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管理人1435mm電車は現在中3。中学入試で受かってしまったため、電車通学を強いられることになりました。通学区間は山陽本線の倉敷から東福山。約40分の乗車です。沿線には学校がたくさんあり、朝・夕はたくさんの学生が電車に乗ってきます。
1435mm電車が朝に乗る車両は4両3扉のセミクロスシート車両。まず、倉敷で乗るときはホームで並ぶ必要はない。福山方面ホームは整列乗車が存在しません。電車が着いた時だけちょっとした列が扉の両側にできるだけで、80%の確率で座ることができます。
最初に着く西阿知では乗る人も降りる人も少ない。新倉敷では降りる人では通勤客が多く、乗る人では通学客が多いようです。その次にはこの区間では一番大きい私立の中高一貫校があるため、たくさんの学生が降りていきます。この駅に着けば倉敷で座れなかったとしてもこの駅で絶対に座れます。次の鴨方でも学生が降り、その次の里庄は降りる人がほとんどいない。岡山県最後の駅である笠岡で通勤客がたくさん、通学客も少し降ります。
広島県に入り、大門に着けば福山市内の学校に通学する学生がたくさん乗ってきます。そして1435mm電車が降りる東福山駅でも大門からの学生と同じ制服の客が乗ってきます。ここの学生は1435mm電車が思うに一番マナーが悪く、扉の真正面にその学生がたくさんホームに立っているので、降りるときには大変です。ここの地点でエネルギーを半分消耗します。
管理人1435mm電車の日常Ⅱ
クラブをした後、6時前に学校を出、チンタラチンタラ駅に向かいます。岡山方面の発車は6時の0分台、10分台とあるのですがその次の発車は30分台と、10分台のに乗り損ねたら、20分間ボ——っとしていなければなりません。ただ、そこまで早く家に帰りたいのかといえばそういうことでもなく、倉敷駅の書店で1時間ほど立ち読みすることもよくあります。その書店を出るのが8時くらいであれば、少し遠回りして水島臨海鉄道の線路沿いをチンタラ帰っていき、ヘッドライトを照らしながら後ろから国鉄色の気動車がやってきて去っていくのを見れば気分がスカッとします。
さて、倉敷駅から家までと東福山駅から学校まではどちらも歩いて20分かかり、電車に乗る時間と歩いてる時間はほぼ同じです。この位の時間歩くわけだから車や自転車のマナーも気になります。しかし気になるのは福山の方で倉敷ではあまり気になりません。倉敷の方は歩く道に国道が含まれていないし、車が来ていない時は最大5メートルの幅を自由に歩けます。
福山は途中から国道に入り、車が多いため、歩道と車道が分けてあります。この歩道の幅が約1.5メートルと相当狭い上におよそ5つの学校の生徒の通学路となっているため朝と夕方に集中して人や自転車が行き交います。ここで気になるのは自転車に乗っている人の態度です。後からチャリン、チャリンと鳴らしてくる自転車がいますが、道路上は基本的に歩行者優先であり、あのようにして歩行者を退かすのは絶対にいけないと思います。「ちょっとごめんね」とか「すみません」とか声で言われたらよけてやる気もするけれどあのようなやり方をしたものには無視するように1435mm電車は心がけています。
福山というのは柄悪いのが倉敷に比べて多く、前に言った、チャリン、チャリンと鳴らす奴はかなりいますよ。他にも脇道からやって来た車がいったん止まったから普通に歩いて渡ろうとしたらクラクション鳴らされたり、信号が青の時これまた普通に渡っていたら、曲がってくる車にクラクション鳴らされたり、幅1.5メートルの歩道を一人で歩いていたら、チャリン、チャリンと同時に「あぶね—ぞー!」と言われ、「どっちがあぶないんや!」と言い返してやったら、「お前じゃー!」。「黙れ!」とか言い合いになったこともあるんです。
何も悪いことしてない福山の人にはごめんなさい。
その日の朝、いつものように電車に乗って、降りる東福山が近くなり、「まもなく東福山、東福山です。」と放送があったので、さあさあと思って網棚にのせた荷物を下ろそうとすると、下ろせない。なぜだっ、と思って注意深く網棚を見ると普段引っかからない所に網棚の針金が引っかかっていました。びっくりしてそれが悪いことだとは気付かず、土足で座席の上に立って、どないかして荷物を外してやらなければと、必死に取り外そうとしました。もうすでに扉は開き、あのマナーの悪い学生が乗って来ています。笑い声が聞こえてくる。「たすけて」とか言いながら必死にやっていたら、隣に座っていたおばちゃんが手伝ってくれてその30秒後なんとかとれた。すでに電車は発車していたけれど、時間に余裕はあったので問題なかった。そんなことよりとにかく車内では注目の的だった。お恥ずかしい限りでした。福山駅に着き手伝ってくれたおばちゃんに深くお礼を言って、岡山方面へ引き返したのでありました。
その日の帰り、学校の教室に置いてある、体育の授業で使う竹刀を持って帰ることになりました。理由は教室が入試会場になるからということで、その日の帰りはたくさんの人が竹刀を持って帰っていました。電車に乗る時竹刀が邪魔なので網棚の上に乗せたら、置き忘れて電車を降りちゃいました。駅の書店で立ち読みをしてからそのことに気が付き、乗り越し精算の所に言ったら、「普段は観光案内所で取り扱っているけれど今日はそこが開いてないから、こっちに来い」と言われて行った先は関係者意外立ち入り禁止の乗り越し精算をしている部屋。必要事項を聞かれ、「東福山駅を16時19分に発車したやつ」と言うと駅員さんちっちゃい冊子の時刻表で調べ始めたがこの駅員さん、列車番号を調べるだけで苦戦しています。「これじゃないの」と言って教えてあげたけれど、分かってないようなので「だから、岡山で時刻表の筋がずれているでしょっ。ここずーと上見てったらここに列車番号あるでしょう」と言って詳しく教えてあげた。「ハハハそっちの方がようしっとるな」とか言われたけれど、駅員として当たり前でしょう、とか思いました。
その電車は姫路まで行ってしまったらしく、あれば姫路から着払いで送ってくれることになりました。しかし実際に送ってきた駅は全然方向の違う広島県の糸崎駅でした。さては姫路駅で網棚見てないやろ、とか思いましたが、まあ戻ってきたことに感謝したいと思います。
これら2つの事件は全く別の日に起こったものですが、1435mm電車と網棚とはどうやら相性が悪いようです。まあハッピーエンドなだけありがたいですけどね。
鉄道ファンの方なら誰でも知っていると思いますが、非常制動とは非常ブレーキのことで普段、電車の速度を落とす時には使わないブレーキです。
ある日、1435mm電車は寝坊をしてしまい、いつも乗るはずの電車に乗り損ねてしまいました。その次の電車は約20分後。学校の最寄駅である東福山に着くのは8:28分で、学校のホームルーム開始は8:45分。東福山駅と学校との距離約1.2km。徒歩で20分かかります。いつものように歩いて行っては遅刻するので、走って間に合わすしかない、と思っていました。
で、その20分後の電車に乗って、席に着いて、ボーっとしていました。西阿知、新倉敷と停車して、金光駅が近くなり電車はスピードを落し始めました。そして「プァ〜ン」と警笛を鳴らしました。これだけなら「ホームの白線から出とるのがおったかな?」と思うだけなのですが、やけに長い警笛で、「何かあったんかな?」と思うと「バシャ—」という音が聞こえました。この音を聞いて直感しました。「非常制動や!」
急に心配になりました。もし人身事故だったら電車はストップし、学校に遅刻決定です。電車は非常制動をかけてホームの停車位置のだいぶ手前で停まりました。そこで20秒ほど停まったまんま、扉を開けませんでした。そしてその後、停止位置の修正のため、電車は動き出しました。この地点で人をひいてないことが分かり、救われた思いでした。
「『バシャ—』という音が非常制動の音だと知らなかったらこんな心配せんで良かったのに・・・」と思いました。
ある日1435mm電車はやはり寝坊をしてしまい、ホームルーム開始ギリギリの電車に乗ることになりました。倉敷駅に歩いて向かっていると、構内放送が絶え間なく流れています。なんかヘンだな、と思って、ホームに下りるとまた放送。
