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1995九州旅行記

「平和の祈り」

このページでの行程:熊本−鹿児島−指宿−鹿屋−宮崎−霧島温泉−宮崎


1995年8月11日(続き)

本駅に着いてから雨の降りはだんだん激しくなってきた。列車にも遅れが出始めている。

それでも何とか若干の遅れで私の乗る「つばめ1号」西鹿児島行きがやってきた。

途中からの自由席乗車なので空席はなく、デッキで座っていた。ところが進むにつれ窓の外の雨は

より激しくなってきていた。しばらくすると列車は徐行運転に入りのろのろとしか動かなくなってきた。

ラジオでは鹿児島市内の水害状況が刻一刻と伝えられている。どうやら鹿児島本線自体が不通になったようだ・・・

熊本−西鹿児島は普通なら2時間半もあれば着く距離である。しかし、その2時間半たっても列車は水俣で立ち往生である。

がて車内放送でつばめ1号の水俣での運転打ち切りが伝えられた。

外はバケツがひっくり返したような土砂降り。私が今までに経験したことがないような激しさである。

車掌は西鹿児島方面の乗客は後続のつばめ3号に乗ってくれとのこと。

やがてつばめ3号も水俣に到着。ところがこちらの列車も既に満員。そこにつばめ1号の乗客が来たものだから

車内はぎゅうぎゅう詰め。私は座席と座席の間に体を潜りこませ場所を確保する。

しかし、いっこうに発車する気配がない。時間だけが流れていく。乗客のイライラも溜まってきている。

と、列車が動き始めた。車内の空気が少しだけ和んだようである。

車が県境を越え、鹿児島県に入ると雨は小降りになってきた。ただ、依然列車は徐行運転が続き、

ダイヤも大幅に乱れているようで途中何度も運転停車を食らっていた。

そうこうして何とか西鹿児島に着いたのは熊本を出発して6時間以上経った1430過ぎである。

これで鹿児島での予定はほとんど潰れてしまった。だからこそ旅はスリリングなのかもしれないが・・・(笑)

鹿児島市内はあの土砂降りが嘘のようにきれいに晴れ上がっていた。

私は今夜予約していた桜島YHに行くためにフェリーで桜島に向かう。

YHは桜島の溶岩台地の麓にがっしりと建っている。ここで久しぶりに洗濯をし、列車の中での疲れを取り休養とした。

その日の夜は桜島YHのマネージャーから西瓜が振る舞われ楽しい夜となった。


1995年8月12日

YHで朝食を取り、再び鹿児島市内へ向かう。この日は旧陸軍の特攻基地、知覧へ向かう。

新幹線受入用の新駅舎工事であちこち工事中の西鹿児島駅から指宿枕崎線に乗り平川へ。

川はほんとに小さな駅で普通列車しか止まらない。そんな駅に降りたのはここの近くに知覧行きの

バスが接続してるからである。

駅を出て、バス停へ向かうとすれ違った子供が挨拶をしてきた。初めてあった見ず知らずの私に。

都会のクソガキ共と違って日本もここらあたりまで来ると子供の心もきれいなようだ。(^^;

で、バスはと見ると・・・・1時間待ち。 でも来るだけましか、と思い気を取り直して近所の雑貨店で

アイスを買って暇つぶし。しかしこのアイスが旨かった。九州内でしか販売してないフルーツ入りのシャーベットのような感じである。(名前は失念してしまった。)

やがてやってきた知覧行きのバスは山道をどんどん登っていく。

攻記念館前でバスを降り、記念館へ。

知覧特攻記念館はまさに陸軍の特攻の全てを詰め込んだような施設である。

会場では映画「月光の夏」(知覧でロケを行った)の上映が。

95年は終戦50周年で、しかも終戦記念日間近の日という事もあり結構にぎわっていた。

 

記念館には若き特攻隊員達の遺書、遺影、遺品。

そこにあるのはかつて、日本を守るために南海に散った英霊達が現世に遺したもの。

私は言葉もなく、ただそれらを見ることしかできなかった。

 

特攻記念館を後に再び来た道を戻る。

川から再び列車に乗り指宿へ。

指宿駅前はまさに南国と言う感じであった。駅から歩いてまず指宿温泉の元湯へ。¥150払い湯船に浸かる。

ところが温泉から上がって外に出ると夕立が・・・しばらく雨宿りである。

宿と言えば元祖・砂蒸し温泉。それに入らずに指宿に来たとは言えない。(と勝手に思ってる)

