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おおっ! ドミニク!

〜〜 元札幌市A830を悼む 〜〜





【注意書】

 この記事は、私の狂気が命じるままに記す。勿論、ホームページに文章を公開する以上、相応の質を保とうと思っているが、筆がすべりまくることは避けられそうにない。そして「愛を知る方」にこそこの記事を読んで頂きたい。「愛を知る方」にこそ。









■マリー・アントワネットの乳房

 図らずもフランス革命の主役の一人となったマリー・アントワネットは、自らの美貌、とりわけ乳房の形よさに強い自負を持っていたと伝えられている。いうまでもなく雲上人たるマリーには裸形像など残されてはいない。もしそんなものがあれば、フェルゼン伯との倫ならぬ恋以上の大スキャンダルとなっただろう。しかしマリーは、美しき肉体を形に残すことを決意した。強い自信なのか、それともただの自惚れか。マリーはワイングラスに自らの乳房を刻ませた。

 そして、ワイングラスの形に化ったがゆえに、マリー・アントワネットの乳房は時空を超え、永遠の美しさを世に残したといえる。後世に伝えられたワイングラスを見て想像をめぐらせるからこそ、夢と浪漫がある。ギロチンで斬首されたマリーの亡骸から乳房だけを切り取ったとしても、それはただの人体標本にすぎない。脈絡のない部品だけがあっても、そこにはなんら意味も価値もない。

 マリー・アントワネットは、ほんらい羞恥の対象となるものを形に残したという点一つをとってみても、天真爛漫でこどもじみた愛嬌があったようだ。「パンがなければケーキを食べればよい」という発言なども、実は後世の創作ともいわれているものの、マリーの気質をよく象徴しているといえる。このようなエピソードの一つ一つが組み合わさって、マリー・アントワネットという全人格が伝えられ、はるか後世の人間の想像をかきたてるのだ。歴史上政争の末に殺された王妃は数知れず、その多くは史書の数行に埋もれている。マリー・アントワネットは決して悲劇のヒロインではないものの、多くの後世の人間から愛される稀有な存在となった。





■マリー・アントワネットの生首

 さりながら、同時代のフランス「市民」からすれば、マリー・アントワネットは圧政を強いるブルボン王朝の一部であり、富を搾取して贅沢に耽溺する貴族の象徴でもあった。だからこそフランス革命が勃発し、マリーは夫ルイ16世と同様に斬首されなければならなかった。

 歴史における全世界的な常識として、斬首は晒し首につながる行いである。生首を晒すというまさに生の行為によって、政敵あるいは犯罪者に死を与えたことを周知するとともに、自らの功を誇り示すわけだ。しかし、生首は時を置かずに腐乱し、もとの姿がわからなくなってしまう。生首の政治的有効期限はごく短期間に限られる。斬首する側から見ても、その有効期限を超えてまで生首を保存しようという者は、「マスク・オブ・ゾロ」のラヴ隊長のように、やたら征服欲と自己顕示欲が強い変態な人物に違いない。

 斬首される側から見ても、生首を保存するということはまずない。ルイ16世は妻マリーに先だち斬首されたが、仮に順番が前後したならば、愛しの妻を丁重に埋葬したであろう。亡き妻を偲ぶよすがは、例えば指輪であったり、あるいは髪飾りであったりするのだろう。そのような小さなものを起点にするからこそ、ぜんたいの想像につながるのかもしれない。共に過ごした時への思い出、愛情を交わしたつよい記憶、時を超えて鼻をくすぐる香薫。敢えて生首を残そうなどという心持ちは、「銃夢」のザパンに代表されるような、死者への未練にすぎないものだろう。

 亡きものを弔い、後世に顕彰していくためには、必ずしも「そのもの」がなくともよい。亡きものを象徴するなにかがあれば、物語は紡がれ、伝説は残る。時の流れに洗われて、それでもなお消えないなにかが残れば、それは「歴史」へと昇華する。





■元札幌市A830の「生首」

 こんなことを書くのは、鉄道ジャーナル 478号(平成18年 8月)誌上にて、モ876 が旧美濃駅に保存された写真を目にしたからである。最初に受けたのは衝撃。まるで愛しき女の首が晒されているのを目の当たりにしたかのような。生首を目の前に据えられたようなおぞましさ。そして怒り、さらに悲しみ。瞬間的な感覚ながら、私にはそれが「保存」であるようには見えなかった。これは決して保存とはいえない。

 無論、保存事業には制約がつきものと承知している。予算、空間、などなど。さまざまな制約を乗り越えて、ようやく「保存」にこぎつけたであろうことも、頭のなかでは理解できる。写真で見る限り、ホーム上での保存だから、かなりの制約があることはわかる。しかし、これは本当に「保存」なのか。

 名古屋鉄道モ870 、元札幌市A830の真の価値とは、輸送力確保を命題とした長い編成とあわせた、日本の路面電車史上もっとも麗美な外観形状にある。これほど美しい車両は、ほかには求められない。運転台部分だけがあっても、意味も価値もないのだ。

 鉄道車両は長く、保存するための空間制約が厳しい。それゆえ、運転台部分だけを切り取るという方法じたいはよく採られる。旧交通博物館の新幹線 0系や、交通科学博物館の旧「こだま」 151系などがそれだ。そして、これらの車両は、運転台部分だけでも充分にインパクトと価値がある。機能を追求した外観が、そのまま見た目のインパクトに通じているからだ。しかし、A830の外観は機能追求の結果ではない。輸送力を備えたフル編成の美しさにこそ、A830の真価がある。それは写真でも充分に再現できる類のものだ。運転台だけを「保存」しても、後世の人々にはその意味が理解できまい。

 モ870 =A830にとって不幸だったのは、移籍先を得られなかったという一点に尽きる。老朽古参のモ590 でさえ土佐電鉄に移籍したというのに。車齢は新しくとも、華奢な車体が災いしたか。どうせなら生まれ故郷の札幌に里帰りして、昭和30年代のボギー車が未だ活躍中という状況に、一筋の光明を当ててほしかった。過大に見える輸送力はワンマン化改造でクリアされているし、札幌市初の冷房車というインパクトも伴ったはずだ。A830が似合う街は、なんといっても札幌だろうという思いもある。

 それもこれも、全ては夢。一つの車両の生命は終わった。今はただ、亡きA830を偲び、おのが狂気の命ずるままに叫びたい。



 おおっ! ドミニク! 寺沢武一「コブラ」より

元札幌市A830





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