「本日、糸崎駅で架線故障が起こりました。」とのこと。「山陽本線上り列車は遅れ不明となっております。岡山方面へお越しのお客様は5番のりば、伯備線から参ります、普通電車をご利用下さい。」・・・よかったね、伯備線があったおかげで岡山に行く人は足がうばわれずに、と他人事のように思っていると、「山陽本線下り列車は只今7、8分遅れで運転しております。」
架線故障のせいか分からないが、こっちも遅れている。遅刻を覚悟しました。仕方なく柱に寄りかかっていると、また放送。「山陽本線下り列車は、11分遅れで運転しております。」・・・傷口が広がってしまいました。遅刻の理由を聞かれたら「JR西くん(JR西日本のことをこう呼んでいる)のせいだ」と言う事にしました。電車の接近放送が流れてきて、やっと来たか、と思って、列車が来る方向を見ると山陽本線では少ない、DE10の率いる貨物列車がやってきてました。この機関車は最高速度が時速75kmなのでノロいです。3分してやっと電車が来て、倉敷駅を11分遅れで発車しました。
西阿知、新倉敷と過ぎたところでスピードダウン。ノロい貨物がすぐ前を走っているので最速100km/hの普通電車ではすぐに追いついて、信号が黄色になっているようです。スピードが出せずに走っているものだから遅れを短縮できるはずがありません。そして東福山に着いたのは本当に11分遅れでした。急いで駅を出ると、たくさんの学生がのんびり歩いていました。みんな一緒だから遅刻なんて恐くない、と思っているのでしょう。走っていくのは疲れるのでのんびり歩いていきました。
学校に着いたら先生に「お前は電車の遅れのせいじゃないよな」と言われたので戸惑いました。一応事実だけ述べることにして「11分電車遅れてた」と言って、何とか通りました。福山から来てる人は1時間以上遅れたようです。それに比べればこちらの11分遅れなんて何もないのと一緒と考えられて仕方ないのかもしれませんが。
人身事故
ある日にクラブを終えてチンタラ東福山駅に向かっていたら、ホームに電車が進入するところだったので、急いでホームに向かいましたが、階段から高校生がいっぱい上がってきていて、もがいていたら列車は発車。赤いテールライトが恨めしい。
仕方なくベンチに腰掛けていると10分して電車がやって来たのでそいつに乗りました。この地区で最高級の117系転換クロスシートの普通電車。席も空いていたので座って窓際にひじをついたらだんだん眠くなってくる。大門を出たあと、意識がなくなりました。
目が覚めた時、田んぼが広がっていて、左手には新幹線の高架があり、列車のスピードも遅くなってきていたので、もうそろそろ新倉敷か、と思っていると駅外停車。信号待ちかいな、と思っていると「ただいま、倉敷駅での人身事故の影響で列車停車いたしました・・・」
通学では初めての人身事故による列車のストップでした。しかも自分の降りる駅の自分の降りるホームで人身事故なので”嫌やな”と思っていました。10分ほど停まったまんまだったのがやっと動き出しました。しかし、倉敷駅に近づくにつれて嫌になってくる。遺体はとっくに処理されているのだろうが、少し前に人が死んだホームに進入するのである。
倉敷駅に着いた。降りても作業員など10人くらいが集まっている他は何事もなかったようです。そして家に向かっている途中、「多分自殺やろな。死ぬよりも辛いこと、あるもんな・・・」などと考えていました。
はっきり言って1435mm電車も死にたくなるときあります。自分に自信を全く持っていません。しかし死んだほうが楽になるとは誰も保証してないし、ダイヤを狂わせたら家族が責任を負ったりして大変だと思うので、どんなに辛くても自殺をするつもりはありません。したくなっても、生きがいである鉄道趣味を続けていればそんな気持ちにはなりませんし。
山陽本線の日曜日
1435mm電車の通う学校では5月の日曜日に体育祭が予定されていました。しかしその日の朝は雨天となり順延確実。その日は授業をすることになりました。平日の朝はそこそこ乗っていて、ロングシート車の長所を充分に発揮している105系電車はその日、倉敷で乗ったとき1両に6〜7人というありさまでした。やはり、地方幹線は通勤・通学(特に通学)客がいなければすべての時間帯においてガラガラ、大赤字となるでしょう。
