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●〜* Kunyom chon Rot Ploen Khumae!

カンボジア鉄道応援会>その他>考証>ポル・ポトとカンボジア鉄道

Kunyom chon Rot Ploen Khumae! *〜●


 ▲激動の歴史の中で散っていった無名の人々の肖像

 カンボジア共産党とカンボジア鉄道との関わりは深い。実はカンボジア共産党の成立が誓言されたのはカンボジア鉄道のプノムペン駅であったからだ。また一説にはカンボジア鉄道の列車の中だったとも言われている。

 カンボジア共産党と言えば破壊の代名詞と言う印象を持つ人々が多いだろう。勿論、私もその一人だ。しかし何故それほどの印象を与えてしまうような行動を採用したのだろうか? また何故人民ははそのような人々に従ったのだろうか? その答えは、最近有名になったアフガニスタンのタリバーンの政策に類似点を見るようなことができる。タリバーンの政策とはあの地域の文明の恩恵を受けることの出来なかった地域の人々の思想や風習、そして文明の恩恵を受けるへの嫉妬が、原点だったように思える。1975年に成立したカンボジアでの革命の原点もそうだった。カンボジアの発展に取り残された都市から離れて住む人々は、都市的な生活にあこがれながらもそれが不可能であることに絶望していた。また特に山岳部に住む人々は都市部の人々から差別を受けていた。そんな劣等感に火を着けて、「農民による都市の包囲」を実現したのが革命家のポル・ポトだった。

 劣等感に苛まれ、絶望に陥っている人々を元気づけるのに有効なのは人間としての尊厳を回復させることだ。そしてその為には「キミは必要な人間だ」と説いて納得させることだ。カンボジア共産党もそこまでで止めておけばよかったのだが、そこから自己の利益のために、貧困層の行動を誘導してしまった。それは「キミの感じている苦痛の原因は贅沢三昧の暮らしをしている都市部での住人が搾取しているからだ」と説いてしまったことだ。目の前の永遠の苦境が広がる人々には「自分には非がない」という福音を伝えられることは蜜よりも甘い言葉だったろう。そして今まで従うしかなかった支配層である都市部のエリートをその地位から引きずり降ろすという活動は、快感そのものだ。カンボジア共産党はその辺りの人間の弱さに深い造詣があったようだ。きっと布団屋さんのセールスのような演説がカンボジア全土で繰り広げられていたことだろう。

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