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●〜* Kunyom chon Rot Ploen Khumae!

カンボジア鉄道応援会>その他>考証>ポル・ポトとカンボジア鉄道

Kunyom chon Rot Ploen Khumae! *〜●


 ▲2002年3月にS21跡地の博物館の展示品目から除外された「作品」

 ポル・ポトたちカンボジア共産党はカンボジアのすべての方面から首都プノムペンへの攻撃を実施した。その攻撃作戦の中でも執拗に行われたのが都市から離れた熱帯雨林を通過するインフラの破壊だ。おそらく戦略的な理由は徐々に農民仲間を増やしていくことだ。カンボジア共産党としてもまさか都市住民のほとんどが自分たちを支持するとは夢にも思っていなかったろうから、開放した農地に住む人々の中から人員や食料を調達しながら確実に進軍していくしかなかった。

 そして戦術的にはプノムペンを兵糧攻めで資源的に干上がらせることだ。できればさっさと自滅してくれれば思っていただろう。それは航空戦力などの「遠隔地」を攻撃する手段持ち合わせてしなかったからだ。また後の第三次インドシナ戦争ではあまり省みられなかった「人命の無駄な消費」を、実戦部隊の指揮者が嫌ったと思えば納得がいく。そんな指揮者の命のほとんどは第三次インドシナ戦争前にポル・ポトのヒステリーの前に露を消えたか、ヘン・サムリンやフン・センのようにヴィエトナムに逃亡してしまったことだろう。

 カンボジア共産党の攻撃によってカンボジア鉄道でもっとも最初に壊滅的な打撃を受けたのは南線、つまり外港のあるシハヌークヴィルと首都プノムペンを結ぶ路線だ。これによって、首都周辺に設置された発電施設へのエネルギーの供給や武器援助などが滞るようになる。また陸路や海路でのカンボジア脱出が困難になった。次に壊滅的な打撃を受けたのは北線だ。これによって首都プノムペンとタイをつなぐ補給路が断たれたことになる。カンボジア鉄道は北線がほぼ中央で分断された後でもしばらく鉄道輸送を行っていたが、アンコールワットを取り戻す為にロン・ノル大統領が計画した「チェンラ2作戦」が失敗した後でカンボジア共産党によって接収された。

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