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熱意が「歴史」をこわした〜〜下風呂アーチ橋
■北海道新聞平成18(2006)年 8月10日付記事より
探訪夏の下北 *7*
橋梁のコンクリートは明るいグレーに塗られ、その上はタイル敷きの遊歩道になっていた。百メートルほど歩くと、瀟洒なあずまやが見え、観光客が足湯を楽しんでいる。
青森県風間浦村の下風呂温泉郷に残る「大間鉄道」のアーチ橋。築六十年を超え、老朽化が進んでいた。末永く残そうと、人口三千人に満たない同村が昨年四月、一億二千万円を投じ「鉄道アーチ橋メモリアルロード」として再整備した。
函館市戸井地区にも「戸井線」のアーチ橋が残っている。ここは、古びたコンクリートのまま。両者の境遇はそっくりなのに、現在の姿はまるで違う。
……
戦争の記憶を伝えようと、○○さんら有志がアーチ橋保存を訴え、これが実った。あずまやには、アーチ橋の歴史を伝える案内板が立っている。
函館産業遺産研究会の□□会長に、この下風呂の姿を伝えると、羨ましそうに語った。「戸井のアーチ橋も、下風呂と同じく重要な地域の遺産だ。そのことに地元住民が気付くかどうかなんだ」
※引用者注※ 公人とはいいにくいことを考慮して、人名は伏字とした。また、一部単位を全角文字化している。
■コメント
既にいくつかの Webサイトでも記事化されているが、あまりにも有名な下風呂アーチ橋が遊歩道として整備されている。遊歩道化されるにあたって、アーチ橋全体に灰色の塗装が施された。また、アーチ上部の遊歩道には、水色の鉄製手すりも設置されている。
率直にいって、なんと愚劣なことをしたものか、と嘆息せざるをえない。上の新聞報道に触れ、地元の方々の切々たる熱意を知ってもなお、その思いはいささかも緩和されないのである。むしろ、熱意をなぜこのように歪んだ形で表現するのか、と悲しくなる。これは「歴史」の毀損、あるいは改竄ではないか。
未成線のアーチ橋を遊歩道に転用する、という発想そのものは良しとしよう。歩行者の安全を守るためには、鉄製手すり設置は当然の対策といえる。アーチ橋のコンクリートは星霜を経て劣化が進み、なんらかの保護が必要だったという状況も理解できる。しかし、だからといって、新製コンクリートのトーンからほど遠い灰色塗装としたのは、ほとんど決定的な失敗だったのではないか。
下風呂アーチ橋には、戦後60年の長きに渡り、未成線の一部として風雨に晒されながら放置され続けてきた、という「歴史」がある。くすんだコンクリートの色あいでなければ、その「歴史」は表現できない。灰色塗装によってその「歴史」を覆い隠してしまうとは、下風呂アーチ橋が過ごしてきた年月を否定するようなものだ。この「歴史」を正確に後世に伝えようとするならば、保護塗装は無色透明であるべきだった。
もし現役の鉄道橋であれば、経年劣化の程度や状況に応じ、なんらかの補修が行われることは間違いない。そして、鉄道コンクリート橋の補修において、保護塗装という選択肢が採られる事例が稀であることに留意しなければなるまい。灰色塗装はそもそも鉄道橋として「らしくない」のである。
遊歩道として見ても、灰色塗装とは冴えない。落ち着いた色調、とも決していえない。奇抜な極彩色では周辺の風景になじまず除外するとしても、本来のコンクリートのトーンに近い、別の色がありえたのではないか。
地元の方々に熱意があるのはわかる。わかるだけに、いったい何をやっているのかと、もどかしい思いを禁じえない。下風呂アーチ橋が歩んできた「歴史」を、素直に認めかつ受け容れてほしかった。灰色塗装を施した瞬間、下風呂アーチ橋の「歴史」は、時計の針が最初に戻ってしまったようなものだ。戦時対応の軍事鉄道としてつくられ、戦後長らく未成線として放置されていた「歴史」が、忘却されないまでも誤った形で伝承される危惧を覚えざるをえない。杞憂ですめばよいのだが……。
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