ちなみにこの体育祭の順延はもう一度あり、最終的に火曜日に行われました。平日ながらたくさんの方が見に来られました。
中国地方に台風が来そうでした。その日は朝から暴風警報。普通の中学はたいてい暴風が出たら休みになるのですが、学校からは暴風警報で休みになるとは言われていないので、連絡網がまわって来るのを待っていたのですが電話はかかってこないため、家を出る時刻の直前にまず学校、誰も出ないので担任の先生の家に電話したら、「JRが動いてたらあるんよ」などと言われて、あんたらは自分らで判断せんでJRなんかに任せるんか、などと言いたいのを抑えて倉敷駅に向かいました。
結構風強かったけれど、駅に着いてホームに下りるてみると、学生は1435mm電車の通う学校の生徒だけでした。やはりどこもかも休みなんやな、と思って電車に乗って、異変に気づいたのは新倉敷を出たところ。 なぜか同じ学校の生徒が数人降りていっています。金光でも数人、鴨方についたときに電車から降りた、知り合いを見つけて、窓越しに「どないしたん?」と聞いてみると、「ない、ない。」と言っているので、休みになったということが初めて分かりました。
その鴨方で降りられなかったので、里庄で降りて、岡山方面の電車が来そうだったので、走って反対側のホームに向かうと117系8両が到着しました。電車に乗って、「ええかげんなこと言って、結局ないんやんか ホンマに。」と思ってため息を連発していると、もう新倉敷を発車していました。「ここまで各停で走って来たんやから次は西阿知やな」と思っていると、なんと西阿知を通過していました。
「何でやねん?各駅停車やろっ!」と思って、自分の目を疑いましたがやはり通過していました。運転士がおかしんやろか、でも車掌もなんも言わんし、こりゃ倉敷も通過するんとちゃうんやろか?・・・と思っていましたが、電車は何事もなかったように倉敷に到着。おかしかったな、と思いながら階段を上ってふと、電光表示板を見ると、「快速サンライナー ●1〜8」とあって、自分のアホさに気づきました。
サンライナーには停車駅が3種類くらいあって、さっき乗ってきたのは笠岡始発、新倉敷まで各停、倉敷、岡山に停まるタイプだったのです。鉄道ファンで地元を走る電車の停車駅を知らなかったのって恐らく僕だけやろな。
この日も遅刻ギリギリの電車に乗って学校に行くつもりでした。しかし倉敷駅に着いて、ポケットに手を入れてもいつも入っているはずの裸の定期が無く、家に戻っていては遅刻するので仕方なく精算の所へ行きました。「すみません、定期忘れたんですけど。」と言うと、「券売機で切符買え」と言われ「そんなにお金持ってません」。「家に取りに帰れんのか」と言われ、「無理。そんなことしてたら遅刻するから」と言うと、「もう、定期忘れたらな、色々大変なんだから」と言われ、往復1300円(高すぎ)を貸してもらいました。
券売機で急いで切符を買ってホームに下りようとしましたが、もう電車はホームに来ていたようで1番のりばから人がいっぱい上って来ていて、あせりました。そして・・・電車は扉を閉め、発車。
次の電車まで23分間。完全に遅刻。しかし遅刻するって分かってたなら親に公衆電話(携帯持ちません)で電話して定期持ってきてくれれば安上がりやったのに、と思っている間に岡山方面には6〜8両の電車が3本発車していきました。こっちは本数少ない。が、貨物が2本通りました。
やっと電車が来て、そのあとは言うまでもありません。学校に着いた時にはとっくにホームルームが終わり、授業が始まっていました。授業が始まってから15分。ホームルームからだと・・・30分。という遅れようでした。借りた1300円はもちろん自分の金で返しました。また旅行資金が少なくなってしまいました。
夏休み、クラブの帰り。電車はすいています。ボックスシートに一人で座っても眠たくならず、電車は新倉敷にすべりこみました。ホームにいる人の数からして座席が全て埋まるくらい。しかし自分のボックスには誰も寄ってこないのです。僕ってキモイ存在なんかな?
