈みつつある夕日を右手に一路長崎へ。

長崎に着いたのは既に19時30分近く。日は既に沈み長崎に夜が訪れようとしていた。

長崎駅の独特な三角屋根のステンドグラスが夜の闇に映えている。今日の宿はあらかじめ予約していた

長崎YHへ。ここも翌日が長崎の原爆の日という事でほとんど満員。外国人も多い。

着替えた後、夕食を取るために市街地へ。 この日は吉野屋の牛丼。どこで食べても味は同じ、だが。

YHに戻り、その夜は久しぶりのベットで熟睡できた。


1995年8月9日

の日も晴れだった。太陽が照りつけるように熱い。

今日の原爆投下50周年の式典は1030から始まる。市電に乗り平和記念公園へ。

市電運賃¥100(うーん安い)を払い会場へ。しかし会場は既に人でいっぱい。

しかも会場が狭く、警備も広島の時より厳重である。まず式典会場に入ろうとゲートをくぐると

アラームが・・・・金属探知器に引っかかったようだ。すぐ警察官が飛んでくる。こりゃやばい・・・・・・・

結局、荷物検査を受け荷物を警察に預けるということで会場に入れて貰った。

私は会場の最後尾で背伸びをしながらちょっとしか見えない会場を見つつ式典を過ごした。

式典会場を後にして私は再び市電で長崎駅へ向かう。

崎からは特急で鳥栖へ。車両はつばめ型の787系、でも列車は「かもめ」(笑)

鳥栖駅のパン屋で遅い昼食。 パン屋のおばさんと話すが、これから行く由布院のことを聞くと、

どうもあまり良い印象ではないらしい。まあ、あれだけ宣伝されて箱庭観光知的になってるところだからね・・・

鳥栖駅からは久留米まで贅沢にも特急で移動。久留米から由布院行きの列車に乗るためである。

鳥栖駅には既に別府行きの特急「ゆふいんの森」がいたのだがワイド周遊券の人間には無縁な列車なので

普通列車で向かうことに・・・

途中の駅駅でのんびり停車しながら久大本線を進み、由布院には17時頃到着。

由布院の駅はとある「げーぢつ家」の作品らしく何とも立派な造りである。

りあえず由布院と言えば温泉。20分ほど歩いてついたのは「下ん湯」と言う共同浴場。

さすがに夕方ということもあり冷やかし見物の無礼な観光客の姿はなかった。

中は脱衣所と湯船が一緒で、しかも湖に面した露天風呂も。・・・・・・と言うことは外からも丸見えなのだが。(^^;

おまけに(おまけと言うべきだろうか)混浴。

私が入ったときはクルマできていた若いカップルと家族連れ。裸電球の下、湯船に使ってるのは何ともいい感じである。

九州は良い温泉が多いという。

まさにその通りであろう。このとき温泉巡りの旅に変更したくなってきていた・・・(笑)

泉から出たのは20時過ぎ。さてどうするか。とりあえず湖の周りを廻ってみる。と、金隣湖畔の神社の境内にテントが。

バイクもある。と言うことはここで野宿してるのだろう。一人では心細いが、誰かいれば安心である。

早速私は神社の神楽舞台を一夜の宿とする。屋根もついてるし申し分ない。

就寝準備をしてるとテントから人が。どうやら人の気配に出てきてみたようである。

テントの住人(?)は東京からバイクでツーリング中だと言うこと。一人旅同士と言うこともあり夜遅くまで話し込んだ。

夜半前、雨が降り出したので話を終え、シュラフに潜り込む。


1995年8月10日

靄のひんやりと湿った空気で私は目覚めた。神社のわき水で顔を洗い撤収準備。

テントのツーリングライダーに見送られ朝靄が晴れ行く中、由布院駅へ行く。

駅に着いた頃にはすっかり晴れ上がり、今日もまた暑くなりそうな予感をさせるのに十分であった。

大分までは早朝のがらがらな客車列車で。大分からは延岡まで特急列車の自由席。

特急列車を待つ間大分で駅のうどんを遅い朝食として食べる。

分からはくたびれた車両の特急で延岡へ。延岡からは高千穂鉄道−バス−高森線のルートで熊本へ行く予定である。

延岡からは高千穂鉄道のレールバスに乗換・・・と思ったら財布にほとんどお金がない。

仕方ないので延岡駅近くの郵便局で預金を下ろし、旅費の足しとしたのだが、駅に戻ってみると

既に高千穂行きは出た後。 仕方ないので延岡駅で早めの昼飯。昼もうどんである。

千穂行きの列車に乗ってしばらく行くとだんだん雲行きが怪しくなってくる。山奥に入るにつれ雲はどんどん暗くなり

ついに雨が降り出した。高千穂駅に着いたときには土砂降りである。

高千穂からはバスに乗り高森へ。しかしこのバスに通しで乗るのは私ともう一人という寂しい限りである。

高千穂市街地で何人かの乗降があったがそれもすぐ収まり後はひたすらテープの案内音だけが車内に流れているだけだった。

あちこちに残る高千穂線の未成部分の高架橋などををバスの車窓に見ながら阿蘇山の外輪山を超えると

ぱっと視界が開け天気が良くなった。

高森からはレールバスで立野へ。立野からはJR豊肥本線で熊本に向かう。

本に着いたのは夕方。しかし、今夜の宿はまだ決めてない。時間つぶしに三角線を往復し、その後駅の広告で見た

市内の健康センターのような施設に向かう。

2000近くになり豊肥本線の普通列車で熊本から一駅。平成駅で降りると駅近くにその施設が。しかも天然温泉。

早速深夜利用料を払いロッカーに荷物を入れ風呂へ。様々な様式の風呂が多くあり、旅の汗を流すには十分であった。

その後仮眠室で横になり翌日に備えたのである・・・・・


1995年8月11日

、健康センターの施設を出、平成駅から普通列車で熊本駅へ。若干雨が小降りであったが

気にするほどではなかった・・・・しかし、その雨はこの激動の一日の序章でしかなかったのである・・・


【以下次回】


<<<続く

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