本日2軒目の温泉。砂蒸し温泉会館で料金を払い浴衣を借り、いざ海岸の砂蒸し温泉へ。

砂蒸し温泉はまるで体全体から汗を搾り取られるような感じであった。

さて今夜の夜は・・・? とりあえずなんにも考えてなかったのでしばらくコンビニで時間を潰し、

2316発の山川行きの最終に乗った。

深夜の山川駅は人気もなく寝てしまうにはいい環境であったが、とにかく蚊が多い・・・

これはかなわんと再び深夜の道を指宿に向けて歩くことにした。


1995年8月13日

わゆる深夜行軍である。月夜の晩であったが街灯もなく真っ暗に近い道を手元のマグライトの灯りだけで

歩くにはかなり不安であった。時折かなりのスピードですれ違うクルマも怖かった。

どれくらい歩いただろうか・・・指宿温泉街のはずれにさしかかった頃、一件のコンビニを見つける。

真っ暗な中にひときわ明るく輝くコンビニの灯りに吸い寄せられるように私はコンビニに入っていった。

深夜のコンビニには店員だけしかおらず、私はしばらくの間立ち読みなどをして時間を潰す。

さすがに立ち読みだけでは気が引けるでジュースを買っておく。

川からは512に枕崎行きの始発が出る。それに間に合うように午前4時前コンビニにを後にする。

山川からの枕崎行きの始発は私以外だれも乗ってなかった。

枕崎につくまでの間私はひたすら眠っていた。さすがに深夜に動き回るのは疲れが溜まるのであろう。

朝のじとっとした空気の中枕崎駅に降り立つ。

しかしそのまま折り返しの列車で戻らなくてはならない。

写真を撮るのもそこそこに再び今来た列車の中に戻る。

び山川駅に戻るが、山川駅からは日本最南端のJRバスで山川港へ。山川港からは根占まで

フェリーで鹿児島湾を横断である。

鹿児島湾は穏やかで客室で休む間もなく大隅半島の根占に到着である。

占からは鹿屋へバスで移動。ところがここでもぐっすりと熟睡。「鹿屋・・・」のアナウンスで目が覚め、

とっさに降車ボタンを押したものの、降りた所は町外れ。仕方ないのでまた歩くことに・・・・(^^;

まずは鹿屋市内の旧鹿屋駅跡地に残る記念館へ。

廃船跡によくある記念館に見られるものであったが、車両が展示され、駅名標が並ぶ様はまるで駅の墓場のようであった。

の目的地は旧海軍の鹿屋特攻基地である。ここは今でも海上自衛隊の基地なので鹿屋航空基地の

中にお邪魔することになる。

旧鹿屋駅から歩くこと30分・・・・資料館に到着。

基地内と言うこともあり、受付も自衛官。こっちも思わず緊張。

知覧と展示物が似たようなものだが、陸軍の知覧のコンセプトが「反戦」を全面に打ち出していたのに対し、

海軍の鹿屋は英霊を讃えるような気がしたのは私だけだろうか・・・所轄が海上自衛隊と言うこともあるだろうが。

どっちにしろ私は過去に起こったことの記録としてしか知ることが出来ないのだから・・・

鹿屋ターミナルまでは歩いて戻り、次は志布志まで大隅線代替バスに乗り向かった。

かつて、大隅線と日南線、志布志線の3線が交わる大隅地方の交通のジャンクションであったこの駅も

いまや建て替えられ小さな駅舎に日南線の片面ホームと言う寂しい姿である。

駅前広場が広く残っていてぽつんと保存車両が残ってるあたりが志布志がかつて大きな駅であったことを偲ばせるものであった。

志布志からは日南線で宮崎へ。

崎駅で東京と秋田の大学生に出会った。彼らも別々に一人旅をしていてここで出会ったとのこと。

一人旅同士が出会うことはなかなか無いのである。しかも3人。話は尽きることはない。

結局、東京の彼は夜行で博多に。その後長崎で再び会う約束をした。

秋田の彼は私といっしょに宮崎市内のサウナで夜を明かすことに・・・

旅の出会いとは面白いものである。


1995年8月14日

れが溜まっていたのだろうか?目が醒めると既に朝8時半。一緒に来ていた彼は既に旅立っていた。

時刻表を見ると既に乗る予定であった特急は発車したあと。とりあえず予定を立てるのだが、

指宿のコンビニで読んだ雑誌に霧島温泉のことがあったのを思い出したので行ってみることに。

次の特急「きりしま」が発車するまでしばらく時間があるので駅前のホカ弁屋で買ったのり弁を朝食とする。

駅に行き特急の到着を待ってるとやがて緑色に塗られた車両がやってきた。JR九州の車両はほんとカラフルである。

島神宮駅で下車し、霧島温泉行きのバスに乗る。

霧島山の麓に位置する霧島温泉郷はかなり山奥である。

山道をどんどん登るとあちこちから温泉の湯気が立ち上る温泉郷へ到着。

「霧島ホテル」で昼間の入浴を受け付けてるとのことでそこにご厄介になる。受付で\1030を払い大浴場へ。

この目玉は大浴場。しかしそれがとてつもなく大きい。風呂というより温泉沼である。

水深150cm近くあり風呂に浸かると云うより風呂で泳ぐといった感じである。

また、ここの大浴場は混浴である。   九州は混浴の温泉が多いなぁ・・・・・・・(って単に混浴の所を優先的に選んでるだけなのかもしれないが。)

温泉から上がって再びバスに乗る。

とりあえず目の前に来たバスにJR駅の名前があったので乗ったのだが・・・(考え無しに乗ったのが悪かったのか・・・)

スが着いたのは隼人駅。また今夜も熊本に泊まるかなぁ・・・と考え一度通ってみたかった肥薩線に乗ることにした。

ところがここでも勘違い・・・

途中吉松で停車したのだが、ここでほとんどのお客が降りたので勝手に終点だと勘違いして私もつられて降りてしまったらまもなく発車。

え?、と思考が停止してしまった私を後目に列車は行ってしまった・・・

さてどうしよう・・・私の勘違いが招いたこととはいえ、ここで遅れると長崎で待つ彼に会えなくなる可能性も出てくる・・・

とりあえず他の列車が吉松に到着するまでは時間があるので待合室で待つことに・・・

合室には畳敷きの小上がりがあり、そこで休んでいた18切符で旅行中の大阪の専門学生のグループ

から葡萄を頂いた。彼らはどうやらここで今夜泊まるらしい。

最初私もここで泊まろうかとも考えていたが、この先客のいる狭い小上がりではそれは無理なようだ。

時刻表を繰ると、都城行きの普通列車に乗ればどうやら宮崎発の夜行特急に間に合うようである。

私の決意は固まった。都城行きに乗り、宮崎からの夜行特急に乗ることにした。

幸い乗り継ぎは無事に通り、博多行きの夜行特急に間に合った。

 

これでゆっくり眠れる・・・・・・


【以下次回】


<<<続く

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