やがて自分に注がれる視線を感じました。小学校入るか入らんかくらいの3人の子。その子たちを連れているのは一人のお父さん。まだ小さい3人にみつめられるから、このまま座りつづけるのはあまりにめんどくさい。お父さんに「どうぞ、みんなで座ってください」と素っ気無く言いました。そして何事もなかったように扉付近の2人掛けシートをみつけて埋めたのでした。
めんどくさい、というのは「気にするのがめんどくさい」ということです。実は僕は今回のことと全く逆の立場だったことがあります。小学一年くらいの頃、帰省で御堂筋線で立ち客となったのです。つり革を持っている人が羨ましく見え、背伸びをして無理な格好でつり革を持ち、「届くよ届くよ」とアホなことをしていたものだから、正面のおじさんが「ハイ、届かんね。座り。」と言って席をゆずってくれたのです。まぁこのときは「ガキの存在自体がめんどくさい」ということだったんでしょう。
それからしばらくして大阪などに一人で行くようになると、席をゆずっている若い人をよく見るようになり、カッコエエなーと思い、そういう人に憧れてました。残念ながら岡山福山ではそういう人を見かけません。都会は冷たいと言うけれども、地方都市の冷たさからすれば、大阪の方はあったかい、と感じます。こっちもそういう「あったかい都市」になって欲しいと思っています。
山陽本線の岡山地区は昼間は3両4両が当たり前ですが、朝や夕方は6両7両8両といった長め(といっても東京の15両と比べたら短い)で運転されます。
台風18号が来た次の日、毎日6両で来る電車を待っていましたが、電光表示には「普通 三原 7:51 ▲4〜6」となっていました。電車が着いたらホンマに3両でした。なんとか席に座れましたが、もうどうなるかはお分かりでしょう。
通常、先頭車両は60m先で停まりますから、一番前の車両は人が駆け込んできて扉付近は一杯に。2両目もだいぶ混みました。1分ほど遅れて発車して、車内放送で「先日の台風により車両の都合がつかず、3両での運転です」って今言われてもなー。駅で放送しましょうよ。
扉の近くが好きな学生もいつものようにはいかなかったようです。人に押されて通路に出てきます。ピークは新倉敷金光間。その後は人が少なくなっていくので東福山では楽に降りれたのですが、やっぱり乗り降りに時間がかかり、4分遅れ。若干の遅刻となりました————。
台風18号によって(そうなのかどうかは良く知りませんが)網干の113系4両が岡山の方で働いています。しかし朝、学校に行く電車にそれが充当されているとは思いませんでした。久しぶりに早く起きて、始業までの時間に余裕のある電車に乗ったら、113系だったのです。表示幕は当然真っ白。車内のつり広告は岡山のものに交換されていましたが、天井の「ICOCA」などの広告や路線図はそのまんまだったので、興味深く見る人が続出。
シートのモケットはあまり磨り減っておらず、きれいな赤色。手入れもいき届いており、外見は良く似ている115系と比べても差は明らかでした。この車両は10月のダイヤ改正でJR神戸・京都線から引退します。まぁ、少しの間その113系と親しむ機会が出来たので、これを機に早起きできるかもしれません。鉄道ファンにとって電車通学の効果は大きい。
各鉄道会社は車掌の放送内容のだいたいを決めて、統一していると思いますが、たまにいつもと違うようなことを言う車掌さんがいるので紹介します。
・「他のお客様の気持ちを害するような行為は絶対にやめてください」
キレ気味に言ってました。朝、下り倉敷発車後と新倉敷発車後の両方で。
・「ハイ、ご乗車のお客様、前の方に続いてご乗車ください。ドアを閉めます、ご注意ください。・・・ハイ、ドアを閉めま〜す。」
これは関西の方では比較的よく聞けますが、こっちでは珍しい。学生がノロノロ乗っていると車掌さんとしてはイライラしますよね。
あと、分かりづらい放送があります。岡山〜福山の「快速サンライナ」ーの自動放送です。
倉敷到着時「まもなく倉敷、倉敷です。お出口は左側です。倉敷を出ますと次は新倉敷まで停まりません。西阿知にお越しのお客様は着きました同じのりばでお待ちください。倉敷美観地区、倉敷チ○リ公園へお越しのお客様は次の倉敷でお降りください。」
と、書くとこんな長ったらしくなるのですが、分かりづらくした言葉は太字の「次の」です。普通の人なら「次」というのは倉敷の次、新倉敷のことだと思いますよね。ここは「次の倉敷」を「ここ」にすれば分かりやすくなると思います。それにしても何でこんな放送にしてしまったのでしょうか?
