このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
天六地上駅のなごり
■大阪都心を目指す
現在の阪急千里線天神橋筋六丁目(開業当時は天神橋)−淡路間は、大正14(1925)年新京阪鉄道の手により開業している。当時、梅田−十三間は阪神急行電鉄(現在の神戸線)と箕面有馬電気軌道(現在の宝塚線)に押さえられていた。新京阪鉄道としては天六交差点まで乗りこみ、大阪市電と接続することにより、大阪都心部へのアクセスルートを確保しようとしたものと思われる。
時代の証言者 科学と技術 江崎玲於奈3 (前略) 大人になってからは、子どもの頃に乗った鉄道模型を集めるようになりました。実際に線路の上で走らせてみると、昔がよみがえります。鉄道模型は私にとって、思い出がこもる骨董品のような存在ですね。 (中略) 大阪−京都34分の猛スピードを実現した新京阪鉄道(現阪急京都本線)の模型もあります。大阪・天神橋筋6丁目の豪華なターミナルビルが発着場所でした。 このターミナルと大阪・千里山を結んでいた現在の阪急千里線は、父がよく利用していました。沿線の宅地開発が進み、父は郊外の豊かな生活に似合った「文化住宅」を建設しようとしました。しかし、日本の経済は急速に悪化し、事業は失敗に終わったのです。 (後略) 讀賣新聞平成22(2010)年 9月30日付紙面より |
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |