このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください





天六地上駅のなごり





■大阪都心を目指す

 現在の阪急千里線天神橋筋六丁目(開業当時は天神橋)−淡路間は、大正14(1925)年新京阪鉄道の手により開業している。当時、梅田−十三間は阪神急行電鉄(現在の神戸線)と箕面有馬電気軌道(現在の宝塚線)に押さえられていた。新京阪鉄道としては天六交差点まで乗りこみ、大阪市電と接続することにより、大阪都心部へのアクセスルートを確保しようとしたものと思われる。

淡路
淡路に進入する天下茶屋発北千里行阪急8300系(平成19(2007)年撮影)


 淡路駅の配線はたいそう複雑だ。四方向四系統の列車が錯綜しているというのに、現状では平面交差のみで構成されており、よくダイヤが成立するものだと感心する。もっともこれは、連続立体交差化が完成すれば昔話となるべき状況ではある。





■堺筋線との相互直通運転

 京都線のボリュームが大きいため目立たないが、千里線の需要はかなりの水準に達している。昭和44(1969)年からは大阪市堺筋線との相互直通運転が開始されている。堺筋線は直通相手の阪急の規格を反映し、大阪市の地下鉄ネットワークのなかで唯一、標準断面・架線集電の路線となっている。

淡路
淡路に停車中の天下茶屋行大阪市66系(平成19(2007)年撮影)


 相互直通運転開始を契機として、天神橋筋六丁目駅は地上駅から地下駅へと変貌した。では、旧い地上駅はどうなったのか。解体されこの世から消え去ったのか。

天神橋筋六丁目 天神橋筋六丁目
今も姿をとどめる天神橋筋六丁目旧地上駅(平成22(2010)年撮影)


 高架構造だった旧地上駅は、意外にも相当部分が残っている。一階高架下のコンコース部分はスーパーマーケットに、二階ホーム階はスーパーマーケットの荷役設備に、さらに上の階はオフィスビルに転用されている。

 鉄道としての用途廃止後、既に40年以上の月日が経っている。すっかり風景になじんでおり、そうと指摘されなければ、鉄道の高架駅だったとは気づきにくい。百万都市の都心近くに鉄道の廃止設備が露出しているという、稀有な事例である。





■天六に関する証言

 意外なところから、天六旧地上駅に関する証言を目にした。以下、引用する。

時代の証言者
科学と技術 江崎玲於奈3

(前略)
 大人になってからは、子どもの頃に乗った鉄道模型を集めるようになりました。実際に線路の上で走らせてみると、昔がよみがえります。鉄道模型は私にとって、思い出がこもる骨董品のような存在ですね。
(中略)
 大阪−京都34分の猛スピードを実現した新京阪鉄道(現阪急京都本線)の模型もあります。大阪・天神橋筋6丁目の豪華なターミナルビルが発着場所でした。
 このターミナルと大阪・千里山を結んでいた現在の阪急千里線は、父がよく利用していました。沿線の宅地開発が進み、父は郊外の豊かな生活に似合った「文化住宅」を建設しようとしました。しかし、日本の経済は急速に悪化し、事業は失敗に終わったのです。
(後略)


讀賣新聞平成22(2010)年 9月30日付紙面より



 天六旧地上駅は「豪華なターミナルビル」だったのだ、と感心した次第。まさに「時代の証言」である。





元に戻る





このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください