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盲目の作家 宮崎康平伝

高尾 稔著

  生前宮崎康平と親交のあった高尾 稔氏による伝記。「『夢を喰う男ー宮崎康
平伝』がほとんど宮崎氏を知らずに、しかも面白可笑しく書いており、宮崎康平
が余りにもかわいそうだ」ということで執筆されものである。

 宮崎康平が小学生の時から宮崎組社長、島鉄重役時代、作家、農民の時代
と他界して宮崎康平碑が島原城址に立てられるまでを追っている。

 本書によれば、宮崎氏は「作家」ではなく、「農民」と自負していたようだ。旅先
でもその地の土をなめてまで地質を調べ、作物の話を農民にじっくり聞くほど熱
心だったようだ。

 それより、自分の農地で無農薬野菜の栽培を研究させて見たり、バナナを育
てたり、葡萄の生産を島原半島に普及させたりと、熱心な農業者だったようだ。

 本書にはまた、戦後直後の島鉄の面白いエピソードが描かれている。昭和22
年頃の正月元旦に、後の宮崎康平の弟子となった植木 孟氏(島鉄初代社長
の兄弟の孫にあたる)が、諫早発島原湊(現南島原)の列車に車掌として乗務
したときのことである。停車駅各駅の駅長が、乗務員にお椀酒で「お神酒だ御
屠蘇だ」といって酒を勧め、乗務員はそれを飲み干しながら島原湊まで乗務し
た。

 ところが、島原湊までついたのは良いが、その先加津佐まで乗務するのが居
ないので、植木氏らがそのまま加津佐まで行くことになった。全線で駅員配置
駅が24駅、その全ての駅で酒を注がれながら進んだので、終点につく頃には、
機関士、助士、車掌ともに酔いつぶれ、機関車の蒸気があがらなくなってしま
い、列車は途中で止まってしまった、ということがあったそうだ(翌2日に植木氏
は宮崎氏に激怒されている)。
※当然のことながら、今日の島鉄ではそんな風習はありませんので、ご安心く
ださい。

 いづれにしろ、本書は宮崎氏と一緒に韓国取材旅行に出かけるほど、宮崎氏
と親交のあった著者が描いているので、最も忠実な伝記といえるだろう。


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BOOK DATE

盲目の作家 宮崎康平伝

高尾 稔著

初版発行 昭和61年8月10日

創思社出版 発行



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