このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
旅の終わりは長崎へ
1998年8月20日
夜も明け切らぬ午前4時半目が覚める。
汗ばんだ身体にじとっとまとわりつく朝露と湿った空気。
とてもさわやかな目覚めにはほど遠い。しかも新たな蚊による被弾箇所。
のろのろと撤収作業をして別府駅へ向かう。ひとっ風呂浴びたいがそう思う間もなく556発の始発列車が
到着。この日も朝から快晴の天気である。
大分で久大本線に乗換。由布院行きである。
由布院では2時間の列車乗り継ぎ時間があるので前回も行った「下ん湯」へ。
下ん湯。昼間は観光客の格好の見せ物である。
3年来ない間に由布院は変わっていた。いつの間にやらコンビニが出来、あちこちにファンシーな
お店の数々。タレント梅宮某の漬物屋まである。
「別府の奥座敷・由布院」はどこへ行ったのだろう?
下ん湯で汗を流し再び駅に戻る。長崎YHを予約してるのでそれまでに着けばよい。
九州に来て初めてまともな宿にようやく泊まれそうだ。
12系客車の普通列車もついにここだけの存在…
久留米から鳥栖を経由して長崎へ。さすがに鈍行だけの旅では時間がかかってしょうがない。
特急を使った前回とは違ってかなり移動距離に差が出ている。
長崎には日没後の1841に到着。この晩はYHで久しぶりにベットで眠ることが出来た。
1998年8月21日
この日は市内散策。と言えば聞こえはいいが……
目当てはホテルになった旧青函連絡船・大雪丸。
観光写真では決して見せない真の姿。造船所に隣接。
実際見てみると、外観は何とかとどめているものの……
しかしスクラップになるよりは遙かにましである。この地での第二の人生を歩む姿を見ることが出来て
まずは一安心。
その後は市内をぶらぶら。(徒歩) 時々涼を求めてコンビニや本屋へ。
特に何をするともなしに旅先の一日を過ごした。
1998年8月22日
この晩博多を出る「ムーンライト九州」でいよいよ九州を出る。
昼間の長崎本線はほとんど普通列車がないので佐世保経由で博多へ向かう。
長浜ラーメンで夕食を取り、お土産を購入後ムーンライト九州自由席の列へ並ぶ。
しかし、そこには大垣夜行をも凌ぐ長蛇の列が続いていた。
6両中自由席は2両。そこに200人近くの人が並んでいる。どう考えても座席定員以上である。
ムーンライト九州は京都までおよそ9時間。いよいよ立ったままで夜明かしか……と覚悟したが、
座席の方は奇跡的に確保でき(一人であったのが幸いしたのだろう)立ったまま夜明かしは避けられたが。
車内は大垣夜行以上の混雑である。デッキ、通路はもちろん荷物棚や座席の間にも人がいて
せっかくのリクライニングの立派な座席も倒せない。始発からこのような状態なのにさらに続々と
途中駅で次々と乗ってくる。
ようやく落ち着いたのは関門トンエルをくぐり九州を出たあたりであった………
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