※このサンライナーの車内放送はいつのまにか「次の」という言葉がなくなり、「〜へお越しのお客さまは倉敷でお降りください」に変わっていました。
毎日毎日、ボックスシートで通学していたのですが、それにもお別れです。04年10月のダイヤ改正で、個人的に、乗るのが一番嫌だった105系のほとんどが和歌山に転属し、213系の運用が増えました。レンタル113系(帰っていきました)のスジを今度は213系で走るようになりました。しかも、その1本あとに乗ってきた友達(非鉄です)が、「車両が青い線の入ったやつになっとった。」というのでそれも213系になったらしいです。
213系なんて、小3の校外学習でマリンライナーに乗ったとき以来でした。乗ってみた第一印象は「静かやなー」、「そんなに揺れんなー」でした。こんな良い車両を作ってくれた国鉄に感謝。
でも、2扉なので乗降に時間がかかってました。しかもドア付近が好きな人が多いもので。端っこの座席も転換できるというのもいいですね。まだ、マリンライナーの運用以外では213系を撮った事がないので撮っていきたいと思います。
いつのまにか、生活のリズムが崩れ、遅刻するかしないかの電車に毎日のように乗るようになりました。でも、最近は急げばこの1本前に乗れる時も好んでこのギリギリの電車に乗っています。倉敷発車7:53。倉敷を出るとすぐに水島臨海鉄道のキハ20系、2両(倉敷市到着、7:54)がすれ違うのです。
このキハ20は時期によって国鉄色+一般色、一般色+一般色、国鉄色+国鉄色の3通りのいずれかでやってきます。特に国鉄色だけの2両が好きで、前々から撮りたいと思っていたのでした。
ただ、キハ20が定期列車で来るのは平日だけなのでなかなか撮れる機会がなかったのです。学校に行く時に撮ることは時間的にムリで、帰るときは早く帰ってきたら撮れないことは無いのですが、夜なので列車が停まっている倉敷市駅で撮ることになります。
そしてついに、ある金曜日、カバンの中にカメラと小さめの三脚を入れて学校に行ったのでした。電車の中ですれ違う列車が国鉄色2両ということを確認します。夕方6時前には倉敷に帰ってきて、倉敷市駅に入場。列車の折返し時間は15分ほど。テールライトが光る後ろを撮った後、今度は前へ。
そこで三脚を据えて、父親からの借り物のカメラをセット。マニュアルなので、ピントを合わし、露出を合わしてみると、シャッターは1/2秒。レリーズを持っていないので、タイマーを適当に。そうこうしているうちに発車間際となり、ヘッドライトを点灯。すぐにシャッターを切ったのですがフィルムをスキャナーで取り込んでみると、もっと絞って、シャッターは1秒にした方が良かったと後悔しました。
新学期初日に初めて気づきました。4枚目の定期の期限が終了。以前は必ず通学証明書をもらっていたのですが、今回は継続で買うことにしました。JRは普通運賃は高いですが定期は安いです。お金を持って早めに駅へ行きました。みどりの窓口で6ヶ月定期を求める。 「3万4千・・・円になります。」と言われて1万円札3枚と五千円札1枚を重ねて渡すと・・・・・係員「1、2、3、4万円ですね。」と言ったのでこれはラッキーやと思ったのです。係員は”40000”と機械に打ちこみます。
・・・へっへっへ。5000円も得した・・・。などと思いながら冷静な顔して待っていましたが、お札4枚を機械に入れたら、やはり「あれ、おかしいな」と係員はつぶやきました。もう、こうなってはだませないので「僕は3万5000円渡したと思うんですけど」と言うと、係員は客からのその言葉を待ってたかのように笑いながら「あぁ、3万5000円じゃな。」と言い、無事に定期購入完了。
人をだますのはいけないと思いますが、切符を売ったりする仕事をする、いわゆるプロとしてはお金の数え間違いは極力無いようにしなければなりません。・・・・・・・・と、管理人は自分のことをタナに上げてこんなことを言う、悪い性格の持ち主であります。
ここ で言った湘南色113系の後にブルーライナー色の113系が定期運用で走っていたのですが、これも10月の改正で定期運用を退き、岡山電車区に放置されていたのですが、これが以前と同じスジで復活しました。 ここ では、113系をなかなか評価していたのですが、今回転換クロスシートの213系のスジをこのブルーライナーに変えられたわけです。利用者としては快適性が劣ります。この日は電車の中で少し勉強をする予定でしたが、狭いボックスシートなのでもちろん遠慮しました。
と、乗る側のことを書いたのですが、写真を撮るとすれば213系より絶対113系の方が好きです。外から眺めているぶんにはブルーライナーの方がいい。まったく「快適性が劣った、でもこの車両は撮りたい」などと自己中心的な管理人です。しかし「こうなったら思う存分この車両を撮りまくってやる」という気持ちにもなりました。「転換クロスじゃないからいや」などと贅沢もあまり言えませんし。
