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南部鉄道史序論





■南部鉄道とは

 南部鉄道は尻内(現八戸)−五戸間を結んでいた全長12.3kmの私鉄で、昭和 4(1929)年の部分開業を経て、昭和 5(1930)年に全通した。開業当初は五戸電気鉄道と名乗っていたが、実際には非電化の鉄道であった。

 昭和11(1636)年に五戸鉄道と改称し名実の平仄を合わせ、さらに昭和20(1945)年に南部鉄道と改称した。

 地方の小鉄道の例に違わず経営が厳しかったところ、昭和43(1968)年の十勝沖地震で大打撃を受け、全線に渡り運休となった。被害総額は 2億円弱に及んだ(参考文献(02))というから、現在の貨幣価値に換算すれば確実にその十倍以上の額になるであろう。南部鉄道はまさしく壊滅的な打撃を受けたのであった。

 南部鉄道は一年近い運休を経て、復旧されることなく、昭和44(1969)年に正式に廃止となった。

南部鉄道路線図
南部鉄道路線図






■十勝沖地震

 十勝沖地震で大きな被害を受けたのはひとり南部鉄道だけではない。国鉄も各所で甚大な被害を受けた。参考文献(02)によれば、被害状況は、

「東北本線尻内野辺地間及び大湊−大畑線の被害は、壊滅的で目をおおうばかりの惨状を呈し」「被害額は、約48億円となり、連絡船設備を加えるとさらにその被害額が増加している」

 と総括されている。激しい揺れのため運行中の貨物列車が脱線した事例さえあったなかで、旅客の死傷者がなかったのは不幸中の幸いというべきであろう。

 折あたかも東北本線盛岡−青森間では複線電化工事が進行中で、これら工事にも打撃があったことはいうまでもない。被害総額からもわかるとおり、国鉄は深刻な損害を被った。ところが、複線電化の完成時期はまったく遅滞していない。国鉄は、震災復旧と複線電化を同時並行で達成したことになる。





■少ない文献

 国鉄の経営は下り坂をたどりつつある時期だったとはいえ、東北本線の震災復旧と複線電化をあわせて成し遂げるだけの地力があった。これに対し、南部鉄道は震災に耐えられなかった。一年近い運休期間は復旧を模索した証といえるとしても、結局は鉄道営業廃止を選択した。

 南部鉄道廃止の時期は必ずしも早くはない。ところが、南部鉄道に関する文献はかなり少ない。稀少といってもいい。南部鉄道と近い時期に廃止された鉄道においては、筆者が知る限りでは、RMライブラリーに採り上げられたものがいくつかあるほか、相応に質の高い文献資料が残されている鉄道が少なからず存在する。

 南部鉄道がこれらの例から漏れているのは、不思議というしかない。沿線地域に与えた影響が少なかったから、というのが一般論的解釈であろうが、これは酷評にすぎるだろう。インターネットで検索しても、情報の断片が散在しているものの、南部鉄道史をまとめたページを構築しているサイトは確認できなかった。これだけ注目されない鉄道は珍しく、不可思議な状況を呈している。





■南部鉄道への注目

 東北新幹線の新青森延伸という節目に、南部鉄道(現南部バス)の内部資料が五戸町に寄贈されたこととあわせ、 「なつかしの南部鉄道」 という特別展が企画されている(五戸町教育委員会・青森県立郷土館共催)。南部鉄道資料に関しては、地元五戸町だけでなく青森県立郷土館も興味を示しており、今後なんらかの形で史書編纂へと発展する可能性がある。

 筆者もこの展開には注目している。理由は「五戸電気鉄道株式会社設立趣意書」の記述に触れ、想を得たからである。以下に引用する。




【原文】
 青森県五戸町ハ東北本線尻内駅ヲ去ル約四里ノ地点ニアル都邑ニシテ附近町村ノ旅客及貨物集散ノ枢要地タリ。而シテ同町及附近村落ハ広大ナル地積ヲ有シ且ツ土地肥沃ニシテ米穀其ノ他ノ農産物ヲ首位ニ豊富ナル物資ヲ包蔵シ殊ニ戸来及十和田ノ大森林ハ百年無尽ノ宝庫タルノミナラズ天下ノ霊光タル十和田ノ絶勝アリト雖交通機関備ハラザルヲ以テ未ダ此天与ノ恩恵ヲ開発利用スルコト能ハザルハ独リ地方ノ発展ヲ阻止スルノミナラズ国家ノ不利亦尠ナカラズト謂フベシ。

   参考文献(03)(04)より



【現代語表記】
 青森県五戸町は、東北本線尻内駅から約12km離れた地点に所在する中心市街地であり、周辺町村の旅客及び貨物が集散する枢要地となっている。五戸町とその周辺地域は広大な面積を有しかつ土地肥沃であり、米穀その他の農産物を筆頭として、豊富な物資を包蔵している。殊に戸来(地名)及び十和田の大森林は百年伐採しても尽きない宝庫であるだけでなく、天下の霊光と呼ぶべき十和田の素晴らしい景勝が控えている。
 しかしながら、交通機関(=鉄道)が整備されていないことをもって、未だこれら天与の恩恵を開発利用できないというのは、五戸周辺地域の発展を阻止するだけにとどまらず、国家の不利益もまた少なくないというべきである。



 筆者はほとんど同趣旨の記述を 北海道拓殖鉄道 に見出している。これは偶然の一致か、はたまた当時の定型文なのか。特別展はその端緒を切り出すであろう。





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参考文献

(01)「私鉄史ハンドブック」(和久田康雄)

  HP 青森県防災ホームページ より
(02) 十勝沖地震(昭和43年) 6.交通関係被害

  HP 青森県立郷土館ニュース より
(03) 南部鉄道関連記事

(04) デーリー東北

  HP 南部バス より
(05) なつかしの南部鉄道

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