このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

2004年8月12日

お盆の帰省がやって来た。13日は朝から墓参りのため家を12日の14時ごろ出発。やはり青春18きっぷでの帰省。新幹線は2003年の4月から乗ってない。もしかすると修学旅行まで乗らないかも。

岡山での乗換え時間が長くないと姫路まで立ちっぱなしになるため20分以上の乗換え時間を設定してみたら、座れた。7両だった。この区間は途中駅での乗降が少なく、18きっぷの期間は1時間弱立ちっぱなしの人がいるという事態が多い。増結しろ増発しろ指定席車を作れなどという意見も多い。

姫路に着いたら乗っていたほとんどの人は先発の新快速で東に向かうが姫路始発地点ですでに立ち客がいる。我々はここで立ち食いそばを食べて次の新快速に乗れば席の確保は極めて安易だった。若干の遅れが出やすい新快速も定刻に大阪に到着。18きっぷなら環状線で新今宮にいくところだが、なんばのデパートでお供えの果物を買うため御堂筋線に乗る。

なんばのデパートでは先に食事、そしてみかんを買い、南海のりばへ行く。急行に乗る。荷物を網棚にのせ、一息ついたところではそこまで乗っていなかったのに発車する時は結構乗っていた。新今宮でまた増える。その後は徐々に少なくなり8両の急行は橋本に到着。JR線のりばに行く。

2番線に停まっていた和歌山行きは青緑色の117系だった。岡山のサンライナーと違い、扉付近がロングシートになっている。そして反対方面の3番線には105系も到着。それに乗って一駅。無人駅の下兵庫に着くと、涼しい。家までは駅から5分もかからない。着いたら風呂に入りまもなく寝る。


2004年8月14日

13日は墓参りの後、寝たりしていた。そして今日も何もすることはないと思っていたが「滑らかに動かない戸を直してくれ」と言われ、しぶしぶ戸を外してみると車輪が片方欠けていた。車輪をはずして1000円をもらい近くのホームセンターに買いに行く。買ってきた車輪を付けて、戸を取り付けると、変な音はしなくなったけれど以前の滑らかさを知っている僕は「あかん。車輪が深く入りすぎて木ぃのとこが滑ってる。」と、またやり直さなければいけなくなったと思ったが、「もうええ、木がそのうち削れて車輪が回るようになる」と言ってくれたので終わった。

午後はゴロゴロしていたら、「暇や、散歩に行こう」と父が言う。「もう、暑いし嫌や」というと「和歌山線の電車が花と一緒に写せるええ場所があったんやで」−「ほんまやろな」と言って外に出たのであった。

そこに着いたときは結構ええ場所やな、と思ったけど列車はブレて、露出オーバーで写真は悪くなってしまった。それが下の写真。


2004年8月15日

今日は豊中へ移動。夜は雨が降っていたが家を出た時には降っていなかった。和歌山線で橋本に行き、南海に乗る。橋本を発車してまもなく気づいた。架線がコンパウンドカテナリー方式(2段の架線)になっている。こんな田舎当然シンプルカテナリーだと思っていた。なんせ阪急宝塚線もシンプルカテナリーなのだから。

電車は調子よく飛ばしていく。なんばまで50分ずっと起きていた。御堂筋線で梅田へ。うめだ阪急でお供えを買う。そしてしばらくぶりの阪急電車。やっと会えたという感じである。

 


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