学年の終わりも近づき、学校のロッカーに埋まっている持ち物を持って帰らないといけません。今年度一回も使ってないと思われる美術の教科書、莫大な量のプリント類をカバンに満載。学校に買わされた2本のリコーダー(ソプラノ/アルト)も持って帰るのですが、これはカバンに入らないので手に持って学校を出発。駅に着き、電車まで5分ほどあるのでベンチに腰掛け、まもなく電車が来るのですが瀬戸内色。ハズレや、と思って4両の先頭にとことこ歩いて行って乗車。
荷物を下ろす際、あれ?こんなに荷物少なかったっけ?と思って忘れてきたことに気づきました。リコーダーです。これに気づいた瞬間にドアが閉まり、大門まで連れてかれました。2本で3000円程度したリコーダーなので、次の大門で下車。反対ホームに渡るとこの付近の私立の中高一貫校の生徒がちらほら。15分待ってやっと電車が来た。今度もハズレ。しかも3両。やっと東福山に戻り、そのベンチにはちゃんと居てくれました。リコーダー。
ここでベンチに腰掛けていると風が吹いてきて非常に寒い。ので、新幹線の高架の太い柱にもたれて風を防ぐ。そして最終的に帰宅電車となったのは広島115系の2扉転換クロス。爆睡しました。
ひさびさすぎます。前のぶん見たら3月に書いたヤツです。今8月なんですけど辛うじて半年以上空くという事態は回避しました。今回は結果的に最初から最後までかなり長くなりました。
3年になると、もう全く遅刻が恐くなくなりました。東福山駅から適度に走って行ったら間に合うときも、最近は暑いんで普通にトロトロ歩いて5分ほど遅刻します。校門には警備員さんが立っておられるのですが、たまに定時で校門に入ると、「おっ、今日は早いな」と言われます。要は遅刻の常連として顔覚えられてるわけですわ。しかし、この前しちゃいけない時に遅刻したもので・・・。
その日は修学旅行の前の諸注意などを受けに学年全員で同じ所に集まる日(夏休み中)でした。開始が9:00となっていたので、それに見合った電車に乗ったところまでは良いんですが、いつも笠岡くらいから睡魔は襲ってくるもので・・・。最近は眠りが深いことが多く、東福山手前のポイント通過音などで起きることは少なく、車内に高校生がたくさん乗ってきて騒がしくなった所で起きることが多いのです。
が、夏休みなんで高校生は激減してるのが当たり前ですから、静かに東福山から再び離れていくことになり電車は福山に到着したらしいです(この地点でも寝てたんで何が起こってたか知りませんから)。普通ならこの駅で絶対騒がしくなるはず(乗客総入れ替えに近い状態)です。しかし起きたのは扉の閉まった音でした。
当然ながら福山をも後にしてしまいました。福山に着いたのに気づかなかったというのは初めてのことです。自分でも少し信じられませんでしたが、福山市を流れる芦田川を渡り、見なれない風景が広がっていき、段々と現実味を帯びてきました。駅間が凄く長く感じられました。
備後赤坂に着き、反対側のホームへ行き、ベンチへ。
−−−−−(中略)−−−−−
学校に着き、集合する場所の前に来ましたが、中に誰もいないような静けさをたたえておりました。皆静かにして先生の話を聞いていることが容易に想像できます。このドアを開けた瞬間に+学年全員−クラブの試合で来れない人+α(推定120人)の視線が一斉にこちらに向けられます。でもこういうの結構スリルあって楽しいです。そんなことどうでもいいです。
期待しすぎたようです。こちらに目を向けたのはこの中にいる半分にも届きませんでした。もっと勢いよくドアを開ければ良かったと悔やまれてなりません。(<<何言うてんねや、恐る恐る開けてたくせにー)
そして自然な成り行きで後ろにいる担任のもとへ行き、
担:なんで遅れたん? 管:乗り過ごした。
担:なんで? 管:(↑だけ聞いて分かるやろ!)寝てた。
担:おぃ、お前こんな日に大変なコトしてくれたな。 管:はー。
担:ちょっとくらいええとか思っとるやろうけど。 管:はー。
担:○○××〃〃〃! 管:はー。
担:灣廳驟囓讙驗轤鑑々々々々! 管:はー。
とかこういういいかげんな受け答えをしていましたが、内心はめっちゃ悪いことしたなと、反省は不可能なので後悔しました。(<<ホンマかいな)
しかし後から考えるとこの日にコケておいたおかげで出発当日は遅れることなく来れたんで全体の結果としては良かったと思います。
どうでもいいはなし、もうひとつ。
昨日も爆睡して、東福山に到着しても寝ていまして、車掌の吹く笛の音で目が覚め、駆け込み降車を行ったところ、生まれて初めてドアに挟まれて3秒くらい動けませんでした。。。
少し前まで東福山駅北口から一つ目の交差点の信号は東西側と南北側での青の時間が違い、非常に不平等、というか明らかに車優先でした。
