このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
●〜* Kunyom chon Rot Ploen Khumae! |
カンボジア鉄道応援会>その他>考証>ポル・ポトとカンボジア鉄道 |
Kunyom chon Rot Ploen Khumae! *〜● |
|
カンボジア共産党といえばやはり、その象徴はポル・ポトだろう。しかし「ポル・ポト」が歴史の舞台に現れたのは、多くの歴史小説の中で書かれているほど古くはない。「ポル・ポト」という「名前」が初めて歴史の舞台に登場したのは1976年にカンボジア共産党が行った国民選挙である。カンボジア共産党は選挙の後でこんなアナウンスを行った。 「ゴム農園で働いていた労働者ポル・ポト氏が首領に選出された」 ここで多くの人々は首を傾げた。それは「ポル・ポト」は誰のことだろう? ということだ。それまでカンボジア共産党と敵対していた米国情報機関のCIAや、シハヌーク元王もそうだったらしい。それまでのカンボジア共産党の大物はイエン・サリなどの人物であろうと思いこんでいたからだ。 そしてその後、もっと驚いたのは「ポル・ポト」の家族だった。それは新しい首領が死に別れたと思いこんでいた「サロット・サル」だったからだ。実はシハヌーク元王も「サロット・サル」とは一応面識があった。革命が成立する前にシハヌーク元王がカンボジアの解放区へ赴いたときにの記念写真にも「サロット・サル=ポル・ポト」は写っている。ただし、端の方に目立たない形で。「サロット・サル」を知る有識者も驚いたことだろう。何故なら「サロット・サル」はシハヌーク元王が行った弾圧で殺害され、土に埋められてしまった悲劇の革命家として記憶していたからだ。実際、「サロット・サル」はカンボジアでの身の危険を感じて、カンボジア・ヴィエトナムの密林の中に姿を隠していたのだ。 |
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |