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廃止後から還暦す〜〜武州鉄道の痕跡
武州鉄道の存在は、ひょっとすると地元の方でさえ忘却しているかもしれない。開業は蓮田−岩槻間が大正13(1924)年と比較的新しく、その後逐次延伸が続き、荒川を越えて東京都下まで路線を伸ばす計画そのものは壮大だった。しかしその経営は常に不振であり、実に昭和13(1938)年というかなり早い時点で廃止(蓮田−神根間)になってしまった。
廃止から暦がめぐり、十干十二支を一巡する還暦をも過ぎた。沿線では都市化が進んでおり、普通ならばその痕跡はことごとく失われていてもおかしくない。しかし、しぶとく跡をとどめる箇所も少なくない。
例えばここ。伝右川両岸の橋台である。一部では知られた存在で、いくつかのサイトでも紹介されている。W杯アジア予選に熱く燃える埼玉スタジアムのすぐ近くにある。また、隣接して綾瀬川橋梁もあったはずだが、こちらは河川改修で痕跡が失われている。
ここは旧笹久保駅付近。目白大学構内の台地から下りきったところで、鬱蒼とした趣がある。この近くでは野生の狸に出会ってしまい、さすがに驚いた。まだまだ自然が残る地ではある。
こちらは旧浮谷駅付近。同じ道路転用ながら、目白大学正門につながるプロムナードとして整備されており、雰囲気は段違いに明るい。
武州鉄道に関する文献は極端に少ないといわざるをえないが、風間進氏が立派な著作をのこしておられる。たいへん面白い記述に満ちており、ここから想を得る部分も大であるが、それはいま少し将来の楽しみとしてとっておくことにしたい。今はただ、ミニ廃線の一部として紹介するにとどめておく。
参考文献
(01)「武州鉄道」(風間進)
(02)「私鉄史ハンドブック」(和久田康雄)
(03)「さいたまの鉄道」(埼玉県立博物館編)
執筆備忘録
本稿の執筆:平成17(2003)年春
写真の撮影:平成15(2003)年秋
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