このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

●〜* Kunyom chon Rot Ploen Khumae!

カンボジア鉄道応援会>その他>考証>ポル・ポトとカンボジア鉄道

Kunyom chon Rot Ploen Khumae! *〜●


 ▲機械にまで根性を説き絶対的な忠誠を求める精神主義者ポルポトとその仲間たちの通過後の風景

 家族計画も国家計画も根は同じである。正しい方法による地道な行為なくして前進はない。こんな簡単なことでも何も知らない人々が気づくには長い長い時間と辛く耐え難い苦痛を通過する必要があるようだ。

 例えば、大昔日本人は気合いによって、米国に敵対する困った指導者が政治をする国の民間人を焼き討ちにするために開発されたボーイング社製の飛行機を撃墜することができると信じていた。

 例えば、昔中国人は未熟でまったく学ぶ必要ないヨーロッパの知識に毒された人々を排除すれば、気合いによって短期間に母国が文化・経済的に欧米を追い越せると信じていた。

 毛沢東も流石に死の淵に着いたとき、「大躍進運動」と「文化大革命」については後悔し、自らポル・ポトたちに即したカンボジアでの「大躍進運動」と「文化大革命」の政策を取りやめるように進めたそうだ。しかしポル・ポトたちは、毛沢東の経験に基づいたありがたいアドバイスを鼻で笑っていたらしい。「カンボジアは中国のようなへまはしない。間もなく世界でもっとも進んだ共産主義国家がアジアに誕生する」とつぶやきながら・・・。

「気合い」という美しい言葉に指導者や国民はつい惑わされてしまうのは何故だろう? まったく証明されていない理論に基づく国家計画をばく進してしまうのは何故だろう? 計画の無謬性を信じてやまないのは何故だろう?

 ポル・ポトもまたそんな指導者の一人で、砂場に山とトンネルを作れる技術力が有れば、国土計画と建設ができると思っていたことは間違いない。そしてトミー社がカンボジアの隣国タイのパトムタニー県のナワナコン工業団地の奥の方で製造されているプラレールを組むことが出来れば、鉄道の運営もできるという感覚の持ち主ではなかったのだろうか? ただ、それはポル・ポトに限ったことではなく、彼の支持者も同様だったろう。何故なら、彼らは不幸にもプラレールが何たるかも知らなかったのだから。

 上記のことをちょっとふまえれば「なるほど」と思えるのだが、カンボジア鉄道でもカンボジア共産党支配初期には鉄道職員を現場から追いだして、革命の同士たちで計画的運行を行おうとした。しかし、結局保線すらままならず、一度は農地に強制疎開させた鉄道員たちを呼び戻すしかなかった。それで鉄道の運営はなんとかなったのだが、彼らに課させる輸送計画はあいかわらずむちゃくちゃなものだった。例えば、蒸気機関車が走行するとボルトの弛むのも、サボタージュやら反革命行為だったりする位に。

 鉄道員も逆らえば命が危ないので、無茶をしながら何とか帳尻を合わせようとする。結果として、整備不良で鉄道施設は全てが痛むままになる。彼らが助かったのは鉄道施設が完全に機能不全に陥って、反革命行為として断崖されるようになる前にヴィエトナムがカンボジア共産党を追い払ってくれたお陰である。

 このページが投げやりに書かれているのは、書きながらものすごい脱力感に襲われているからである。どうぞお許し願いたい。

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