管理人の学校へはこの交差点を真っ直ぐ北へ進むため南北側信号にしたがって横断する事になりますが、南北側は待ち時間がかなり長く、青の時間はかなり短くなっていました。駅北口を利用する人の多くはこの南北横断をするので、言い換えればこれは鉄道利用者に対する冷遇でした。
それがいつのまにか点灯時間が変わり、青の時間は短いまんまでしたが、青になるまでの時間は前に比べるとだいぶ短くなったように思います。
以前はあまりに待ち時間が長すぎたので、管理人その他は車が途切れるのを見てこの信号を無視する事がしょっちゅうありましたが、点灯時間が変わってからは無視して渡ったことは今の所ありません。十分に待てる範囲内です。
誰がどこに働きかけてこのような改正が実現したのかは分かりませんが、こういうささいな生活の向上はありがたいものだと感じました。
このたび、中学で最後の定期を購入しました。高校生になったら高校生用を買わなければいけないので最後の定期は3ヶ月分になりました。訳あって手元から消えてしまった一枚を除き、中学入学から今までの定期を保存しています。並べて見るとひとつひとつに個性(?)があります。
管理人は定期券というものを実に軽々しく扱っており、パスケースなどに入れずに裸のまんまでポケットに入れています。そのためこすれて見ての通り印字がかなり薄くなったものが多いです。改札でこれは薄くて読めないじゃないかと緑の窓口へ再発行をしに連行させられたこともありましたが。
注目すべきは右から3番目の定期。おーきな穴があいております。これは友達の誰かにコンパスの針で小さな穴を空けられ、その後故意に爪で穴を広げていくのを日課とした成果です。尚、改札を通る時はもちろん穴の部分を持って分からないようにしていました。
さっきから何やってんねやというようなことばかりですが、一番右の最初の定期の綺麗さには自分でも驚きます。中学校に入学したばかりで、不安や緊張がありましたが、何より念願の電車通学がこの定期で出来るという喜びがあり、裸ながらも大切に扱っていたのだと思います。
高校に上がれば定期代は高くなります。それを機に定期をもっと大切にできるかなと思います。
入試休み(入試問題とか受験者の個人情報が漏れちゃったら大変でしょ、都合悪いから学校に来るなってこと)に入る前日の登校日のことです。長期休暇の前の日というのは、やはり終業式的な気分なわけでして、今日は東福山の駅から学校まで走って、開始に間に合わせてやろうと少し意気込んでいたのですが、倉敷を発車した後、信号の関係か電車は歩く速さくらいまでにスピードダゥンしてしまい、2分くらい西阿知に遅れて着きました。
これでもう走っても間に合いそうに無いのでため息をつき、珍しく本を読んで東福山まで過ごしました。
降りる時に扉付近に立っていた大学生くらいの女性の手元に目が釘づけになりました。
・・・Nikon FM3AにMicro55mmF2.8つき・・・(すみません、ある一種の病気でしてニコンのMFカメラには過剰な反応を示してしまいます)
若い人でもMFカメラを好んで使う人はいるのだなぁと少し感動しました。
MFカメラはピントを自分の手で合わすのを前提とした(AF機能の無い)カメラというのが定義だと思いますが、自分の思うようにピントや露出を合わせられるので、一般人が趣味として撮影を楽しむには最適なカメラだと私は思っています。(主にいい写真を得ることに楽しみを覚える人にとっては面倒なだけのカメラだと思いますが)
しかし国内でMFを製造する会社は少なくなり今はともかく、これからの将来MFカメラを手にし辛くなるかもしれません。日本人の写真・カメラ文化というものが変わりつつある今、写真・カメラを趣味にしている方は一度はこういうカメラを触ってみてもいいかと思います。
写真文化を左右するのはユーザーです。ユーザーの要求するカメラがどんなものかでメーカーがそれに応えていく。。。
MFカメラを要求する人はそこまで少なくないかもしれませんが、今は私のように中古品で幸せになれることが多いのでメーカーが製造する必要は無いのかもしれません。
私はNikon F2で撮影を楽しんでいますが、カメラに限らず、絶版になっていなかったレンズも安いからと中古で買いました。新品で買ったものはF2専用レリーズだけで、あとはニコンにレンズを1本清掃してもらったくらいです。こんなユーザーがいるためニコンもMF製品のラインナップを大幅に減らしました。罪滅ぼし(?)のため、いつかは辛うじて残っているレンズを何か1本買いたいです。
何が言いたかったのか自分でもよく分かりませんでしたが、最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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