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第1章  成長の限界〜〜西武鉄道と安比奈線をとりまく状況

 

 成長の限界とは、どこにあるのだろうか。無限の可能性といわれるものは、ほんとうにありえることなのだろうか。どれほどの成長を遂げたとしても、所詮はお釈迦様の掌すら飛び越えることができない、些事にすぎないのだろうか。人間、そして社会は、どこまで成長できる存在なのだろうか。

 成長途上にある存在は、自らの「無限の可能性」を信じるであろう。「坂の上の雲」を目指し、ひたすらに邁進するであろう。戦後の日本人は、そして日本社会は、一点の迷いもなく自らの「無限の可能性」を確信していた。確信していたからこそ、荒廃した国土を再建し、高度成長を果たし、日本を経済大国に押し上げることができたのである。

 図−1は西武鉄道の輸送量(人キロ)の推移を示したものである。昭和35(1960)年度以降、輸送量は年々伸び続けていることがわかる。これは、日本の経済成長を示すひとつの傍証である。日本経済が爆発的な高度成長を遂げたため、労働力が東京に集中し、その余沢を享けて西武鉄道沿線の人口も伸び、さらに沿線経済が成長し、その結果として西武鉄道の輸送量が伸びた、という連関がある。

図−1 西武鉄道の輸送量(人キロ)の推移(ピークである平成 3(1991)年度を 100として指数化)
参考文献(01)/ただし昭和50(1975)年度までのデータは各年ではなく5年毎のもの

 

 西武鉄道は輸送力増強を推進しなければならなくなった。車両の増備・運行本数増加・増結・ホーム延伸・複線化・複々線化など、さまざまな取組がなされた。その中でも最も負担が重いのは、車両の増備であり複々線化である。これら一連の輸送力増強によって、増え続ける利用者をさばき、混雑緩和を図る義務が西武鉄道にはあった。

 複々線化は、都心部でもう1本線路を新設するわけだから、どうしても初期投資が莫大になってしまう。西武鉄道での複々線化は、池袋線池袋−石神井公園間と新宿線西武新宿−上石神井間で行われる計画で、申請が出されている。

 ただし、池袋線の複々線化は全てが自社事業ではなく、池袋−小竹向原間は営団有楽町線、小竹向原−練馬間は西武有楽町線として新設、練馬−石神井公園間は腹付線増というかたちになっている。新宿線の複々線化は、大深度地下に急行線を新設するという、ごく壮大な計画である。有楽町線 2.6km、池袋線複々線化 4.6km、新宿線複々線化12.8km、計20.0km。総工費は数千億円ものオーダーに及ぶ。

 車両の増備は、車両の調達そのものよりもむしろ、車両基地の手当が難しい。

 都市化・宅地開発が進展した鉄道路線の沿線では、広大な面積を要する車両基地を確保するのは極めて難しい。例えば、埼京線の接続先が当初計画の高崎線から川越線になったのは、高崎線沿線での車両基地新設が至難であったため、まとまった用地を取得しやすい川越線沿線に車両基地を求めたためとされている。西武鉄道の車両基地といえば、保谷・上石神井・小手指・南入曽。都心に近く手狭な保谷・上石神井は完全に飽和しているし、郊外に立地し面積に比較的余裕のある小手指・南入曽にしても、容量が無限にあるわけではない。

 複々線化が進み、かつ車両基地の容量も逼迫しかかっている。かような状況下において、安比奈線が復活する構想が育まれた。休止されて久しい安比奈線を復活のうえ、この沿線にまとまった用地を確保し、車両基地を新設するというものである。安比奈線は四半世紀を超える眠りから覚め、身についた錆を振り払い、再び世に出ることになった。否、そのはずだった。

図−2・3 西武鉄道新宿線(左)及び池袋線(右)の輸送力・通過人員・混雑率の推移
(輸送力・通過人員は昭和35(1960)年度を 100として指数化)
営団有楽町線成増延伸及び西武有楽町線が開業した昭和58(1983)年度以降の池袋線は通過人員が落ち込み混雑率が大きく緩和されていることがわかる
参考文献(02)

 

 

 現実は、衆知のとおりである。

 成長には歴然たる限界があった。いわゆるバブル景気を頂点として、日本の経済は停頓した。そればかりではない。少子高齢化が進展し、即ち就労人口と就学人口とが減少し、鉄道利用者の減少につながる素地が醸成された。

 西武鉄道においては、平成 3(1991)年度が輸送量のピークだった。これを頂点として、輸送量は明確に減少に転じた。減少のペースが衰える気配は、今のところない。割引率の関係で、定期券客が回数券利用に流れ、利用者数のカウントが実数に近づいているという状況もあるにせよ、輸送量が年度ごとに減っていることの説明にはなりそうにない。利用者は、確実に減り続けている。

 輸送量減少の傾向が明らかになって、西武鉄道は方針を大きく転じた。既に着手されていた池袋線の複々線化こそ継続しているものの、新宿線複々線化は無期延期、実態としては中止となった。西武鉄道の財務体質は大手私鉄の中では最も厳しい(※)。これ以上の大規模な設備投資を危険と判断したのは、当然といえば当然であろう。
   ※:西武鉄道の自己資本比率は約 4%で大手14社中の最低水準。ちなみに大手14社の平均値は約16%。

 

 安比奈線は、再び世に出る機会を失ってしまった。平成 5(1993)年頃には測量の手が入り、復活への具体的な計画が立案されつつあったというのに。未だ復活を果たせぬまま、安比奈線は錆び朽ちたままの姿をとどめなければならず、それはあたかも木乃伊や風葬を連想させる。しかし、安比奈線は戸籍上では「生きた」線路なのである。

 

 

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